第三十三話 一個目のラクリマ
暫し家で寛いだ後、俺とフォルテはアサーガを発った。善は急げだ。
アサーガの町から三十キロ程離れた丘陵地帯にセイレーンは住んでいるらしく、そこへ向かう。
移動手段は、ハーピィ便だ。俺の体はフォルテの脚に掴まれて、大空を飛翔していく。体感速度は速く、電車並みのスピードが出ているのではないかと疑う程だ。間違いなく、落ちたら死ぬ。
本来人間の運搬や移動には使っていけないらしいのだが、個人や仕事以外ならばアロファーガの法律上問題ないらしい。各自の責任で勝手にやってくれ、という事か。
数十分後には広大な緑地へと辿り着いた。家屋も点々と小さく見える。フォルテはゆっくりと旋回しながら地面へと降下していく。やがて地面に降ろされると、父を呼んでくる、と言ってその場を離れた。俺は暫く、一人でフォルテの帰りを待った。
見渡してみると、緑の深い土地だ。辺りは森に囲まれているが、俺が立っているのは拓けた場所だった。住居やビニールハウスが散見される。どことなく、日本の田舎を思わせる風景。今はアロファーガも夏だ。町に居る時は少々汗ばむ陽気だが、この場所は涼しい空気に満ちていた。
俺が草木を眺めていると、二体のセイレーンがこちらへと飛んで来るのが見えた。片方はフォルテだ。もう片方は群青色の、雄々しい翼のセイレーン男性だった。
颯爽と降り立つと、セイレーンの男性が握手を求めてきた。俺は差し出された翼をそっと握る。見れば精悍な顔つきのセイレーン男性だ。体は逞しく、膂力がありそう。
「父です。娘がお世話になり申した」
「いや、俺はやるべき事をやった迄です」
なるべく凛々しく見えるよう、背筋を正して俺は答えた。すると、フォルテが段ボールに入れてブツを運んできた。中に入った物体がゴトゴトと音を立てる。……ラクリマだ。
「わっちの父も、他のハーピィもセイレーンも、快諾してくれなんした」
「某達には不要です。タチバナ殿に差し上げましょう!」
父親のやたら古風な喋り方が気になるが、フォルテがそうだったから予想はしていた。
ラクリマの譲渡について、どうやら一族全員が承諾済みのようだ。であれば、ありがたく頂戴するとしよう。
ようやく一個目のラクリマが手に入るというわけだが……。
段ボールには脚のカギ爪が食い込んだ跡がくっきりと残っていて……ハーピィ便の闇を垣間見た気がした。
フォルテは箱を開けて中身を取り出すと、大事そうに両腕の翼で抱きかかえて見せた。
「これがグランド・ラクリマでありんす」
「いや、ドラゴ〇ボールやないか」
目の前で実物を見た感想だが、見た目が完全にドラゴ〇ボールだった。
我慢しきれず、ツッコミを入れてしまった俺を不思議そうな目で見ると、フォルテは俺にラクリマを渡す。
「それは昔、オレンジ色の道着を着た方が置いていったでありんす」
「ゴクウやん、ゴクウやで!」
「伝説の勇者と称される殿方で、数々の危機からこの世界を救っていただきんした」
そう説明するフォルテの横でうん、うんと頷くフォルテの父親。
オレンジ色の道着と玉の時点でもう、百パーセントあの人だよね。っていうか、何で置いていった?
という事は、何か。この世界には昔、ゴクウが居たって事か? いや、別にあの作品は好きだけどさ!
前世の当時、ドラゴ〇ボールは全巻持っていた。というのも、親父が薦めてきたからだ。
夕方のテレビでアニメの放送が始まると「ジン、ドラ〇ンボールが始まったぞ!」とわざわざ呼び出し、テレビの前に座らされたものだ。決して無駄遣いが許される程裕福な家庭ではなかったが、ドラゴ〇ボールの購買は許されていたし、週刊少年ジャンプは毎週親が買ってくれた。今でも、良い親だったと感慨深く思う。
親父はよくオレンジ色の服を好んで着ていたのだが、それが登場キャラの道着の色だと気付いた時、ショックというか……一抹の不安を覚えた。男はいつまでも子供のままだと言うが……流石に戦慄が走った事を覚えている。昨今話題のアダルト・チルドレンなのではないか、と震えたものだ。
好きな作品のリスペクトは別に構わない。だけど、ここまで似ていると色々な意味で不安になってくる。俺は戸惑いつつ、二人に礼を述べる。
「うーん、それじゃあ、頂いていきます!」
「良かったでありんすね」
フォルテとその父親がパチパチと拍手を送った。気づけば、周囲の木々の上から他の有翼人が拍手を送っている。
眉唾だと思っていたけど、グランド・ラクリマは実在していた。
そして、とうとう一個目のラクリマをゲットって事か。あと六個。先は長い。だけど……実際に手にする事で、沸々と勇気が湧いてくる。一縷の望みが、そこにはある。
ラクリマを集めたらこの下半身を何とかしたい。もしくは元の世界に戻りたい。
蘇生出来るのか。果たして今、俺の肉体はどうなっているのか分からないけど。じゃあ、戻れたとして……それからどうするのか。
やっぱり、俺は謝りたい。もしも願いが叶うなら、バイト先と家族に謝りたい。
賠償金が幾ら掛かるのか、信用が回復するのか、罪が償えるまでどれだけ時間が掛かるのかは分からないけど。
一時の感情に流されてバイトテロをして、店に迷惑をかけて……それを謝りたい。
もしかしたら店自体、潰れちゃってるかもしれないけどね。
異世界に転生した初日。待っていたのは悪夢だった。前世の過ちを悔いた。半身を失い、希望さえも打ち砕かれ、絶望した。
だが、まだだ。一つ目のラクリマを入手した今、あの日と比べて俺の未来は希望に満ち溢れている。一筋の光明が見えたのだ。
改めて吸い込んだアロファーガの空気は澄んでいて、これから始まる素晴らしい物語を予感させるようだった。




