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蝶の遺跡 2

   二


 暗黒に閉ざされた通路の中を、動きやすそうな軽装に身を包んだ歳十七、八ほどの少女が、純白の毛を纏った大きな狼を思わせる獣と一緒に歩いている。

 長らく閉ざされていたためか、遺跡の空気には澱んだ纏わり付いてくる粘り気が備わっていた。地下水が染み出しているのか、一足進むごとに靴が嫌な音を立てている。

 鼻を突く腐臭に、希少生物でもある幻獣のシルバはもちろんこと、赤茶色の髪をまとめている少女――エルザまでもが顔を顰めていた。

「……ひどいにおい。外はあんなに綺麗だったのに」

 呟いて、先ほど目にした外観を思い浮かべる。

 深い深い森の中、鬱蒼と生い茂っていた藪を掻き分けて進んだ末に、ようやく辿り着いた深緑の広間の中央に、大理石を連想させる石で造り上げられた遺跡は、来る者を拒まず、ただ粛然とそびえ立っていた。厳かな空気に包まれた静寂の遺跡だ。興味深く辺りを散策したふたりは、崩落しないまま林立していた石柱の頂にも、入り口上部に掲げられたエンブレムにも、つるりと丸い球体が象ってあるのを確認していた。

 やがて、複雑な紋様が刻まれた重厚な石扉見つけて、シルバと共に何とか押し開けて遺跡に入った。道中、エルザは執拗に球体が何を象徴しているのか頭を悩ませていたものの、全く見当がつかなかった。進むに連れて腐臭が思考力を奪っていたし、何よりも手がかりが無さ過ぎたのだ。

 こんなことならば、もっとしっかり依頼書に目を通しておけばよかった。後悔したエルザは、奥へと続く通路を右に折れ、左に折れ、更にしばらく直進した後に、不意にぴたりと立ち止まってしまった。

「まいったなー。迷った」

 一言に、伸びる闇の向こう側から断続的に続いていた耳障りな高音が、返事をするかのように響き渡った。

 はっきり言って、この先に何が待ち受けるかを、エルザは知らない。依頼書には記してあったのかもしれないが、流し読みをしたエルザにはまったくわからなかった。何が出てくるのだろう。不安を少なからず胸に宿しながらも、不明瞭な視界の中を手探りで進んでいく。掌を突いた壁が、その都度、ぬちゃりと嫌な感触を伝えてきていた。

「……シルバー。悪いんだけどさ、いつもみたいに光を呼んでくれないかな? さすがに暗すぎてさ。なんか迷っちゃってるみたいだし」

 恥ずかしそうな声に、ずっと足音を立てないで後ろについていたシルバは素直に応じる。エルザの背丈の二倍以上はあろうかという巨体が、四肢を踏ん張って小刻みに震えると、細い遠吠えをして黄緑色の小さな光の玉を周囲に灯した。

「ありがとう、シル――バ?」

 振り返ったエルザは、気の毒そうな目を向けられていたことに初めて気が付いた。

「どうしたのさ。宙に浮くなんて、慣れない魔法使うと無駄に疲れちゃ……」

 視線をシルバの足下に移すのと同時に息を呑んだ。ぷっくりと膨らんだおびただしい量の蛆が、狂ったように激しくのた打ち回り、通路の床を埋め尽くしていたのである。

「ひっ……」

 たじろいで後退した左足が、着地すると同時に数百の蛆を踏み潰す。視界が開け感触の原因が何であるか分かってしまったがために、ねちゃりと響いた足音は、耳朶から内耳、大脳に至るまで素早く伝わり、一層の恐怖を生み出してしまった。

 震え上がった両肩を、反射的に強く抱き締める。壮絶な光景に血の気が引いたエルザは、この世の何よりも蛆虫のことが大の苦手だった。

 細長い上に、ひょこひょこと意味もなく頭を持ち上げては動き回る小さな白乳色の胴体。うぞうぞと、発狂したかのように暴れくねる常軌を逸した行動。一枚の膜を隔てただけで、肝心の中身は溶けているのではないかと思わせるような感触など、想像しただけ卒倒してしまいそうになるのだ。

