蝶の遺跡 1
一
ごぽりと、泡沫が容器の中に沸き起こった。
歴史の表舞台から転げ落ち、誰にも知られることなく悠久の歳月を重ねてきたとある遺跡の内部。漆黒の闇に包まれた空間には、沈黙ばかりが堆積している。永らく滞り続けていた大気は淀み、腐敗した臭気によって禍々しく毒されている。
通路の壁に規則正しく穿たれた窪みの中で、横たわる容器のひとつが鈍い音を立てた。それぞれを繋ぐ太い管が一定の間隔で弁を開き、容液を循環させているのが原因だった。人の背丈以上の大きさを持った粒状の容器の中で、黄ばんだ液体は瀞のように穏やかに廻り続けている。
遺跡の中に、動き回る陰影は一つも見られない。張り詰めた静寂を構成するのは、液体をうねらせる泡沫と、機能を維持し続ける機械の稼働音、そして尋常ではなく濃密な生命の気配だけである。
穿たれた窪みに挟まれた通路の行き止まりに、奇怪な光景が広がっていた。
半円状に開けた空間の奥に、容器の中を循環していた液体がなみなみと溜まっているのである。床下に巨大な水槽が埋め込まれているためだった。水面の中央には、微弱な振動音を響かせる奇妙な造形の機械が浸されている。その無骨なフォルムは、巨大な脳を連想させた。極小の電光が細かく点滅を繰り返す表面には、無数の蝶がじっと翅を休めている。
そんな蝶たちが不規則に翅を開閉する度に、辺りには光沢を持った青色の輝きが溢れた。光源のない遺跡の中、群れの周辺だけには、幻想的な青と、纏わりつくような黄色のコントラストが生じている。照らし出される大小様々なケーブルは、天上から水槽の底、通路の奥に至るまで、水面の機械から縦横無尽に腕を伸ばしていた。
ふいに一羽の蝶が、脳のような形の機械から飛び立った。翅から燐火のような淡い光が零れ落ちていく。ひらひらと、目的地もないままに飛び立ったその一羽は、しかし次なる足場に辿り着く前に、空中で脆くも崩れ去ってしまった。
体が四散し、青い光片となって黄ばんだ液体に落ちていく。水面でしばらく明滅を繰り返した後に、鈍いノイズ音を響かせて完全に消滅してしまった。
波ひとつ立てない液体は、一匹の蝶が消えたことにも気がつかないように滞っている。その内部においては絶え間ない流転運動が続いていたものの、表面上はまったくわからなかった。
不意に水槽の水面に気泡が浮かび上がった。
瞬間、液体の中で何かが形成し始める。白濁とした小さな欠片ほどの肉塊。膨れ上がり、分裂して、また成長して、やがてそれはひとつの球を象った。
水中に揺らめくのは、間違いなく、人の眼球であった。
血走った瞳は、刹那の合間に水面を睨みつけると、そのまま崩れて水底に沈んでいった。
遠い昔、あまりにも過激な機能を有していたために凍結された遺跡は、長い長い眠りの中にありながらも、じっと再起動の時を待ち続けていた。