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36. エピローグ

「ふぁ……」


 荘厳な雰囲気の神殿の中で、俺はあろうことか大あくびをかましかけ、慌ててそれを飲み込んだ。

 飲みこんだそれが、今度はげっぷになりそうな気配を察知したので、それも堪える。


 ひとりで顔を忙しくしていたら、真剣な顔で陣を確認していた神官に見つかり、じろりと睨まれた。

 ついでに、俺を見守るために来てくれた、アメリアたち三人や、ついでにトビアスさんにも、「なにしてんだ」という呆れ顔で見られた。

 うぅ、俺のために働いてもらってるっていうのに、大変申し訳ございません。


 俺のため。

 そう。

 今俺は、帰還の儀式を執り行ってもらっている真っ最中なのだ。


 トビアスさんが旗振り役となり、帰還の術を探ってもらうことわずか数日。

 あっけなく帰還の目途が立ってしまったときには、俺もびっくりしたものだ。

 なにやら現実感もあまりわかないままに、諸々の事後処理を終え、帰還の準備をし――といってもせいぜい、リュックの奥底にしまい込んでいた地球の衣服を洗濯したくらいだが――、今に至る。


 トビアスさん自身も、想定以上に早く(金ヅル)を返せることになってしまったのには少々後悔したらしく、「自分の有能さと律義さが恨めしいよ」などと零しながら、最後の最後まで骨の髄をしゃぶり尽くそうとでもいうように、連日俺のもとに押しかけては、地球の情報、というかビジネスモデルを聞き出していた。


 おかげでここ数日というもの、アメリアたちパーティーメンバーに、ろくろく別れを惜しむことすらできていなかったのだが――


(――……ふへへ……)


 昨夜のことを思い出し、俺はびろんと鼻の下を伸ばしてしまった。


 なんと、ツンデレというよりツンツンのアメリア、クールというよりコールドなエルヴィーラ、そして隠れ腹黒だったマリーが、昨日に限ってはしおらしく俺の部屋に訪れ、


「さ……最後くらい、あんたも一緒に飲みなさいよ」

「私も、ターロときちんと飲み交わしたい」

「ね……一緒に飲みましょ、ターロさん」


 と、これまで俺がことごとく参加を逃してきた飲み会に、誘いかけてくれたのだ!

 食堂や飯屋で彼女たちと酒を嗜むことはあっても――そして大抵その場合俺が潰される――、部屋飲みなんて初めてだ。

 思いもよらぬ送別会のお誘いに、当然俺は歓喜し、即答で参加を申し出た。


 でもって、そこで俺は天国を見た。


 わかりますか、皆さん? 天国ですよ? 天国。


 まず、ベッドの一番真ん中のフカフカの辺りに座らされるじゃないですか。

 で、右を見ます。

 はい、そこに、赤銅色の髪をした巨乳の美少女がいるわけですね。


「ほら、ターロ、飲みなさいよ。アッ、ヤダー、チョ、チョット零シチャッタ」


 でもってこの天使、普段のちゃきちゃきした動きが嘘のように、なぜかグラスを渡す手が震えたりして――ついでに、言葉もやけに棒読みのように聞こえるのはなんでだったんだろう――、ワインを俺のシャツの一部に零してしまったりするわけだ。


 で、


「チョ……チョット、私ガ……その……っ」

「わあ、アメリアさん! うっかり手が滑ってワインを零してしまったから、アメリアさん自らが布巾でターロさんのシャツを拭いてあげるんですよね?」

「そ……そう、……チョット、ジットシテナサイ……!」


 なんと、甲斐甲斐しく俺にむかってハンカチを掲げ、そのたわわな膨らみを押し付けるようにしながら、優しく拭いてくれたのだ!

 さらには、


「ターロ……」


 今度は左を見てみましょう。

 そこには金髪の天使がいます。


「このワイン。このワインなのだがな……ワインが、ええと――」

「あらエルヴィーラさんったら、ワインの度数が意外に強くて、ちょっと酔っぱらってしまったから、ターロさんにもたれかかって休みたいんですね?」


 そしてその麗しい天使は、ほんのりと頬を染めながら、ことんと、甘えるように俺の肩に顔を乗せてくるのだ!!

