12:ダンジョンと、巨大な来訪者。
「……こんなところに、ゆりかごがあったなんて」
それが、彼女の第一声だった。
……ゆりかごって何だろうか。あまりに異常な風景、つまりは目の前に龍がいるという状況をにうまく頭が働かない。雲をつくようなその巨体を見上げながら、どうでもいいことを考えていた。
「そういえば、この大陸に来るときに上級霊を見たような気も……」
ぶつぶつとつぶやく彼女。漏れ聞こえてくるその内容から察するに、彼女は数か月前にボクらの上を飛び去って行った銀龍ということなのだろう。確証はないけどね。
半ば現実逃避気味に現状を俯瞰しながら、ボクはこうなった経緯に思いを馳せていた。
◇◇◇
それは、ほんの数時間前。
「終わったー!」
「噓だろ……」
カレンと出会ってから数か月。ついにボクは大陸への進出を果たしたーーというわけではなく。
この島全土を掌握することに成功したのだ。シュートや僕の住まいだった洞穴もグレードアップを重ね、広大な地下迷宮や地上部分に突き出た多くの小部屋などがそろっている。もはや以前のボクとは違い、シュートも満足するような居住区を生み出すことに成功したのである。
問題点といえば、居住者が非常に少ないことだろうか。こればっかりはどうにもならなかった。
「何はしゃいでるんです?」
「あ、カレン」
海岸で飛び跳ねるボクの横に並ぶ水の玉。何を隠そう、数少ない住人の一人のカレンである。……数少ない、というよりも、ボクとシュートとカレンしかいない、といった方が正しいだろうか。
カレンはなんだかんだであの後ボクたちと一緒に行動するようになり、ボクが作った小部屋に住み着いてしまったのだ。シュートに教わりながらコケをむしる姿をよく見かける。透明な体で土ごとコケを削り取り、部屋の外で吐き出すという荒業が得意なようだ。
「なんとボクは、この島全部を取り込んだんだよ!」
どうだ、とばかりに言い放つ。
「ほーん。それってすごいですか?」
「まあ、すごい部類に入る……とは思うんだが。いかんせん、俺もダンジョンが一から成長するとこ見たことあるわけじゃねえからなあ」
実はこういうもんなのか……?徐々に成長の速度が上がってくのが普通とか……?とシュートが首をひねる。
ボクにもわからない。この場にいる誰一人として正しい知識を持ち合わせていないのである。
みんなして遠い目を海へと向けてしまう。
「……ん?」
その視線の先で、海に変なものが浮かんでいるのを見つけた。
楕円を二つに割った形が一番近いだろうか?それでも素直にそうだ、とは言えない、いびつな形。真っ黒な何かが、遠くの海に浮かんでいた。
「シュート、あれ何?」
「ん?ああ、ありゃ船だ」
「ふね?」
聞いたことが無い名前だ。
「人間とかエルフとかの霊長が海だの河だのを渡るために作った道具だよ。あれがありゃあヒレだのエラだのが無くても水の上を進めるのさ」
「へー、便利だねー」
「私ならそんなのなくても大丈夫ですよ。なんたって水の精霊ですから、えへん」
「そりゃ、カレンならそうだろうねー」
気の抜けた声が出る。霊長とは、人間やエルフ、ドワーフといった種族をまるっとひっくるめた生き物の総称だ……と、シュートから聞いた。総じて物を作る能力に長けており、船などの乗り物だけでなく様々な武器を扱ったり、一個体が複数の属性の魔法を扱うこともあるという。
「ボクも船があれば大陸まで行けるかな?」
ふと、そんなことを思いついた。
「んー、まあきちんとダンジョンを広げた上の海面なら船で進めるのか……?正直よくわかんねえな」
「私が泳いで運ぶ、ってどーですか?大陸ってところ、私もキョーミありますし」
「うーむ。……ん?」
そのとき、妙な感覚に襲われた。なにやら、悲鳴のようなーー、近しい存在がひどく苦しんでいるような。そんな感覚の後。
空が、白く染まった。
「なっ……!?」
「……んだよ、こりゃあ」
