2:ダンジョンは、お外が怖い。
もう少し、もう少し。あとちょっとだ、がんばれがんばれ。自分にそう言い聞かせながら、今日も今日とて体を上に押し上げる。
ボクの核となっている、一番大切な部分は、地上まであと少しというところまで来ていた。
地面を動かすと飛びついてくる大きい奴。ちょうどそいつも近くにとどまっている。今日こそこの目で確かめてやる。
うっすらと光が見え始めた。ようし、あと一押し。いくぞ、せーの。
『よいしょぉ!』
気合いを入れて、勢いよく地上に飛び出た。
視界が一気に開ける。ずっと土に埋まっていた身としては非常にまぶしい。
ちょっと焦ったかな?最後の一押しが強すぎたみたいだ。勢い余ってころころと地面を転がってしまう。
その、次の瞬間。
ボクの出てきた場所に、何かが飛びかかってきた。
「……え」
勢い余って転がっていたおかげで、どうにかソレには当たらないで済んだがーーどう考えても、身の危険である。
そちらに意識を向けると、ボク自身の何十倍もある体躯の何かがこちらを見据えていた。
いや、何十倍はさすがに言い過ぎたかもしれない。しかし核だけの身一つで地上に飛び出た自分よりは、遙かに大きい。
ボクの核をーーつまりは今のボク自身を巨大化して、前後に引き伸ばしたような身体から、地面に向かって棒状の何かが四本突き出ている。動く奴らが僕の地面部分に押し当てていたモノは、どうやらあの棒状の何からしい。ついでにその棒状の何かの先端からは、鋭く硬そうな何かが生えており、あんなモノで襲いかかられたらひとたまりもないだろうな、というのは容易に想像がついた。言いようのない恐怖が、ボクの小さな体を満たしていく。
思い出すのは、地中から感じ取っていたあの追いかけっこ。もちろんボクは、小さくて逃げる方であろう。あの行為の正体を知りたいとは思っていたが、こんな風に自分が体験するとは思わなかった。
知識が無くても知っている。本能とも呼ぶべきモノが、ひっきりなしに警鐘を鳴らす。
……本当に、考えるまでもない。
これは、ごくごく当たり前の行為。生きるための、最も単純で、最も重要な争い。
すなわち、捕食行為というやつである。
「わあぁぁぁあぁあぁ!?」
一目散に転がって逃げ始めるボク。それを追いかける大きい何か。ズンズンという足音が地面を小刻みに揺らし、ボクの恐怖をかきたてる。地面の起伏にあわせて、時折ボクの体が小さく跳ねる。何度も嫌な浮遊感を味わいながら、必死に逃げ回り続けた。
「うひゃっ!?」
背後で何度も風を切る音がする。見なくてもわかる。あの鋭く尖った何かを振り下ろして、ボクをしとめようとしているのだろう。なるほど、小さい方はあんなに必死に逃げるわけである。
地面から突き出た岩場の陰や、地面から生えて風になびく何かの群の中を転がり抜け、何とか大きい奴を振り切ろうとする。しかし、相手もなぜか執念深く追ってくる。しかもちょっとずつ向こうとの距離も縮まっており、どう考えてもピンチという奴だ。
どうもこのまま闇雲に逃げ続けるわけにもいかないらしい。何か良い案はないだろうかと無い頭を振り絞って逃げ続ける。
ボクを染み込ませた部分から出てはいけない。何の根拠もないが、そんな思考が体の奥底から湧いて出てくる。そこから出れば、『根』が切れてしまうようなーー例え背後の捕食者から逃げ切っても、その後は助からないような予感がする。
直線的に逃げ続けるわけにも行かないが、何もないところで曲がると一気に距離を詰められてしまう。どうあがいても、逃げきれる気がしない。
くそっ!こんなことなら、地面から出てくるんじゃなかった!
「……ん?」
そうだ。ボクは地面から出てきたんだ。
どうやって?もちろん、穴を掘って。といっても、この丸い体で穴を掘れるわけではない。ボクを染み込ませた土を動かして出てきたのだ。穴をほってボクを地上に出せたのなら、その逆もできるかもしれない。
「……だけど、余裕がない」
そう、本当に余裕がない。ボクはどうやらこの地上では小さめのサイズらしいが、それでも逃げ回っている途中にすっぽり埋まることのできる穴を掘っているような余裕など、どこにも存在しないのである。
だとしたら、方法はもうたったの一つだけ。
「出てきた穴に、飛び込む!」
そこに戻るまでに捕まらない保障はどこにもない。しかし、ほかの方法も思いつかない。
幸いなことに、まだボクを染み込ませた地面との感覚はつながっている。自分が今どこを転がっていて、どこにボクが出てきた穴があるのかは手に取るようにわかる。問題は、追ってくる相手との距離が最初の半分も無いことである。
最短距離で戻っても、間に合うかどうか。嫌な妄想を振り切るように、全速力で目的地へと転がり続ける。
後ろから、フゥ、フゥという音が聞こえてきた。何の音かはわからないが、後ろの大きい奴がたてているのだろうということはよくわかる。視覚といい聴覚といい、地面に感覚を集中しなくても相手との距離がわかるというのはなかなかにありがたいことであるがーーこんな状況下では、むしろ恐怖をかきたてるばかりである。
とうとう後ろの相手が発しているのであろう湿った風が、僕の体に吹きかかり始めたところで、僕は目的地を視界にとらえた。
「うおおぉぉぉぉ!」
ほんの少し。ほんの少しだけ、力を振り絞って、地面を出っ張らせる。その出っ張りに全速力で突っ込んだボクの体は、当然のごとく空に舞い上がる。永遠にも感じる浮遊感。後ろからの一撃がほんの少しだけ体をかすったあとーーボクは自分が出てきた穴にすっぽりと入り込んだ。
「はぁ、はぁ、はぁ!」
それでもまだ、安心はできない。周囲の地面を動かして、この穴に急いでふたをする。間一髪、ふたをしたところに、大きい奴が飛びかかってくる感触。だが、閉ざされた地面はどうしようもないようで、しばらく地面に挑みかかったあとーーそいつの感触はゆっくりと去っていった。ほっと一息ついたところで、一つの感情がわきあがってきた。
「……外、怖い」
初めて土から出た日。それは、世界の厳しさを知った日だった。