調合士のいる街 9
先に戦闘の口火を切ったのはエルザたちの方からだった。機動力では勝るふたりだ。素早くビュータスの懐に入ったら、一点集中、蛇腹を粉砕して沈めよう算段していた。
「おおっと? 怖いねえ。ちょこまかとうるさい相手をするのが、ビュータスは苦手なんだよ」
駆け出した二つの影を見ながらルーファは困ったように夜空を仰ぐ。
「まあ、そんな時は俺の出番ってね」
再びふたりに目を向けると、懐に隠しておいたリボルバーを取り出した。
「そらよっと」
掛け声と共に、銃声が二つ。弾痕は、前進していたふたりの目の前に刻まれて、直後、爆炎を伴いながら火柱を立ち昇らせた。
突然現れた炎の壁に、エルザとシルバは立ち止まることを余儀なくされる。たとえわずかであったとして、生まれた隙を見逃すほどビュータスは優しい性格をしていなかった。長い尾が、のたうち、うねりながら横薙ぎにエルザたちに強襲を仕掛けてくる。
迫り来る気配に気が付いたシルバが、咄嗟にエルザを背中に乗せて高く飛び上がる。大樹のように太い尾を眼下に納めながら、ひとまずの危機を脱したシルバだったが、次の瞬間に目の当たりにしたのは、眼前から迫りくる鋭い牙を覗かせたビュータスの大口だった。
にわかにシルバの毛先が金色に変化する。呑み込まれる直前に、体の周囲に高電圧の障壁を張った。全身を突き抜けた電流に、ビュータスの体躯が小刻みに痙攣を起こす。着地したシルバは、後退し双頭の大蛇から大きく距離を取った。
「あ、危なかった……。ありがとう、シルバ」
「すっげえなあ白狼。めちゃくちゃ高性能じゃねえか」
口にして、ルーファは銃口をエルザたちに向ける。
「俺にくれよ」
「いやだ、この腐れ外道が」
にやりと口を歪めて、トリガーは容赦なく弾かれる。エルザとシルバは左右別々に飛び退いた。立っていた場所に爆炎が立ち昇る。舌打ちをして、エルザが吠えた。
「なんであんたが魔道銃なんて持ってるのよ! 科学と魔術の合成は王国はまだ成功してないはずじゃなかったの?」
「情報がいくばくか古いぜ、嬢ちゃん。現にこうして俺が持っているんだ。魔道局の連中はとっくに実用化に乗り出してるよ」
「そんな人を傷つけるだけの道具を量産してどうするのよ? 知識はもっと有意義に扱うべきだとは思わないの?」
「おいおい、言う相手を間違えているぜ? そもそも局が違ったし、俺はもう中枢から抜け出してきた身分なんだ。学者さんたちが考えていることなんぞ知ってるわけがねえじゃねえか」
言いながら、ルーファはリロードもすることなく、執拗にエルザばかりを狙って狙撃を続けてくる。手にした魔道銃にはそもそも弾薬という概念が存在せず、代わりに組み込まれた魔術を弾丸として発砲するという、超攻撃的な武器だった。
必要最低限の動きで最大限に相手の動きを封じ込めることが出来るのが魔道銃の最大の強みとも言える。ルーファは決してエルザ自身を狙い打つようなことはせず、じっくりと嬲るように進行方向に魔術を撃ち込んで、決してビュータスに近づかせないよう一定の距離を維持し続けていた。
移動と回避を繰り返すばかりで、まったく近づけないエルザは徐々に苛立ちを募らせ始めていた。発砲される弾速を前にしては、エルザの移動速度など無力にもほどがある。せめて、シルバが側にいれば何とかなるのに。思ったエルザは、はぐれてしまった相棒の名を叫んだ。
「シルバ!」
「無駄だよ、嬢ちゃん。あんたの白狼はビュータスのお気に入りに選ばれたらしい。久々に暴れられるからな、こいつも嬉しいんだ」
人同士の攻防が続く反対側で、獣同士の戦いを強いられていたシルバは、執拗な攻撃を続けてくるビュータスを前に防戦一方だった。
尻尾が唸る。頭が噛み付いてくる。更にはルーファが乗っているために激しい動きができずにいるはずのもうひとつの頭が、破壊力十分な光弾を吐き出し続けてきていた。地と空、遠距離までも及ぶ怒涛の連激は、どれもこれもが大振りだとは言え、ビュータスの巨躯から繰り出されるために、かわし続けるだけで精一杯だった。
