ドワーフが髭を剃る時
ドワーフが人口の6割を超える鉱山の街ジェスカリア。
この街で産出される鉱石やその加工品を扱う商会は数多あるが、最も地力があるのはカルラの父ヨハンが経営するシュミット商会だろう。
早世した妻の忘れ形見を男で一つで育てながら商会を大きくしたヨハンの腕は、娘のカルラから見ても大した辣腕だと言える。
ある日の夜、カルラはそんな尊敬する父から突然、サシで飲まないかと誘われた。
急な誘いに驚きはしたものの、酒の誘いは断らないと言われるドワーフ同士、父と娘の酒盛りはすんなりと決まる。
ヨハンの書斎で遠方から取り寄せた名のある銘酒を酌み交わし合うことしばし、ヨハンがカルラに問いかけた。
「……で、カルラ。お前はいつになったらヘルムートと所帯を持つんじゃ?」
「ぶはっ! ゲホッゲホゲホッ! お、親父ぃ、いきなり何言いだすんだい!?」
予想外の問いに思わず口に含んだ酒を吹き出し、むせ返るカルラ。
吹き出した酒をもったいないと思いつつ、父の言葉がグルグルと頭を回って酔いとは関係なく赤面して鼓動が早まってしまう。
ヘルムートはかつてカルラの乳母をしてくれた女性の息子だ。
幼い頃は一緒に転げまわって遊んだし、大人になった今も商会に品を卸す腕の良い鍛冶師としてよく顔を合わせる仲である。
知り合いの男の中では特に仲がいいのは確かだが、カルラと交際しているわけではないし好意を伝えられたこともない。
彼はとにかく堅物で、気心の知れたカルラだからこそ理解できるが、他の者からは寡黙で感情表現の少ない奴だと思われているほどである。
(そんなアイツが私と夫婦に……!? 無いね、無いない。ある訳ないさ)
アイツは腰まで届く長く美しい髭を備えた、高嶺の花たる町長の娘にすら一瞥もくれない朴念仁だ。
むしろ女に興味があるのかさえ疑問だとカルラは感じていた。
「その様子では知らんのか……実直なのも善し悪しじゃのう」
「うん? 何の話だい?」
訳知り気に話す父にカルラが問うと、ヨハンは書斎の机から書類を数枚取り出し彼女に手渡した。
「これを見よ。ヤツの工房での剃刀の生産が多くなっているじゃろう」
「んー? ああ、本当だ。……でも、鍛冶工房なら自分たちで使う分も作ってるんじゃないのかい?」
ドワーフの鍛冶師は毛が炉の火で焦げるのを防ぐため、髭は2つに分けて縛って髪は剃り上げるのが一般的だ。
刃を当てない髭と違って頻繁に剃る必要がある頭のための剃刀ではないのか、というカルラにヨハンはあからさまに溜息を吐く。
「その分も作りはするじゃろうが、こんな量になるはずがあるまい……」
「じゃあなんで? 理髪店だってこんな量は発注しないよ?」
「お前に贈るための試し鍛ちじゃろうの」
「……は?」
そこまで言われて、ようやくカルラの脳裏に剃刀を必要とする理由が思い浮かんだ。
ドワーフの古い求婚の文句に『お前の髭を剃らせてくれないか』というものがある。
これは美人の必須要素でもある髭を無惨にも剃り落とすことで他の男を寄せ付けないようにし、同時に髭を剃られた姿を見ても決して心を翻さない漢気を示す風習である。
しかし、女性側の負担が大きいため、近年では廃れてほとんど見ることはなくなった。
(ヘルムートが、私に渡す剃刀を鍛ってた……?)
自然に上気してきた顔から血の気を飛ばすようにぶんぶんと頭を振り、娘は父に反論する。
「だ、だとしても、贈る相手が私とは限らないだろう!?」
「それはありえん。街一番の美人を前にしてお前以外に目もくれん男が、他の女に現を抜かすなど笑い話にもならんわ」
娘の反論を鼻で笑った父の言葉に、動転するカルラの頭の中の冷静な部分が静かに納得する。
(そうか……町長の娘にも目をやらなかったアイツと私は目が合った。……アイツは私を見てたんだ)
我知らず涙を零す娘に、父は優しく語りかけた。
「商会の事は心配するな。番頭をしておるフーゴは筋がよくてな、養子にとって今から鍛えればを商会を継いでいけるじゃろう。お前は心配せずに、幸せになれ」
「親父……」
ボロボロと涙を溢れさせる娘を静かに抱き寄せる父親の姿を、灯火の明かりを反射する酒だけが映していた。
一組のドワーフの新しい夫婦。
表情が少ないがガチガチに緊張しているのがわかる新郎と、無惨に髭が剃り落とされていながら幸せそうな新婦の祝言が行われたのは数週間後の事だった。