表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

神様プログラマー

作者: 水吉

ネット上に彼を見ない日は無かった。

大手掲示板、SNS、オンラインゲーム、そのどれもで彼は頂点だった。

自ら全ての痕跡を消し去り、消えるまでは。




『神様プログラマー』




序章


彼は壁を見上げた。

感嘆する。見事なグラフィティアートだ。

最早、今の世の中ではクラシックな芸術品だった。今時、誰もこんな物を描かない。

だからこそ、これを芸術として寛容に受け入れる事はなくなってしまった。

惜しい事だ。彼自身はこういう絵は嫌いではない。だが法はそれを認めていない。そしてこの街の治安と、建物の持ち主も。

彼は長い前髪をうっとおしそうに揺らした。顔色の悪い青年だった。体つきも細く、色白で不健康な印象がちらつく。


二十六年前、首都だった東京を未曽有の巨大台風が直撃した。

首都直下型地震の数ヶ月後で、関東一帯はほぼ壊滅。遷都を余儀なくされ、首都は奈良に移った。

その後、東京は復興したが人口は著しく減った。奈良の繁栄と共に、東京の栄華は失われていき、今や台風前のビル群と台風後の住宅街が同居する奇妙な街になっていた。

技術は進み、しかし信仰は衰退し、そして一度壊れた街の治安は悪化の一途を辿った。


彼は駐車してあった車に乗り込み、指紋認証でエンジンをかけた。カーナビに行先を設定する。

サイドブレーキを下ろし、アクセルを一度踏み込む。それだけで車はゆっくりと走り出し、後はハンドルを握る必要も足を動かす必要もなかった。

赤信号で自動的に止まった車の窓から崩れそうな神社が見えた。

立派だったはずの石鳥居にツタが絡まり、苔生して緑色に染まっている光景は何とも形容しがたい虚しさがある。

彼は車中から両手を合わせた。車が再び自動的に走り出した。



その夜、器物損壊で逮捕された白髪混じりの中年男はしきりに口にした。

神を見た、と。




第一章



ことは二ヶ月前に遡る。

彼は朝早くから日が沈むまで、鳴り続けるインターホンにうんざりする生活をしていた。そして、それを無視し続けた。するとその来客は強行手段に出た。

マンションの管理人の声がすると思った。ドアをたたく音がけたたましかった。その中に低い渋みのある声が混じっていた。

うるさい。そう思っているうちに玄関ドアが開いた。オートロックのそのドアを開けられるのは彼以外には管理人のみだ。

珍しく昼から起きているというのに。折角のひとりを邪魔しないで欲しいのに。彼はリビングの床で膝を抱いたまま、忌々しく玄関の方を睨む。

ずかずかと容赦なく男が侵入してきていた。管理人は関わるのは御免だとばかりに去って行く。

彼は男を観察した。雑なオールバックと無精髭。目つきがあまり良くない。グレーのスーツを着ているが、ネクタイは緩くしか結んでいない。

大雑把で物怖じしない性格。三十路の半ばの独身。そんな感じだろうか。

一方、男もまた彼を観察していた。うっとおしく長い、顔の上半分を覆い隠す前髪はハサミを真っ直ぐ横に当てたようにカットされている。目が確認できないのは本能的に不信感を与えるものだ。

細く痩せて色白な青年だ。ラフなティーシャツにスウェット姿、ソファがあるのに床に蹲るように座っている。酷く神経質そうな印象がある。


「鳴海秋湖だな」


パシン、と小気味いい音を立てて紙が開かれた。


「不正アクセスの容疑で逮捕状が出てる」

「・・・」


彼にも色々と言いたいことはあったが、咄嗟に声が発せられなかった。長く人と話をしていなかったからだ。開いて見せられた警察手帳には東京府警公安部、大葉陣内、とあった。


「・・・どこまでが苗字?」


その第一声がこれか、と彼は自分に呆れた。同時に少なからず驚いてもいた。


「・・・大葉が苗字で陣内が名前」

「へぇ、変わってますね。どっちも苗字みたい」


よく言われるのだろう。刑事は顔を顰めた。ついでに、この恐ろしくマイペースに動じないガキは何なのか、と思っているはずだった。

彼は聞き取りづらいほど、ぼそぼそとした小さな声で喋った。加えて、口調には波がなく淡々としている。しかし、彼自身にしてみれば他人を前にして言葉を発しただけでも驚きだった。


「ハッキング如きで公安が出て来るんですか」

「否定しないのか」

「少なくとも警察に嗅ぎつけられるヘマをした記憶はありません」

「・・・あんたがインターホンに出てくれりゃあ、こっちだってこんな手は使わずに済んだんだ」

「それは申し訳ない。あなたがあの迷惑極まりないピンポンの犯人ですか」

「警察だっつってんのに全くもって動じない奴だな」


大葉は床にどかりと腰を下ろす。


「鳴海秋湖、」

「それ」

「あ?」

「その名前、嫌いなんです。ナルアキって呼んで貰えます?」

「なんで初対面のあんたをニックネームで呼ばなきゃならないんだ」

「初対面と言うなら、どうしてこの僕が初対面のあなたを家に上げなきゃならないんですか」

「・・・わかったわかった。それじゃあ、ナルアキさんよ。あんたには逮捕状が出てる。このままじゃ、逮捕されちまうわけだ」

「そうみたいですね」


ちらり、と前髪の隙間からナルアキの目が逮捕状を追う。


「取引しないか?」

「・・・取引?」

「あんた、一昨年大手ゲームメーカーを退職してるな」

「そうですね」

「理由は?」

「人間が嫌いだから」

「今は無職。そんな協調性の無い人間が再就職はほぼ不可能だ」

「特にする気もないですけど」


大葉は続いて、書類の束をローテーブルに置いた。


「あんたを拾いたい」

「拾う?公安が僕を?最初からそのつもりで逮捕状なんて用意したんですか?それは取引とは言わない。脅迫です」


ナルアキはぼそぼそと文句を言いながらも、断りなく書類の束を手に取った。

神様計画。赤い、極秘の判が押されている。それに怖じる事もなければ、遠慮も容赦もしない。



「あんたに、神様を作って貰いたい」



ナルアキの手が書類を捲った。


「統計的に、信仰心の低下と神社仏閣、教会の減少と共に犯罪は増加している」

「そうでしょうね」

「罪悪感がなくなるわけだ。法律が人間の心理に与えられるのは、しょせん罰則への恐怖だけだ」


ぱらり、と紙を捲る音が響く。


「日本の神は祟りの神です。日本の信仰心は祟りを恐れ、あの世と死を信じる所から来ていた。それが無くなると、つまり祟りもあの世もないと、死は恐怖ではありません。死体を穢れとすることはなく、恐ろしくもない。殺人も罪悪と感じない。ましてや、平均寿命が百近い時代です。死はファンタジーになってしまった。かつての日本人には深い宗教観がありました。日常に浸透しすぎた宗教観は一見、我々を無神論者に見せていた。しかし、心の奥底では誰もが祟りを恐れ、穢れを知っていた。それが今はどうです。神社を潰すことに躊躇いはない。家を建てるのにお祓いはしない。これでは治安も悪くなるわけです」