「ざまあねえな。俺のことを殴るんじゃなかったのかよ。ほら、俺はここから一歩たりとも動いてねえんだぜ? さっさと登ってきて殴ってみろよ。ほら!」
「うっさい!」
睨みつけたエルザの太ももを、放たれた銃弾が掠めていった。痛みを覚えるよりも先に、背後に生じた爆炎が凄まじい衝撃を轟かせる。吹き飛ばされたエルザは、顔面から地面に墜落した。無様なありさまに、ルーファが嘆息を漏らして話しかける。
「おいおい。止してくれよ。もっと踊れよ。もう気づいてるだろう? ちゃんと狙わないように撃ってるんだからさ。ビュータスが白狼をぶち殺すまでは待とうって決めたんだから。ほら、さっさと起きろよ。逃げ回るんだよ」
「……とんだサジェストなんだね」
両腕を突っ張りながら、呻くようにエルザが口にする。
「おうよ。奴隷を売り始めたのもそこが始まり。警備団を抜けたのも、守るばっかりでつまらなかったからさ。なあ、人生にはよ、刺激が必要なんだよ。痺れて堕ちていきそうになる刺激がさ。なあ嬢ちゃん、そうは思わなねえか?」
「思うわけ、ないでしょ」
立ち上がったエルザは、垂れてきた鼻血を拭ってルーファを睨みつけた。
「あんたなんかと一緒にしないで」
反抗的な眼差しに、興奮していたはずのルーファは後頭部を掻く。背後で、光弾が炸裂した閃光が瞬いた。
「……なーんか違えんだよなあ」
呟きながら、ルーファは何かを考え始める。
好機だとエルザは思った。銃弾が掠めた太ももからは血が流れ出している。痛みは鋭かったが、無視できないほどではなかった。訪れた機会は絶対に無駄にはしたくはない。エルザは一息に間合いを詰めようと、ビュータスの背中に向けて駆け出し始める。
「やっぱなあ。嬢ちゃん、おめえ、俺の好みじゃねえわ」
笑顔で放たれた銃弾が、背後からエルザの右肩を撃ち抜いた。
「キール、早くしなさいよ。エルザに何かあったら大変でしょう?」
「そんなこと、言ったって。師匠、自分の、武器ぐらい、自分で持っていって、くださいよ」
「弟子が師匠の荷物もちをするのは当たり前でしょう?」
「こんな時にまで何を言っているんですか!」
場所はエルザとルーファが対峙する森の入り口。先ほどから閃光が走ったり、振動が響いてきたりと、持ちは物々しい雰囲気を放ち続けていた。エルザの加勢にやってきたはずのアズミとキールだったのだが、もう随分と出遅れてしまっていた。
「ほら。もうちょっとでしょ? 頑張りなさい」
「もう無理です」
「これも勉強のうち」
「どんな勉強ですか!」
図書館から店に帰るまでの道中で、キールはアズミからことの次第を全て聞き終えてきた。エルザがキールの出自を知ったこと。日中、路地裏で奴隷商を見つけたこと。逃してしまい、なんとしても見つけるために図書館の地価に眠るダルファの遺跡を頼ったこと。何度も頷きながら、キールは全てを把握した。
その上で、話の終わりにアズミに向かって一緒に行くと申し出たのだった。一瞬驚いたアズミは、いいのかと訊ねた。奴隷商を目にしても大丈夫なのかという問いかけだった。それに、キールは力強く頷き返した。過去との決別を果たすときだと、自らに言い聞かせて。
その結果が荷物持ちである。身も心もキールは疲れ切ってしまっていた。
「もう限界です。少し休ませてください」
「何言ってるの。急がないと」
言ったアズミの背後で、おどろおどろしい雄叫びが鳴動した。
振り返り、アズミは闇に染まった森をしんと睨みつける。キールが背負っていた金属製の武器の部品を全部ひったくると、軽々と担いで森へと駆け出していった。
「あ、師匠。待って……待ってください!」
叫びながら、満身創痍のキールも後を追う。荷物持ちが勉強だったというのも満更ではなかったのかもしれないと思っていた。
肩から血を流しながらうつ伏せに倒れたエルザと、とうとうビュータスの太い尾の餌食になってしまったシルバとを見下しながら、ルーファは高笑いを上げていた。
