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蝶の遺跡 3

 誰だろうと首を傾げたものの、即座にぴりりと肌に違和感を覚える。逆立った産毛を撫でながら、どうにもおかしいと、いつでも動けるように全身に緊張を巡らせて相手の様子を凝視する。

 ガシャリと金属が擦れ合う音を響かせながら、鎧はエルザたちに向かって歩き始めた。目前十歩ほどの位置に立ち止まると、優に人の背丈以上はありそうな大剣を片手で軽々と扱って、切っ先をふたりに差し向けた。

「……貴様ら、アバル王国の人間か」

 表情を隠す鉄冑の奥から、くぐもった男の声が聞こえてくる。感情の読み取れない、冷徹な声だ。エルザは慎重に言葉を選ぶ。

「まあ、そうなると思う。一応王国の領土内に拠点を置いているから」

「そうか。ならば――」

 言うと、甲冑は片手で支えていた剣の柄にもう一方の手を添えた。途端に、爆発的に膨れ上がった殺気がエルザたちを貫いた。

「――死んでもらう」

「えっ。ちょっ。まっ」

 有無を言わさず駆け出した男は、数歩で間合いを詰めると、振り被った大剣を、重量に任せて勢いよく振り降ろした。対象を切るのでなく、粉砕するための一撃である。斬撃を、エルザとシルバは素早く左右に飛び退いて躱す。衝撃に大きく穿たれた金属の床を見て、戦慄を覚えた。

 視線を持ち上げる。冑の奥に潜む、冷たい視線と目が合ってしまう。

 両足に力の全てをつぎ込んで、エルザは撥ねるように背後に退いた。寸前までしゃがんでいた場所を、振るわれた大剣の切っ先が鋭く薙ぎあげながら掠めていく。

 手強い相手だと意識する暇もなく、大剣の重量からは想像もできないような軽やかさで、舞踏を思わせるような猛攻が一気呵成に放たれ始めた。連撃を避け凌ぐのに、エルザは全神経を集中させることを余儀なくされる。

 太刀筋は、とてもじゃないが両手で扱う剣の速さではなかった。眼前すれすれを刀身が過ぎていく度に、空気が唸りをあげて頬を撫でていくほどだった。加えて反撃にも移れなかった。己の肉体のみで戦うエルザが三歩踏み込まなければならないところを、甲冑の男は圧倒的な射程の差を活かして、一歩で踏み込んできていた。

 当然のことながら、素手で戦うエルザには大剣を受け止める手段などあろうはずがない。いや、できないこともなかったのだが、男の剣速を前にしておいそれと実行できるほど安全な手段ではなかった。結果として、エルザは一方的に押され続け、防戦一方になってしまっていた。

 その背中が勢いよく壁に激突する。感触に、エルザは刹那の後悔を抱いた。硬直した身体が、僅かな間隙を生み出してしまう。

 現われた決定的な隙を、男は決して見逃さなかった。

 ギラリと眼窩が鋭く光ったかと思った瞬間に、回転する剣筋の遠心力をそのまま活かした、絶対的に回避不可能な横薙ぎの一閃が放たれた。

 猛りをあげて近づいてくる切っ先に、エルザは思わず瞳を閉じる。迫りつつある死を覚悟した。

 けれども、突如として空間に雄叫びが谺する。直後に男の背中で轟音が鳴り響いた。衝撃につんのめり、振りぬいた剣先がざくりと壁に突き刺さる。尚も止むことのない背後からの追撃に、苛立ちをあらわにした男が振り返った。

 金色に光り輝いたシルバが、周囲に浮かべた光の玉を閑暇なく放ち続けてきていた。

「この獣風情が……」

 口にした男は、光弾をものともせず駆け出して、一気にシルバとの間合いを詰めていく。

「効いてないよ。シルバ、逃げて!」

 壁際で叫んだエルザの呼び声に、シルバは素早く反応する。光弾を撃ち止めると、大きく飛び退いて、目前に迫っていた大剣から距離を取った。

 立ち上がったエルザと、牙を剥き出して低く唸り声を上げているシルバ。

 ふたりに挟まれるようにして広間の中央で大剣を持ち直した甲冑の男は、剣を構えながら注意深く両者の出方を見張っている。とりわけ、全身の毛を逆立てたシルバが放つ怒気には敏感に反応していた。今にも攻撃が再開されそうな勢いだった。