大葉は目を剥いた。そして、確信した。この男しかいない、と。

淡々として長い口上を述べたナルアキは、その言葉の端にすら感情を滲ませなかった。しかし、内容自体は非常に激情的に思える。


「あんた、随分な変わり者だとは聞いてたが・・・」

「僕は今だって、神社を見れば手を合わせますよ。時代に飲まれて人でなくなるのは御免ですからね」


人が嫌いだと言いながら、人でありたいと言う。否、だからこそ嫌うのだろうか。神を持たない今の日本人が、彼には人に見えないのかもしれない。

神とは、人が人である為に生み出した存在なのだから。

ナルアキはさらに紙を捲る。


「それで?何か考えでもおありですか?」

「受けてくれるのか?」

「さぁ?」

「あんたな、」

「僕は気まぐれなんです」

「・・・構想はまだない。そういう技術的な話は専門外だ。ただ、何とかしてその、神を信じさせたいわけだ。オカルト的なネタでも良い」

「そこでプログラマーのもとへ話を持って来るあなたも相当な変わり者ですね。しかし、発想は素晴らしい」

「あ?」


ナルアキの手から書類の束が投げ出される。ばさり、と音がした。

賭けに勝った。そう思ったのは、果たしてどちらだったのか。


「シソさん、この出会いは奇跡かもしれない」

「シソ?・・・大葉だ!」

「警察、か・・・。ふふ、その発想は無かったなぁ」


ナルアキは立ち上がる。ふらふらとリビングから出て行ったかと思えば、黒い小さな塊を持って戻ってきた。


「僕は技術者です。僕が作りたいと思う物を使いたいと思う人がいるなら、それに勝る喜びはない」


ナルアキは大葉の前に座り込んだ。両膝を立てて、所謂体育座りをするのが癖であるらしいこの青年は、引き籠りという言葉が酷く似合う。

ふたりの間の床に小さな物体が置かれる。


「何だ、これは」

「ブート」


ナルアキの声に反応して、物体から光が放たれる。ホログラムモニターの投影機だ。

ただし、普通のそれとは違っていた。直方体が投影機の上に浮かんでいる。何の変哲もない直方体。しかし、完全立体の3Dだった。


「まだデータが空ですから、これしか出ませんけどね。ちゃんとしたモデリングを入れれば、ホログラムの人形が出来ます」

「これ、あんたが作ったのか」

「どうして3Dのホログラムが実用化しないか、おわかりですか?」

「さぁな」

「これを、どこに使います?」


ナルアキは質問に質問を重ねた。大葉が気分を害したような目をすると、口元しか見えない顔でくすくすと笑った。


「これを開発したのはとあるゲーム会社です。ところが、これを使う場所がなかった。これを娯楽として売り出す為の企画が動いた矢先、ある事件によって企画は頓挫、中止になりました」

「事件?」

「今はある事件とだけ言っておきます。あなたの事を信用していいのかわからないので。そこで社は他の使い道を考えました。ところが、それもうまくいかなかった。テレビやパソコンに使えないのは明白です。あれは2Dだからこそ、見る方も作る方も便利なんです。全ての映像を3D化しようとしたら、金も時間もキリがない。見るのも疲れるでしょう?」

「そうだな」


例えば、アクション映画を立体的に広がるフィールドで展開されても、カメラワークも何もないそれは楽しめないだろう。


「衣料品店のディスプレイに、という声もありました。ですが、コストパフォーマンスはマネキンの方が遥かに優秀ですし、ああいうのは実物を展示出来なければ意味がない」


映像を展示したのでは、通販と変わらない。


「自動車のナビに搭載しようというのも却下でした。金と時間がかかりすぎて、刻一刻と変化する道路情報の更新に追いつけなかったんです」


大葉は頭の中にイメージを広げながら、ナルアキの話を黙って聞いた。その金と時間、がどれ程の物かはわからないが、商売としてはバランスが悪かったのだろう。


「唯一、マシだったのは遊園地のアトラクションですかね。悪くない出来だったんですが、遊園地は随分昔から平面立体の映像を使っていましたから、あまり変わり映えがしませんでした。乗り物に乗っていると余計にそうです」

「平面立体って、あれか?3D映像って奴か?」

「えぇ。これの前でそう言うと何だかややこしいですが、多方向から撮影した映像によって立体的に飛び出して見える、というあれです」


ややこしい、というよりこの立体物の前ではいっそ滑稽だ。


「結局、コストで負けて普及しませんでした。箱物はどこも維持が大変ですからね。それから、セラピーロボットって言うんですか?あれも駄目でしたね」

「セラピーロボット?」

「介護施設なんかで使われる、癒し効果のあるペットに代わるロボットです。これは触れられない、というのがネックでした」


ナルアキは自分でも驚くほど饒舌だった。人と関わるのが久しぶりで、恐れよりも脳から溢れ出す思考を止められず、口が動いた。

大葉にはどうにもそういう、ガサツながらも親しみやすい雰囲気がある。人と対面してこんなにも言葉を交わせるなど、常ならば考えられない事だった。


「存在しても触れられないというのは、想像を絶するストレスになります。そんなものは娯楽として本末転倒ですし、無い方がマシなんです」

「だが技術的には充分現実なわけだ」


大葉が言いたい事はわかる。簡単にその正体が知れては怪奇にならない。怪奇は正体が知れないからこそ、その効力を発揮するのだ。


「大丈夫ですよ。この子は必要とされない。公開はされませんでしたが、この会社の失態は噂レベルで業界中に広がった。多くの会社が3Dホログラムの開発中止を決定するような赤字を出したんです」


ナルアキは機械をこの子、と言った。それは、技術への愛情だろうか。


「あなたは、僕を必要として来たのでしょう?僕を舐めないで下さい」


要はオカルトが用意されていればいいのだ。その実は江戸の昔ならば、水墨画であったり、布きれでも構わなかった。

例え、今それを再現するにしても明確さは必要ない。別に、ホログラムだと疑われても構わない。証拠さえ捕まれなければ、それまでは怪奇として機能する。

大葉は直方体に手を伸ばした。すり抜ける。ジジ、と一瞬画像が乱れ、それを感知した投影機が再び鮮明な形を取り戻すべく、立て直す。一般的なホログラムモニターと同じだった。

確かに、このリアルさで愛でるべき形をしたものが目の前にあって、触れられないのはストレスかもしれない。しかし、オカルトではある。


「ゲーム業界は随分昔から、リアルな動きを追及するために人間のモーションをデータ化してきました。それを使えばあたかもそこにいるような神様になります。AIを入れることで、動作の矛盾や不自然を払拭し、人間との交流も可能です」


シャットダウン、ナルアキがそう呼びかけると、直方体は姿を消す。

大葉は投影機を手に取った。直径は二センチほど、厚さ五ミリぐらいの丸いボタンのようだ。大体、碁石ほどの大きさだろうか。


「僕はずっとこれを使う場所が欲しかった。娯楽ばかり考えていましたが・・・。ふふ、そうか、警察か。その発想はなかったなぁ」


ナルアキのその笑い方が、大葉には何故か、どことなく、哀れなように見えた。

僕が作りたかったのは神様だったんだ、小さな呟きを大葉は逃さず、確かに聞いた。


「シソさん、友達いないでしょう」

「あぁ?!」

「こういうのやらされてる人って友達いない人なんですよね」

「そりゃ、あんたの実体験か?」

「確かに僕も友達いないですよ。だからこんな馬鹿げた話に乗ってあげるだけのネタを持ってたわけですし」


床の上にころり、と居座る機械は、いわばナルアキの孤独の結晶だった。


「あなた、馬鹿にされてるんですよ」

「やれるんだろ?」

「やれますよ。やれるんだから、やってやろうじゃないですか」


ナルアキがにやり、と笑った。それは彼が初めてまともに見せた感情の姿だった。





次に大葉がナルアキのもとを訪れたのは二週間の時を空けてからだった。

まさか、インターホンを押して玄関ロックが内側から外されるとは思っていなかった。

一階ロビーで押したインターホンに反応はなかった。危機感もなにもないナルアキから押しつけの様に教えられた暗証番号を入力して中に入った。

エレベーターで最上階へ。玄関にも付いてるインターホンを押したのが、たった今。

そして、電子ロックが解除される音が聞こえた。ここは暗証番号と指紋認証、網膜認証でロックされているので無反応なら諦めるか、管理人を呼ぶしかないと思っていた所だった。


『どうぞ』


聞こえたのは知らない声だった。よく通るものの、覇気なく話すナルアキのそれとは明らかに違っていた。

大葉は首をかしげる。友達がいない、と言っていたあの青年の体育座りが脳裏に浮かぶ。

だが、玄関を開いて、再び驚かされる羽目になった。意外と悪戯好きなのか、あの引き籠りめ。


『大葉さんですね、いらっしゃいませ』


大葉は文字通り、唖然とした。

言葉をなくした。

目の前に立っていたのは長い金髪をポニーテールにした、創作和服のような恰好の美青年だ。向こう側がうっすらと透けて見える。

その、透けた先に。


「いい顔だなぁ。早起きした甲斐があった」


ナルアキが廊下の壁にもたれて眠そうにあくびをした。

早起き、と言うが現在午後三時。大葉もそれなりに配慮して訪れたので早起きにはほど遠い時間のはずである。


「なんだ、これは」


これ、と大葉は目の前の透けた青年を指した。


「神様プロトタイプってとこですかね。立ち話もなんですからどうぞ?」


気だるげにふらふらと奥の部屋へ向かうナルアキに神様プロトタイプ、はついて行く。

よくよく見れば移動しているのは投影機本体なのだが、きちんと合わせて動く手足や、なびく髪と服が妙にリアルだった。

先日よりも散らかったリビングに入ると、ナルアキはソファに膝を抱えて座った。

大葉はまだ二度目の来訪だったが、遠慮もなくその隣に座った。

じっと立っているプロトタイプが気になった。勿論、彼は立っているわけではない。そういう映像なだけなのだが視線すら感じる気がした。


「あれからとりあえず、作ってみましてね」


膝を抱えたまま、ちろりと前髪の奥の視線だけを動かしてナルアキは話をはじめた。


「天花」


ナルアキが呼ぶと神様はふたりの目の前に立った。


「移動できるように、投影機に小型のローラーを入れました。その分、サイズアップは否めなかったんですけど、まぁ問題ない大きさでしょう」


大葉は天花の足元を見た。以前よりも厚みが増し、ふっくらと丸みを帯びた形に印象だ。まさに碁石そのもののようだ。

映像をホログラムで出している都合上、天花の足は床についてはいない。僅かばかり浮いている。


「喋ってたよな?」

「はい。シソさんの空耳じゃないですから安心してください。合成音声のデータを入れてあります。AIを搭載してあるので自分の意志で活動しますし、人語も解します。他にも、カメラ、マイク、スピーカー、臭気センサー、温度計、などが下の本体に入っています」