「なんだよ。呆気ねえ。つまんねなあ、やっぱ。もっと耐えて見せろよ。いたぶって嬲って苛め抜いてやるつもりだったのに」
主の歓喜に呼応するかのように、シルバを吹き飛ばすことに成功したビュータスも雄叫びを上げていた。
「お、こら。あんまりはしゃぐな。俺が落ちるだろうがよ」
そんな声にも耳を貸さないほど、ビュータスの気持ちは晴れやかだった。何せ、数年間ずっと暴れることもできずにじっと召喚窟に閉じ込められ続けていたのだ。久々に吸い込んだ外気と楽しかった遊びを終えて、心の底から満足していた。
そのことに考えが及んだのか、わずかに怒気を孕んだ口調で諌めてしまったことを、ほんの少しだけルーファは後悔していた。
「考えてみれば不自由させてたんだもんなあ」
呟き、頭を軽く靴で叩く。悪いことをしていたかもしれないと、苦笑を浮かべながら微かに思ったりしていた。
地上ではうめき声を上げて、エルザが立ち上がろうとしていた。気が付いたルーファは即座にビュータスの頭から飛び降りると、持ち上がりかけていた頭を思いっきり踏みつけた。
「残念だったなあ、嬢ちゃん。俺のことぶん殴れなくて」
口にしながら、靴がエルザの後頭部をぐりぐり踏みにじる。恍惚とした笑みを浮かべたままルーファの口は更に饒舌になっていった。
「でもまあ仕方ねえよ。いくら正しい正義感を持っていても、いくら正しい怒りを抱いていてもよ、やっぱり強大な社会には敵わねえって。俺にすら負けちまったんだぜ? どうやって社会を変えるんだよ。まあな、確かに嬢ちゃんの言ってたことは正しかったよ。『あたしは正義を盾にした暴力者だ』。んー、格好よかったねえ。痺れるよ。俺もいつかは同じようなことを口にしてみたいもんだ」
まあ、無理だろうけどなと言って区切ると、ルーファは懐から煙草を取り出して火をつけた。心行くまで堪能してから、吸殻をエルザの頭でもみ消す。熱さに敏感に反応したエルザの姿を見ているだけで、頭がおかしくなりそうだった。
「嬢ちゃんは正しい。嬢ちゃんこそが本当の正義だ。格好いい。きっとたくさんの支援者が現れてくれるよ。現行の歯車を破壊する。既存の権力に対抗する。いいねえ。どれもこれも素晴らしい。確かな力を持った奴が口にしたら、たちまち英雄として崇められるかもしれない。けどな――」
ルーファの足が持ち上がる。うつ伏せのエルザには、もう反抗する気力すら残っていないように見えた。にやりと笑って、最後の仕上げとばかりにルーファは執拗に足蹴りをし始めた。
「お前はさ――」一回目。「俺に――」二回目。「負けたの――」三回目。「分かる?――」四回。「このさ――」五回。「圧倒的な――」六。「力の――」七――。
「差ってやつがさ!」
振り上げられた足は、その後も何度もエルザの頭を蹴りつけた。何度も何度も。何度も何度も何度も何度も。すでに気を失ってしまったかのようにエルザの全身から力が抜けてしまってからも、ルーファは足を止めることをやめなかった。
「はぁ。はぁ。これで、ちょっとは、分かっただろう? 身の程をさ、ちゃんとわきまえて、賢く生きるべきだって。な、そう思うだろう、嬢ちゃん。賢く生きなきゃ。楽しく生きてれば良いことがあるんだって。少なくとも、こんな目には合わなくて済んだはずなんだからさ」
興奮のあまり荒くなっていた呼吸を整えると、ルーファはエルザの頭から足をどけて、代わりに銃口を向けた。
様子に、静観し続けていたビュータスが歓喜をあらわに暴れだす。死体は食べていいことになっていた。久々の人肉。お腹がぺこぺこになっていたビュータスは、二つの頭のどちらが食べるかを巡って、喜びから一転、今度は喧嘩を始めてしまっていた。
「今度生まれ変わったら、少しは賢くなれるようにな。正しさ一辺倒の嬢ちゃんに足りなかったもんだ」
ニヒルな笑みを浮かべて、トリガーに指を添える。
「じゃあな」
銃声が闇夜の森を貫いた。