第六十話 ウンディーネと使い魔
「そうすね。タチバナサン、ウシミヤサン、問題はどうやって元に戻るかす」
その場で全員、考え込んでしまった。この状況を打破する秘策、奇策。そんなものが賢者でもない一般人の俺達に思いつく筈がない。三人寄れば文殊の知恵、と人は言う。あれは嘘だ。バカが三人集まっても何も生まれない。三本の矢だって、思い切り力を入れれば折れる。
徒に時間だけが経過していく。牛宮さんは指を噛んで唸っていた。クセなのだろうが、貧乏揺すりまでしており……でも、彼女の容姿は今、俺なのだ。俺のイメージがどんどん悪くなっていく……。
サモはといえば、困窮しているようだ。ラクリマ探索しにきたのに、目的が果たせない。正直帰りたい。そんな雰囲気を醸し出している。
段々と剣呑な空気になっていく。何故だろうか。見える筈がないんだけど、俺達の周りを取り巻くように負のオーラが噴出しているような気がした。濃い紫色の煙のようなものが渦巻いている。
不思議に思っていたところ、突如脳内に誰かの声が響いた。
《……ますか、聞こえますか。今、あなたの脳に直接語り掛けています》
美しく、それでいて優しく強そうな女声である。姿は一切見えない。
どうやら何者か――この世界における上位種族――の仕業だと思われる。
しかし、このセリフ。どこの世界でもフォーマットが一緒なのかよ。
時候の挨拶みたいにテンプレートで決まっているのか?
《私はウンディーネ。またの名を、観測者。本来は干渉を禁じられている者》
声は尚も続いた。サモは幻聴だと思っているようで、怯えていた。対する牛宮さんは天の声を清聴している。
もうね……色々あったから驚かないよ、俺は。
でも何だろう。干渉を禁じられている? 観測者とは?
《負のエネルギーを感知して参った次第ですが、これは……!》
声の主、ウンディーネとやらは驚いたような声を上げた。
あのさ、その話って長くなるのかな……。俺は元のタチバナの体に直してほしいんだけど。魚人を探さなきゃいけないし、店をヴィータ達に任せっきりなんだよね。
《魂魄の転移、ですか。随分と稀な……。何とかして差し上げたいですが、私は干渉を禁じられた身》
おいおい、何も出来ないとか言うんじゃないだろうな……。
だとすれば、何で首を突っ込んだ。
《私に出来るのは、精霊獣を召喚してサポートするくらいです。仕方がありません。後はこの子にお任せしましょう》
うーんと、つまり……ウンディーネ自体は訳があって手を貸せない。だから、代わりの者を寄越すって事かな。
ところで〈せいれいじゅう〉……ってなんだ?
ウンディーネの声が途絶えたようだった。二人とも眉を八の字にし、不安げな顔をしていた。多分、今の俺もそんな顔をしているんだと思う。
展開が分からずに途方に暮れていると、何もない空中から突如、何かが出現した。全身真っ黒で、ふさふさの体毛。円らな瞳。小さい羽。
これは、おもちゃだ。クマのぬいぐるみ……?