 癖のない蜂蜜色の髪が、俺の肩や首をくすぐりながら、さら……と音を立てる様や、ふわりと花の香りを運んでくる様といったら、もう素晴らしすぎて現実だとは信じられないほどだ。


 というか、このふたりが今俺に対して究極のデレを見せてくれていることに、俺は目の前の光景が信じられず、先ほどから何度もフリーズしかけているのだが、その都度、マリーの言葉が奇しくも(・・・・)事態を説明してくれて、ようやく現実を認識できているのであった。


 そして正面。

 俺の前でにこにこと膝を崩して座っている彼女は、先ほどからつまみの菓子やらチェイサーやらの用意で忙しい。


 でも時々、にこぉっと邪気の無い笑みを浮かべて、チョコレートを差し出してくれるのだ。


「はい、あーん」


 あーん。

 あーん。


 男に生まれて十九年。

 幼少期の母親以外にスプーンを差し向けられたことなどなかった俺は、ケモミミ美少女が上目遣いで食べ物を差し出してきてくれるこの状況に、冗談でなく震えた。


 奇跡だ。

 今ここに奇跡が起きている。

 ローマ法王が認めなくても、今俺がここに奇跡を認定する。


 今! ここに! 奇跡が起きています!!


 ひとり涙ぐんでぶるぶる震えていると、マリーはきょとんと首を傾げた。

 そのときぴょこんと動く耳であるとか、ふさふさした尻尾といったら、本当にあざといくらいに愛らしい。


 さすがの俺も、こんなにも厚い待遇を受けるのには、なにか裏があるのではと疑いはじめる、……というか、そういえばマリーは天使じゃなくて小悪魔なんだったと、慌てて心のガードを引き上げてみるのだったが――


「もう、いらないんですか? ほら、あーん」


 ちょっと拗ねたように「めっ」と軽く頬を膨らまされて、俺はあっけなくそのガードを粉砕した。


 天使だったね。

 そうだよマリーは最初から天使だった。大天使でした。


 俺は、三天使に囲まれ、甲斐甲斐しく世話を焼かれながら、尋常ならざる多幸感に全身を浸していった。

 送別会って、なんて素晴らしいイベントだったのだろう。


「わ……私タチ、ホントハコウシテ、その……っ」

「ターロさんと飲んでみたかったんですよね、アメリアさん?」

「そ、そうよ……っ」


 アメリアが顔を真っ赤にして頷くのに、俺はふわふわしはじめた頭で考えた。

 そうか、彼女たちは俺とも飲みたいと思ってくれていたのか。


「ターロがいなくなってしまうのは、寂しい。……まあ、最終的にはおまえの判断が尊重されるべきだとは思うのだが――」

「思うんだけれど、それでもやっぱり、ずっと一緒にいたいんですよね、エルヴィーラさん?」

「あ、ああ……!」


 エルヴィーラがぎこちなく頷くのにも、俺は鷹揚に相槌を打ちながら思った。

 そうか、今までまったく気付かなかったが、俺はこんなにも、彼女たちから好かれていたのだ。


「アメリアさんは素直じゃないところがあるし、エルヴィーラさんも寡黙ですけど、本当は私たち、集まっていつも、ターロさんのことを話してたんですよ?」

「そ、そうなのか……?」

「はい。頼りがいがあって、格好良くて、本当に素晴らしい、いつまでも一緒にいたいメンバーだって!」


 最後にマリーの言葉を聞いて、俺は脳のどこかがちゅどんと沸騰するのではないかと思った。

 同時に、やべえ、この子たち全員俺のカノジョになりたいって言いだしたら、どうしたらいいんだろうとか、そんなことまで考えた。


 一瞬、両脇から「さすがにそこまでは――!」という叫び声が上がった気がしたが、高揚しきった俺の耳の奥までは届かない。


 でへへ、でへへ、と、だらしなく緩んだ笑みを浮かべる俺に、マリーがそっと顔を寄せて囁いた。


「大丈夫ですか、ターロさん? ちょっと、顔が赤い気がしますけど……」

「え? そう……? えへへ、大丈夫……だい、じょーぶ……」

「そうですか?」


 優しい彼女は、そっと俺の瞼に触れ、眠りを促すように優しく撫でおろしてくれた。


「明日は帰還の儀。私たちとの別れが惜しいからって、無理して飲まなくてもいいんですよ。疲れてしまったら、寝てくださいね。大丈夫、私たちは、ずっとそばにいますから――」


