第三十話 セイレーン現る
「おかわりですー」
ヴィータが楽しげにスプーンを掲げる。まだ食うのか。
だが今回、そんな事もあろうかと大量にカレーは作ってあった。実に十人前くらいはあると思われる。大きい寸胴鍋で拵えたのだ。
この本格的な調理器具はヴィータ専用に買っておいた。だけど、今日みたいに来客がある時は丁度良いな。
「ああ、まだたくさんあるからな」
恐らく何度もおかわりするだろう。その度に台所と居間を往復するのも面倒なので、鍋ごと持っていこうと考えた。
俺は布巾で取っ手を掴んで、テーブルへと持っていく。そうして皿に装うかと思った瞬間、破砕音が響いてテーブルが真っ二つに割れた。
「え?」
鍋の重さのせいではない。上から何者かが落ちてきたのだ。見上げると、天井には大穴が開いていた。
……ここ、一階だよな。タチバナ・ハウスは二階建てのわけだけど、何で夜空が見えるんだ……?
突如姿を現したのは人間……ではないようだ。腕は無く、代わりに青い翼が生えている。
そいつは上下逆さまの状態で、鍋の中に頭をダイブさせていた。きっとカレーまみれになっている事だろう。二本の足は天に向かって高々と突き上げられていて……穿いている白のフレアスカートの裾からは、猛禽類のような鋭い爪が見えている。しかし何よりも……スカートが捲れてしまっているものだから、黄緑色のパンティーが俺の心を魅了してやまない。
「な、何が起きたんや……」
「あわわわ、人が落ちてきたですー!」
俺とヴィータが狼狽していると、謎の人外はカレー鍋から頭を引き抜く。すると上半身が露わになった。
胴体は短い毛に覆われているが、殆ど裸みたいなものだ。髪は……カレー色、ではなく青色。顔は人間の女性だった。上半身が人間で、下半身は鳥っぽい。俺と似ている。ハーピィだろうか。光の反射によっては青とも緑とも取れる羽根がとても美しい。人外女性である。頭を強打したらしく、呻いていた。
「ご、ご迷惑をかけたでありんす……」
人外女性はぶるぶる、と身震いした。付着していた大量のカレーが飛び散る。
……美少女二人とディナー。なんて甘美な響きなんだろう。そう思ったのも束の間だ。これは事故、いや事件でいいのだろうか。建造物侵入、器物損壊……。只でさえ金に困っているというのに、頭が痛くなる。
「いや、それより、大丈夫ですか?」
「ええ、あちこち痛いでありんすが、お気遣いはいりんせん……」
人外女性は床にぺたんと座った状態である。怪我でもしていないか、と心配だった。
江戸っ子みたいなフクロウ、関西弁のエルフ。それから爺言葉を使うヒューマン。アロファーガに来てから散々耳にしてきた。……今更、廓言葉が出てきても俺は驚かないからね。
とりあえず、民家に風穴が開いたので、補修代金を頂きたいのだが……。
「……ちょっと」
と、ラフィリアが怒った声色で発した。見れば、彼女は全身カレーまみれになっていた。椅子から立ち上がり、俯いている。
さっきの落下の衝撃のせいか……それとも身震いした時なのか。ニッチなアダルトビデオみたいな様相になっていた。
「もう、本当、信じられないんですけど……!」
怒気を一層強めてラフィリアが口にする。かなり怒っているようだ。ドロドロの顔を手で拭う。その目元には涙が……これはマジのヤツだ。
「わざとではござりんせん。お金は払います……ほんざんす」
人外女性は正座して頭を下げた。半分くらい何て言っているのか分からないが、弁償はしてもらえそうだ。
その態度にラフィリアも矛を収めたようで、嘆息すると椅子に座る。
俺は何が起きたのか、聞いてみた。
「仕事を終えて帰る途中でありんしたが、ミドガルズオルムにやられてしまいんした」
人外女性は鬱屈した様子で答える。
ミドガルズオルムって確か、巨大な蛇か竜じゃなかったっけ。そんなヤバそうなのが居るの?