大葉がじっと碁石を見つめると、ナルアキは喉の奥で笑った。そして、そこを見ていても目は合いませんよ、と言う。


「一般的に、ホログラムモニターにはセンサーが搭載されています。例えば、手を突っ込んだりしてもそれを感知して立て直すでしょう?モニターの前で手を動かすと動きを読み取って動作したりもしますよね。あれを応用して三次元立体にしたものが入っています。全体のバランスを整えるだけでなく、周囲の状況をセンサーで感知していますので、人間が目で見ているのと変わりません。ですから、目線の位置や動きに不自然を出すことはありません。本体内のカメラは撮影や、望遠用だと思ってください。今は起動していません」


大人しく立っている天花は、顔を上げた大葉と目が合うとにこり、と笑った。


「ほとんど人間だな」

「この奇妙な外見と、物体に触れない事を除けば、そうですね」


ナルアキがスリープ、と声をかけると天花の姿は消えた。床の上に本体だけがぽつり、と残る。


「ここ三日ほど一緒に生活してみましたけど、我ながらなかなかのものだと思いますよ。邪魔にならない話し相手って感じですね」

「話し相手、じゃ困るんだが」

「わかってますよ。まだプロトタイプですからね。改良の余地はあります。機能面ではこれからプラスしていくつもりですが、本来の目的である脅しにはかなり有効な出来だと思います」


大葉は感心した。仕事が早い。本人にしてみれば、趣味に時間を費やしただけなのかもしれないが、二週間でこの成果は驚異的なスピードだ。

天才、という評価に偽りはなかった。


「なぁ、あんたが言ってた頓挫した企画って、」

「これの、もっと一般向けな感じですかね。AIを搭載したリアルな育成ゲーム。本当の我が子やペットのように、何年もかけて育てる日常に溶け込む娯楽。だけどもう二度と日の目を見ない」

「本当に?」

「疑い深いですね。僕がここにいる以上、もう二度と有り得ませんよ」


僕が作りたかったのは神様だったんだ、という彼の呟きが大葉の脳裡に過った。その企画において、ナルアキは重要な立場にいたらしい。そして今も、未練がある。

未練というものは安全とは言い難い。時に暴走するのだ。


「わかってると思うがな、先生」

「その先生ってなんですか?」

「俺にしてみりゃあんたは頭の良すぎる先生みたいなもんだ」

「はぁ、まぁいいです。そのかわり、シソさんって呼ばせて頂きますので」

「わかってると思うが、この計画は極秘事項だ。神様の存在は誰にも知られちゃならない」

「わかってます。その為に、前の会社にハッキングして色々データ弄っときましたから」

「・・・は?!」

「あ、ハッキング容疑だったんですよね。逮捕します?」

「したら困るのはこっちだ・・・」

「馬鹿じゃなくて良かったですねぇ、シソさん」


初めて会ったあの日から思っていたが、この引き籠り一筋縄ではいきそうもない。大葉はため息交じりに背を丸めて膝を抱えるその姿を見やった。

ナルアキが口元だけで笑うのがわかった。


「とにかく、計画の存在は公安でも片手で余る程度の人間しか知らない。あんたについては、俺しか知らない」

「それは助かりますね。シソさん以外の人にまで押しかけられては困りますから」

「だからあんたも、絶対に、」

「他言無用。厳密にせよ、でしょう?わかってます」


そう、この計画は人に知れては意味がない。要は都市伝説を作らなければならないのだ。

神は存在する。あの世は存在する。罪を犯せば神は見ている。それをこの国の人々に再認識させる事が目的なのだ。

神というものが、所詮ホログラムとデータで作られた玩具だと確信されてはならない。




第二章



季節は夏になろうとしていた。

ナルアキはぼんやりとテレビのニュースを眺めながらパソコン画面に表示された捜査資料をスクロールした。

あれから一ヶ月を経た。警察関係者でもなんでもないナルアキにとって、警察官である大葉は上司となった。奇妙な話である。

その上司から流れてきた捜査資料はナルアキにとって未知のものだった。一般人が捜査資料を見たことがあるはずがないので、当たり前の事だ。

こんな風に書かれているのか、と感心しつつもイマイチ理解できない。文章と写真で、現場の状況がわかるか、と言われるとプロの捜査官でも不可能ではないのか。


「ねぇ、天花」

『はい』

「現場百回ってほんとなんだねぇ」

『なんです、それ?』




大葉は携帯電話の着信音にデスクワークの手を止めた。

そこに表示された名前はここ一ヶ月余り、脳から離れなかった名前。しかし、決してこの画面に現れる事のなかった名前。


「珍しいなぁ、先生」

『ねぇ、現場連れてってくださいよ』

「捜査資料じゃ不満か」

『あれだけ見て理解できる人っているんですか?アームチェア・ディテクティブとかありえないと思うんですよね』

「・・・わぁったよ」


流石に、巻き込んだ側なだけあって、大葉には断る事など出来ようはずもなかった。

一応、ナルアキは今や大葉の唯一の部下であり、相棒であり、友人、と言っても良いだろう。唯一、繋がりのある人間なのだ。仕方なく、大葉は車を回し三度目となるナルアキの自宅を訪れた。

かつては相当な高額だったであろう、そのマンションには無駄に広い、ホテルのようなロビーがあった。

そこに設置された待合用なのか、住民交流用なのか、よくわからないソファにナルアキはいつものように膝を抱えてうずくまっていた。灰色の、やたらと裾が長いパーカーを着て、目深にフードを被っている。明らかに不審者だ。


