第三十二話 急転直下
一夜経った翌朝、相変わらず口を聞いてくれないヴィータと朝食を摂り、どうするかを考えていた。
昨夜穴が開いた天井からは、太陽光が燦然と降り注いでいる。食卓は明るく、照明要らず。更に、コバエが入ってくるというオプション付き。……最高だね!
「なぁ、ハーピィがラクリマを持っているって、ババ様が言ってたよな?」
俺は日光に顔を顰めながら聞く。ヴィータは無心でトーストを頬張っていた。
「同じ有翼人のフォルテに聞いたら、何か、分かるんじゃないかな」
「……」
フォルテ、すなわち昨日のセイレーン。何とも美乳、もとい、お奇麗な人外女性だった。
偏に有翼人と言っても幾つかの種族があるだろう。ただ、……ハーピィ便だっけか? 有翼人同士で同じ仕事をしているくらいだから、種族間で仲が悪いとは思えないんだよな。そうすると、ハーピィが持つと言われているラクリマに、セイレーンのフォルテから近づけるのではないかと思われる。
五千万ターラ。エルフのラクリマ。……これは後回しだ。
そんなわけで、他の種族が持っているラクリマから収集したほうが良さそうである。無論、魔王を討伐するつもりなど毛頭ない。
朝食を食べ終えた八時頃。ヴィータは町へ大食いに、俺は自宅で家事をする。役割分担である。
部屋の掃除、それから洗濯が終わったら今度はホームセンターだ。そこで養生テープとブルーシートを買う。
すぐに帰宅すると、俺は二階から屋根によじ登って、セイレーンに開けられた穴を確認する。直径二メートル近い大穴だ。一階まで貫通している。
早速購入したブルーシートで穴を塞ぐように覆う。あくまで応急処置だが、隅を養生テープで貼っていく。
すると、階下から声が聞こえた。……ラフィリアだった。今日は短パンにスニーカー、シャツ、リュックサック姿である。健康的で実に良い。
「服、取りに来たわよー!」
「おお、今行く!」
昨日カレーまみれになった衣類を取りに来たようだ。漂白剤を大量に使用して夜のうちに洗濯してあったから、充分乾いていた。
実はあまり知られていないが、カレーの汚れは天日干しが効く。ターメリックに含まれる黄色い色素は紫外線に弱いのだ。洗濯したらよく日光に当てる。奥さん、おススメですよ。
俺は屋根から降りてラフィリアの服を渡した。代わりに、昨日着て帰ったヴィータの服を受け取る。嗅いでみると、良い匂いがした。
「おお、この香り、洗い立てだ――」
「やめて!!」
「――痛い痛い! 抜けるッ! 剥げるッ!!」
後頭部を引っ張られて悶絶した。千切れるかと思った。
エロフの魔法か、それとも良い柔軟剤でも使っているのだろう。甘い匂いだった。
ウチへの用件はそれだけだったようで、ぷりぷりとラフィリアは去って行った。アサーガで美味しいランチを食べてから帰るらしい。
ラフィリアが居なくなった後、また屋根に登って補修作業を行っていたのだが、今度は何かがこちらへ向かってバサバサと飛んできた。
青い翼、鳥の脚、セイレーンのフォルテだ。翼を広げると二メートル程はある。フォルテは俺と目が合うと、深々と頭を下げた。
「ども、元気になったんですね?」
「昨夜は、ほんにありがとうござりんした」
フォルテは羽根をばたつかせて屋根に着地する。それで、と前置きしつつ、何やら袋を手渡してきた。
「これは心ばかりのお礼でありんすが……」
中を覗くと、大量の硬貨が入っていた。五百ターラの硬貨が二百枚以上はありそうだ。
「こ、ここ、これは……!?」
「修繕費も含めたつもりざんすが、足りんせんか?」
確かに屋根の修理、それから一階の天井から二階の床にかけての修理。結構掛かるかもしれない。
だけど別に、生活にそこまでの質は求めていないんだよね。穴が開いたままはまずいから業者は呼ぼうと決めていたけど。
もしかしてこのお姉さん、めっちゃ金持ちなんじゃないか?
しかし、一体幾ら入っているのやら……。五百ターラが二百枚あるとして、えーと十万ターラ。
だから……日本円で四百万円以上、って事か!?
