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調合士のいる街 7

 自分の人生は決して不幸なものではないと信じてきたキールだった。

 奴隷として売りに出されたものの、取引の途中で運よく奴隷商からは逃れられたし、アズミに拾ってもらって、今は調合士の勉強をすることができている。飲食にも困っていないし、清潔な服も、暖かなベッドも用意されている。奴隷としての日々を知っているからこそ、恵まれた毎日には感謝し続けてきた。

 どれだけ辛い過去があったとしても、幸せな現在があるのだから、自分は幸せなんだと思っていた。けれど、今日だけはどうして自分がこんなことをしなくてはならないのかが分からなくて苦しんでいた。

「いつも親切にしてもらってるのに……」

 親しくなった司書のおじさんをこれから騙すと思って気分は落ち込んでいた。

 確かにアズミには大恩がある。理不尽なくらいに厳しい教育を受けているような気がするけれど、感謝しているからまだ耐えて過ごしていられる。エルザとシルバは憧れのパートナーだった。彼らが何かを望んで自分に頼みごとをしているのならば、是が日にでも応えたいのが心情だった。

 しかしながらである。だからと言って、優しさに仇を返すようなことはしたくなかった。長らく人の好意に触れないで成長してきたキールには、わずかな優しさであっても、施されたからにはその人を信じてしまうところがあった。

「うう。どうしてこんなことに……」

 もう何度目かも分からないぼやきを再び繰り返しながらも、着実に司書室にへと歩を進めているのはアズミへの恐怖のためなのかもしれない。いよいよ間近に迫った頃に、キールはようやく心を決めた。なるようになってしまえばいい。アズミとエルザがちゃんと後始末をしてくれるはずだった。うん。たぶん。きっと。

 深呼吸をひとつ。来る途中で選んだ一冊の本を抱えなおすと、キールは司書室のドアをノックした。

「失礼、します」

「おお、キール君。どうだい、お目当ての本は見つかったかな?」

「え、ええ。これで調べ物もはかどります。こんな夜遅くに入館を許してくださってありがとうございました」

「いやいや、いいんだよ。勉学に励む学生は大好きだからね。君みたいに頑張っている学生を見ると、ついつい手を貸したくなっちゃうんだ」

 言って大らかに笑ったおじさんを見ながら、キールも引き攣った笑みを浮かべていた。

「ところで、師匠さんたちはまだ本を選んでいるのかな?」

 来た。キールの背筋に冷たい汗が浮かび上がる。

「あのですね、その、まだ時間がかかるっていうことみたいで、その、ぼくを寄こして話でもしてろって言ってました」

 少しどもりながらも、何とか取り繕ったつもりだった。けれど、司書のおじさんはきょとんとした表情で見返してきている。しまった。口調が少し雑すぎただろうか。後悔し、今し方の自分のことを全力で叩きたくなった。が、後戻りはできない。ぎこちない微笑で、とにかく乗り切ろうと決めた。

 おじさんはまだ惚けたような顔をしてキールのことを見返してきている。やっぱりまずいだろうか。思った時だった。おじさんの表情にいきなり笑顔が戻ってきた。

「そうかあ。遅くなるんだね。じゃあ、キール君は司書室の中で休んでなよ。何か飲み物出すからさ」

「あ、ありがとうございます。すみません。ご迷惑ばかりおかけして」

「いいっていいって。言っただろう? 迷惑なんてしてないよ。それどころか嬉しくて堪らないくらいさ」

 にこやかにそう告げられて、内心大きく胸を撫で下ろしていた。導かれるままに、司書室に入っていく。おじさんはコーヒーを作ってくれるみたいだった。

 ――またとないチャンス!

 キールはアズミから手渡された幻惑剤をそっと握り締めた。


「もうそろそろ出てくる頃かしら」

 呟いたのは、本棚の影に身を潜めていたアズミだった。

「うまくいくかな?」

「大丈夫。キールはね、やるときはやる奴なのよ」

 言って、隣で憂いたエルザの頭をぽんと軽く叩く。唐突に館内のあちこちに灯っていた照明がひとつ残らず消えていった。

「成功したみたいね。ほら」

 アズミが暗闇の中でおじさんの手にしていた蝋燭の光源が残こったままの司書室を指差す。

「二人とも出てきた」

「本当だ」

「今頃あの司書には私たちの姿まで見えているはずよ」

「催眠術みたいな感じなんだね」

「まあね。ただ、効果はそんなのの比じゃないわよ」

 エルザには、浮かんだアズミの笑顔がとびきり凶悪に映って見えた。

「さて、これで邪魔者は去った。後はあんたの番よ、エルザ」

「うん。シルバ、お願い」

 遠ざかっていくキールと司書を尻目に、靴音を立てないようシルバの背中に乗ったエルザとアズミは、そろそろと司書室へ近づいていく。入ってきた専用扉が閉じられる音を確認すると、鍵がかかっていた司書室のドアノブを扉から引き抜いた。鈍い破壊音が周囲に木霊する。

