探偵オレール・アダンの場合Ⅱその1
「全く、なんで俺がこんな目に……」
あの後、命からがら逃げ切った俺は馴染みのバーに来ていた。
タンジェが急成長し始めた際に出来た落ち着いた雰囲気のバーだ。決して客の数は多くはなく初めての客も少ない。逆を言えば見慣れた常連ばかりで安心できるのだ。多少酔って醜態を晒してしまっても誰も口外しない。
俺は注がれた琥珀色の酒を飲み干した。酒の名前はオーナーバーテンダーが言っていたような気がしたがそんなこと覚えられる余裕もないのだ。
「はぁ……」
あんな仕事、受けるんじゃなかった。
問題は、あのとき少なからず警備兵に見られてしまったことだ。
身元が割れているかまでは判断できないが、もし割れたら警察は真っ先に俺を疑いに来るだろう。このまま証拠不十分だろうが、世間は俺を容疑者として見てくるはずだ。
そしてこれらの解決策、それはこの事件を解き明かすことだ。
「ああ……」
俺は嘆きながら冷たいカウンターに頬を乗せた。
「大変そうだね、アダンさん。難しい依頼でも入ったの?」
俺にカウンターの向こうから優しい言葉をかけてきた存在。それは、ここのオーナーだ。種族はサキュバスとのことらしい。
「そうなんですよ、それでちょっと失敗しちゃって俺が逆に疑われているかもしれないんですよ。俺は魔法苦手だけど、警察相手じゃ信じてくれるかどうか」
俺は魔法が苦手だ。簡単な魔法なら出来ないこともないが、複雑な魔法は苦手だし何より魔力量が低いのだ。
「あくまでも疑われてるかもってだけなんだよね? だったら、何も臆することないんじゃない? 仮に警察相手でも、証拠がないなら捕まえようがないんだし」
それはわかっている。少し前みたいに疑わしきは罰するみたいな風潮はなくなった。帝国も国際社会に足並みをそろえるために、法治国家へと変遷を遂げている。いきなり逮捕されたりするということはないだろう。
だが、問題は噂までは統制されないのだ。警察が、俺を疑いその情報が漏れれば途端に周りからの目が厳しくなる。真に受けた住民が何もしないとも限らない。そういうのを一番心配しているのだ。
その被害を回避したいがためにこうして考えているが、何も浮かんでこない。そもそも、あの記者を殺害した攻撃は何だったのだろうか。物理的? それとも攻撃魔法?
魔法だったとしたら、誰かに聞いてみるか。俺使えないし。
「ところで、オーナーは攻撃魔法使えますか?」
「攻撃魔法? まあ、使えないことはないけど威力弱いし魔力回復するまで時間かかるからね」
「回復? そんな魔力消費するんですか?」
ここに住む住民は、空気中の魔力を呼吸や経皮で吸収するため一時間程度で魔力が回復するのだ。
「それほど多くはないよ。でも、サキュバスってさ。呼吸や経皮じゃ中々吸収しないのよ?」
オーナーは右腕でカウンターに頬杖をつく。どこか艶めかしい。
「え? じゃあ一体、どうやって吸収するんです?」
「そりゃ……サキュバスなんだから、精液に含まれる魔力が一番吸収されやすいの」
オーナーは少し躊躇ったものの、はっきりと言ってみせる。
「あっ……」
デリカシーがなさすぎたか。弁解したほうがいいだろうか? 刹那の間にさまざまなことが脳裏をよぎり、俺は口を開けっ放しにしたまま固まっていた。
「気にしなくていいよ。別にそういう種族なんだしさ」
本当にそうなのか、表情を取り繕っているのか。俺にはわからない。
「なら良かった……」
安堵すると、途端に瞼が重くなってきた。飲みすぎたか。
必死に瞼を押し上げると、顔を上げる。
「大丈夫? もう帰る?」
オーナーは心配そうに俺のことを覗き込んだ。
「ああ、帰るよ」
俺は、寝てしまわないようにカウンターのスツールから少しふらつきながら立ち上がる。
その間に、オーナーはレジスターを操作し画面に支払金額が表示される。
俺は紙幣の肖像を確認する余裕もなく、数枚乱雑に取り出しカルトンへと乗せた。オーナーは肖像を確認しながらレジを打つが、突如としてレジスターから異音が聞こえた。
「どうしたんですか?」
「ああ、ちょっとレシートの紙が切れちゃってね。ちょっと待ってて」
オーナーはレジの下にある棚を開き、中を漁るが動きが止まった。
俺は少し気になり失礼を承知でカウンターの中を覗き込む。
オーナーが持っていたのはレシートロールと一枚の紙。その紙には一人の女性が描かれている。
視線に気がついたオーナーは慌てて立ち上がりレシートを交換し始めた。
「今の紙は、少し前にオカダ社長がいらっしゃったときにもらったものなのよ。貼っててほしいって」
オーナーはまるで世間話であるかのように、レジスターを操作しながら語った。
「ちょっと見せてもらっていいですか?」
俺は気がついたらそんな言葉を口にし、レジ横に置いてあったその紙を奪い去るように手に取った。
『探しています。カスミ・ハナダムラ』
その下には、地球人の女性が描かれている。さすがにどこの地域の人なのかは、俺にもわからない。さらにその下には詳細な情報が書かれている。日本人女性であること、オカダの経営する会社の社員であること、そして一年ほど前に失踪していること。
少し前に来て未だに探しているということは、よほど有用な人材で手放したくないのだろう。
だが、少し引っかかることがあった。なぜ社長本人が直接? 下っ端にやらせればいいだけの話だ。そもそも、いくら有用だからといってここまでするだろうか?
そりゃ警察に連絡くらいはするとは思うが、家族でもないのに……。
ん?
ここまでするなんて、まるで家族同然の間柄。まさか、彼は彼女を六人目の妻として……?
いや、落ち着こう。それに今は酔いも回っている。冷静な判断は明日にしよう。
俺は代金を支払い、その紙を借りたいという旨を伝えコピーを貰うと事務所への帰路へとついた。
一週間以内を目指したい。