「先生」


呼べば、ナルアキは気だるげに顔を上げた。無理もない。彼にしてみれば今は活動時間外だ。それもまた、彼からの電話に大葉が驚いた理由だった。


「夏はもう終了でいいと思うんですよね」

「まだ始まってもねぇよ。そんな暑苦しいもん着るなよ」


ふたりは車に乗り込む。

大葉は指紋認証でエンジンをかけ、カーナビに行先を設定した。サイドブレーキを下ろし、アクセルを一度踏み込んだ。


「あんた、車は持ってないのか」

「ていうか、免許持ってませんから。でもフルオート車だったら免許とかいらないと思いません?」

「思わん!あんたこの上更に無免許運転までやらかす気か!」




七件ばかりまわって、到着したのは閑静な住宅街だった。

台風で災害時の恐怖を焼き付けられた人々は高層マンションに住まなくなった。倒壊し、避難出来ずに何千と死んだ、その記憶が鮮明に根付いてしまっているのだ。

耐震強度に優れた日本の住宅も、飛来するあの隕石のような雹は想定外だった。窓ガラスが割れたマンションから突風に投げ出されて、多くが死んだ。

建売住宅が売れ、それなりに景気は良くなった。ナルアキが住むような、台風前は億の値もついたマンションでさえ買い手がつかず、値下がりの一途を極めた。

ここもそんな中で生まれた住宅街のひとつだろう。


「変ですよ」

「先生もそう思うか」

「三件目までは高級宝石店だったじゃないですか。どうして、四件目から急に商店街や住宅地の古い小さな宝石店になったんですか?」


ナルアキは周囲を見渡す。閑静で穏やかな住宅街の一角、スーパーや書店などが並び、小さな商店街の様になっている。

その中の宝石店が現場だった。


「連続宝石店強盗と位置付けた根拠はなんです?」

「手口だな。裏口の鍵を特殊工具で破壊して侵入してる。ゲソ痕のサイズも一致してる。ゲソ痕ってのはな、」

「足跡の事でしょ。オタク馬鹿にしないでください」

「まぁ、高級宝石店にはセキュリティがついてるだろ。それこそあんたの家みたいな」

「でも三件も入ってますよ」

「そうだな。三件成功させて、どうしていきなり方向転換したのか」


ナルアキは辺りを見渡した。

平日の昼間でも主婦が玄関を掃除しているし、郵便配達のバイクが走っている。

深夜なら誰も通らないだろうか。いや、確実にそうとは言いきれないはずだ。深夜に帰宅するサラリーマンだって少なくはないだろう。


「三件目を成功させて、次は四件目。勢いがつく頃だと思いません?急激に犯行頻度が上がったのはそういう事かと思ったんですが」

「そうだな」

「宝石店の方に、狙われた理由に心当たり、とかそんな聴取しました?」

「ああいう古い宝石店は昔の仕入れから残ってたりするそうだ。でかいとこになると売り切っちまうだろ」

「不良債権、ですか?」

「そこまでは言わないが・・・まぁ、そういう事になるか」


ナルアキは少し、考えるように顔を伏せた。


「そうですね。じゃあ、帰りましょう」

「は?もういいのか?後まだ、」

「僕らにはこの事件を捜査する権限がありません。それに、まだ捜査員がここに来る可能性があります。鉢合わせたら厄介じゃないですか」


そう言って、ナルアキはさっさと車の助手席に乗り込んだ。

大葉は何を今更、と思いつつも仕方なくナルアキの自宅へ向かって車を発進させた。


「ちょっと、考えてる事があります」

「へぇ、流石に頭はいいんだな」

「ですが、捜査に口出しは出来ません」

「よくわかってるじゃねぇの」

「僕らは神様計画準備室ですから、神様で対抗しましょう」


引き籠りかと思えば、現場に出たいと言い出し、少し現場を見ただけで考えがある、と言い出す。

中々に面白い。少々手におえない非常識さは感じるものの、こういう人間は得てして変わり者だ。


「明日の晩、やりましょう。迎えに来てくださいね」

「一日で出来るのか?」

「既に作ってある物をはめ込む作業だと思ってください」


大葉は面白い方の仕事に従事する為、帰庁してすぐ、つまらないデスクワークを処理した。





翌日、日が沈んだ午後七時過ぎに大葉はナルアキの部屋の玄関前に立った。インターホンを押せば、ピピ、という電子ロックの解除音に続いて、どうぞ、という合成音声が聞こえる。


「よう天花、先生は?」

『書斎です。どうぞ』


天花の先導について書斎に入った。

初めて入ったその部屋は大葉の予想以上に酷い有様だった。

資料と思われる書籍は散乱しているし、無差別に配置された書架は室内を迷路のように見せている。さして広くもない部屋であるはずなのに、そこにいるというナルアキの姿はどこにも見えなかった。

小さな機械である天花は隙間を縫ってするすると器用に進んでいく。しかし、大葉は本を踏まないように、書架にぶつからないように、と注意を払うのに骨が折れた。


「いらっしゃい、シソさん」

「先生、これはちょっと片付けた方が良い」

「そうですかね?」

「そうですよ。あんたみたいな人でも紙の本なんか読むんだな」


辺りを見渡す。古本屋でも開けそうな量だ。

ナルアキは部屋の最奥に設置されたデスクの前に座ったまま、チェアをくるりと回した。いつものうっとおしい前髪をカチューシャで止めていた。いつもそうしていればいいのに、暑苦しい、と大葉は思うが口にしない。

初めてまともに顔を見た気がした。二重の深い目元は涼しげで、意外にも整った部類に入る顔立ちだ。色が白いのがいっそ寒々しくすら見える貌をしている。


「古い本になると電子化されていないものも多いですし、紙はハッキングの恐れもありません。だから、警察だって未だに書類を使うんでしょう?」

「おっしゃる通り。流石、プロは警戒心が強いね」

「今回、神話関連の書籍をいろいろ集めたんです。一気に増えたものですから、収納できなくて」


ナルアキはキーボードの端のスイッチを押した。デスクの上にモニターが四つ出現する。


「その端の、見ててくださいね」


ナルアキはぱちぱち、とキーボードを叩いた。指されたモニターに捜査資料にあった足跡が再現される。


「これが、一件目から三件目までの現場の足跡」


足跡に人のCG画像が合成される。


「足跡にかかった圧力から計算してみました。これは靴全体に均等に体重がかかっています」


続いて、また別の画像に切り替わる。


「これは、靴の部分的に体重がかかっています」

「サイズが合わない?」

「そういう事です。女性の可能性が高いと思います」

「女が、サイズの合わない男物の靴を履いてたって事か」

「こういう事は鑑識でやっといて欲しいですね」


確かに、と大葉は頷く。このぐらいの事はもっと早くわかるべきだ。


「四件目以降、つまり商店街の宝石店が狙われ始めてからは別人の犯行って事か」

「歩幅や角度もひとつひとつ見ると明らかに違います。これは見込み捜査による警察の怠慢じゃないんですか?」

「耳が痛いね。盛大に」


ナルアキはデスクの引出から既に見慣れた機械を取り出した。

それを床に転がして、起動ワードを告げる。その声に反応して、映像が立ち上がる。

黒髪の愛らしい少女だった。巫女を思わせる格好をしていたが、やはり非現実的な衣装で穀物や宝飾品を飾っている。


神大市姫命かむおおいちひめのみことです。商売の神様で、市場の守護神です。ま、名前なんか何でもいいんですけど、この事件は商売の神様を怒らせるに余りあるでしょうから」

「強盗だからな」

「えぇ、まぁ・・・」


ナルアキは曖昧に頷いて、笑った。





ふたりは四件目の現場近くのバーに入った。

今しがた、四件目の現場に神大市姫命を仕掛けて来たところだった。

宝石店が見える窓際の席についたが、店内から外を見るのは窓の反射が邪魔で少々厄介だった。

飲酒するわけにはいかないので、大葉はウーロン茶を、ナルアキはスイカミルクのオーダーを出した。


「なんだよ、スイカミルクって・・・」

「イチゴミルクのスイカ版じゃないですか?」

「変なもん好きなんだな、あんた」

「よくわからないので頼んだんですよ」

「その無駄な好奇心はどっから来るんだ・・・」


ナルアキは席につくなり、ペーパーナプキンに大葉から借りたボールペンで何やら書き始めていた。

店内に入っても、彼は頑としてパーカーのフードを取らない。


「何やってんだ、先生」

「こうやって毎回張るのは大変ですし、都合よく場所に恵まれるとも限りません」

「そうだな」

「ですから、早速ですが改良案を」


ペーパーナプキンに書かれているのは大葉には理解できない記号や数字の羅列。まるで暗号だった。


「神様にはカメラとマイクがついてますが、撮影、録音用です。それをリアルタイムでライブビュー出来るようにすれば監視カメラ的役割も持たせられます。その為には回線が必要ですが、機密事項ですからハッキングが最も怖い所です。そこで、」


ナルアキは新しいペーパーナプキンを出し、わかりやすく図解した。

丸がひとつ。その下にいくつもの丸が線で繋がれる。


「固有のネットワークを構築します。他とは一切、回線をつなぎません。天花をホストとし、天花を通す事で初めてライブカメラを見れるようになります」

「神様同士のネットワーク?」

「まぁ、そうですが、神様たちから天花に繋がっている、というだけです。もしもの場合を考えて、他の神様同士、横には繋ぎません。ホストとなる天花は常に自動で回線を監視します。異常事態が発生すればすぐに察知できますし、万一の事態が発生すれば即刻その回線は切り捨てます」

「なるほどな。ところで」

「はい?」

「美味いのか?スイカミルク」

「・・・薄いですね」

「スイカだからな」

「もっとこう、シェイクっぽい感じなら美味しいかもしれません」


もう一度、なるほどな、と繰り返して大葉はウーロン茶のグラスに口をつけた。




午後九時過ぎ。バーの営業時間としてはまだこれから、という頃。

窓から見ていた宝石店から人が転がり出てきたのが、辛うじて確認できた。


「行くか」


結局、薄いと言っていたスイカミルクのグラスは空になっていた。

ふたりがバーの外に出ると、遠目ではあったが明らかに怯えた宝石店の店主がいた。すぐ傍に、呆然と立ち尽くす女性がいる。


「店主、だよな」

「はい。あれがターゲットです」


大葉には意味が分からなかった。

宝石店の店内に、神大市姫命の姿が見える。


「市姫には女性が来たら作動するように指示を出して、スリープモードにしてありました」

「んな、大雑把な・・・」

「良かったですよ。昼間に堂々と売りに来てたらどうしようかと思いました」

「おい、先生」

「早く通報してください。店主の様子がおかしいとでも言えば、充分です」


仕方なく、大葉は一一○をコールした。

ナルアキは宝石店の窓から目のあった神大市姫命に、口パクで上出来、と賛辞の言葉を贈った。




第三章



ふたりがナルアキの自宅マンションのリビングで顔を突き合わせて話し込んだのは翌日の夕刻だった。ナルアキはあくびをしながら、片手間に携帯ゲーム機の中の犬に餌をやっていた。

