第六十一話 人魚
「む、儂は一体……」
寝ていた牛宮さんの体がゆっくりと起き上がった。どうやら中の人、爺さんが意識を取り戻したらしい。
スタイル抜群の美少女が爺言葉っていうのも中々面白いのだが、事態は芳しくない。俺は早急な解決を願い、牛宮さんの体に入っている森田さんと思しき人物に向かって、言葉を投げかけた。
「お爺ちゃん、起き抜けの所、悪いんやけど」
「おや、お主、随分と儂にそっくりだな……」
そう呟く美少女のガワを被った爺さんに、どうやら俺達は入れ替わったようなんです──と続ける。
暫しポカンとしていた爺さんだったが、自分の体を見て、俺の体を見て、得心したようだった。
牛宮さんの体の中に居るのは、森田さんで間違いなさそうである。
「どうやら、そうらしい」
森田さんは少々驚いたようだったが、冷静であった。歳のお陰かもしれない。
色々な経験をしてきたから、この程度で腰を抜かすような男ではないのだろう。
何があったのかと質問されたので、「頭がぶつかって魂が入れ替わったんです」と解説する。ウンディーネとかクマアとか、ほぼ無関係のパンイチの男――サモが心配そうにこちらを見やっているけど、あいつは誰なのか、等々。そこらへんは割愛させてもらった。
森田さんは戸惑いながらも、状況を飲み込むのが早かった。
「成程、まさに奇想天外よな」
茶髪の美少女ケンタウロスの体で、お爺さんは腕を組んで思案した。
物分かりの良い爺さんで良かった。俺はホッと胸を撫で下ろした。
「ちょちょ、ちょっと、私の体に触らないで!」
美少女となった自らの体をペタペタと触る爺さん。腹の肉をぷにぷにと摘まんだり、太腿を撫でてみたり……。
興味本位であって、決してやましい気持ちは無いようだ。だが、年頃の牛宮さんからすれば自分の体をまるで愛撫されているのかのようで、堪ったもんじゃないのだろう。その心中は俺も察することが出来た。
「ホホ……ッ、儂、美少女の体になってもうた」
逆に、俺は老人の体になっちまったよ。森田さん、お互いに交換しないか?
俺のこの御老体とそっちの女体とでチェンジだ。あんたもその方が良いだろう。ぶっちゃけ、それでこの件は終わりにしてもいいぜ。
逐一疲れるし、体の可動範囲は狭い。不自由極まりないのだ。
それにしても、中身は爺さんなのに、見た目と声が女の子だから脳がバグるな。
俺とサモ、牛宮さん、それから森田さんは互いに簡単な自己紹介をする。勿論クマアも含めてだ。四人と一匹の楽しい座談会になる……筈がなく、終始通夜のような状態が続いた。俺の体を間借りしている牛宮さんに至っては、半べそをかいているし。
状況を一旦整理しよう。俺の人格は森田さんの体に入っている。
牛宮さんの人格は俺の体に入っている。
森田さんの人格は牛宮さんの体に入っている。
……なんで、こうなるかね。
三つ巴の状態というわけだ。俺は誰かと激突して入れ替わったと思っていた。実際はちょっと違う。恐らく、三人同時に激突したのだ。
俺と牛宮さんと、森田さん。三人があの場所で激突して、人格、つまり魂がバラバラに入れ替わってしまったのか。
そう推測しながら、俺は俺――タチバナジンの体を見やる。俺の体に入っている牛宮さんは、すごく不愉快そうな面持ちだった。
まぁ、森田さん以外、全員早く元に戻りたいからね。この爺さんは云わば、〈棚ぼた〉だ。若い体が手に入ってエンジョイしているけど、俺らはウンザリしている。最近は色々ハプニング続きだったから殊更、辟易としているのだが……。
「もしや、人魚姫の伝説?」
蚊帳の外と化していたサモが独りごちた。顎に手を当て、何やら呟いている。何の事か、と俺はサモに聞き返した。
「サモ、文献で読んだことがあるす。人魚姫の伝説。人魚は魂を持たない。精霊のような存在す。人魚は人間の男と結婚することで、人間の魂を手に入れられるとか」
それが何の関係があるって言うんだ?