 甘い声が、すうっと脳の中心に染み込んでいく。

 ゆっくりと、周囲の輪郭がぼやけ、渦を巻きはじめたのを、俺はぼんやりとした目で捉えた。


 ああ、眠い、すごく眠い。

 もったいない、とてももったいないけど、このまま眠ってしまいそう――


 ――というか、実際眠ってしまって、今朝に至ったのであった。

 回想終わり。


 三人の美少女に優しくお酌され、甘えられ、甘やかされるなどという、たぶん一生に一度しかない体験を途中で寝落ちしてしまったことは、実に実に悔やまれるが、それでも現時点の俺は幸せだった。

 過去最高に幸せと言っていい。


 今なら俺を召喚したあげく放擲したドーレス王たちにも、過去俺を冷遇したクラスメイトたちにも、心から「幸あれ!」と言ってやれる――それくらいの幸福感と慈愛の精神を携え、俺は儀式の進行を見守った。


 やがて、二日酔いのためかふらふらし、幸せな残像のためにでへでへしている俺の前で、陣の造営が完成する。

 神官が、こちらへ、と陣の中心を指し示しながら合図をくれたので、俺はちらりと背後を振り返った。


 すると、アメリア、エルヴィーラ、マリー、そしてトビアスさんが、真剣な顔で、それぞれ手を差し出してくれた。


「――元気で、ターロ。あんたに会えてよかった」


 真っすぐに目を見つめ、きっぱりと言い切るのはアメリア。

 俺は彼女の手を握り返しながら、最大限の心を込めて言い添えた。


「俺も。アメリアに拾ってもらって、本当に感謝してる。本当に、どうもありがとう」


 きゅ、と力を込めた彼女の手は、剣士らしく握力が強かったが、俺よりも小さかった。


「ありがとう、ターロ。かけがえのない時間だった」


 淡々と、けれど本心からとわかる言葉で告げてくれたのはエルヴィーラ。

 彼女のほっそりとした右手の、職業病となりつつあるペンだこに触れぬよう気を付けながら握り、俺はやはり頷いた。


「こちらこそ。エルヴィーラたちと過ごせた時間は、俺の宝物だったよ」


 我ながらきざなセリフだと思うが、この瞬間のために何度も脳内シミュレーションしてきたものなので、惜しみなく使う。

 なかなか決まった、と思った。


「ターロさん……。これでお別れなんて、信じられません」


 寂しさを前面に現し、悲しげに告げるのはマリー。

 素直な言葉の威力にぐっと来ながら、俺もこくりと頷いた。


「うん……俺もだよ、マリー」

「私、絶対にターロさんのことを忘れません。だから……ターロさんも、私たちのこと、忘れないでくださいね」


 いじらしい要求に、むしろきゅんと来てしまった。


「もちろん」


 名残惜しい思いを押し殺しながら、手を離す。

 最後、トビアスさんともしっかりと握手を交わした。


「ありがとう、ターロくん。君からは、実に有意義な情報をたくさんもらった。欲を言えば、君からはまだまだ貪りた……いやいや、一緒に過ごしてみたかったけどね」

「……はは」


 俺は無難に笑ってごまかし、そっと手を離した。

 この守銭奴は、危険だ。


 いよいよ神官がじれたように合図を強めるので、慌てて陣へと足を向ける。

 中心にしっかりと足を踏み入れ、俺はそこから改めて四人に向き直った。


 陣の外側では、神官が再度、帰還にあたっての心構えや段取りを説明してくれていたが、かなり感傷的になっていた俺としては、それよりも、メンバーの姿をしっかり目に焼き付けておくことのほうが重要だったのだ。


「――というわけで、以降我々五人が呪文を輪唱しますが、基本的にヤマーダ殿にしていただくことはありません。ただ、繰り返しになりますが、明確に、強く、帰還のイメージをお持ちください」


 アメリアはちょっと唇を噛んでいる。エルヴィーラの碧い瞳は真剣だ。

 マリーはぴんとしっぽを伸ばしている。


「くどいようですが、この帰還のイメージこそが、この術式における『定義』の役割を果たしますので、くれぐれも雑念はお捨てください。さもなければ、術が破綻してしまいますから。呪文を遮らぬよう、小声でなら肉声で唱えても構いませんので、それだけはお願いしますよ」