「なにやってるのよ」

「手っ取り早い方が楽じゃない」

「……そんなんだから破壊王だなんて呼ばれるのよ」

「さ、入ろうか」

 アズミに小口を挟まれたが無視することにした。

 シルバから降りて、靴を履きなおす。司書室の中は、手元すら見えない暗闇に包まれていた。闇雲に進んだ両足が度々備品に衝突する。

「ごめんシルバ、少しでいいから光を召喚して」

 頼みに応じて、シルバが小さく遠吠えをした。黄緑色の光の玉がぽかりとシルバの前に姿を現す。司書室の内装がぼんやりと浮かび上がった。

「ありがと。これで先に進めるよ」

 さっきまでキールと司書のおじさんが座っていたらしい机を通り過ぎ、館内の照明を操作する魔術が刻まれた壁を横目に奥へと進んでいく。キッチンを抜けると、あからさまに異質な金属扉に辿り着いた。

 上下左右全てが石造りにも関わらず、のっぺりとした鏡のような扉が不自然に立ち塞がっていた。近づいてエルザは隅々の形状に目を通す。どこにも取っ手が取り付けられていなかった。開き戸に見られるようなドアノブも、引き戸に見られるような窪みも何もない。唯一、両側に小さな六芒星が刻み込まれていた。

「これが地下への入り口なのかしら」

 背後でアズミが呟いた。

「たぶんね。以前違う遺跡でも似たような扉を見たことがあるもん。たぶん、ここに手を合わせれば……」

 掌を左右の六芒星に重ね合わせる。しばらくじっとしていると、扉の表面を光が走り、電子音が鳴り響いた。音もなく扉は上に移動する。

「なに今の?」

「たぶん、科学の技術。ダルファはさ、今よりもずっと先進的だったんだよ」

 ぽっかりと口を開いた漆黒の暗闇に向かって、エルザとアズミ、光の玉を体の周りに旋回させたシルバが進んでいった。


 どういう構造をしているのか、階段を降りきった地下の壁と床は仄かに青白い光を放っていた。視界に困ることがなくなったエルザは、シルバに光を消すように合図する。シルバはばくりと、旋回していた光の玉を食べてしまった。

「これが、ダルファの遺跡……」

 周囲を見渡して、思わずアズミが呟いてしまったのも無理はない。辿り着いた地下空間は、エルザにとっても潜ったことのない最大規模の遺跡だったのだ。無骨な造形をした金属壁が周囲を円筒状に覆っている。広間の直径は、歩いて二百歩ほどだろうか。中央に鎮座し鈍い振動音を響かせる大きな物質以外には何も存在しない空間だった。ぼっかりと広がる暗闇が頭上を呑み込んでしまっている。

「ここって崩落したりしないわよね?」

「たぶん大丈夫なんじゃない。もう何百年も無事だったんだから」

「そう言う問題なの?」

 不安そうなアズミの疑問には答えずに、エルザは中央の物体に向かって歩いていく。三方を向く巨大な電光モニターが天井から吊るしてあった。その下には低く唸る大きな機械が併設されている。手元のタッチパネルは樹脂製で、長らく使っていなかったためか少し埃にまみれていた。機械からは幾本もの太いチューブが周りの壁に向かって伸びている。大小様々なケーブルがモニターと機械、そしてタッチパネルとを繋いでいた。

 外見を注意深く観察していたエルザは、タッチパネルの前に立つと表面を手で払った。舞った埃にアズミが顔をしかめ、シルバはくしゃみをする。ひとりまったく動じなかったエルザは、おもむろにパネルのひとつに触れてみることにした。

「使い方分かるの?」

「全然。適当だよ。ただ、こういった機械はどこも構造は似通ってるからね。何とかなると思う」

 応えて、エルザは出鱈目にパネルをいじっていく。右から左へ、一通り全てのパネルに触れていった。なのに、吊り下げられた電光モニターはなんの反応も示さない。カチンときて、エルザは思いっきり足下の機械を蹴りつけた。

「いきなり何やってんのよ」

「あ、動いた。――ははーん。なるほどなるほど。側面に起動装置があったんだ」

 しゃがみこんだエルザが、かすれ判別がつかなくなっていた小さな六芒星を見つけて呟く。逐一うるさいアズミは完全に無視することにしていた。

 プツンと音を立てて光が走ったモニターに、次々にダルファ文字が浮かんでは流れて行く。読解することができない文字は意味を成さない記号に成り下がってしまっていた。一通りの文字が流れ終わったらしいモニターが、急に白くなる。同時に、頭上からコードに繋がれた厳ついヘルメットが降りてきた。躊躇うことなくエルザはそれを頭に被る。

