第五十七話 不幸の序曲
夏のビーチは男と女のパラダイスだ。照り付ける太陽と青い海、白い砂浜の饗宴。失念していたのだが、今、この世界は夏なのだ。
フィガ海に行くぞ、と意気込んでいたのも束の間。「徒歩だと数時間かかるすよ! タチバナサン、タクシー! タクシー乗るす!」と呼吸を乱したサモを見かねて、俺達はタクシーに乗り込んだ。運転手はヒューマンだった。
サモは俺よりもだいぶ年上だ。体力が無いのは仕方ないが、歳は取りたくないものだ。
目的地までの景色を車内から楽しみつつ、三十分くらいだろうか。到着したのだった。
「これは……ッ!!」
常夏のフィガ。そこには楽園を求めて人々が押し寄せていた。しかし俺が言いたいのはそこではない。ありとあらゆる人外娘が居るではないか。キャッキャウフフのあの青春と光芒は、ここに存在したのだ。
クソ、水着を持ってきていれば……!
いや、でも今の俺って下半身がトリなんだよな。下だけ脱ぐのも変だし、上だけ脱ぐか……待て、遊びに来たわけではないんだよな。
そう頭を抱える俺に対し、パンイチのサモが妙にさまになっていてムカつく。だが、近距離で見てほしい。白ブリーフなんだ。ビーチに白ブリーフ。不審者だろ、こんなの。
「タチバナサン、分かってると思うすけど」
「……とりあえず、魚人を探すんだろ?」
俺は頷き、小さく嘆息した。辺りを見回せばヒューマン、獣人、有翼人……。魚人はもっと海辺の方だろうか。下半身が魚では、陸地を歩けないからな。
フィガの海岸は遠浅で、果てしない砂浜が続いていた。流石にエメラルドグリーンの透き通った海水ってわけではないが、日本の海、昔連れて行ってもらった海に似ている気がした。
人、ビーチパラソル、海の家。見渡せど魚人らしき種族は居ない。しかし、俺はとんでもないものを見つけてしまった。
「嘘やろ、十八禁コンテンツちゃうんか!」
豊満な肉体の割れ目にビキニを食い込ませた人外娘。有翼人である。人間的な上半身と、武骨な鳥類である下半身とのコントラストが、これまた……見る者を魅了する!
なんて破壊力なのだろうか。非常にまずい事に尊死してしまいそうだ。ああ、あっちにはケモ耳娘達がビーチボールを楽しんでいる。俺も混ぜてはくれないだろうか。
「タチバナサン、ダメすよ。調子に乗って家、燃えたすよね?」
「うっ……せやねん」
ぐっ、分かっている。だが、男に生まれたからには日々、リビドーとの葛藤だ。間違いなくここは楽園。だと言うのに、見ている事しか出来ないなんて。
だが目の前の幸せに満足していると、もっと大きな、大切なものを失ってしまう。本当の幸せとは眼前の小さなそれよりも、遥か先に存在しているのだ。
「サモ達は、ラクリマを探しに来たすよ。――シャク、シャクシャク」
そう、俺達はラクリマを探しに来たのであって、海に遊びに来たのではない。手段と目的を履き違えてはならないのだ。
……ところで、シャクシャクって何の音だ。
ふと、サモを見やると、手にかき氷を持っていた。大きめの紙カップに山盛りのパウダースノー。その頂は赤く染められており、食欲をそそる。
お前……今、自分で言った事を、もう一回言ってみろ。
「サモ、いちごシロップは初めてす。意外とうまいすね」
いつの間に買ったんだと思ったが、すぐ近くに屋台があった。
まさか、この世界でかき氷がお目に掛かれるとはな。もしかしたら日本から転生した人間が他にも居たのかもしれない。……って、感心している場合ではない。
それよりも、聞き捨てならないのが「いちごシロップは初めて」という言い方。他のフレーバーは食べた事がある事を暗に示している。胸倉を掴んでやりたい所だったが、サモは上半身裸だ。掴める所と言ったらブリーフしかない。そんな所は、掴みたくない。
俺は頼りにならないこの男を放置する事にした。ここからは別行動だ。協力というアドバンテージを投げ捨て、単身での調査に挑むしかない。それに――
「あの、サモ達、魚人を探してるんす。誰か知らないすか?」
「キャー! 変態よ、変態!」
「な、なな、何で水着じゃなくてブリーフ穿いてるんだよ、あんた!」
獣人のカップルが悲鳴を上げて逃げていった。ブリーフ一丁のおっさんが変質者扱いされているのだ。
耳目を集めるやり方は好きではないし、サモと一緒に居る事で、むしろ調査が難航する恐れがあった。これは協力を諦めざるを得ない。
「そんな、サモは呪いでパンイチになってるすよ? 別に逃げなくても――
あっ! タチバナサン、どこへ行くすか!?」
サモの声が徐々に遠くなっていく。いいんだ、サモ。俺は一人で大丈夫。だから、アンタも一人でラクリマを捜索してくれ。
海水浴場としても人気なのだろう。人が多かった。人ごみに紛れて逃げるには、打って付けである。早足でサモから逃げる俺。
悪いが足の速さには自信があるんだ。このキメラの体になってから、どうやら走るスピードが増したみたいなんだよね。数少ないメリットである。
気付けば、サモの姿も声も聞こえない所まで移動していた。
小うるさいお目付け役は消えた。
よし、あとは……フフッヒ、ちょっと寄り道しながらラクリマ探索を続けようかな、なんて――
「あ、れ……?」
突然、ガツンという衝撃音がした。俺の視界がグラつき、次の瞬間、俺は砂浜に倒れていた。
頭部には鈍痛。何かが頭にぶつかったと思われる。頭が割れたかもしれない。
一体何が起きた……?
ヤバイ、視界が狭まっていく……。
薄れゆく意識の中、見えたのは白い砂浜、人の足。
それから……倒れている、他の誰か。




