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調合士のいる街 8

 真っ先に異変に気が付いた傷のある男は、すぐさま盛大ないびきをかきながら寝ていた手下二人を叩き起こすと、小屋の外に出て置かれている状況を確認し始めていた。屋根を見上げた丸坊主が驚きの声を上げる。

「か、頭ぁ。こりゃどういうことなんでえ?」

「さあな。ただ、急に図書館のあの炎が灯ったんだ。それもとびきりでかいのだ」

「どうせ小屋には燃え移らねえんでしょう? それほど問題じゃあないでしょうよ」

「馬鹿言うな」

 狐眼鏡を罵って、男は二人を振り返ると心底愉快そうに言葉を続けた。

「いいか。ここは森ん中だ。どう考えてもこんな夜更けに明かりが灯るような場所じゃない。ということがどうなるか。簡単だ。不思議に思った奴らがどんどんやってくる。人の好奇心ってのは恐ろしいものがあるからな。更に運の悪いことに、ここはリオーネの街の近く。今時分、大通りじゃあ、店仕舞い前の大売出しを敢行しているところだろう。いつ誰が来たっておかしくねえ。状況はかなり逼迫しているんだぜ?」

 だというのに、お前は何をほざきやがるんだという一言は飲み込んだ。

「そ、そんな。じゃあやばいんじゃねえか。早いとこ、とんずらこきましょうぜ」

「そうしたいのは山々なんだがな」

 丸坊主に向かって肩を竦めた。

「なにぶん、お前らが買った雑品が多くてな。持たずに逃げたが最後、俺たちの足は完璧に着いちまう。ずっと忘れ去られていたボロ小屋なんだ。人が住んでいたとなりゃあ、王国の人民局が黙っちゃいねえよ。絶対に人を寄こしてくる。やつらの魔術は異常なレベルだからな。素性なんてのは簡単に判明して、取調べを受けることになるだろう。どうしてこんな場所に住んでいたんだってな。そうなったらもうゲームオーバーだ。人売りのことなんてすぐばれる。まあ、今ある雑品は全部がお前たちの分なんだ。俺としてはここでお前らとお別れしちまってもいいんだが――」

 背後に聞こえた草の擦れる音に男が振り返る。浮かべていた笑みが更に深く、壮絶なものに変化した。

「――そうも言ってられねえみたいだ。よう。また会うなんて奇遇だなあ、嬢ちゃん。俺としてはもう会いたくなかったんだが」

「ひ、昼間の幻獣使い……」

 丸坊主は驚きのあまり声量を絞ってしまった。

「よりにもよってお前が来るのかよ」

 狐眼鏡が腰にまわしたナイフを手に構える。

「ぶん殴りに来てやったわよ」

 シルバの背から降りると、不敵に笑ったエルザがそう宣言した。


 図書館裏の専用扉から出たアズミを、外でキールが待ち構えていた。戸惑いに染め上げられた表情は、見る者に有無を言わさず憐憫の情を呼び起こさせる。

「師匠。これは一体どういうことなんですか。説明してください」

 詰問に、急ぎ階段を駆け上がって疲れていたアズミは、荒い呼吸を整える振りをしながらそっぽを向いた。

「あんたには、関係ない、ことよ」

「関係ないことはないですよ。人にあんなことをさせておいて。司書のおじさんを連れ出すときに、どれだけ胸が痛んだか分かりますか? ぼくだってもう立派な当事者なんです。……それに、さっき、シルバに乗ったエルザさんが駆けていきました。厳しい表情を浮かべていました」

 苦々しく口にしてから一呼吸入れると、一歩前に進み出て声を大きくした。

「教えてください。エルザさんは一体どこへ向かったんですか。どうして図書館の地下なんかに入る必要があったんですか」

「……あんたには関係ないったら」

「そんなことない!」

 怒鳴り声に、アズミは目を丸くした。

「ぼくは、ぼくは今までずっと師匠の言う通りにしてきました。言われるがままに仕事をして、勉強をして、料理も、掃除もしてきました。ほとんど何も疑わずにです。師匠には、助けてもらった恩があります。住まいを用意してくれたことも、勉強を教えてくれていることにも感謝しています。でも、だからこそ今日だけは反抗します」

