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店の準備を始めて思ったこと。ウドムット数字が使いにくい。
この国の数字表記は、漢数字方式と同じだと思ってもらえればいい。違いは一を省略しない、つまり一十五とか一百八みたいな表記になるのと、十万や百万の桁をあらわす記号があるということ。
これで教育を受けていた期間は前世の記憶は無かったし、そういうものとして疑問も抱かず受け入れて来た。それに、家に来客を迎えるだけだった時、付き合いのある商人が食料品を扱うクライネフだけの時はこれでも問題なかった。
ところが、開店準備で食器やら内装やら調理器具やらを発注していく段階で、非常にイライラさせられたのだ。
そこで、商人達を集めて今までの一~九と、空の桁を表す記号として〇を使って数字を表記して貰えるようお願いした。お願いと言ってもこちらが貴族だから、半ば命令になってしまうのだけど。
アラビア数字をそのまま採用しなかったのは、自分が脳内でこちらの数字で問題なく計算ができたのと、商人達に馴染みの無い記号を10個覚えてもらうよりも1つだけで済ます方が楽だろうと判断したからだ。
結果は感動ものだった。四則演算が滅茶苦茶やりやすい。
数学者に言わせたら別の言い分もあるのかもしれないけれど、前世でアラビア数字が世界中に普及していたのは、この利便性によるところが大きいのだろうと実感した。あと掛け算九九を暗記していることで、筆算がいかに捗るかも実感した。
店を開くとなると色々やることがあって少し時間がかかる。イグノヴァ代理官長の秘書官という人と打ち合わせの日々。
なので料理教室を先行して開催した。5~6人のグループが5つあって、6日ローテーションで出入りしている。5日間教室があって1日休みなのはこの国の1週間が6曜だからだ。
最初に出汁の取り方とソース作りの考え方を教え、あとは揚げ料理や蒸し料理といった元々この国には無かった調理法を教えると、来客は極端に減った。具体的に教えたレシピが少なくてもそれぞれの料理人が工夫しているようだ。
教師役はほとんどキールに任せているので、私としては開店準備に専念できて助かっている。
と、思っていたら兄が珍しく昼食時に客を連れて来るというので、久しぶりに厨房に入ってキールを手伝う。そして、その客との会食が終わったところで兄に呼ばれた。
見た感じ50代くらいで、カイゼル髭を蓄えた細身のその客は、好奇心あらわに目を見開いてこちらを観察してくる。その容貌が前世の記憶から誰を思い起こさせるかと言ったらサルバドール・ダリだ。つまり、私の彼に対する第一印象は変人だった。
「私以外に魚や野草を食べてみようなどという貴族が居るとは思わなかったよ。それもこのような美味な料理に仕上げるとは。さらにはそれを商売にしようというのだろう? 君は実に興味深い人材であると言わざるを得ないな」
「はあ、ありがとうございます?」
「そういう訳で君という人間の人となりを詳しく知りたいものだが、今は店を開く準備で忙しいそうだね。いやはや残念無念だが、今しばらくは時が必要なようだ」
何だ? このオッサン。
「あの、兄上……」
「お前もご高名は存じ上げているだろう。賢人ロマーノ・フルロヴァ殿だ」
その名前は知っている。
あらゆる学問に精通すると称され、画家としても作曲家としても高名な人物の名だ。
彼の功績として有名なものを挙げると、まず『ウドムット前史』という歴史書を著した。各島でバラバラに伝わって相矛盾する統一前の歴史を個人の書簡なども互参して、1つにまとめあげたものだ。ついでに私の家庭教師が彼の信奉者だったので、他の書籍も読まされた。
また、それまで水に浮かせて使われていた羅針盤を改良し、『方位磁針』として船上で使えるようにもした。さらに2つの凸レンズの焦点を合わせることで、格段に倍率が上がることを発見した。前世の記憶がある今、あちらでそれを何と呼ぶか知っている。『ガリレオ式望遠鏡』だ。この2つの発明は、島国・海洋国家であるウドムットにおいては、空前の発明であると言える。
ようするに、前世の世界で言うところのダ・ヴィンチやピタゴラス、東洋人なら曹操クラスの超が付くほど万能な天才さんであらせられる訳だ。
その前世では、天才と何とかは紙一重という言い回しがあったのだけれど、どうも言動を見ている限り紙一重の向こう側の人にしか思えないのですが……
「今日のところは暇するとしよう。近いうちに詳しく話を聞ける機会を得たいものだな、レナート君」
変なのに目を付けられてしまった。ただこの人は確か、国王の直臣で他から命令を受ける事がない、という特殊な立場に居たはずだ。やっかいな。