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 きっかけは父の死、なんだと思う。なんにせよ私レナート・タラノフは15歳にして、平成の世を日本人として生きた前世の記憶を得た。

 とは言っても名前も生年月日も思い出せない個人情報のごっそり抜けた記憶なのだけれど。でもまあ、個人情報が抜けている方が望郷の念も起きなくて好都合ではある。

 今生の父が海難事故で亡くなったのは、私のこれからの人生にとって結構な痛恨事だった。というのもタラノフ家は貴族ではあるのだけれど家督を継ぐのは腹違いの兄ヴァレリーである訳だし、この国ウドムットの貴族社会で次男三男というのは軍務に就くか、実家の支援を受けて学問なり芸術なりの道へと進むのが通例だからだ。

 父はイルルカ島代理官長という結構な高官だったけれど、家督を継いだからと言って兄がその地位まで受け継ぐことなどあり得ない。となると若手の下っ端文官がタラノフ家の当主ということになる訳で、私の将来に関する選択肢はひどく狭まった。


 ぶっちゃけ軍務に従事するのは避けたいと、悩んでいたところで浮かんできたのが前世の記憶だった。

 産業革命以前のこの世界、この国で、平成日本の知識を活かせれば身を立てていくことぐらいは出来るだろうし、上手くいけば何事かは成し遂げられるかもしれない。

 それにしても、こういうラノベ的展開の物語の場合、モンスターが跋扈する世界で魔力を持った元日本人が現代知識で術とかを魔改造して無双するのが相場ではないだろうか?

 貴族としてそれなりの教育を受けて来た今生の私の知る限り、この世界には実効的な魔法など存在しないし、危険な生物はともかくモンスター的なものも存在しない。

 私の物語は、なんとも地味な展開になりそうだ。

 ところで、我ながら15歳にしては思考がおっさん臭くなってしまった。前世では少なくともおっさんになるまでは生きていたのだろう、多分。幸せだったかどうだかは知らないが。

 とはいえ、人格が入れ替わったりということも無かったので、言葉遣いなんかに気をつけておけば問題はないだろうと思う。今のところは。

 さて、前世の知識を活かすと言っても何から手をつけたものか……


 ……日本人と言ったら、まずはやっぱりメシだな!

 ウドムット料理は別に不味い訳ではないけれど、バリエーションが乏しい。

 ステーキなどの肉料理をメインに、野菜スープと薄い無発酵パンが基本。あとは季節によりピクルス的な付け合わせや卵料理がプラスされるくらい。貴族の食事でコレは無いだろう。

 今生で料理をしたことはない。前世も多分料理人ではないと思われるし、自炊していたかどうかも不明だけれど、少なくとも家庭科の授業や林間学校的な場での調理の経験ぐらいはうっすらと記憶にある。

 住み込みの料理人に手伝ってもらえば、なんとかなるだろう。


「キール。今日の夕食だけど、僕の言う通りに作ってもらえないか?」

「急にどうしたんです、レナート坊っちゃん」

「うんまあ、僕の将来に関わる事になるかもしれないんだ。協力してくれないか?」

「はあ。わかりました」


 厨房に居たキールに声を掛けたものの、気の無い返事だ。料理なんてしたことが無いお坊ちゃまが、突然やって来たのだから仕方ないとはいえ、やっぱりちょっとはイラッとくる。


「よし。それじゃあ、まずは食材と調味料の確認からだな」

「はいよ」


 面倒臭そうなキールを促して食材を確認しながらメニューを考える。しかし、当たり前のように出汁を取るものがない!

 厨房に有った食材を列挙すると、

・モームの肉:角無しの牛みたいな動物。役割も味もほぼ同じ。

・クリナの肉:アヒルやガチョウみたいな水鳥の家禽。

・ルクスカヤ:ネギ風味で小玉白菜のような見た目の野菜。

・コーヴン:黄色いニンジン。

・デレイ:春菊に似た香りの葉野菜。

・リフェーリ:里芋に似たソフトボール大の芋。

・バクラ:皮が緑で丸っこいナス。

・ピナート:キャベツっぽい味の葉野菜。


 一方の調味料の方はと言うと、塩と山椒に似た香辛料、魚醤、穀物酢、植物油。他はモームの乳とバター、小麦に似たフォルツ麦を挽いた粉。以上。どれも量は確保してあるようだけど、使える物少なっ!