「……うるさいわね。自分が何言ってるが分かってんの?」

 感情の浮かんでいない眼差しがキールを射竦めた。それでも、一度爆ぜてしまった感情は止まるところを知らない。

「分かっていますよ。しっかり理解しています。確かに立派な不徳行為だと思いますよ。恩を仇で返すようなことだ。でもね、ぼくはエルザさんに憬れているし、師匠に恩があるからこそ、たとえ少しだったとしても、関わったことの全容が知りたいんです。ぼくはもう何も考えずに使われるだけの存在じゃない。分かってますか? 師匠がぼくを関わらせたんですよ」

 言葉を受けて勢いよく振り上がった手を、キールは目を逸らすことなく見返していた。叩かれてもよかった。ぼこぼこに殴られて、口の中が切れてしまっても、それはそれで仕方がない。けれど、たったひとつ、何も言わずに自分を利用することだけは許せなかった。利用する価値があると判断した理由を、現状を共有することで示してもらいたかった。

 一方で、思わずかざしてしまった掌をアズミは振り抜けずにいた。寸でのところで、ぶつけられた言葉が胸に突き刺さってしまっていた。

 便利な奴だと、何でも言うことを聞いてくれる弟子だと見なしていたことは確かだった。師匠という立場であること、そして瀬戸際に瀕していた命を救ってやった事実もあった。でも、だからと言って、体のいい駒のようにただ利用するようなことは毛頭も考えていなかった。それもそのはずである。いつの間にかそう考えることが当たり前になってしまっていたのだ。

 反抗的な態度に打ち震えていた掌が、行き場をなくしてどうしようもなく降ろされる。アズミは猛烈な自己嫌悪に陥ってしまっていた。結局、自分も確固たる地位にかこつけて弱者を虐げていただけではないのか。思えば思うほどに、恥ずかしくて、苦しくて堪らなくなった。

「教えてください、師匠。アズミさん」

 再度届いた声に、まっすぐアズミの拳が顔面に埋もれた。鼻っ面に衝撃を受けて、キール軽く吹っ飛ばされる。

「気安く私の名前を呼ぶなって言ってあるでしょう!」

 たちまち憤怒に表情を染め上げたアズミが言い放った。

「ず、ずいまぜんでじた、じじょう……」

 鼻を押さえながら、涙目のキールが頭を垂れて謝罪する。拾われた当初からの約束事だった。決してアズミを名前で呼ばないこと。さすがにまずかったかと後悔すると同時に、鼻腔がじんと熱を持ち始めたのに気が付いた。鼻血が垂れてくるかもしれない。咄嗟に覆い隠して俯いた。

「ほら。いつまで座ってるの。さっさと立ちなさい」

 後頭部に向けられて言葉を耳にして、こんな時でも容赦ないんだと、キールは少し寂しく思う。所詮は弟子の戯言。端から真剣に受け取ってもらえるものではなかったのかもしれない。

 肩を落とした視界の端に、忽然と入り込んできていたものがあった。

アズミの掌が、目の前に差し出されていた。

「早く。エルザの向かった先が知りたいんでしょ?」

「……は、はい!」

「なら立ち上がりなさい。急がないと折角の場面を見逃しちゃうでしょ?」

 微笑んだアズミの手を、キールは力強く握り返した。


 エルザは三人の男たちと対峙していた。全身筋肉質な丸坊主。狐眼鏡のナイフ野郎。そして何よりも、二人の真ん中で悠然と立っている減らず口の傷男が憎らしかった。隣で四肢を踏ん張り、上体を低くしたシルバも唸り声を上げている。『決して燃えない炎』によって朱に照らし出したボロ小屋の周辺には、今にも弾け飛びそうな殺気で溢れ返っていた。

