出会い
「ぼくは困ってることがみえるんだ」
あなたは言った。いつもおかしなことを言っていたあなたに確かめたいことがある。でもどこへ行けばあなたに会えるかわからない。
「何をしてるの?」
君は突然現れて、そう問いかけた。ぼくは駅前の広場の外れに立っている。行きかう人々を見ていた。学校も仕事も終わり、多くの人々がぼくたちの前を歩いていたが、この時間はバス停に向かう人が多く、ぼくたちの背後にあるタクシー乗り場へ向かう人は少ない。ぼくたちは人の流れの淀みのような場所に立っている。行きかう人々を眺めているだけなんだ、は君への答えとして、君ではなく別の誰かの答えとしても、とても納まりが悪い感じがして、答えることが躊躇われた。
「あたしと同じ大学よね?」
ぼくが君のひとつめの問いに対する答えを考えている間に、君はふたつ目の質問をした。君は大きな瞳でぼくを観察するようにのぞき込んでいる。君に観察されてぼくはますます納まりのいい答えを見つけられずにいる。
「困った人をみてるんだ」
ぼくはようやくひとつ目の質問に答えた。君は上手く聞き取れなかったように少しだけ眉間にシワを寄せ、大きな瞳はぼくから視線を外し、上の方を見ている。
「困った人?」
君は上を向いたままひとり言のように聞き返した。「困った人」は適切な表現ではなかったが、ぼくはまだ納まりのいい答えを見つけらていない。
「困った人を見ているなんて、ヘンな趣味」
君は少し笑った。呆れているのか。
「いや違うんだ」
ぼくは否定したが、行きかう人々が発する雑音で、目の前にある小さなピアスが付いた耳にすらぼくの声は届いてないかもしれない。
「あなたが困っているように見えるんだけど」
確かにぼくは納まりのよい答えを見つけられず、君から誤解され困っているが、ぼくが言いたいのはそういうことではない。君の目線がぼくの目線より少し上にあることをぼくは見つけたが、納まりのいい答えは見つけられずにいる。
「落としもの?」
君はぼくに救いの手を差し伸べようとしているが、助けが必要なのはぼくでない。君は落し物を探すようにあたりを見回しているが、ぼくには落とすような持ち物はない。それにすぐそこに落としているのであれば、困る前に拾い上げている。
「ほら、エスカレータの下に立っているおばあさん」
ぼくは駅前広場全体を何度も見回すおばあさんの方に目をやった。おばあさんは駅ビルの1階に入っているスーパーマーケットで買い物をしたらしく、右手にはそのスーパーマーケットのロゴが書かれたレジ袋、左手にはエコバック、どちらもいっぱいに膨らんでいる、を持っていて、肩からは花柄だと思われるバックを下げている。スーパーマーケットのレジ袋は持ち手が重さで伸び、手のひらに食い込んでいるのがここからではわからないが、充分に想像はできる。
「あの両手に荷物も持ったおばあさん?」
君は左手の人差し指をおばあさんの方へ向け、すぐに左手を引っ込めた。
「あのおばあさんがどうしたの?」
君はぼくの答えを待たずにふたつ目の質問をした。
「あのおばあさんが困ってるんだ」
「そうね、あの荷物だから」
「違うんだ」
君はおばあさんから、視線をぼくに移した。君の短い後ろ髪の先が小さい円弧を描いた。
「?」
君は声にならない声で疑問を投げかけた。やはり呆れてもいる。君はその都度立ち止まるぼくたちの、いやぼくの「会話」に少しいらだっているようだ。もし誰かがぼくたちの会話を聞いていれば、君と同じ気持ちになるだろう。
「(あのおばあさんは、)おじいさんを探してるんだ」
ぼくは周りの雑音に負けず、君に届くよう言ったつもりだったが、今度は君の「会話」が立ち止まった。君が少し口を開けた後、空気だけが漏れて、君の声が出なかった。ぼくは待った。
「どうして、そんなことがわかるの?」
