8:ダンジョンと点灯式。
「……」
『……』
ボクの眼前では、相変わらず水の塊がたたずんでいる。ときおりプルプルと震えるその姿を前にどうしたらよいのかわからず、不思議なにらみ合いが続いていた。というか、本当に何なんだ、これ。
「おいシディ、聞いてんのか———っと」
微妙に緊張感が漂う沈黙を破ったのは、しびれを切らしたシュートの声だった。見れば、両手に緑色のもさもさした物体を抱えて空に浮かんでいる。あれが「コケ」とかいうものなのだろう。
ボクの姿を見つけるなり、すぐそばにふわりと降り立ってきた。着地する寸前に、シュートを中心にそよ風が広がり、ボクの体を撫でていく。水の塊の表面にもさざ波が広がり、きらきらと光を複雑に反射した。
「へぇ」
そんなシュートが、僕の前に居座る水の塊を見て意外そうな声を漏らす。
「水の低級霊か。もう精霊が生まれ始めたんだな」
「知ってるの?」
「知ってるっつーか、常識っつーか……。まあ、お前さんに外の常識を求めてもしょうがないかもしれんが」
シュートの話によると、ダンジョンから染み出した霊力がひとりでに集まって、ごく小さな精霊が生まれることがあるのだそうだ。水や土、風、炎、雷、更には光や闇の精霊なんてものまでいるらしく、そのうえまったく新しい種類の精霊が生まれることさえあるという。
「つってもこんな早い段階で生まれるってのは結構珍しいと思うんだが。まあ一体生まれるようになったら、これから嫌ってぐらい湧いて出てくるぜ」
だから俺んとこは手狭になっちまったんだしなぁ、とぼやいていた。
「悪さとかはしないの?」
「んー、正直わからん。まあ、ちっこいうちはちょっかい出さない限り大して問題ないんだがな、中級霊ぐらいまで育つと自我が出てくるからなぁ」
たまに反抗的な奴も出てくるんだよ、とシュートがもらす。精霊も、みんながみんなシュートのようなお人よしではないらしい。シュートの仲間の中にも気難しい相手がいたようで、その精霊の話をするときにはずいぶんと苦い顔をしていた。
「んなことより、コケだコケ。とっとと植えに戻るぞ」
話をさっと打ち切り、シュートがふわりと宙に浮いた。巻き起こった風に押されて、あらぬ方向に転がってしまいそうになるのを何とかこらえる。
どうやら、水の低級霊は放っておく方針らしい。まあシュートがそういうのならあまり問題はないだろう。
「わかったー」
そういって、ゆっくりと進み始めたシュートの横をゴロゴロと転がり始める。最近は地面を動かすのにも慣れてきて、障害物があっても軽々と退かせるようになった。動かせる地面そのものの範囲も絶賛拡大中である。これも迷宮づくりの練習の賜物だろう。……とはいっても、肝心の迷宮はまだお粗末な洞穴程度なのだけれども。
◇◇◇
洞穴に着くと、シュートは慣れた手つきでコケを天井に敷き詰め始めた。コケのほうにもなにやら粘着質な部分があり、シュートが持ってきたコケは全部あっという間に天井にへばりついてしまった。
「シディ、ちょっとこのコケを固定してくれ」
「おっけー」
天井に張り付けたコケが剥がれ落ちないように、天井部分の地面を動かしてしっかりと固定する。すると、固定したコケがじんわりと光り始めた。薄暗かった洞穴の中に、ボクとシュートの影が浮かび上がる。
「わぁ……」
柔らかい、薄緑いろの光。ところどころ、青や黄色に偏って強く光る部分があり、幻想的な光で洞穴の中を照らしている。じめっとした洞窟の中が一気に華やいだ。
その光の美しさに、思わず声が漏れてしまう。
「すごいね、シュート!すっごく綺麗だ!」
「うお、テンション高いな。これから飽きるほど見ることになるんだぞ」
舞い上がっているボクに、シュートはどこか呆れたような視線を向けてくる。しょうがないだろう。シュートにとっては見飽きた光景でも、ボクにとっては初めての光景なのだから。まして、こんなにも美しい光景ならなおさらである。
しかし、今は洞穴が狭いからこれでいいけれども、これからガンガン拡張していく予定がある。今日シュートが採ってきた分だと明らかに足りない。
「もっと採ってこなくてもいいの?」
「別に?このまま放置しときゃガンガン増えるからな。むしろ所かまわず生えるから、場合によってはむしる必要もあるぜ。中級霊のころはよく雑用でむしらされたからなぁ」
うんざり、という表情でしゃべるシュート。手入れが大変なんだよ、とぼやいている。……中級霊と言えば、手がない頃の話なのではなかっただろうか。どうやってコケをむしっていたのだろう。風をうまく使えばできるのかな?
「それとな、シディ」
不意に、シュートがにやりと笑う。
「……なに?シュート」
「このコケ、もっと綺麗に光るようになるぞ。今はまだ霊力を吸い始めたばっかで光も弱いしな」
「ホント!?」
はしゃぐボクに、シュートは、ホントだホントと笑っていた。シュートを見上げると、ほほえましげな視線をこちらに向けている。淡い光に照らされた姿が、いつもよりも更に優しそうに見えた。
とにもかくにも、ボクのダンジョンに光がともることとなったのだった。