第九話 グランド・ラクリマ
恐る恐る扉を開くと、薄暗い部屋の中にぽつんと老婆が座っているのが見える。齢八十は超えていそうだ。
部屋は然程広くない。だが、照明が付いておらず、空間の広さが正しく認識できなかった。不気味な雰囲気である。
間違いない。あの風格、貫禄……あの人がババ様だ。トンガリ帽子に、首から提げたネックレス、腕に嵌めた数珠。これでもかと言わんばかりに魔女のエッセンスが散りばめられている。
こういうキャラクターは、主人公にヒントを与えてくれるものだ。室内からは只者ならぬオーラが漂ってきた。
「あんた達が来るのは分かっていた。タチバナに、ヴィータだね――」
部屋の主は、空気を揺るがすかのような低い声で口にした。
まだ名乗っていないのに何故、俺の名前を……ッ!
流石は何でも知っていると噂の御方だ。俺はごくりと息を飲んだ。
「――さっき電話で来るって聞いたよ、国王から」
「いや、魔法ちゃうんかい!」
ハッ、思わず大声で突っ込んでしまった。瞬刻、時間が停止したかのような錯覚に陥る。直後に訪れた静寂がとても気まずかった。
いや、だって、そりゃそうでしょ。今のは誰だってフリだと思うだろ。
しかし、老婆は俺のツッコミを聞き返すと、やや怒った様子で捲くし立てた。
「魔法だぁ? ウチはカードを使った我流の人魔占星術だよ! 早くお入り! エアコン代だってロハじゃないんだよ!!」
手招きされ、足を踏み入れる俺達。
さっきまで闊達にはしゃぎ回っていたヴィータもたじたじのようだ。
エアコンて……色々言いたい事はあるのだが、部屋に入り、扉を閉める。
「あの、下半身を何とかしたいんですけど……」
そう訴えると、老婆はパチンと指を鳴らした。室内のキャンドルに火が灯る。
その明りが、今まで見えなかった机と椅子を照らし出した。机の上には……カードが並べられている。
「ほう、キメラか」
キメラ言うなや、気にしとんねん。しばくぞ。
「まぁ、座りなさい」
魔女に促されて俺達は椅子に着席する。
ヴィータはじっとしているのが苦手なのだろうか。それとも単に眼前の老婆が苦手なのか。俺の横でもじもじしていた。
そんなヴィータを気にしつつ、前方の老婆をふと見れば、びっくり。俺の事を凝視していた。
そうして苦い顔をすると、口を開いた。
「……お主、呪われているぞよ」
「何言ってんの、おばあちゃん。見りゃあ分かるでしょ!」
「聞く耳を持たないなら、それはそれでええ」
ババ様はフン、と鼻を鳴らす。俺も小さく溜息を漏らし、椅子に背中を預けた。
何だろう、俺の下半身の事を言っているんだよな?
呪いという表現が適切かはさておき、だ。この状態を何とかしてほしいから来ているのよ。改まって言う必要なんかないじゃんね。
憮然とする俺。対するババ様はカードをシャッフルし、机の上に再び並べた。
一枚捲っては机に置き、単調な動作を繰り返していく。その結果が出たのか、ババ様は唸った。
「タチバナ、お主の下半身は……前世で既にどうにかなっておるねぇ」
つまり焼却されて跡形も無くなっているって事かな。日本は基本的に火葬だから、埋葬されているって事はないだろう。
俺は「でしょうね」、と前置きしてから淡々と語った。
「この世界に来てまだ間もないですけど、色々あって。別に元の体じゃなくてもいいんです。でも、もしも願いが叶うなら――」
ババ様は俺の話を真剣に聞いた。
俺が思っている事。望んでいる事。後悔している事。それらを説明していく。
「――普通の体になりたい。それか、元の世界に戻りたい……。こんな身体は、イヤだ……」
「タッチー」
気付けば涙が流れていた。死んでしまったけれど好きな世界に転生し、舞い踊った。馬鹿な事をして死んだという事実に蓋をして、現実から逃れて、楽観的で居られた。
だけど唯一の望みであった希望すらもが打ち砕かれて、塞き止めていた悔恨が溢れ出したのだ。それは今、感情の濁流となって俺の眼窩から零れている。
「あれ? おかしいな……楽しい異世界生活の筈なのに」
俺、死んだんだ。
父さん、母さん……ごめん。親不孝で本当にごめん。
今頃悲しんでいるじゃないかな。
それに店長……本当に、本当にすいませんでした。
俺、どうしたらいいのかな? もう無理なのかな。……死んじゃったよ。
「お主は深層で独り、戦っておったのだな。心が折れる前に会えたのは僥倖だった。
そうやってある者は病み、ある者は狂い、またある者は復讐の鬼と化して、魔王となる。この世界の真理だよ。転生者とは……不幸な生き物だねぇ」
ババ様は腕を組み、鷹揚とした態度で続ける。カードをシャッフルしてまた一枚引くと、微笑んだ。