生き物ではなさそうだが、テレポートだろうか。しかし解せないのが、そいつが俺の目と鼻の先に出現した事だ。急に目の前が真っ暗になって、ビビったぞ。
黒い熊のぬいぐるみ。背中から落書きのような白い羽が生えている。どういう物理法則なのか、宙に浮いている。
そんなぬいぐるみの円らな目と視線が交差した。漆黒のビー玉のような瞳。剥げ散らかしたジジイの姿が、そこには映っていた。
「只者でない雰囲気を感じ取って来てみたクマ。……き、気のせいだったクマね」
「ちょ、待て!」
俺は咄嗟にぬいぐるみを鷲掴みにした。ギュッと首根っこを握り締める。
よく分からんが、逃げようとしたからだ。あと、喋り方がなんかムカついた。
「え、お前か。ウンディーネさん? ……の代理のもんは」
「ち、違うクマ! たまたま通りかかった善良な市民クマよ、放すクマ!」
俺の手の中で暴れるクマのぬいぐるみ。じたばたと藻掻いていた。
あのね、ぬいぐるみなのに四肢が動くとか、今更驚かないからね。というか、クマクマうるせーな。それに、何でこいつ、パチこいた。
傍観するサモと牛宮さん。俺はこのクマをどうしたらいいのか分からないけど、聞きたい事は山ほどあった。
タイミングからして、十中八九ウンディーネの使い魔みたいなものだとは思う。
「や、やめるクマ! わかったクマ、だからやめるクマ!」
ぬいぐるみの頭を何度か叩くと観念したようだった。小さな黒いクマは咳払いすると、自分が来た理由を説明していく。
現状はウンディーネを通して認知しているようで、俺らが入れ替わっている事は把握していた。
あと、そこの爺さんが起きない事も。
すると、傍らで見ていた牛宮さんが詰め寄った。元に戻りたいから早くして――、と言うのだ。
クマのぬいぐるみは頭を捻ってから、「それじゃあ、グランド・ラクリマを集めるクマ!」と答えた。
「ラクリマ……それって、もしかして七個あって、集めると願いが叶うヤツ?」
牛宮さんが自重気味に尋ねた。
このクマのぬいぐるみは大バカ野郎だ。そのラクリマを集める道中でこんなエキサイティングな事件が起きているんだからな。ラクリマを集める為にラクリマが必要って……服を買いに行く時に着る服がない、みたいな。詰んでるんだよね。
それにしても、牛宮さん、ラクリマのこと知っているんだな。
「そうクマ! よく知ってるクマね!」
「集〇社に怒られるわ! 私、真面目に話をしてるの!」
「ギャグじゃないクマ? 紛らわしいクマ。オカマみたいでやめてほしいクマ」
会話の端々でイラつく奴だな、このクマは。こちとら本気で困ってるんだよ。
ウンディーネとやらもそうだ。気に入らない。随分と適当なヤツを寄越してくれたよな。いや……高望みをしてはいけない。解決方法を模索してくれただけでも御の字じゃあないか。
あと、オカマとか言うな。一々癪に障る。タチバナジンに入っているのは女子高生の人格なんだからな。俺がオカマだと罵られているようで腹が立つのだ。
それと……決めた。こいつの名前はクマアにしよう。
「ああ、もう、クマクマうるせー! とにかくお前は何が出来るんだ? ラクリマ以外の方法で頼むよ!」
「クマ……うーん、そこで天寿を全うしようとしているお爺さんの寿命を、少しだけ先延ばしにするくらいなら出来るクマよ」
パラソルの下で寝たきりの牛宮さんの体を見て、クマアが言う。
なんだって? ……え、死んでるの?
起きないと思ってたけど、死んでいる? いや、ガチで死にかけているって事か。
俺らまだ出会ったばかりじゃん。サモも含めて四人組。この常夏の白い砂浜で冒険者パーティを組んで、これからラクリマを探せるかも、なんて思っていたのに。始まりのファンファーレと終わりのカンパネラが同時に聞こえてくるのは、どうしてだ?
敵の卑劣な罠にかかった訳でも、究極完全体の自爆に巻き込まれた訳でもない。普通に寿命……。歩くと妙に息が上がるな、と思っていたけどさ。
目を凝らせば、牛宮さんの体から魂的な何かが光の粒になって霧散していた。
いや、これヤバイんじゃね?
「え、私の体、これ……どうすんの」
「放ってはおけないクマ! い、一旦、路肩に寄せるクマ!」
「車か!」
「後続車に注意して、ゆっくり……ケガさせないよう動かすクマよ!」
「事故車か!」
光の粒子になって浄化されていくような光景に最初驚いたが、入れ替わりやクマアが存在するくらいだ。今更どうってことは無い。
だが思考を放棄してはならない。多分、魂が成仏すると……非常にマズイ気がするのだ。シリアスな場面で思わずツッコミを入れてしまったのは忘れてくれ。
「クマア、何とかしてくれ!」
「クマ? 任せるクマ!」
クマアが両手を合掌すると、白い閃光が周囲を照らした。日中の為あまり目立たなかったけど、何か魔法を行使したようだった。
すると、寝ていた牛宮さんの眉がピクリと動く。続いて目が開き、口が動いた。




