2、出会い
上空に柔らかな青色が広がる。
「どうやって来たんだろ…。」
座った姿勢のまま、アッシュは呆然とその色を眺めていた。
「誰もいないし、ここは森…って場所だと思うけど。」
本で見た絵や写真に近いモノだと思うが、こちらの世界に来たことがない彼は、今見えている全てのモノが本物だと判断出来ないでいた。
「上に見えるのが空。そこに浮かぶふわふわした白いのが雲。周りのモノがしっかり把握出来て、眩しい星が1つなら今は朝から昼。手に触れているのは草。少し湿ってて粘土状のこれは土。」
"こちらの世界"で学んだ知識を言葉にしながら、アッシュは状況を確認していく。
「向こうに戻りたくても何が路となったのか分からない。こちらに来てしまったからには"代償を得ないと存在が消えてしまう"だっけ?」
そう言っていたのは、"こちらの世界"で行動を共にする事が多かった友の一人のカルミアだ。
「カルミアが戻る為の代償は心。あちらとこちらの世界を渡る路は光。心を欲とするのは白の塔。名・言葉・感情の3つの要素を持っているから階級は中級の上。」
アッシュにあちらの世界について教えたのはカルミアだ。
上級の者からの指示もあったのだろうが、彼は困っている誰かをそのまま放って置けないお人好しな質だ。
"白の塔"とはアッシュが居た場所"こちらの世界"のグループ別の名称である。
白・黒・赤・青・緑・灰の6つあり、性質や特徴毎にそれぞれの塔に振り分けられている。
例えば白の塔は髪色が金や茶が多く、瞳は明るい青や緑をしている者が多い。欲は心で、それを得る為に世界を渡る。
神の祝福を得た"こちらの世界"は、欲と言うエネルギーを糧にしてその形を保っている。
神が作ったルールの1つとして、世界を渡る路を繋ぐ代わりに定期的に世界を渡り、欲を必ず持ち帰る事が定められている。
基本的には持ち帰るまでは帰りの路は開かず、長い月日戻れずにいると己の形を保てなくなり消えてしまうらしい。
それが"あちらの世界"で言う"こちらの世界"の『死』だ。
「以前は何人もの者が戻れずに消えていって、後に必ず成功者と複数名で世界を渡るようになったんだっけ…。」
アッシュは冷静に言う。
本来、アッシュは"あちらの世界"である此処に来れる訳がなかった。
それは彼が特殊個体だからだ。
振り分けられたのは灰の塔。
そこに属すのは彼一人だけ。
振り分けられる時にどの塔の特徴や性質も持っておらず、そしてどの路も通ることが出来なかった唯一の個体。
そんな彼が一人で渡ってしまったと言う事は、つまり"死"と隣り合わせの状態であると言うこと。
「あ…、そう言えばアスターに借りた本返してないしツユクサの所に忘れた物も取りに行ってないな。2人とも短気だから怒るだろうなぁ。」
暢気にそんなことを思い出しながらパタンと寝転がった。
消えた後はどうなるのだろうか、考えてみてもそれを知る者が"こちらの世界"にいない為分からない。
「欲しいモノ…」
きっと気付いていないだけで、それを欲している自分が何処かにはいるのだろう。
「あぁ…、どうしよう…。」
言葉とは裏腹に、それが彼の感情や態度に一切感じられない。
まあ見ての通り感情の起伏も少ない彼は、自分自身の事でも何処か他人事の様に捉えてしまっている。
これはアッシュの育ての親代わりであった白の塔の者たちに甘やかされ続けた結果である。
人の形を得てからは、常に誰かが目にかけて世話をしてくれていたし、そもそも比較する対象が無かったのでかなりのゆとり教育で育てられたのだ。
その所為でもあるのか彼に自尊心や向上心はほぼ無い。
「誰か助けに来てくれないかなぁ。あ、でも居なくなったことに気付いて貰えてない可能性も高いか。ん…?」
視界の端で何かが揺れた。
「あの、大丈夫ですか?」
そして頭上から不意に声が掛けられ視線を動かすと、空とは違う青の瞳を持つ少女がそこにいた。
「私、お水を汲みに近くを通ってたんだけど倒れてるのが見えて。はっ!もしかしてお天気が良いしお昼寝してただけだったりする?!ど、どど…どうしよう!それなら私邪魔しちゃったのかも。ごめんなさい!」
ころころと変わる表情をアッシュは黙って見ていた。
栗色の髪を肩の辺りで2つに結んでいて、黒のシャツと足首までふわりと広がる丈のスカートに真っ白なエプロン。
「メイドさん?」
「え?」
「本で見た服を着ている人の名称。アナタが着ているのと似ていたからそうなのかと思って。」
ずっと口を開かなかった彼の最初の一言に少女はキョトンとして黙ったのもつかの間。
「ふふっ…あははっ。君、なんだかすごく面白いのね。まぁ、元使用人ではあるから間違ってはいないわ。少し事情があって…ちょっと前にこの辺りに越して来たの。私はサーラ。君は?」
「アッシュ。」
「アッシュ…素敵な名前。その白銅色の髪や天色と濃紺の瞳もとても綺麗ね。そうだ!今ねパンを焼いている途中で、もうすぐ焼き上がるの。良かったら食べに来ない?」
「パン…?」
「ええ。バターをたっぷり使ったからとても美味しいわよ。それでパンに合う紅茶を淹れる為にお水を汲みに行くの。」
ひょいっと両手でバケツを持ち上げて、どちらも私の得意分野なのよとサーラが笑って言った。
「手伝う。」
「ありがとう、とびきり美味しいのをご馳走するから楽しみにしててね。」
立ち上がって土や葉を払った後、彼女の後をゆっくりと追うアッシュ。
(この人にはボクが見えてる…。)
ボクたちの姿は人には見えないって聞いていたんだけどとアッシュは首を傾げる。
例外もいるとは聞かされているが、ここまではっきり認識されるものなのだろうか。
(特殊個体だから?…何にしても一人だから状況把握が難しいな。)
彼女が言っていたパンと紅茶が何なのか分からないまま、その場凌ぎで取り敢えず話を合わせる事にする。
それに今は少しでも早く帰る為に欲の見付けることに専念するべきだろう。
(得るものがあるのか分からないけど、このままこちらの世界について探らせて貰おう。)
どうかできるだけ近くにあることを願いたい。