宝石店店主の自供により、共犯者も全て逮捕された。商店街宝石店連続強盗事件は、だが。


「あんた、何で宝石店の店主が共犯だってわかった?」

「シソさんも、四件目以降は別事件だってことは理解出来てたでしょう?」

「それはな」

「余りに鮮やかすぎると思ったんですよね」

「犯行が、か?」

「はい。侵入手口もそうですが、何のためらいもなくショーウィンドウを割ってますし、本当に堂々としたものだと思いました。四件目、いえ、一件目なのに」

「初めての犯行には思えなかった、って?」

「高級宝石店をやった犯人はわかりませんが、この犯人は初犯です。なのに小さいとはいえ、まるで店内に馴染んでいるかのようなすっきりとした迷いのない足跡しか残っていませんでした」


大葉は捜査資料の足跡を思い返す。昨日ナルアキと共に見直したばかりのそれはすぐに頭に浮かんだ。

言われてみれば、そんな気がする。


「ちょっと待て、自供前に初犯だって、あんた判断してたのか」

「だって、お粗末ですよ。男物の靴を履いていればわからないと思うなんて、やっている事の割に臆病だし、場数を踏んだ強盗なら有り得ない発想です」

「だとしても半分勘みたいなもんだ」

「そうですかね?まぁ、それはいいです。と、すれば店主が共犯ではないか、と思ったんです。売れ残っている宝石を根こそぎ持って行ってもらって、」

「保険金を取る」


大葉が言葉の端を繋いだ。ナルアキが満足げに笑う。


「そうです。金を山分けして、宝石は返してもらい海外経由辺りで売りさばいたんでしょう」

「犯行が続いたのは、あの店主が話を広げたってとこか」

「そうでしょうね。あの規模の宝石店ならどこも境遇は同じでしょうから」


大葉は傍らに立つ神大市姫命に目をやった。

愛らしい外見をして、絶大な効果を見せてくれたわけだ。


「それで、商売の神様を怒らせるに余りある、か」

「商売人がこんな舐めた真似してたんじゃねぇ、市姫」


ナルアキが話を向けると神大市姫命はこっくりと頷いた。


『思いっきり脅してやりましたわ』


くすくすとナルアキが笑う。悪戯な子供のように、楽しそうに。


「それで、どうしましょうか?」

「どうって?」

「高級宝石店の方ですよ」

「見通しは?」

「いえ、なくはないって言うか、全然ないって言うか・・・」

「どっちだよ!」


逮捕された犯人たちはそちらとの繋がりを否定した。ナルアキはゲームの犬に構うのをやめて、立てた膝に額を埋めた。どうやら顔を伏せるのは彼が考え事をする時の癖らしかった。


「専門外ですよ。やっぱり」

「は?」


ぱ、とナルアキが顔を上げた。その顔半分を覆い隠す前髪が揺れる。


「捜査班の出方を待ちましょう。これ以上、動きようがないかもしれないじゃないですか」

「海外逃亡」

「流石、鋭い」

「億単位で稼いでるんだ。その線は濃いだろうな」


ナルアキが立ち上がった。白い肌に細い身体に猫背。酷く不健康に見える。


「それじゃ、何かわかったら連絡くださいね」





邪魔にならない話し相手、そう言ったナルアキの言葉を思い出した。

大葉の目の前にちょん、と立った天花は一言も発しない。そういえば、ナルアキと話していて口を挟んできた事はなかったし、話を向けられない限りは何も言わない。

あの滑稽な逮捕劇から四日。事件が動いたと電話をかけた大葉は有無を言わさぬ勢いでナルアキに呼び出されていた。だというのに、この気まずい神様の前で待たされること一時間である。


「あれ、シソさん?」

「あれじゃねぇよ。自分で呼んどいて」

「・・・そうでした」


相変わらず、どこかふらふらとした覚束ない足取りでようやく現れたナルアキは大葉を見て意外そうな顔をした。

大葉は若干の怒りを覚えたものの、そんな些末なことで腹を立てていてはこの男とは付き合っていけないといい加減理解しているので諦める。


「それじゃ、お話伺いましょうか。天花、書斎で充電しておいで」

『はい』


天花が行儀よく、一礼して去って行く。何のために立ち尽くしていたのかよくわからないが、恐らく客の相手のつもりだったのだろう。

大葉は、ナルアキがソファに体育座りするのを待ってから話をはじめた。


「先生、ニュース見たか?」

「いつのですか?」

「昨日の、深夜のには出てたと思うが」

「見てません」


大葉は、ローテーブルに捜査資料と一枚の顔写真を出した。


「昨日、永田町で本来の四件目が起こった」

「高級宝石店でした?」

「あぁ。しかもな、警備員が射殺されてる」

「そう、ですか・・・」

「本題はこっからだ。警備員と揉み合ったようでな。皮膚片が出た」

「照合には時間がかかるんですか?」

「いいや、今は一日もあれば充分だよ。中国系窃盗団のDNAが出た。海外で逮捕歴がある」


ナルアキが膝に顔を伏せた。そのまま、くぐもった声で話し始める。


「顔素性は割れましたね」

「先生、こっから先は捜査班の努力次第だ。俺らの仕事の範囲じゃない」

「シソさん、そういう人じゃないでしょう?」

「は?」

「こうなったらもう、意地じゃないですか。刑事ドラマ、見ないんですか?」

「・・・こういう場面であっさり引く奴って脇役なんだよな」

「そうですね」


顔を上げ、大葉の目を見て、ナルアキは安心した。大丈夫だ。信用してもいい。この人は、自分と同じ性質の人間だ、と。


「ところで、Nシステムは調べました?」

「そういう報告はないな」

「どうしてです?」

「車は買うにも借りるにも身分ってもんがいる。国際窃盗団なら日本の免許は持ってない可能性も高いし、普通は調べないな」


まぁ、いいでしょう、とナルアキはため息を零して、再び顔を伏せた。納得はしていないが言っても仕方がないと諦めたようだった。


「僕は次の犯行があると思います」

「・・・なんで言い切れる?」

「勘です」

「あんたな」

「と言うより、希望です。そうでもないと捕まえようがないじゃないですか」

「次に狙われるところがわかってるならともかく、」

「待ち伏せれば良いでしょう?」

「どこにそんな人手があるってんだ。第一、俺たちは捜査員に指示を飛ばせる立場じゃない」

「何言ってるんですか?当たり前でしょう。わかってますよ」

「だったら、」

「だから、僕らは神様計画をやってるんですから、神様で対抗しましょうって言ってるんですよ」


ナルアキが顔を上げた。口元に笑みが浮かんでいる。

立ち上がり、書斎の方へ歩いて行ったかと思えば、片手に黒い山を乗せて戻って来た。大葉にも既に見慣れた、神様の本体だ。それがナルアキの掌に山となって重なっている。


「先日お話しした、改良案を実行してあります」

「それ全部、」

「これは空ですよ?AIもモデルも入ってません。ただ、彼らのネットワークには接続できます。カメラもマイクも使用可能です」

「そいつをばら撒いて、監視カメラにしようってか」

「そうです、その通り。店のカメラは事件が起こってからでないと見られませんが、僕らが僕らの落し物でたまたま見てしまったものは仕方ありません」

「落し物、か」

「はい。落し物、です」


彼らは顔を見合わせて笑った。悪戯な子供のような笑顔だった。





念のため、店舗正面と裏口に設置しましょう。監視カメラに写りでもしたらむしろ不審者ですから、注意してくださいね。

シソさんの声紋は登録してあるので、機械を落としたらスリープと言ってください。それでスリープモードに入り、待機します。

翌日、昼間の内にふたりで手分けして高級宝石店にアテを付けて回る事にした。

日光を嫌うナルアキは長い前髪に加えて、やはり頭からパーカーのフードを被っていた。こんな奴に不審者などと言われたくない、と大葉は心の底から思ったものだった。この姿格好こそ、どう見ても下見に来た犯人ではないか。