「嬢ちゃんよ、夜になってから涼しくなったから、ちょっとは自分の正義について考え直してみたかい?」

「言われなくとも。お蔭様で悪酔いするくらい考えさしてもらったよ」

 答えながら、エルザはすっと腰を深くする。

「お酒は大好きなんだけどね。今日はぜんぜん美味しく呑めなかった」

「そりゃあ目出度い。いいことだぜ。人生は山あり谷あり、悪いことがあるから良いことが輝き出すんだからな」

「確かにそうかもしれないね。あんた、いいこと言うよ。いろんなことが分かってるような気がする。こんな小汚い商売なんて止めてさ、その頭をもっと有意義に使ったらどうかな」

「お生憎、責任が伴う仕事には就きたくなくてね」

「ふーん。要は逃げてるだけなのね」

 ちょっとした挑発に、男は肩を竦めただけでまったく動じなかった。エルザは男を中心に、左右に控える丸坊主と狐眼鏡の動向にも注意を配り続ける。手下二人は、男に比べると随分と好戦的で、とても戦いやすそうだった。

 にやけた笑みを絶やすことなく、男がエルザに問い掛ける。

「なあ、ひとつ聞きたいんだが。この炎は一体なんなんだ」

「さあ。あたしも分かんない。あんたが悪事をしてるから偉い人が誰かが気づくように仕向けたんじゃないの?」

「なるほど。そりゃあ仕方ねえな」

 言い終わるのと同時に、シルバが一歩前に出た。動きに、過度の緊張を強いられることに慣れていなかったのであろう手下二人が素早く反応を示す。

「死ねやあぁ!」

「小娘が!」

 叫びながら突進してきた男たちを、エルザとシルバはそれぞれ分担して相手することにした。

 まず、丸坊主に向かってシルバが飛び掛る。全力で跳躍すれば、人二人分ぐらい優に飛び越えられるシルバだった。巨体を活かして、頭上から丸坊主を押し倒してしまった。

 傍らで、エルザもナイフを振り上げた狐眼鏡の懐に深く飛び込んでいた。力一杯踏み込んだ右足の勢いを、そのまま右掌に伝播させる。腹部にめり込む感触を確かめると、息を吐き出して、気による第二派を臓腑に叩き込んだ。衝撃に、右足が触れていた地表にひびが走る。

 白目を剥き唾液を吐き出した狐眼鏡は、水平に森の中へと吹き飛ばされていった。大樹にぶつかりずり落ちた頃には、完全に意識を失ってしまっていた。丸坊主の方も、元来が臆病なためか、シルバに頭を噛まれそうになったけで失神してしまっていた。

「他愛のない手下ね。もっといい部下を育てなさいよ。これじゃあ頭としての面目が立たないじゃない」

 あっさりと大人二人がのされてしまった現実を目の当たりにしながらも、男の表情からは歪な笑みが消えることがなかった。

「参ったね。こりゃあ、降参した方が良さそうなのかな?」

 言って両手を挙げた男に向かって、エルザが睨みを利かせる。

「舐めたこと言わないで。あんたたちがしてたことは絶対に許さない。謝っても許すもんですか」

「いやはや。蛮族の如き荒々しさだね、まったく。少しは冷静に考えることを覚えた方がいいよ、嬢ちゃん」

「……」

 答えることなくエルザは拳を強く握りなおす。

「怖い怖い。これだから自称正義のヒーローは困るんだ。目先の悪党を見つけると、もう自分がどれほど身の程知らずな迷惑者かを忘れちまう。少しは行いを顧みてほしいもんだぜ」

「後ろなら、もうとっくに振り向いたよ」

 見下すように口にした男に向かってエルザが反論する。

「嫌になるくらい分かったよ。あんたの言うとおり、あたしは正義を盾にした暴力者だった。今もさ、目先の悪事に目くじらを立てて、拳を振るおうとしている。あんたの言い分は正しいよ。でもね、だからと言って奴隷の存在を認めるような社会を許すわけにはいかないんだ。そんなのが罷り通る歯車なら壊れた方が幾分もましだと思う。糞食らえなんだよ。べつに誰から非難されたって構わない。あたしはあたしの正義に従うだけなんだ。振り返ったら、もう前を向くしかないだから。あたしは絶対にあんたをぶっ倒す」

