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「兄上、義姉上ごきげんよう」
「ああレナートか。ごきげんよう」
「ごきげんよう。レナート」
兄のヴァレリーと兄嫁のイリーナとが食堂へと顔を見せ使用人に椅子を引かれて着席するが、立ったままの私を見て兄は眉をしかめた。
「何をしている? 早くお前も席に着きなさい」
「いえ、今日は僕がサーブさせていただきます」
「どういうことだ?」
「本日の料理は、僕の指示でキールに作らせたものなんです」
「ふむ、そうか。何か考えあっての事なのだろうな」
偉そうな物言いだが、12も歳が離れている兄ともなればこんなものなのだろう。
家長となったのも大きいのかもしれない。父の遺産はあるにせよ自身の稼ぎはまだまだ少ない、ヒラのイルルカ島代理官に過ぎない。そんな中で弟、それも腹違いの弟が芸術家になりたいとでも言いだせば、タラノフ家当主としては困りものだ。厳しい態度も理解できる。
まあ、とりあえず今のところは料理研究家を目指させていただきたい訳ですがね。
説明し忘れていたが、イルルカ島代理官という地位。それより前に、まずこのウドムットという国は大小数百の島からなる群島国家だ。
日本の本州や北海道、あるいはグレートブリテンのような大きな島は無いけれど、人口が万を超える大き目の島が21あり、それらが覇権を争って離合集散してきた歴史がある。
今は統一されてメルクーシン家が治めるオルロフ島を首都とし、他の20の大島に島主という領主というか大名というかまあそんな感じの貴族を封じて治めさせるという、江戸時代の幕藩体制にちょっと似た感じの統治機構をしている。
代理官というのは、島主に代わって首都オルロフに詰めて母島の立場を代弁したり、首都で情報収集したり、他島との折衝をしたりというまあ江戸留守居役兼外交官みたいな役職で、亡き父のイルルカ島代理官長というのが言わば江戸家老といったところ。兄はその配下の官吏という訳だ。
それはともかく、今の本題は本日のディナーだ。
「最初の料理はこちらの皿になります」
「ほう。最初から取り分けてあるのか」
ウドムットの貴族料理は大皿料理で、それを使用人が主人の小皿へとサーブするというスタイルが基本になっている。メニューを考えている時からフランス料理の歴史を想起していたのもあって、今回は最初から料理を小皿に盛り付けてみた。
フランス料理に革命を起こしたカトリーヌ・ド・メディシスとその料理人達。私の思惑通り兄をはじめウドムット貴族も当時のフランス貴族のようになってくれれば良いなと思いつつ、カトリーヌの時代はまだ大皿料理のままだったような気もする。テーブルマナーがどの時代にどれくらい進んだのかまではうろ覚えだ。
まあ、どうせ誰も知らないんだから一足飛びに食事スタイルを刷新してしまっても、あまり気にする必要は無いと割り切ることにしよう。
最初の一品は薄切りにしたモーム牛の肉を包丁の平で叩いてさらに薄く延ばし湯通ししたものと、薄くスライスして水にさらしたネギ風味のルクスカヤを、酢・塩・香辛料・植物油を味が強くなり過ぎないようスープストックで割ったに調味液に漬け込んだもの。
つまるところ、牛肉とスライスオニオンのマリネもどきだ。
「あら、美味しいわね」
「む。そうだな」
「ええ、酢がきつ過ぎずに程良くて、とても食欲をそそりますわ」
「ありがとうございます、義姉上。気に入っていただけて何よりです」
「それだけでは無くて、何か秘密がありそうですけれど」
前菜でさっそく酒を一杯飲みほした兄の杯に酒を注ぎつつ、兄嫁に丁寧に礼をしておく。
兄は職務がら客を迎えることも、逆に招かれることも多いが、女性の社交も馬鹿には出来ない。そこで飛び交ううわさ話が外交では思わぬ内助の功になることくらい、兄もよく知っている。私の将来のためには兄嫁の心象も良くしておくに越したことはない。
二人の食べ終わった皿を使ったフォークと共に下げる。ナイフやフォークを外側から使っていくというようなマナーは確立されていないから、今回は料理ごとに使うカトラリーを用意し一々片付けるということにしてみた。
「次はスープになります」
「随分と白いのね」
「これも何か変わったものなのか?」
「お楽しみください」
スープはスープストックにモーム乳をを加え、クリナ肉・ルクスカヤ・コーヴン・リフェーリ芋を煮込んだものだ。