精霊……ウンディーネって、確か水の精霊とかじゃなかったっけ。ウンディーネは人魚なのか? いや、要領を得ない。
「サモも分からないす。確かデンマークかイギリスの伝説だったすけど……」
人魚が何か関係しているのかもしれないって事か。
デンマークって事は、地球のお伽噺だよな。地球の事も詳しいなんて、サモは優秀だな。本人は地球出身だって言い張るけど、俺は違うと思っている。サモは片言だしね。アロファーガの種族とは、会話がちゃんと成り立つし、言葉の壁が存在しないのに、何でだろう。
ともあれ、人魚は魂を欲していて……? 魂を奪われたのなら人魚のせいだと判断できる。だけど、この入れ替わりは三者の間で個人的に起きている。人魚は関係ないよな。
「ふむ、成程」
呟いたのは美少女ケンタウロス、もとい森田さんだ。何か思い当たる節があるのだろうか。森田さんは鷹揚と語る。
「聞いたことがないかね。水場は霊的なものが集まりやすい、と。フィガ海も同じよな。
人魚とは精霊であり、魂の扱いに長ける種族。そして、この場所は偶然にも水場。魂と肉体が剥離を起こしやすくなるという事なのではないか」
原因はそれだろう、と森田さん。
ウンディーネが言っていた魂魄の転移だっけ。それがつまり、場所柄、偶然にも起きやすくなっていたという事か。
もしそれが本当だとすれば、なんという迷惑。知っていれば気を付けていたが、後の祭りだ。というか、そんな事が頻繁に起こる海水浴場、俺は来たくない。
「でも、それって人魚が関係しとんねんな。人魚が近くに居るって事?」
「あ、儂、人魚なんだよね」
「「「えぇッ!?」」」
「言っていなかったが、儂はマーマン。ヒューマンではない。まぁ、魚人は魔法で人間の姿にもなれるのよな」
え、このジジイ……と言っても今は完璧な美少女の見た目をしているが、そいつが人魚だと?
すなわち、俺のこの姿が人魚って事であり、このハゲ老人の森田が人魚って事であり……。
待て、気分が悪くなってきた……。人魚ってのは美しい女で、石に座ってハープとか弾いてんだよ。それがこんな剥げ散らかしたジジイであって良いわけがない。マッチングアプリの詐欺でも断じて許されないレベルだ。どれだけ魔改造したらこんなにヨボヨボになるんだよ。改悪にも程があるだろ。
もうね、この際だから言わせてもらう。人間かどうかも怪しいのよ。こんなよれよれのシャツにスラックスで……人間様の服は着ているけど、腰も段々ブーメラン化しているっていうのに。
あ、でも魚人だから人間じゃないのか。いや、亜人と捉えると人間の近縁種とも言える。
「お主、途轍もなく失礼な事を考えとらんか?」
俺は首を振って否定した。口には出していない。だが悟られているようだった。魚人の野生の勘が鋭いのか、それとも対面しているのが長年観てきた自分の顔だからなのかは分からない。
俄然気になったのだが、この世界って、何で人間とか獣人、魚人って種族が分かれているんだろうな。
「爺さん、あんたが人魚なら魂の扱いも上手い。だったら、この入れ替わり、元に戻せるんじゃないか?」
俺が森田さんに尋ねると、牛宮さんが「なるほど、頭良いわね」とボヤいた。
さっきの話を聞く限り、人魚、つまり魚人であれば魂の入れ替わりを何とか出来るのではないかと考えたのだ。今の今までビーチパラソルの下で死にかけていたからしょうがないけど、延命措置がなされた今、魚人の森田さんならば可能ではなかろうか。
訊かれた森田さんはコクンと頷く。
「確かに、お安い御用よな。しかし、タダというわけにはいかん」
ええ……またこの展開。エルフのラクリマを彷彿とさせる。譲ってほしいとエルフの族長に懇願した所、交換条件で「五千万ターラを用意しろ」とか言われたもんな……。お安い御用って言ったじゃねぇか。要求は何だ。金か、他のラクリマか?
俺がゴクリと唾を飲むと、森田さんは苦い顔をした。
「最近、海賊が出る。ここら一帯、観光名所としても有名なのだが、沖の方では事件が多発しておる」
森田さんは沖合を眺めながら語った。どこか遠い目をしている。
海賊か。平和な日本に暮らしていると映画でしか馴染みがないけど、まぁ現代でも未だに若干居るらしい。だからアロファーガに於いても海賊が居る事自体、なんら可笑しくはない。
だけど何か引っ掛かる。魚人が結託すれば、海賊なんて撲滅できる気がするし。何か、アロファーガだからこそ、拭いきれない問題を孕んでいる気がしてならなかった。