 確固たる決意を見せ付けられて、男は少しだけ真剣みを帯びた声で返答をする。

「……言うようになったじゃねえか、嬢ちゃん。たったの一日でそれだけの覚悟が決められるなんてな。相当なもんだぜ」

「ありがとう。お褒めにいただき光栄です」

「へっ。それはよかった。しかしなあ、そこまで言われちゃうと、俺としてもそれなりの応答はしないとだめだよな。失礼だもんな。……了解。じゃあ、ちょっと頑張ろうかね」

 言って壮絶な笑みを浮かべると、男の纏っていた雰囲気が一変した。飄々としていたはずの風貌が、どろりと絡みつくような敵意を放ち始める。飛んでくる威圧感に、エルザとシルバはそろって距離を取った。足を前後に開いて、構えを新たにする。

 反応を、男は愉快そうに眺めていた。いい筋をしていると感心すら覚えていた。

 ――だが、邪魔するなら蹴散らすだけだ。

 思い、膝を突くと、掌を地面に押し付けた。途端に、男を中心にして淡紅色の紋章が地表に浮かび上がる。その色と形状にエルザは見覚えがあった。

「もしかして、あんたっ……」

 にやりと口角を吊り上げて、男はそれの名を口にする。

「来い、ビュータス」

 呼び声に、大地がうねりを伴って振動し始めた。安定しない足場に、エルザとシルバが体勢を崩す中、ただひとり傷のある男だけが悠然と大地に立ち尽くしていた。

「挨拶が遅れてたな。俺の名はルーファ。元王国警備団の召喚局局員、双蛇使いのルーファさ」

「双蛇使い……。確か、かなり前に警備団を脱走した男がいたっていう噂を聞いたような気がするけど、まさかあんただったとはね」

「おやおや、誉れ高き破壊王さまに名を知っていただけているとは。嬉しいねえ」

「こちらと堪ったもんじゃないけどね」

 緊張を全身に行き渡らせながら、エルザが苦笑を浮かべる。

「何だよ。連れねえなあ。折角化け物同士の戦いができる機会なんだぜ? もっと楽しめよ」

「あんたら召喚局の人間と違ってね、あたしはシルバを大切なパートナーだと思ってるの。傷つくかもしれない争いに、好き好んで差し向けたりはしない」

「なんでえ。まったくの正反対なのかよ。つまんねえなあ」

 ルーファは、現れた双蛇ビュータスの頭に乗ったまま、がっくりと肩を落とした。本当に心の底から残念に思っているようだった。

 エルザは振動と共に突如として現れた巨大な双頭の猛蛇を見上げる。大変なことになってしまったなと思っていた。山小屋よりも大きい黒々としたフォルムが、炎に照らされてぬらぬらと艶めいている。二つの口からは交互に長い舌が覗き出てきていた。

 大きさで言えば圧倒的に不利。目の前にいるビュータスの気性の荒さと獰猛さについては十分に聞き及んでいた。とある暴動を鎮圧するに当たって、敵味方双方に数百人の死者を生んだという話だった。下手をすれば、殺される。いや、そもそもそのつもりでルーファはビュータスを呼び寄せたのだと理解した。

 側にシルバが駆け寄ってくる。体勢を低くして、牙を剥き、低い唸り声を上げていた。その姿を横目で眺めながら、エルザは大丈夫だと自らを鼓舞する。速さだったら絶対に負けてはいなかった。

 それに、たとえどれほど危険だろうが、今ここで尻尾を巻いて逃げ出すわけにはいかなかった。エルザはまだルーファを殴り飛ばしていないのである。

 奴隷売りを正当化するような奴は絶対に許せない。許さない

 瞳に闘志をたぎらせて、構えた拳をルーファに向けて持ち上げた。


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