 目前に現れた光景は、まさしく地獄そのもの。息が詰まり、奥歯はかたかたと音を立て始めていた。

 けれども、飛んでしまいそうになる意識を何とか握り締めて、エルザは呼吸を再開しなければならないと強く念じた。目を閉じ、冷静になろうと心を落ち着かせる。ふっ、ふっと繰り返す荒く短い呼吸音を、暗闇の中でじっと聞いていた。

 ゆっくりと目を開けて、肩を抱く両手から力を抜いていく。ふと視界に入った掌に、蠢く影を見つけてしまった。思わず大声で悲鳴を上げてしまった。

 千切れんばかりに掌を振り回して、涙目になりながら残骸が残っていないかを確認する。それから恐る恐る、ついさっきまで手を突いていた通路の壁に目を向けた。

「勘弁してよう……」

 びっしりと張り付いていた蛆の大群に、とうとう泣き言が口を突いてしまった。痙攣する横隔膜が、潤んだ両目からぼろぼろと涙を落下させていく。

 側に寄ったシルバが、励ますように顔を摺り寄せてきた。腿に感じた柔らかな温もりが嬉しかった。

 そんなふたりの許に、やおら地響きが近づいてくる。先に気が付いたのは、もちろん獣であるシルバだった。ピクリと耳をそばだてて、素早く背後を振り返る。闇の奥から怒涛の勢いで近づきつつあった気配に唸り声を上げ始めた。

 様子に、鼻を啜ったエルザも目を向ける。暗くてよく見えない通路の向こう側に、大きく脈打った造形を捉えてしまった。

 周囲を埋め尽くす蛆の大群を巻き上げ、または轢き殺しながら巨大な影が猛進してきていた。その正体が何であるかを悟ったエルザは、一息に全身の肌が粟立っていくのを感じた。

 頭蓋骨に直接叩き込まれるかのような甲高い鳴き声が、通路の中に反響する。

 躍り出てきたのは、灯した光に誘われた巨大なワームだった。はち切れんばかり膨れ上がった丸まるとした巨躯に、規則的に配置された茶色い目玉模様が浮かび上がって見える。頭の部分には、細かい牙がびっしりと生え揃った黒穴がぽっかりと口を開いていた。、

 悲鳴を上げるよりも早く踵を返すと、両目いっぱいに涙を溜めたまま、エルザは脱兎のごとく遺跡の奥へと逃げ出した。後をシルバも追走する。視界が開けると同時に、ふたりは四辻に出くわした。

 巨大な蛆が追ってきているという恐怖に脅え混乱する中、どう進めば一番早く遺跡の奥へと辿り着けるかを考えてみる。勘に任せて、エルザは右に折れた。三叉路に出る。

 背後で鳴き声が響いた。反射的にエルザとシルバは進路を左に取って、直線を疾走していく。が、目の前に現れたのは、無常にも行く手を阻む巨大な石壁だった。さああっと、エルザの耳は血の気が引いていく音を聞いた。

 ワームが遺跡の床を這いずる振動が、うねるようにして刻々と近づいてきている。置かれた状況の散々たるありさまに、エルザは目の前が真っ暗になったような気分になった。

 ぎゅっと力強く奥歯を噛み締める。

 こうなったら、もう取るべき手段は一つしかないと決意する。

 振り返えると、ちょうど角から現れたワームに向かって拳を構えた。猛烈な勢いで近づいてくる巨大な蛆虫を直前まで引き付けると、床を蹴って高く飛び上がった。空中で思いっきり身体を捻ると、渾身の力を込めた蹴り横から叩き込む。

 持ち上がっていた鎌首に、側面からの強烈な一撃を浴びたワームは、轟音と共にその巨躯を石の壁へと激突させた。

 間隙を縫って、エルザとシルバは四辻まで疾駆した。焦りながらも、どこへ向かえばいいのか考える。立ち止まって一息を入れる暇もなく、どういうわけか、全方向から怖気の走る鳴き声が響いてきた。

「うう。来るなら来なよ。ぶっ倒してやるから」

 やけくそになりながら叫ぶと、呼応するかのように四方向からワームが姿を現した。

 悲鳴にも似た怒号を上げながら、エルザは大きく足を踏み出す。ずん、と遺跡の床が沈み込んだ音と共に、繰り出した右の拳が一体のワームを咽喉下らしき部位を強打、通路の奥まで吹っ飛ばした。