「あなたと出会ってから、僕は日中行動が明らかに増えています」


一通りの作業を終えた夕方、別行動だったナルアキを車で拾いに来た大葉に彼は開口一番こう文句を垂れた。

大葉はノリノリだっただろうが、と突っ込みたいのを抑える。夏嫌い、太陽嫌い、人嫌い、の三拍子揃った夜行性引き籠りが昼間に繁華街をひたすらうろつくのは堪えたのだろう。


「ちったぁ、人間らしくなっていいんじゃねぇの?」

「僕はいつだって人間です」


まるで子供のように幼い口応えの仕方に大葉は苦笑せざるを得なかった。

お疲れらしいプログラマーの先生に、買っておいた麦茶のペットボトルを差し出す。大人しく受け取ったナルアキは喉を湿らせながら、いつも通り覇気のない声を発した。


「昨日、あれからNシステムを調べました」

「は?どうやっ・・・」


て、と続く筈だった言葉は途切れた。どうせハッキングだ。この変人プログラマーのことだ。解析ソフトも独自開発している可能性がある。

ナルアキはポケットからモバイル端末を取り出した。薄いカードの液晶に触れ、ホログラムのセカンドモニターを立ち上げて操作する。


「これです」


ホログラムにNシステムの画面を一時停止した画像が出ていた。日付は昨日、犯行翌日だった。車が一台映っているが運転手の顔は見知らぬ女性だ。


「おい、これは」

「車じゃありません。歩道です」

「歩道?」


大葉は視線をずらす。かろうじて映りこんでいる歩道の奥、そこに四人の男が歩いていた。遠目で顔の判別は難しい。しかし男が四人、それは確かだ。

ナルアキが携帯電話を操作する。昨日、大葉が置いて行った写真を取り込んだらしいものが現れ、鑑識で見るのとよく似た解析が始まった。その四人のうちのひとりに、MATCH98%、という結果が出る。


「なるほど。そういう使い方があったか」

「防犯カメラの位置は把握して避けていても、これは失念している可能性があるんじゃないかと思いまして。東京中調べたんですよ。ひと晩かかりました」

「ご苦労だったな。それなのに睡眠時間に活動させて悪いね」

「本当ですよ」

「で、これはどこだ?」

「新宿です」


新宿、宝石店の数はかなり多い。先ほどの仕掛けも、一二を争うほど苦労したエリアである。だが、東京という街は地下鉄が張り巡らされている。誰がどこに出没してもおかしくないのだ。


「下見でしょうか?」

「それにしては間隔が狭い。一から三件目の犯行頻度は一週間以上は空いていた」

「焦っている?」

「何故?」

「ふふ、なんだかいつもと逆ですねぇ。海外逃亡の前にもうひと稼ぎってのはどうです?」

「悪くない。だが、だったらさっさと出て行けばいい」

「金に困っている、とか?」

「億単位の稼ぎだぞ」

「金に困る理由なんて星の数ですよ。ギャンブルとか、株とか、薬物とか、億ぐらいならいきそうですけど」

「新宿に潜伏してるって可能性も消えない」

「仰る通り。新宿を重点的に張る価値はありますね。僕、今日この周辺にも仕掛けてきました」


賢明だろう。犯行が行われなくても、新宿に潜伏していればそれに引っかかる可能性がある。


「天花が常時監視してます。何か見えたら、伝えてくる筈ですから」

「便利だな。張り込みもそうならいいのに」

「これもある意味張り込みですよ。でも、そうですね。僕は好きですよ。警察の人力主義な古臭い所」

「褒めてんのか、貶してんのか」

「褒めてるじゃないですか。かっこいいと思いますけどね」




ナルアキの自宅に帰りついた頃には傾いていた日はすっかり落ちていた。大葉は既に勝手知ったる他人の家、なので勝手に台所にも侵入する。冷蔵庫を開け、生温くなった飲み残しの麦茶を入れようとして、唖然とした。


「先生、あんた何食って生きてんだ」


ナルアキは天花と共に振り返った。


「冷蔵庫、空じゃねぇか」

「別に料理しなくても生きていけますよ」


確かにそうだ。その通りだ。ナルアキが夜行性とはいえ、このマンションから徒歩三分の所にはコンビニがあるし、もう少し足を延ばせばファーストフード店もある。だがこの状態は異常だ。

冷蔵庫にはミネラルウォーターもない。缶コーヒーもない。それどころか、ここの台所の綺麗さたるやまるでモデルルームだった。

いや、モデルルームのほうがまだ生活感があるだろう。鍋もない。塩も、砂糖も醤油もない。備え付けのキッチンに冷蔵庫、電子レンジ、これだけだ。これでは湯を沸かすことすらできない。

案の定、食器類もなく、そういえば書斎に紙パックのココアが置いてあった。この家で一度たりとも茶のひとつも出ないのがわかった。出しようがないのだ。


「人間の生活空間とは思えないな」

「シソさん、料理するんですか?」

「男やもめだからな」

「結婚しないんですか?黙ってたら女性ウケは良さそうなのに」


そう言った、何気ない言葉に大葉の目が動いたのをナルアキは見逃さなかった。


「黙ってねぇから、女ウケが悪いんだろうよ」


ナルアキは先の大葉の表情が気にかかったが、そうですか、と頷くだけにしておいた。





その日、初めてナルアキのキッチンは活用された。大葉が泊まる事になった為、夕飯を作ったのだ。


「外行って食べてくればいいじゃないですか」


とは、ナルアキの言だった。


「使えよ。こんなでけぇキッチンついてんだから」


とは、大葉の言。

無論、この家には米やパンといった炭水化物すら無く、大葉は一度駐車場に納めた車に再び乗り込み、買い出しに行く羽目になった。

それなら外へ出ても同じじゃないか、とナルアキは言ったが、身体に悪い、いい加減にしろ、と大葉に怒鳴られてしまった。とは言え、鍋や調味料から揃えるしかなかった。モデルルームよりも真新しいキッチンだったのだから。


「大したもんですね」


見ていれば、言うだけの事はある、とナルアキは感心した。強面と言っていいであろう見た目の割に、大葉の手は器用に動く。


「そういうのって誰から習うんですか?」

「特に習うもんでもねぇだろ」

「そうなんですか?」

「そうなんですよ。こういうのは見よう見真似と、常識的な思考力があれば何とかなるもんだ」

「じゃあ、僕には無理ですね」


見よう見真似も初めてなら、常識的な思考力が無い自覚もあるから。無駄口をお供に大葉はオムライスとわかめスープを完成させた。

スイカミルクやココアといったナルアキの飲み物のチョイスが子供っぽい事から判断したが、どうやら正解だったらしい。

体面型キッチンの向こう、ほとんど使った痕跡のないダイニングテーブルでナルアキはじっと大葉の料理する姿を見ていた。どうしてここまで気を使ってやっているんだ、と思いながら大葉はテーブルに食器を並べる。


「意外と普通に見えますね」

「意外とって何だよ」

「だってシソさん、大雑把そうに見えるから」

「俺は、あんたはもっと神経質そうだと思ってたよ」

「神経質ですよ」

「ある点に関しては、そうらしいな」


書斎は散らかり放題かと思えば、生活感はまるでない。

人と関わるのが嫌だと言いながら、大葉の目の前でこうしてオムライスをつついている。アンバランスだ。この街のように。ある意味で、非常に現代的な若者だと言えなくもないのかもしれない。


「うん、おいしい」

「味覚は無事なようで何よりだ」

「どういう意味ですか、それ」

「ファーストフードやコンビニ弁当ばっか食ってると味覚がおかしくなるって言うだろ」

「そうですかね?」


スプーンを動かしながら、ナルアキはちらりと前髪の隙間から大葉を見た。初対面の時に思ったより面倒見がいい。と言うよりは、人が好いのか。警察官などという人助けの仕事を選択した辺り、本質的に優しいのかもしれない。

顔と口調は少々キツいが、料理も上手いし、思考回路も面白い。何より、一緒にいて楽だ。


「人は見かけによらないって本当だなぁ・・・」

「あ?そんなに俺が不器用そうに見えんのかよ」

「いーえ、そういう事じゃないですよ」

「・・・?」


眉間に皺を寄せて不思議そうに、困惑げにする大葉にナルアキは思わず噴き出した。こんな風に、人と向かい合って作りたての食事を摂る日が来るとは思ってもみなかった。


「なんか、新婚さんごっこみたいですね」

「やめろ、気持ちわりぃ!!」

「あ、はは・・・っ」


ナルアキはあまりに無邪気に笑った。前髪の隙間から、その笑った目が見えた。あぁ、このガキこんな風に笑うのか、大葉は感慨深くそう思った。




それから三日。大葉は無駄に広いソファで夜眠り、ナルアキは無駄に広いベッドで昼眠る、という状態が続いた。

ふたりは夕食だけは大抵共にした。ナルアキは朝食は取らず眠りに就き、昼は寝ている。夜食も摂らず、つまりは一日一食しか食べない。その一食にも執着していないのだから、痩せているわけだ。