例の船から、閃光が放たれたのだ。数秒遅れて轟音が、さらには暴風が続いて地面を揺らす。
「うわわっ!?」
「ぎゃー!?」
いきなりのことに対処しきれず、体が押し流されて転がった。カレンに至っては、爆風にさらわれてどこかへ吹っ飛んで行ってしまった。波にさらわれてしまったわけではなさそうなので、多分無事だとは思うけど。
地面を動かして体を受け止めると、シュートの方へ疑問を投げかける。
「……シュート。船って、こうなの?」
「……んなわけあるか。こんなもん、見たことねえぞ……?」
そう言うシュートの声は、いつになく緊張している。状況を確認するためか、つむじ風を起こして空へ飛びあがっていた。こちらを気遣う余裕がないのか、結構な強さの風が体を押してくる。
「霊長であんな馬鹿げた霊力を扱える種族なんていたか……?エルフもドワーフも、あんな攻撃ぶっ放せるわけねえし」
「他の種族ってことはないの?」
「……わからん。あんな霊力ぶっ放せるっていやあ、それこそ龍とかぐらいだぜ」
「でも、龍ってもっと大きいんじゃ……?」
「……」
何一つとしてわからない。混乱する僕をよそに、上空のシュートは船とは別の方へと険しい視線を向けていた。
「……龍だ」
「え?あの船に龍は入らないって話じゃ……?」
「そっちじゃねえ。陸地の方に、龍がいやがる」
「ホント?」
僕からではよく見えない。
「龍に襲われたから反撃した、ってこと?」
「……ありえねえ。龍は食事以外で別の生き物を襲わん。自分と同じかそれ以上に強い奴としかケンカしない、ってのが龍の掟のハズだ」
「そうなの?」
「ああ。ましてや霊長なんていう食っても腹にたまらねえ生き物を襲うはずもねえし……何より、遠すぎる」
「遠いって、何が」
「船と龍が、だ。……まさか、霊長が龍を襲ってるのか?」
信じられない。そんな感情がはっきりと感じられる声が、頭上から響いてくる。
「霊長って、そんなに弱いの?」
「いや、人間は数が多いし、エルフにゃ魔法、ドワーフには製鉄技術があるから基本的にそこらのモンスターに後れをとるような種族じゃあねえんだが……龍が相手となりゃ話は別だ。龍ってのは災害みてえなもんなんだよ」
竜巻だの噴火だのを相手に、武器や魔法でケンカしようなんて思うか?と問うてくる。
「基本的には襲って来ねえから放っておく。万が一向こうの腹が減ってるタイミングに出くわしたら四の五の言わず死ぬ気で逃げる。そういう相手だ」
「……でも、龍が先に攻撃されてるんだよね?」
「……ああ。そこがまるでわからん」
困惑を隠しきれない声。それでもシュートの思考は停止していないようで。
「……仮に、あれが霊長だとして。なんで龍を襲う?魔道具の材料か?……そもそも、あの攻撃の霊力源はどうなってやがる」
強さを増した風に流されて、つぶやく声がボクに届く。
霊力。あるいは魔力とも呼ばれる、力の源。あの規模の放出は、いくらなんでも霊長の身には余るとシュートは言っていた。
先ほど感じた、誰かの苦悶。よみがえるのは微かな悲鳴の残滓。
嫌な予感が頭をよぎる。
「霊力を、外から持ってくることってできるの?」
「……不可能じゃあねえ。精霊も基本的には外部から霊力を補給してるし、モンスターの中には精霊を捕食して霊力を補給する奴もいる、し……?」
そこで、シュートの言葉が止まった。まるで、何かに気づいた、とでも言わんばかりに。
「シュート?」
「……いや。正直、あまり考えたくはねえが」
「……なに?」
「精霊を殺して燃料にすればーーあるいは、あんなのも可能かもしれん」
「っ!?」
息をのむ。うすうす感じていたことではある。それでも、自分より見識が広いシュートの予測と一致してしまうとなると、いよいよ現実味が増してくる。
「……確定ではない、よね」
一縷の望みを乗せた、半ば現実逃避のような呟き。
「……ああ。可能性が死ぬほどたけえ、ってだけだ」
願うような会話の直後。