 そのまま回転をかけながら飛び上がって、右隣から迫ってきていた一体に抉るような回し蹴りを放つ。時を同じくして、残っていたもう二体のワームを鋭い爪牙でのしていたシルバと共に素早くその場を後にした、

「ああああぁ、殴っちゃったよう」

 一瞬で拳に染み付いた感触を思い出して、駆け出しながら身震いをした。


 遺跡の中を右往左往、絶叫を上げながらワームを倒し、逃げ出しながら、エルザとシルバはようやく遺跡の中枢にまで辿り着くことができていた。

 ふたりとも、蛆の屍骸やワームの体液のせいで、全身から生臭いにおいを立ち昇らせている。憔悴した表情の理由は、何もずっと走りっぱなしだったからだけではないようだった。

「ようやく、抜け出せた……」

 口にしたエルザは、ずっと続いていた石造りの遺跡の中、忽然と姿を現わした金属の床に座り込んでいた。そこに、もう蛆の姿は見受けられない。横になって両手を大きく伸ばすと、深く胸の中に空気を蓄えた。

 青みがかった清潔な光源を持っているらしいこの広間だけは、外に空調が繋がっているみたいだった。吸い込んだ空気はとても澄んでいて、溜まった疲れを少しだけ取り除いてくれた。

 しばらくの間、身動きをとらなかったエルザは、どんよりと重たい頭で、数日前にギルドで依頼を引き受けた場面を思い返していた。前回の報酬があまりにも少なかったために、ギルド長であるモルサリに直訴したときのことだった。逆に宥められてしまった折に、偶然依頼書を見つけたのが間違いだったのだ。

 ――馬鹿みたいに報酬がよかったから来たんだけどな。

 ここまで蛆に追われるなんて思ってもいなかった。嘆息を吐いて、じっと高い天井に視線を這わせる。しばし硬直すると、不意に両足を振り上げて、首跳ね起きの要領で勢いよく立ち上がった。軽く腰の汚れを払うと、近くで寝そべっていたシルバの頭を撫でてから、広間の中央に備え付けられていた台座に目を向ける。

 不思議な形をした祭壇だった。なんの装飾も施されていない長方形の土台の上に、支えもないのに、光沢を持った球体が鎮座している。ほんの少しだけでも触れてしまえば、勝手に転がり出してしまいそうな形状をしていた。

 僅かながら緊張して近づいたエルザは、球体の頂に透明な箱が嵌め込まれているのに気が付いた。そっと手を伸ばすと、力をかけないよう慎重に取り外す。

「これが、依頼にあった遺物なのかな?」

 目の前で傾けたり、振ったりしながら、小箱の詳細をつぶさに観察し始めた。

 中に入っているのは、遺跡の外で嫌というほどに目にした、つるりとした球体だった。どこからどう見ても石で造られたようにしか見えない。空ける場所が見当たらない正方形の小箱の六面全てに接触していた球体は、がちりと固定されていてびくとも動かなかった。

 よく分からない遺物だ。一見して使い道も分からないのに、どうしてあんなに高額の報酬が掛けられていたのだろう。

 気になったものの、所詮は一介のトレジャーに過ぎない身分である。知る必要のないことだとすぐに頭を切り替えた。かつて絶大なる繁栄を遂げていたにも関わらず滅んだ超大国――ダルファの謎には確かに興味があったものの、目の前には涎が出そうな報酬がぶら下がっているのだ。背に腹は変えられない。悟ったエルザは、急いで遺跡から脱出することに決めた。

 ――それに、どうせ研究はガルナックの学者たちと共同でやることが決まってるんだし、聞きたくなったらサルモリあたりを軽く絞めてやればいい。

 ギルドの二階にある一室で、日夜莫大な量の書類と格闘しているギルド長の、苦々しく歪んだ渋面を思い浮かべて、上機嫌に懐に小箱を仕舞い込んだ。

「さあて。帰ろっか、シルバ。もう一回地獄を見ようねー」

 横になっていた相棒に悲愴に満ちた声をかけてから、入ってきた通路に目を向ける。

 広間の入り口付近に、漆黒の甲冑が立っていた。

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