アロファーガ……少なくともこの辺の土地は安全だと思っていたんだけど。
「仕事って、ハーピィ便?」
「そうでありんす」
尋ねたのはラフィリアだ。俺が訊き返すと、彼女は説明してくれる。
「空路でモノを運ぶ仕事よ。配送業みたいなものね。結構安価で人気が高いのよ。もっとも、たまにこうやってトチるわけだけど……」
成る程、空から荷物を届けてくれるって事か。宅急便のようなものかな。交通渋滞とか震災とか、陸路が使えない時は便利そうだ。悪天候の時は心配だけどね。
「ええ。ちなみにわっちはハーピィではなく、セイレーンでありんすが……有翼人の定番バイトでありんす」
「はーん、セイレーンなんや……」
定番のバイトとかあるんだな。日本だとコンビニ、飲食店なんかになるのかな。コンビニは俺もやっていたけど。
……というか、この人はセイレーンか。ハーピィと勘違いしていた。見ただけじゃあ分からないな。
有翼人にも種類があって。地球の知識で言うと、セイレーンっていうのは、船を沈没させる海の魔物だ。その美しい歌声で人々を操り、食べてしまうという。
ハーピィは森に住む魔物で、醜く、汚い生き物と言われている。勿論、諸説ある。いずれにせよ、こんなキレイなお姉さんになら食べられても良い。
セイレーンのお姉さんは立ち上がると、再度頭を下げて謝罪する。
「今日はとんだ無礼をしなんした……わっちはフォルテ・パヴォーネと申しんす。所持金もない故、一度帰宅して、から……謝金を……」
「お、おい!?」
喋っている途中で気絶するセイレーン。床に倒れる寸前の所を、俺は慌てて抱きかかえる。
「頭を強打したからじゃないですかー?」
そこへヴィータがやってきて、顔を覗き込む。ラフィリアも心配そうに見つめていた。
どれくらいの高さから落下したのかは知らないが、かなりの衝撃だったのではなかろうか。
「だ、大丈夫でありんす。少しの間、寝させておくんなんし……」
そう告げると、また意識を失うフォルテ。
「タチバナ、救急車、呼んだ方がいいんじゃない?」
「うーん、そうだな……」
ラフィリアに言われ、俺は携帯電話で救急車を呼んだ。アロファーガにも救急車はある。
だが電話したら、到着するまで数十分から一時間くらい掛かると言われた。理由を問い質すと、人外はヒューマンよりも体が強く、怪我をする割合も少ないらしい。その為、医療体制が地球と比べて充実していないようだった。
交通手段に関してもそうだ。足が速い、飛べる等、自動車や電車を必要としていない種族が少なくない。結果、二十一世紀の地球と比べて、発達していないのだ。車両というものが充分に機能していないと言ってもいい。
道路や線路はある。だが往来、本数は少ないといった感じだ。
息はある。気絶しているだけだろう。時折魘されているし、心配だ。
この時間は病院も閉まっている。救急車に頼るしかない。だが……到着まで小一時間。それは遅い。
ひとまず、空いている部屋のベッドに寝かせようと考えた。しかしフォルテはカレーまみれで、このままって訳にもいかない。体も拭いた方が……いいだろうか。
そう思い、着ている服を脱がせようとした所、横で見ていたラフィリアから強烈なビンタを喰らった。
「アンタ、何やってんの!? もういい、あたしが全部やるから! タチバナは出ていってください!」
「すんません……」
床に横たわるフォルテを尻目に、俺は部屋を出た。善意から行動をしただけなのだが、どうやら俺という存在は必要とされていないらしい。
ただ、下心があったか、と問われれば……答えはノーと言えるような、言えないような、限りなくイエスに近いノー的な、そんな感じである。