「〈ラクリマ〉を集めよ! タチバナ・ジン!」
「ラクリマ?」
俺が問うと、ババ様が教えてくれる。
曰く、この世界にはどんな願いでも叶えてくれるという秘宝【グランド・ラクリマ】が存在するのだとか。
アロファーガに暮らす有翼人、獣人、竜人……各種族の長がこれを所持しており、七つ集めると願いが叶うと言われている。
大昔、世界に泰平をもたらしたという伝説の勇者がこれを族長達に授けた。単にラクリマ、もしくは玉石とも呼ばれる。
「……ハハッ、成る程。ドラ○ンボールみたいなもんか」
俺は涙を拭いて笑った。話を聞いた限りでは、眉唾だ。でも、やるしかないよな。それしか手掛かりがないんだし。
もしも絶望して死ぬのだとしたら、それはラクリマを探した後でもいい。
「嘘か誠か、膨大な魔力が秘められておる。このアロファーガ大陸で魔法が栄えていないのは、このラクリマに魔力を注ぎ込んだ波及とも言われておるな」
そう述べるババ様。人生相談は終了なのか、部屋の電気をパチ、と点けた。
八畳くらいの室内は、生活臭漂うリビングだった。もしかしたらムード作りの為に部屋を暗くしていたのかもしれない。
それから改めて見たババ様は小柄で、ずんぐりとした体型のお婆さんだった。
と、今まで空気だったヴィータが挙手して口を開く。
「そそそ、それって……『おいしい物をたらふく食べたい!』って唱えたら、叶うんですか!?」
涎を垂らし、鼻息を荒くしてババ様に詰め寄るヴィータ。
「じゅるり……ッ」
「待て待て待て! 願いは一個しか叶わないんでしょ?」
興味津々のヴィータを制止し、俺はババ様に尋ねる。するとババ様は驚いた様子で頷いた。
「察しが良いな。願いは一つしか叶わぬ。一度叶えるとラクリマはどこかへ飛んでいってしまうと言われておる。
そうしたら、また集め直さねばなるまい」
ほら、ドラ○ンボールだよ、これ。呼び出すと龍が出てくるパターンだろう。
話を聞き終えた時、ふと、隣に居るヴィータと目が合った。
こいつも同じ事を考えているようだ。……そうはさせてなるものか。
火花を散らして睨み合う俺達。互いに視線を交差させ、刹那が経過した。
竜の少女が飛び上がり、殺気を放つ。
「先に叶えるのは俺や!」
「うーッ!! わたしですー!」
この野郎、俺の下半身と満腹感、天秤にかけてんじゃねぇよ。
そういうのを刹那主義って言うんだ! 第一、腹なんてまたすぐに減る!!
どう考えたってこっちの方が緊急事態だろう。
見てみろ、関節が逆に曲がってんだぞ!?
「お金持ちになりたいんですー!」
「痛い痛い! 死ぬ! 血ィ出てる!!」
ヴィータは俺の背後を取ると、鋭い牙で頭に噛み付いてきた。
洒落にならない痛みに、俺は悲鳴を上げる。
「フン……そうすると、族長達に会わねばな」
そんな様子を見て、ババ様はフッと笑うのだった。
俺はババ様に話の続きを催促する。
「ババ様! それで、どの種族がラクリマを持ってるんですか?」
「うーん……」
そう尋ねると、ババ様は難しい顔をして黙ってしまった。
俺が回答を待っていると、ババ様は苦い口調で呟く。
「いや~、それが……よく知らんのじゃ」
「ほ、本当ですか? 教えたくない、とかじゃないですよね……?」
「ハーピィ、ドラゴニュート、あとは……獣人って言っても、多数存在するからねぇ……あれ、どこの獣人だったか。
ああ、あとエルフが持ってるけど、あいつらは頑固だよ!」
黒い魔女帽子を取るババ様。頭をぽりぽりと掻くと、また被り直した。
後半、エルフに関して何か嫌な記憶でもあるのか、あからさまに不快そうな感じだった。
何でも知っているんじゃないのかよ。
とりあえず現時点で分かったのはハーピィ、ドラゴニュート、エルフの長がラクリマを所持している、と。
獣人ってのは総称だから、色んな種類が無数に居るんだろうな。
「というか、この世界、どんな種族が居るんです?」
「荒唐無稽な質問だねぇ。お主、自分の世界に居た動物の種類を全て言えるのかい? ……つまりそういう事さ」
えぇ~……シビアだな、この婆さん。
つまり、いっぱい居て分からないって事かよ。まぁ、種族が七つ以上存在するという事は理解した。
隣のヴィータに聞いてみようか……駄目だ、居眠りしている。
これ以上有益な情報は掴めそうにないな。後は自力で探すしかないだろう。
俺は御礼を言い、ババ様の適当占い、もとい〈アサーガの母〉を離れた。
帰り際、幾つか助言を貰う。それから剣と盾も貰った。「ババァの長い話を聞いてくれた駄賃だ」と言っていた。……使わない事を祈っている。俺は両方とも肩から掛けておく事にした。