 とはいえ自由になる金もないので、なんとか知恵を絞るしかない。

 ……とりあえずはスープストックでも作ろうか。


「モーム肉をそうだな、これくらいに切ってくれ」

「ほい、こんなもんですかい」


 欲しい大きさを手で示すと、キールは包丁を取り出してダンッと音を立てて肉を切り分けてくれたのだけれど、気になったのは包丁の方。思い切り振り下ろしたところを見ると、切れ味は悪そうだ。


「ちょっと包丁貸してみてくれるかい?」

「包丁なんて大丈夫ですかい?」

「なに、僕だって剣の稽古はしてるんだ。包丁くらいどうってことないさ」


 包丁を受け取ると、黄色ニンジンのコーヴンを1つ取って皮を剥いてみる。


「ひどく切れ味悪いな」

「やっぱり坊っちゃんには、包丁を使うのは難しいんじゃないですかね?」


 またもイラつく言葉だけど、とりあえず無視して包丁を研ぐ手段を考えてみる。

 ふと庭の方を見るとレンガが積み上げてあった。無言のままレンガを1つ取り、きれいに洗ってから水を含ませる。怪訝な顔のキールをよそに、刃を寝かせて包丁を研いでいく。


「何をなさるってんです?」

「まあ見てろ」


 ぞんざいな応えになってしまったが致し方ない。錆びてこそいなかったが鈍い色だった刃が輝きを帯び、横滑りしないよう注意して当てた親指の腹に鋭さが伝わってくる。そうして研ぎあげた包丁を一度水洗いすると、改めてコーヴンの皮を剥いていった。今度はスルスルと薄く皮が剥けていく様にキールが目を見開いた。


「どうなってるんです?」

「切れ味の落ちた刃物も、こうして研いでやればまた切れるようになるのさ」

「へぇー、坊っちゃん物知りですなー」

「使ってみなよ」


 しきりに感心しながらキールは続きの皮剥きをしていく。しかしこれは、調理器具の開発もした方が良さそうだ。

 鍋に植物油を引いてモーム肉・ルクスカヤ・コーヴンをぶつ切りにしたものを焼き色が付くまで炒め、鍋いっぱいに水を張る。つまりは牛肉・タマネギ・ニンジンに見立てて英語で言うところのスープストック、仏語で言うブイヨンを作ろうという訳なのだが……セロリに代わる香味野菜がない。いきなりの妥協だが仕方がない。春菊風味のデレイを使ってみるか。量少な目で。


 今日のところは2種類の肉と6種類の野菜で何とかするしかない。今までここでは食べたことのないメニューを思い浮かべながら、包丁をもう1本用意してもらってキールに研ぎ方を教える。

 包丁が揃ったら肉と野菜を必要な形に切り分け、水にさらしたり、下味をつけたりと下ごしらえ。

 さすがに料理人だけあってキールの方が手際は良い。1つやって見せると、その後の処理は私の倍くらいのスピードで出来上がる。私も一緒に作業はしたが、住み込みの使用人達を合わせると10人を超える人数の食事の用意が整っていくのはキールの功績だろう。

 最初は不信感を示していた彼も包丁のことが切っ掛けとなったのだろう、私の求めに応じて下ごしらえをしていく。これまで彼が作ってきた料理には無い行程であるにも関わらず疑義を差し挟まなくなったし、むしろどのような仕上がりになるのか楽しみにしている樣でさえあった。


 下ごしらえにそこそこ時間がかかったので、ここらで一度スープストックの味を見ておくとしようか。

 別の鍋とキレイな布を用意して、布を通してスープを流し込み、さらに煮込んでいた肉や野菜を布を絞って漉していく。やや茶系に色づいた濁ったスープストックには、十分に味が出ていた。香りも悪くはない。


「旨いですが、そっちの絞った肉や野菜は捨てちまうんですかい?」

「ああ、コレに肉と野菜を入れてさらに煮込んだら、もっと旨くなると思わないか」

「ははぁ、なるほどねー」


 その後も知らない技法や味見のたびにキールに感心されながら本日のディナーが出来上がって行った。

 兄上を満足させ、納得させなければならない。日本人の好みとは違うかもしれないが、味見を繰り返しこの体で15年生きて来た今の私の舌に合う、それでいて今までの単純なこの国の料理には無かった技法を取り入れた新しい料理。

 味には自信があるけれど、どう話を持って行くか。そこが勝負所だろうな。

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