『いました』


時折、クレイドルに乗りながらもフル稼働していた天花がそう口にしたのは台所新品事件から四日目の夜明け前だった。書斎でひと晩中プログラムを打ち込んでいたナルアキはその声にキーを叩く手を止めた。


『死体です』


無駄口を叩かない天花はナルアキにとって非常に都合のいい同居人だったが、要領を得ない事が稀にあった。もう少し、日常生活を共にすればAIが言語を学習してその不都合も徐々に解消されていくだろう。


「・・・死体?何が?」

『照合された男性が、殺されました』


思わず間抜けに聞き返したナルアキに、天花は平然と、いつもの調子で答えた。ガタン!いつになく乱暴にデスクチェアから立ち上がったナルアキは神様と電子機器を接続するクレイドルを引っ掴んで、書斎から飛び出した。


「シソさん、出ました。起きてください!」


リビングのソファで仮眠していた大葉はその声に目を開いた。職業柄、目覚めは優秀だ。


『新宿の宝石店です』


大葉はすぐさま、財布とモバイル端末だけをポケットに入れた。ワイシャツにスラックスという恰好で、背広は着ていなかったがこの際どうでもいい。

ナルアキが天花をスリープモードにして拾い上げた時には、既に玄関に向かっていた。流石の素早さである。地下駐車場に急ぎ、車に乗り込む。大葉はカーナビに触れず、すぐにアクセルを踏み込んだ。


「まさか、手動運転ですか?」

「自動じゃ法定速度しか出ねぇし、赤信号にも止まっちまうだろうが!」

「いや、でも」

「あんた手動の車に乗った事もねぇのか」

「ないですよ。僕これでも二十代ですから」

「あぁ、そうかい。安心しろよ、警察じゃ日常茶飯事だ」


大葉は運転席と助手席の間のセンターコンソールについたスイッチを操作した。ルーフの上に赤いパトランプが出る。が、音と光は出さない。警察車両だとはわかるが、犯人に接近を悟られることは無いというわけだ。

路上を走る大半の車は自動運転だ。緊急車両の接近には避けるようになっている。普段はランプが出ていない大葉の覆面パトカーも今は立派な緊急車両だった。

だが、安全かつ穏やかな自動運転しか知らないナルアキには辛いものがあった。いくら時間的に車も少なく、その少ない車も避けてくれるとは言え、この揺れは考えられない。


「先生、天花連れて来たんじゃねぇのか?」

「え。あぁ、そうでした」


すっかり失念していた。ナルアキは天花と携帯電話を繋ぐ。ホログラムのセカンドモニターに現場映像を映し出したが、如何せん揺れで画面が見辛い。

辛うじて確認できた犯行の瞬間はばっちりと、仲間割れの口論する様子と射殺の瞬間が映っており、残りの犯人の顔も捉えていた。


「歯がゆいですねぇ、これを証拠に出来ないなんて」

「・・・そうだな」

「射殺ですよ。頭を一撃です。シソさん、銃持ってます?」

「あぁ、ダッシュボードにある。出しといてくれ」


言われた通り、ナルアキがダッシュボードを開けるとそこにはティッシュやサングラスと一緒に無造作に放り込まれた拳銃があった。それを恐る恐る取り出しながら、ナルアキは横で速度違反の運転をする刑事を見やった。


「刑事さんって常に銃携帯してるもんなんですか?」

「今時、当たり前だろ」

「拳銃携帯令とかが出てから持つんじゃないんですか?」

「・・・あんた二十代だっつった割に、いつの時代の刑事ドラマ見てんだ」

「面白いですよ。昭和とか平成とか」

「ありえねぇよ。こんだけ治安の悪い時代にんなまどろっこしい事してられっか」

「でも、今時リボルバーなんて。言ってる事の割に物は骨董品じゃないですか」


大葉は眉間に皺を寄せた。


「詳しいな」

「だから、昭和平成の刑事ドラマ見てるんですってば」

「オートマは信用してない」

「どうしてです?」

「万一、不発が出ても、リボルバーはシリンダーを回せば撃てる」

「古いですねぇ。どこぞのアニメのガンマンが同じような話をしてた気がしますが」

「・・・それこそ古いだろ」

「馬鹿にしないで下さいよ。往年の超名作じゃないですか」


リボルバーのニューナンブが現役だった時代。まだ日本人の心に神がいた時代。この国が、世界で最も安全な国と言われていた時代が確かにあったのだ。


「一緒に弾入ってるだろ?四発しか入れてねぇから装填しといてくれ」

「いやいや、流石に冗談じゃないですよ!」

「なら四発でいいか」

「几帳面かと思えば、存外適当ですね。A型じゃないんですか?」

「血液型か?Oだよ」

「あー・・・」

「あんた、ABだろ」

「なんでわかったんですか」

「誰がどう見たってあんたはABだよ」


程なくして、車は件の宝石店につけた。十分は経っているだろうか。警報機は鳴り響いていたが、まだ捜査員は駆けつけていないようだった。

ふたりは車を降りずに、窓から店の前で血を流す犯人を見た。近づくとカメラに映る可能性がある。強盗を犯し、人を殺し、最期は仲間割れでこの世を去るなどお粗末な人生に思えた。


「相手は徒歩だ。まだ遠くへは行ってないはずだ」

「えぇ、追いましょう」


ナルアキはモバイルを再び取り出し、周辺地図を出した。どちらにしろ、いつ捜査員が駆けつけるかもわからない。神様計画準備室は公安の中でも機密組織であり、その存在を匂わせる事すら出来ない。


「路地に入ってたら、車じゃ追えないな」

「それは有り得ません。犯人は地元に何年も住んでいるわけではない。たかが数ヶ月です。夜明け前の暗い路地に土地勘もないのに入るわけがない」


ナルアキはモバイル端末の周辺地図から細い路地を除外指定、残る大通りだけ赤く色を付けて表示させた。


「数ヶ月の土地勘、下見から警察署や交番は確認済みのはずです。次の信号を右折してください」


大葉はその指示を信用して、ハンドルを切った。ぐらり、と乱暴に揺れる車内にナルアキは眩暈を覚えつつ、何とか画面を見る事に集中する。

そのわずか先で、大葉の目が犯人らしき男たちを捉えた。皮袋のような物を持っている。恐らく、今日の獲物だろう。


「すぐそこに交差点があります」


その言葉の意味を正確に解した大葉は再び、ハンドルを切った。交差点の、横断歩道から歩道上に乗り上げるような形で斜めに車が停止する。

犯人たちの足が止まった。横はビル群だ。逃げるには植え込みを越えて道路に飛び出すしかない。ナルアキと大葉は車を降りた。かつん、と音がした気がして、一瞬大葉の気がそれた。

ガウン・・・!

その隙を狙うのは常套だ。大葉は咄嗟に身を縮めたが、開きっぱなしだった運転席のフロントガラスは割れた。あの銃は古いトカレフだ。中国経由での密輸が多い。そこに、ナルアキが車の後ろ側を回ってやって来ていた。


「これ、経費で落ちるかな」

「始末書書けば落ちるんじゃないですか?」

「苦手なんだよなぁ」

「でしょうね」


この状況にしては呑気な会話だと、ナルアキは意外と冷めた自分の頭に驚いていた。


「先生、あんた運動神経は?」

「良さそうに見えます?」

「全っ然」

「ご明察です」


二発、三発、四、五、六発、七発。トカレフの装弾数は八発。銃声を数えて大葉は車の影から半身を出した。

骨董品の銃の引金を引く。再び銃声がして、弾切れに慌てていた犯人の足を撃ち抜いた。

ナルアキは、そっと車体の端から顔を覗かせる。倒れているのがひとり。何か喚いているのがひとり。あれは恐らく銃などは持っていないのだろう。

ふたり?あの映像を思い出す。ひとりは死んで、いや、確かそいつを殺したのは・・・、


「   !」


中国語が背後から聞こえて、ナルアキは腕を引かれた。太い筋張った腕がぐ、と喉元に回される。耳元でガチ、と嫌な音がした。


「先に逃げたのが居やがったか」

「   !!」


奴はもう一度、同じ言葉を吐いた。中国語は理解できなかったが、恐らく銃を下ろせ、辺りだろうと大葉は大人しく愛銃を足元のコンクリートに投げた。何せ、トカレフには安全装置がない。一瞬で殺れるのだ。