本当はもっと時間があれば、フォルツ麦粉をバターで炒めてルーを作ってホワイトシチューにした方が良かったのかもしれないけれど、それはまた次の課題としておこう。今までのスープは、スープストックという出汁を取ることはもちろん、牛乳を加えるという発想すら無かったのだからこれでも大幅な進歩だ。
「これも良い味ね」
「ああ、本当に。まさかお前にこのような才能があるとは思わなかったぞ」
「ありがたいお言葉ですが、兄上、お酒がすすみ過ぎではございませんか?」
「む。こいつめ、イリーナのようなことを言いおって」
「うふふ。本当に」
スープでまた一杯酒を飲みほした兄を軽く牽制しておいたが、二人とも上機嫌で何よりである。
三皿目は結構苦労して、前世ならファストフード扱いの下世話な料理になってしまった。クリナの唐揚げと、ハッシュドポテトならぬハッシュドリフェーリだ。
塩と香辛料と魚醤で味をつけてあるので、ソースの類が無くてもそのまま食べられる。せめて見た目を整えるためにキャベツ風味のピナートの千切りで一口大の揚げ物を囲ってある。こちらにもフレンチドレッシングで味をつけてある。
そもそもウドムット料理には揚げ物が無かったので、兄夫婦には十分に目新しいが。
「同じクリナの肉なのに、スープのものとは随分と食感も風味も異なるのだな。私はこれが一番気に入ったぞ」
「まあ、貴方ったら。こちらのリフェーリの食感も楽しいわね。それにピナートも良い味」
ここまで一皿一杯ペースで酒が進む兄。普段なら酒量はこんなものなのだけれど、料理はまだ二皿ある。どうしたものかね。
下手に止めるよりも機嫌よく飲み食いしてもらって、料理研究家の話は明日改めてということにするしか無いかも……。
「脂っこい料理でしたので、こちらでお口直しをどうぞ」
四皿目はバクラの煮びたし。当初はフレンチのコース料理を思い描いていたのだけれど、ここでぐっと和食よりに……というか食材の少なさから和洋折衷なコースにならざるを得なかった。味付けはスープストックと魚醤のみ。
料理研究の許可を得たら、何より最初に食材の開拓が急務だろうな。だいたい、島国だというのに貴族は魚を食べないという文化が間違っている。某国のジェントルマンとかいう奴らと……とか考えてたら、箸休めで一杯飲み干さんでくれー!
兄は本格的に酔っぱらって来てしまった。
「最後はステーキになります。一口サイズに切ってありますので、フォークだけでお召し上がりください」
「こういう気遣いはありがたいわね」
「うむ。これもうまい」
「もう、飲み過ぎですわよ。それを飲んだら、先にお休み下さいな」
「ああ」
焼いた時に出るモーム牛の肉汁にバターを落とし、魚醤とすりおろしたルクスカヤを加えたソースが利いたステーキだ。塩と香辛料で味付けして焼いただけのものよりは、格段に美味しくなっている。
「本日のディナーは以上です、兄上。いかがでしたでしょうか?」
「うまかった……もう寝る」
私としては、こうした料理を客人の歓待に使う事で兄の職務に役立つこと。評判になればこれまで接触の難しかった相手でも、先方から寄って来るかもしれないというようなことを売り込みたかった訳だけれど、今日のところは使用人に付き添われて去っていく千鳥足の兄を見送るしかなかった。やれやれだ。
落胆しながら自分の食事を一度に全皿並べてもらい、サーブを断って使用人を下がらせたが、義姉が食堂に残ったままだった。
「義姉上もお休みになってはいかがですか?」
「いいえ、貴方の話を聴くのが先でしょう。わざわざ貴方がサーブまでしてくれたのですもの。何か話があってのことなのでしょう?」
正しくそうなんですがね。実は私は兄嫁であるイリーナさんのことはあまり知らない。
兄とも一緒に遊んだりという育ち方はしていないせいもあって、普段から夕食は一緒にとっているし儀礼的な場では同席するけれど、それ以上の接触は無いからだ。
「食事をしながらで良いわ。話して下さいな」
「わかりました」
自分の食事をしながら思うところを話させてもらった。義姉は時折考え込みながらの真剣に耳を傾けてくれた。
「なかなか魅力的なお話しですわね。ヴァレリーの職務を理解した上で立ててくれていますし。でも、貴方はそれで本当に満足なのかしら。料理人そのものは平民の仕事でしょう?」
「義姉上、料理は芸術にも学問にもなり得ますよ。いえ、なり得ると僕は思っています」
「そう。では明日改めてヴァレリーに今の話をするのですね?」
「はい」
「わかりました。私からも口添えさせていただきましょう」
「本当ですか! ありがとうございます」
義姉の兄に対する影響力のほどは分からない。ただ、目標達成とは言えないまでも成果は得られたようだった。