「こ、高級車が買えるレベル、って、あ……アーッ!! あああぁぁああああッ!!」
突如浮遊感が生じたかと思えば、俺は宙に投げ出されていた。脚を滑らせたらしい。
……関節が逆だとね、重心が後ろへ行きがちなのかね。ちょっと油断した隙に……まずいぞ、これは!
タチバナハウスの屋根から真っ逆さまに落下する俺。……だったのだが、途中でガクンと速度が落ち、止まった。見上げるとパンツ、いやフォルテが飛んでいた。彼女はその脚で俺の肩をがっしりと掴み、ゆっくりと地面に着陸する。
「しっかりしなんし」
「すんません……助かりました」
驚きのあまり落下した、という事は伏せておきたい。今度は俺が救われたようだ。あのまま落下していたら……打ち所が悪ければ死んでいた可能性もある。
立ち話もなんだと、俺はフォルテを招き入れた。セイレーンが何を食べるのかよくわかっていないが、粗茶と茶菓子を供する。それをフォルテは翼を使って器用に食べていた。
実はこれ、来客用にこの前買っておいたのだ。ラフィリアが来るようになり、その辺を意識した。用意しておいて良かった。ちなみに……茶菓子の在り処はヴィータには教えていない。食われるから。
「いいんですか? こんなに頂いて」
「ええ、お世話になりんした故」
フォルテがお茶を上品に啜る。その姿を俺は暫く眺めていたが、どうしても気になる事があった。そう、あの一件だ。パンツ、もとい、ラクリマの事である。専らハーピィが持っているとの噂だが、同じ有翼人として何か知らないだろうか。
訊けば、フォルテはラクリマの存在を知っているようだった。
「その……持ってないですよね?」
「ありんすよ」
え、マジで?
「さいでしたら、父が持っていまし。セイレーンとハーピィは共生関係にありんすから」
マジかよ。乳……違う。父? お父さんが族長って事?
これは意外な言葉が返ってきた。でも、この優雅な佇まい。どこを切り取っても気品が溢れてくる。良い所のお嬢さんなのかなとは思っていたけど。セイレーンの族長のご息女様だったとは。
「ちなみに、その、厚かましいとは思うんですけど、譲って貰えたりとかって……しないですよね」
恐る恐る訊いてみる。そう、まだ手に入ると決まったわけじゃない。
エルフの時もそれで、辛酸を舐めさせられたではないか。簡単には渡してはくれない。そうに決まっている。
「良いでありんすよ」
「ハハッ、ですよね~、流石にダメですよね――って、え?」
今、なんて? 良い? 譲ってくれると言ったのか? 聞き間違いじゃないよな。
俺の反応がおかしかったのか、フォルテはクスクスと笑った。急に恥ずかしくなって俺は顔を伏せる。
しかし、何か裏があるのではないか。そう勘繰ってしまう。もし本心でそう言っているのだとすれば、余程のお人好しだ。
ハーピィもセイレーンも半分は鳥だよな。もしかして、鳥頭なんじゃ……。
「命を助けてもらったお礼でありんす。それに、わっちらはアレを必要としていんせん。自分の願いは、自分で叶えまし」
「それは、どういう?」
「父からは縁起物だと教わりんした。ほんに叶うかは分かりんせんから、当てにしなさんな、と」
成程ね。ラクリマを七つ集めれば願いが叶うという噂を、フォルテは信じていないのだろう。ババ様が言うから探しているけど、俺自身も半信半疑だ。そんな夢のような話、ある訳がない。おまじないに頼らず、自分の力で夢や目標を達成しなければならない。大抵の人間はそう考える。
「なるほど。確かに、バカげているとは、俺も思う」
でも、地球出身の俺からするとその蓋然性は等閑に付す事ができない。何故なら、アロファーガというファンタジーが実在しているから。
しかし、この世界の住人は意見を異にするのだろうな。
鳥頭とか言ってしまったが、撤回しよう。合理的な考え方だ。
「グランド・ラクリマ。噂は聞いておりんすが、きっと集めた所で……今の時代、信じている人は居んせんかと」
「ですよね。まぁ、藁にも縋る思いっていうか、俺も懐疑的ですけど」
グランド・ラクリマについて、少しずつ分かってきた。昔の言い伝えがあるにせよ、現代からすれば噂の域を出ていないのだ。
伝奇や都市伝説みたいなもので、どの種族もきっと願いが叶うなんて信じていないだろう。
そう考えると……エルフの族長は本当に性格が悪いな。あわよくば、無知の転生者である俺から五千万ターラを毟り取ろうっていう魂胆だったのだから。