ようやく君の声が出た。
「あっ、ちょっと待って」
君はぼくに質問をした後、またぼくの答えを待たずに、子犬のように元気な声でぼくに待つように指示した。そして君は歩道橋の階段の方に向かって駆けだした。駅前の歩道橋は一部が広くなっており、高架広場とも呼ばれていた。高架広場は小さな公園ひとつ分の面積があり、広場と呼んでも誰にも異論はないだろう。君はその高架広場に向かっているようだ。ぼくは君に背負われた四角いバックパックと体にフィットしたジーンズを見上げていた。おばあさんの様子は先ほどと変わらない。
しばらくして、君は高架広場へ続く階段を降りてきた。君の斜め後ろにはおじいさんがゆっくりと階段を降りていて、君はそのおじいさんを視界に端のとらえながら、おじいさんに合わせるように、階段をゆっくり降りている。おじいさんは左手で手すりを持ち、先に左足を降ろし、次に右足を左足と同じ段まで降ろしていたので、君は1段1段立ち止まるようにして降りなければならなかった。君は階段の踊り場で一旦、足を止め、まだ階段を降りている途中のおじいさんを振り返り、おばあさんを左手で指差した。おじいさんは踊り場にたどり着くと、右腰に手を当てて、君の左手が指す方向を見た。おじいさんは笑顔で君に頭を下げた。
おばあさんとおじいさんを再会させた君は跳ねるように階段を降り、小走りでぼくに近付いてきた。
「あのおばあさんは、あのおじいさんを待っていたのね」
君は少しも息を乱さずにぼくに説明した。おじいさんはようやく階段を降りて、おばさんの方へ歩き始めた。
「(おじいさんは)高架広場で待ち合わせをしてたと言ってたけど、どうかしらね。きっとおじいさんの勘違いよ」
君はおじいさんを悪者にして、少しだけ首を傾けて笑った。おばあさんは歩いてくる待合せ場所を間違ったであろう人に気が付いて、歩き出した。2人は並んでタクシー乗り場に向かいながら、2人揃って小さく君に頭を下げた。君は頭を下げる代わりに笑顔で答えた。おじいさんの手にはスーパーマーケットのレジ袋が下げられていた。
「どうして(あのおじいさんだと)わかったの?」
ぼくは君へひとつ目の質問をした。
「おばあさんのセーターよ」
ぼくは合点がいかない。
「わからない?おばあさんが着ていたセーターとおじいさんのマフラーが同じ色だったのに気が付かなかった?」
ぼくはおばあさんのセーターの色が思い出せない。2人を乗せたタクシーは走りだしていて、おばあさんのセーターもおじいさんのマフラーも確認することは出来なかった。
「ここに来る途中で、あのおじいさんを見て、少し派手な(色の)マフラーをしているなあとおもったの」
ぼくはもちろん、君が少し派手だと言ったおじいさんのマフラーの色も思い出せない。
「あのマフラーとセーターはおばさんの手編みね、たぶん」
今度は手先が器用で編み物をするのはおばあさんだと決めつけた。
「高架広場でおじいさんが困ったようすだったから、声を掛けるか迷ったんだけど」
君はぼくがおばあさんに気付いていたように、おじいさんに気付いていた。そしてぼくに声を掛けたってことは、ぼくはおじいさんより困っているように見えたってことなのか。君の白い歯と少しも自分の小説に出てくる名探偵のような推理を自慢しない解説に好感を持った。君の気懸りが解決でき、おばあさんにも感謝され、君は満足しているようだ。
「ところであなたはどうして」
と君は言いかけて、駅の壁に設置してある時計を見上げた。
「遅れる。あたしはこの駅ビルの中にある居酒屋でバイトしているの。よかったら来て」
君は言いながら駆けだしたので、最後の方ははっきりとは聞き取れなかった。
駅ビルの自動ドアがゆっくりと開くのがもどかしそう待って、少し開いたすき間から体を斜めにして建物に入って行く君をぼくは見ていた。