がしゃん、と銃がコンクリートに落とされる音がした後、ナルアキの首はさらに締め付けられる。

大葉の横を仲間のふたりが撃たれた傷を庇いながら通り抜ける。よっぽど飛びかかって確保してやろうかと思ったが人質の命が最優先なのは言うまでもない。

ここまで来て取り逃がす訳にはいかない。時間もない。いい加減、捜査員が追跡し始める頃だ。ここはすぐに見つかる。犯人にとってもそうだろうが、自分たちにとっても、捜査員に見つかるのは避けたいのだ。

その時だった。

危機的状況のはずのナルアキが、ニィ、と笑った。


「  !!」


ナルアキを抑える男の顔が驚愕に見開かれた。

そして、急にナルアキを開放し、大葉に銃を向けた。大葉は咄嗟に身を屈めたが、車の角度的に最早遮るものは無い。だが、そんな懸念を余所に弾丸はしゃがみこんだその遙か頭上を通過した。

銃口が向いていたのは大葉の向こう側。捜査員が来たのかとはっとしてフロントガラスのなくなった、開けっ放しの運転席の窓から背後を見た。

果たして、そこにいたのは捜査員ではなく。


『愚かな子』


静かな、しかし凛とした女性の声が響く。聞き覚えのあるその声に、大葉は車を降りた時に自分の気を逸らしたあのかつん、という音を思い出した。

神大市姫命だ。あの音はナルアキが本体を落とした音だったのだろう。種を知っている大葉でさえ、ぞっとする程に暗い中にうすぼんやりと浮かび上がるホログラムの女神は不気味だった。

神様はその存在感を出す為、あえて平均的な人間より少し大きめに作ってある。女性型の神大市姫命でも、ナルアキより背が高いぐらいだ。流石に存在感があり、その容姿も相まって目を引く。


『そなたたちは祟らるる』


言葉は通じていないだろう。更に言えば、中国人の宗教観が如何ほどのものかわからない。第一、彼女は日本神話の神だ。だが、この雰囲気だけでも有り余るだろうと思えるほど、恐ろしく、そして荘厳に見えた。

女神は両手を真っ直ぐ前に伸ばした。その掌から、無数の宝石がざらざらと溢れては消えていく。そして、掌から溢れるものは宝石から血に変わり、彼女はうっそりと笑った。

実体がなく、物に触れる事も叶わない神様に、銃弾など通るはずがない。やがて弾切れが訪れた銃は、引金を引けどもかちかちと虚しい音を立てるだけだった。

大葉はそこを確保しようと立ち上がりかけたが、男は弾の切れた銃を捨て、ポケットからもう一丁、取り出した。

まずい、そう思った瞬間だった。ぐったりと座り込んでいたナルアキが急に顔を上げた。

バシン、とそんな音が聞こえた気がした。ナルアキを捕えていた大柄な男の体が傾き、倒れる。大葉は急いで愛銃を拾い、最後に残ったひとりが同じく一丁残った銃を拾おうとするその手を、撃ち抜いた。

振り返ると、神大市姫命が真っ直ぐに伸ばした両腕を下ろし、穏やかに微笑みながら消える所だった。


「先生、大丈夫か?」


駆け寄って、ナルアキを支え起こすと、彼は不快そうに男に触れられていた首元を擦った後、何事もなかったかのように笑った。


「助かりました。いい腕してるんですね」


あまりにけろり、とした様子に大葉は深くため息を吐いた。安心と、呆れと、感心と、そんな所だ。愛銃を背広の内ポケットに納める。


「射撃のオリンピック候補になった事があるんだ」




第四章



割れたフロントガラスもそのままに、ふたりが今や本拠地とも言えるナルアキのマンションに帰りついたのは空が白みはじめた頃だった。

大葉は馴染みの修理屋に連絡し、近くに路上駐車した車を勝手に持って行って修理しておいてくれるよう指示した。

ナルアキは疲れが見て取れたが、怪我もなく、落ち着いたものだった。むしろ、時間的にそろそろ就寝時間なのだろう。あくびを繰り返していた。

あの時、ナルアキは初めからもう一丁の拳銃の存在を危惧していた。

宝石店で殺されていた男は警備員を殺している。そいつは銃を持っておらず、何より大人しく撃たれて死んでいた。つまり、奴が持っていた銃を別の誰かが持っている事になる。

それが二丁のどちらかである可能性もあり得たが、念のため三丁目の存在を考えておくに越したことはなかった。


「種明かし、して貰おうか?」

「えー、と。何がわからないんですか?」

「市姫に何させた?」


ナルアキはきょとり、とした。何を言っているのかわからない、と言うように。


「だから、」

「シソさん見てたじゃないですか。市姫は出てきて犯人を脅しただけですよ」


今度は大葉が困惑する番だった。ならばあれは何だったのか。ナルアキを人質にしようとして倒れた男は、感電していたのだ。


「あぁ、そういう事か。あれは天花がやったんですよ。市姫はタイミングを合わせて芝居を打っただけです」

「天花が?」

「確かに神様には電子機器を操作出来るだけの微弱な電波を飛ばす機能を与えてますけど、市姫のあの距離から人を感電させるなんて不可能ですよ」


ナルアキはローテーブルに天花の本体を転がした。


「あの時、僕はあいつの靴の中に天花を放り込んだだけです。天花は自分の燃料をスタンガンのように放電させた。お陰で充電が空ですよ」


ころり、とテーブルに鎮座した天花は無反応に黙っている。その横に、神大市姫命を並べた。


「ふたりとも、よく頑張ってくれました」


大葉には同じ碁石が並んでいるようにしか見えない。だが、ナルアキにはその区別がついているらしかった。


「見分けがつくのか」

「ふふ、シソさんにもその内わかるようになるかもしれません」

「教えろよ」

「そうですねぇ、犬の鳴き声ってみんな違いますけど、そういうのって実際飼ってみるまでわからなかったりするんですよね」

「は?」

「そんな感じです」

「わかんねぇよ」


ナルアキは酷く機嫌がいいようで、くすくすと笑っていた。


「ねぇ、シソさん」

「あ?」

「僕ら、結構良いコンビだと思いません?」


大葉にしてみれば、奇妙なガキだ。

天才的なプログラマーで、頭の回転がいいオタク。引き籠りかと思えば無駄な好奇心で現場を見たがったり、意外と活動的だったり。

人間嫌いと言いながら、こうして無邪気に懐いて見せる。書斎を片付けられない人間臭さに反して、生活感が皆無の台所。

若いくせに古いドラマが好きで、技術の最先端を走っているのに古きを温めている。歳の割に達観しているかと思えば、子供染みた点を隠そうともしない。

膝を抱えて座ったり、考え事をする時に俯いたり、所々にある変わった癖。加えて、うっとおしい前髪に痩せた体躯に夜行性。

友人にするには最悪だ。知り合いに持つのも出来れば避けたい。

だが、


「そうだな、先生」


相棒にするには、変り者の方が面白い。


「末永く、よろしくお願いしますね」

「キモい言い方すんな」


ナルアキはけらけらと笑いながら、軽い足取りで寝室へ引っ込んだ。

陽が昇った。大葉の一日が始まる頃、ナルアキの一日は終わるのだ。





「先生、あんたマジで捕まりたいのか!」

「シソさんいい所に来ました。これ、どうやって使うんですか?」

「あ?コーヒーメーカー?」

「コーヒー作れるんですよね?この間、シソさんが買って来てくれたカップ、使おうと思って」

「んなもん、コンセント繋いで水と粉入れてスイッチ押せば・・・、先生!!」

「はい?」

「俺の車勝手に乗っただろ!無免許運転だっつってんだろ!!」

「だって昨日の落書きの現場、遠かったんですよ」

「呼べよ!」

「ついこの前、俺はあんたの運転手じゃないって文句言ったのはシソさんじゃないですか」

「いや、それは・・・あんたに迂闊な事言えねぇな」

「はい、気を付けてください」

「そうじゃねぇよ!大体、指紋どうやって・・・勝手に登録したな?!」

「消しても無駄ですよ。ナビはネットに繋がってるんですから。余裕ですね」

「あんたマジで逮捕すんぞ!!」




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 主人公の、自分の作ったものを活かす場を求めていたというところが、自身の関わってることが本当に好きな類の技術屋のように見えました。 [気になる点] 全体的に尺が足りないこと。全体的に薄いこと…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