 短い電子音が鳴り響き、モニターに何人もの人物が表示された。その量の凄まじいこと。怒っている顔もあれば笑っている顔も、泣いている顔もあった。全て過去にエルザが出逢った人々だった。

「ねえエルザ。何がなんだかよく分からないけど、あんた大丈夫なの?」

「んー。大丈夫だよ。心配要らない。っと、あったあった。こいつだ」

 パネルを操作して、点滅するカーソルをとある男の画像に重ね合わせる。実行を促すパネルをタッチすると、モニターが急に暗くなった。変化を期待するエルザとアズミの目の前で、モニターはうんともすんとも言わなくなる。

「なになに。もしかして壊れちゃった?」

「うーん。そんなこととはないと思うんだけど――待って。何か聞こえる」

 機械に内蔵されたスピーカーから、微かに虫の音が聞こえてきていた。

「音だけ?」

「……分からない」

 芳しくない様子に、アズミが声を荒げる。

「なにそれ。確かに図書館の地下には遺物があったけれど、こんなんじゃ相手の場所なんて分からないじゃない」

「あたしに言われても困るよ」

「どうすんのよ、エルザ。これじゃあまったくの無駄足じゃない」

「怒鳴らないでよ」

 言い争い始めてしまった二人を傍目に、シルバはタッチパネルに近づくと立ち上がり、明滅を繰り返していたとあるパネルに足を乗せた。途端に暗くなっていた画面に暗緑色の造形が浮かび上がる。

「そりゃあ、あたしだって分からないことの一つや二つくらいあって当たり前だよ」

「……ちょっと。エルザ、後ろ」

「なによ。どうせ真っ暗です……よ?」

 モニターには小屋のような影が映り込んでいた。木々に囲まれた、粗末な建物だった。近くには、日中路地裏で見かけた真四角の移動式牢屋の姿も確認できた。

「なに。どうして急にこうなったの?」

「分かんないよ。あたし何もしてないもん。っていうかね、アズミはもう少し落ち着いてよ。頭が真っ白になっちゃいそうになる」

「……ごめん。こういうの目にするの初めてだからさ。興奮しちゃって」

「もう。まあいいけどさ。とにかく、また映像が映るようになったわけだ。たぶんこの場所にあの男がいる」

 モニターを睨みつけながら、確信を持ってエルザが呟いた。傍らに座っていたシルバはひとり鼻高々だった。

「でも、ちょっと待って。映ってるのは、たぶん街近くの森なんだと思うけど、私こんな小屋知らないわよ? これじゃあまだ場所が絞りきれてないわ」

 鋭い指摘に、エルザは思い悩む。その通りだった。小屋だけ映されたところで、肝心の道筋が分からなければ意味がなかった。

 どうすればこの場所まで辿り着けるんだろう。考え俯いた折に、エルザは数個のパネルが光っていることに気が付いた。

 特別、何かを期待していたわけではない。進展を望むよりも先に、自然とエルザの手はとあるパネルに向かって伸びていた。光を放っていた数個の中で、たった一つだけ離れて輝いていたパネル。起動する前に出鱈目に押してからというもの、一度も触れていなかったパネルだった。

 すっとエルザの指がパネルに触れる。すると、モニターの中に一際明るい緑色の影が現れた。ゆらゆらと揺れるその動きは、宙に浮いてはいるものの、図書館の照明に使われている『決して物を燃やすことのない炎』のそれと酷似していた。ねっとりと、粘り気を持った揺らめきは、純粋な炎にしてはいささか愚鈍で、蠱惑的に映っていた。

「あれって……」

「ああ、もう。あたしに聞かないでって。どうせ分かんないことだらけなんだから」

 口にした二人の目の前で、モニターは更に変化を捉えていく。ゆっくりと動き出した揺らめく明るい影が、小屋の甍に触れると一際大きく盛り出したのだ。

 光度に耐え切れなくなったのか、明るい緑を超えて真っ白に染まってしまったモニターが再び原色に変化する。画面には赤々と照らし出された森の内部に、ひっそりと佇む小さな小屋の姿がありありと浮かんで映し出されていた。

 これなら分かるかもしれないとエルザは拳を握り締める。外に出て、明るくなっている森を探すだけで十分辿り着けそうだった。

 振り向き、まだ現状が飲み込めていないアズミに向かって力強く頷いてみせた。光が戻った双眸に見つめられて、アズミもよく分からないながらも頷き返すことにした。

「行ってくる」

「今から?」

「もちろん。ここまでありがとね、アズミ」

 言うと、シルバに乗って地下空間を後にした。

「え。ちょっと。待って。待ちなさいって。私を置いていくな!」

 残されたアズミの叫びが、虚しく響き渡った。


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