 様子に、状況を整理しようと、エルザが慌てて口を開く。

「ストップストップ、ストッープ! シルバもちょっと待ってって。あたしたちは確かにアバル王国内の人間だけどさ、王国の傘下にいるわけじゃないんだよ」

 言葉にシルバは幾許かの落ち着きを取り戻し、男は怪訝そうに振り返った。

「……どういうことだ」

「王国の南にある大地の裂目に、ガルナックって言う自治都市がある。あたしたちはそこからやってきたんだよ。王国とは無関係なの。だからさ、もうその剣仕舞ってよ」

 男は反応を示さない。

「本当だって。信じてよ」

 切迫した言葉に、偽りは感じられなかった。渋々ながらも漆黒の甲冑を纏った男は大剣を背中に担ごうとする。

 だが、動作は途中で止まった。尚も少なからずの興奮をあらわにしていたシルバに目を投じると、男はエルザに向かって声をかけてきた。

「この獣を宥めるまでは信用できない」

「分かった、分かったから。シルバ、落ち着いて。この人は敵じゃない。ゆっくりと回ってあたしの側までおいで」

「今いる場所でいいじゃないか」

「お生憎、こちらとしてもあんたを信用するだけの理由がないの。これぐらいは譲歩してもらいたいんだけどな」

「…………」

 沈黙した男を注視しながら、シルバが壁伝いに移動を開始する。緊張が張り詰める中、側までやってきた輝く体に触れると、エルザは穏やかに呼びかけた。

「ありがと。お陰で助かったよ。だからもう大丈夫。ここからは何とかするから」

 声に、光り輝いていたシルバの体が、徐々にいつも通りの純白へと戻っていく。心配そうに見上げてきた頭にそっと手を置くと安心させるように微笑んでやった。

「……お前ら、本当に魔導局の人間じゃないんだな?」

「だから、そうだって言ってるじゃん。王国の息がかかった傀儡組織なんかと一緒にしないで」

 憤ったエルザを見て、ようやく大剣を担いだ男は冑を取り外した。端正な顔立ちに済まなそうな苦笑いを浮かべた若い男が、気恥ずかしそうに口を開く。

「済まない。この『卵の遺跡』で王国の人間を見たら局の人間だと思えと、上司から言われていてな。ついついお前たちもそうなのかと思ってしまったんだ」

「『卵の遺跡』? それがこの遺跡の名前なの?」

「名前というか、通称だな。と言うか、そんなことも知らないでやってきてたのか? 飛んだ無鉄砲者だな」

「計画性がないってよく言われるけどね」

「なるほど」

 口にして軽快に笑った男のことがなんだか無性に腹立たしくなった。

「で、あんたはどこの何者なのよ。あたしたちだけどこから来たのかを言うなんて不公平じゃない」

「はは。確かに。不公平はよくないな。分かった」

 頷き、男はエルザたちに向かって歩み寄ってくる。手を差し出しながら、にこやかに微笑んだ。

「俺の名前はドエルフ。隣国ダルフォールの軍人だ。よろしく」

「あたしはエルザ。こっちは相棒のシルバだよ」

「よろしく、シルバ。さっきは済まなかった」

 エルザと握手を交わしてから、しゃがんだドエルフはシルバの顔の前で微笑む。しかし、その表情が気に入らなかったのか、もしくはまだ許していないのか、シルバはぷいと視線を逸らしてしまった。

「相当嫌われたねえ。シルバは滅多に人見知りしないんだよ」

「……参ったな」

 立ち上がると、困惑をあらわに、後頭部をがりがりと掻いた。

 暢気にも、どうすればシルバと仲良くできるのかを考え始めたドエルフの横顔を、エルザは疑念のこもった眼差しで見つめる。

「どうして帝国の人間が王国領内の遺跡に潜り込んできてるのよ」

 鋭い詰問に、思わずドエルフは答えに窮してしまった。頭を掻いていた手が止まる。上官からは極秘任務だと言われていた。

「うーんとな、その、なんて言うか……」

「勘違いで人を殺そうしたのに、何も教えてくれないの?」

「さっきのは本当に悪かったよ。済まなかった。でも、教えられないことはあるだろう?」

「……じゃあ、これと交換するならどう?」

 言って、エルザは仕舞っていた小箱を取り出した。ドエルフの瞳孔が大きく開かれるのをしかと確認する。意地悪な微笑を湛えて、相手を追い詰めるべく言葉を重ねていった。

「あたしの予想だとさ、これを持っていったらあんたんとこのお偉いさんは喜ぶんじゃないかなあって思うんだけど、どうなの。もしかすると、昇進なんてことも考えられるかもしれない。チャンスだと思うよ。だからさ、教えてよ。いいじゃん。あたし、口が硬いから誰にも言わないしさ。聞いたことは絶対にここだけの秘密にする。約束するよ。だからさ、教えて」

 小悪魔の囁きに、ドエルフの気持ちは大きく揺れた。確かに、エルザが手にする遺物を自国に持ち帰らなければならなかったのだ。

 ――どうするべきか。どう切り抜けるのが最善なのだろうか。

 悩みながらの沈黙を経て、ドエルフは詳細を口にする代わりに遺物を受け取ることを決意する。大きく嘆息してからエルザの顔を正面に見た。

「実は、この遺跡に来る前にもう一つ遺跡を調査してきたんだ。ここからそんなに遠くない。一日もあれば辿り着く場所だよ。そことこことに潜って、王国の魔導局よりも先に遺物を回収する。それが俺に与えられた任務だったんだ」