再び、空が白く染まった。今度は、船とは違うところからも光線が放たれ、壮絶な衝突の後に宙に消えた。
おそらくは、龍が応戦したのだろう。
「ねえ、シュート」
「なんだ」
「龍と、あの船。……どっちが危険かな」
「……わからん。あの攻撃が本当に精霊を燃料にしてるんなら、俺たちはあの船にとってはごちそうだし、龍の方にしてもこちらを襲わないっている確証はない。傷をいやすために俺らを襲うかもしれねえ」
「そっか」
……龍。船。どちらが残っても、敵になる可能性は捨てきれない。でも、明確にボクらの脅威となりうるのはーーいや。ボクが助けたいのは。
「……シュート。あの龍を助けてって言ったら、怒る?」
「怒るぜ。……こんな異常な状況じゃなきゃ、の話だがな」
「じゃあ。ーーあの船に、勝てる?」
ボクの質問に、シュートは。
「俺ぁ風の精霊だぜ?どれだけでかかろうと、水に浮いてる帆掛け船なんざイチコロだ」
ニヤリと笑った。
「……頼める?」
「任せろ」
答えるや否や、疾風のごとくシュートが飛び出す。
ほんの数瞬で見えなくなったその背中を、僕はいつまでも見送っていた。
◇◇◇
そして、現在。
「……そういえば、まだ礼を申し上げておりませんね。この度は危ないところを助けていただき、どうもありがとうございました」
彼女はその巨大な体をたたみ、頭を地面すれすれまで下げる。
「私はレイと申します。失礼ですが、そちらのお名前をうかがっても?」
透明感のある、穏やかな声。
なんというか、龍が粗暴な存在だと思っていたわけではないけれど。
……こんなにも礼儀正しいというか、態度が低いというのは想像だにしていなかった。
「俺はシュトゥルム。シュートでいい」
「あ、えーと。ボクはシディ、です」
隣のシュートにつられるように、ボクも名乗りを済ませる。……そういえば、カレンはどこに行ったんだろうか?爆風に乗って飛んで行ったきり姿を見ない。
「それで?アンタは一体なんで襲われてたんだ……いや、そもそもアンタが襲われてた、ってことで間違いないのか?」
シュートがいきなり本題を切り出した。ボクもそれについては気になっていたところだ。
「……どこから話したものでしょうね。まず、あの船がどこから来たのか、ということですが」
そこからの彼女の話は、容易には信じがたいものだった。
ここからずっとずっと西に進んだところにある大陸では、龍よりも霊長の方が強いのだということ。そしてその強さはあの船に積まれていた兵器によるものであり、そしてその燃料は『ゆりかご』--つまり、ダンジョンの死骸なのだということ。おそらくは西の大陸でダンジョンが狩りつくされてしまっており、新たな資源を求めてほかの大陸に手を伸ばし始めたのだとか。
「竜さえ殺せる兵器……」
「とんでもねえ話だな、そりゃ。助ける方間違えてたら今頃どうなってたかわからねえ」
「……そうだね」
あの船を助けていたら、次に殺されるのはボクらだったということだ。……目の前の彼女の話を信じるならば、の話だが。
「ところでアンタ。妙に言葉遣い古くねえか?『ゆりかご』なんざ大精霊のじい様方でも滅多に使わねえぞ。……まさかその見た目でウン千年生きてる、なんて言わねえよな」
「む、やはりそうなのですか。私の故郷ではこの言い方が普通なのですが……。『ダンジョン』なんてこの大陸に来て初めて耳にしましたし」
「そういえば、レイ……さん?の故郷ってどこなの……なんですか?話に上がってた西の大陸とか?」
「レイでいいですよ、口調も楽なもので構いません。故郷は西の大陸ではなくて……ええと、こちらではなんと呼んでいたのでしたか」
レイは目を閉じてムムム、とうなり始めた。
やがて思い出したのか、絞り出すように出てきたその一言を聞いて。
「確か、マ、マ……マタイ、リク?でしたか。こちらではそんな風に呼ばれていましたね」
「……は?」
「……へ?」
ボクとシュートは、凍り付いた。