「どうして王国よりも先に? この遺跡と、あんたが調査してきた遺跡とは何か関係があるの?」

「さあ。詳しいことは俺には分からない。所詮組織の末端だからな。戦闘には自信があるが、それだけじゃ中枢と考えを共有することは難しいんだ」

「じゃあ違う質問。さっき言ってた『卵の遺跡』っていうのは、どういう意味なの?」

「済まない。それも指令に記されていた記述から仕入れた名称に過ぎないんだ。『緑葉の遺跡』から『大いなる糧食』を、『卵の遺跡』から『再生の卵』を回収することが与えられた任務だった。どうにも、二つ揃ってないと意味がないみたいでな」

 ドエルフの言葉を脳裏で繰り返しながら、エルザは独自の考えを巡らせていく。

 名称からでは機能が分からない二つの遺物。エルザが手にしている小箱に入った球体が『再生の卵』であり、もうひとつが『大いなる糧食』なのだろう。それぞれを、王国と帝国が競い合うようにして回収しているというのが納得できなかった。

 近年、急速に軍備を拡張しつつある帝国ダルフォール。現アバル王国国王がその動向を危険視しているのは誰もがよく知っていることだった。

 ――もしかして、両国共に、遠からず必ず訪れるだろう戦火に備えて、遺物による魔導の力を得ようと画策しているのかな?

 辿り着いたひとつの考えに、エルザは知らず知らずの内に拳を強く握り締めていた。

 ガルナックの基本理念に「学は戦に用いず」というものがある。王国から独立し、独力でダルファの研究を始めたガルナックは、その知識が権力の盛衰に転用されることを何よりも嫌悪していたのだ。

 もたらされる知識は、人々の幸福のために使われなければならない。戦いに明け暮れ、疲弊した民を生み出すようなことは、技術を研究する者として、またその研究材料をそろえるものとして、簡単に許してはならないことだった。

 元より『再生の卵』を渡すつもりなど全くなかったエルザだったが、ドエルフが言っていた『大いなる糧食』についても、その所在を確認しておく必要があると思った。二つ一緒にないと意味がないと口にしていたが、研究次第でどう転ぶか分からないのがダルファの遺物である。ガルナックの手元に揃えておくのが最良の選択だと考えた。

 顎に手を当てながら続けていた思考に終止符を打つと、急に顔を綻ばせてドエルフに顔を向けた。

「ねえ、『大いなる糧食』って、今どこにあるの? 一応見てみたいんだけど」

「手元にあるが、どうしてまた急に?」

「二つ揃ってないとだめなんでしょ? あんたはあたしから『再生の卵』だったっけ、受け取ってさ、これからしばらくは揃ってるのを見れるかもしれないけど、このままじゃあたしは一回も見れないじゃない。不公平だと思わない?」

「いや、揃ったところで何も起こらないんじゃないか?」

「どうしてそんなことが言えるの。何があるか分からないじゃん。ほら。いいから早く出す」

 押し切られるようにして、ドエルフは渋々回収してきた遺物を取り出し始める。

 背中を向けたのを見計らうと、エルザは隣で機嫌を悪くさせたままだったシルバの耳元で小さく囁いた。

「今からあの軍人の遺物を奪い取る。あたしがいろいろ話してる内にあいつの後ろから体当たり、かましてやって」

 よろしく、と片目を瞑って見せたエルザの表情を見上げて、シルバの尾っぽがゆっくりと左右に揺れた。

「あったあった。これだよこれ。ほら」

 再びエルザに向き直ったドエルフが、腰に回していた袋から薄い円盤状の物体を差し出してきた。興味津々といった様子ではしゃぎ、受け取ったエルザの隣で、気配を殺したシルバがゆっくりと動き出す。

「これ、なんに使うの?」

「だから、俺は知らないって」

「……役立たず」

「お前だって分からないんじゃないか」

 声を荒げたドエルフの背中に、急にシルバの巨体が勢いよくぶつかった。

 突如として訪れた衝撃に、状況が理解できないドエルフは目を丸くさせる。反動で前のめりに転びそうになってしまった。

 ――何だ。どうしたんだ。

 思いながらも傾いていく視界の中に、猛然と向かってくる靴の影がひとつ。危険を察知したものの、体勢を整える前に鼻っ面に強烈な一撃がのめり込んでしまった。

 痛みと衝撃に飛んでいきそうになる意識を根性で捕まえる。天井を向きながらも、無意識のうちに手が大剣の柄に移動していた。

 怒気と共に前を向く。いきなり裏切った少女を忌々しく睨みつけた。

 にやりと笑った表情が視界に入り込むのと同時に、放たれた回し蹴りが下顎を貫いた。

 激しく振れ動き、霞み始めた視界の中で、ドエルフは自らの失態を激しく後悔した。やはり、簡単に気を許すべきではなかったのだ。エルザと名乗った少女は王国と繋がりがあったのだ、と。

 横倒しに倒れ込んだ視界が意識を失う前に認識したのは、二つの遺物を手に、颯爽と遺跡を後にした赤茶色の後ろ髪が乗る、純白の獣の長い尻尾だった。

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