 神官は、じっと彼女たちばかり見ている俺を心配したのか、やたら念を押してくるが、だって仕方ないじゃないか。

 それくらい、彼女たちと俺の間には、強い想いとたくさんの想い出があるのだ。


「それでは、詠唱を始めます。よいですか? ヴァーク・アー……――」


 ぼうっと淡く陣が光り出す。それを視界の端に捉えながら、俺はあの夜に光った湖のことを思い出した。


 引きずられて、やがて浮かび上がった真昼の湖。二つの太陽。三人の美少女。

 フェンリルの腹を下したこと。魔菌の森を醸したこと。牛を食ったこと。過労死しかけたセイレーン。闘技場で敵を薙ぎ払うアメリア。小説が爆売れしたエルヴィーラ。突然消えたマリー。追いかけて、手を伸ばして、一度は振り払われて――けれど、最後にはなんとかみんなのところに戻って来てくれた。腹を下した魔獣たち。


(……なんか、およそ最初から最後までクソのような展開だった……)


 いや、今はそんなことどうでもいいのだ。

 俺は集中しなくてはいけない。帰還のイメージを脳裏に描くのだ。


 というか、すでに二か月以上も失踪しておいて、いきなり帰還となると、現実的にはかなりの困難が想定される。警察沙汰はまず必至だろう。そのへんの心構えもしっかりしなくてはならない。


「ほら、ターロ! 集中しなさい!」


 とそのとき、見守っていたアメリアまでもが声を掛けてきた。


「いくら召喚前の瞬間(・・・・・・)に戻れる(・・・・)からって、気を緩めすぎよ!」

「へ?」


 その内容が思いもよらないものだったので、俺はつい間抜けな声を上げてしまった。


 召喚前の瞬間に、戻れる――?


 それはつまり、俺はこの二か月を異世界で思いきり遊び倒したあげく――困難もあったが、総じてみると楽しかったとしか言いようがない――、しれっと、何ごともなかったかのように元の生活に戻れるということなのか。人生を二か月分得してしまったということなのか。


 瞬間頭によぎった発想に、つい胸を高鳴らせてしまう。


 ということは、……まだもう少しこちらの世界にいたところで、俺の人生、警察沙汰や留年浪人就職難など、なんのデメリットも被らないということなのか。


 ごく、と喉が鳴りかけたのを、俺はぶるぶると頭を振って堪えた。


 いかん。

 集中だ、集中。


 だがそういうときに限って、外野が次々と声を掛けてくる。


「そうだぞ、ターロ。いくら、もう少しこのまま我々といたところで、おまえの人生ただ楽しさが増えるだけとはいえ、やはり帰れるなら元の世界に帰らねばならん。集中しろ、集中」

「そうですよ! たとえば次の適性期まで帰還を延期したら、もっともっと楽しい『飲み会』ができるとは思いますけど、今はそんなことを考えちゃダメです! 集中してください!」


 エルヴィーラに、マリー。

 二人ともよかれと思って言ってくれているのだろうが、彼女たちの言葉は、ますます俺の雑念を増幅させていった。


そうだよな……。

 どうせ元の瞬間に戻れるなら、あともう少しこちらにいても、俺としては全然問題ないというか……むしろ、夏休みが延長されたぜラッキー! みたいなもんだよな。


 それに、永遠にこちらにいたいとはさすがに言わないが、そう、例えば次の帰還適性期――だいたい二か月後くらいまでならば……。


 あの、楽しい楽しい飲み会に、もう一度……参加をさせてもらえるのなら……。


「――――モーレス・トーレ……おい、君……!?」


 俺がでへ、と表情を緩めさせてしまったのと同時に、神官の一人が怪訝そうに詠唱を中断する。

 ついで彼は、他の神官の詠唱を邪魔しないよう、小さく俺に呼び掛けてきたが、もはや恍惚の回想に脳を溶かしはじめてしまった俺には、その声は聞こえていなかった。


「おい……! 君! 集中してくれないか! 陣の定義の文字が揺らぎはじめているぞ!」


 本当に、本当に楽しい、素晴らしい飲み会だったな。

 図らずも腕に感じてしまったアメリアの胸は、たゆんと柔らかくて、エルヴィーラの髪はきらきらと輝いてて、マリーのあどけない上目遣いは殺人的に可愛くて。


「おい……!」


 そういえば俺の好みは金髪ロリ巨乳だと思っていたが、それって、巨乳のアメリアと金髪のエルヴィーラとロリ顔のマリーの総和とも言えるよな。

 もしかしたら俺の好みは、この三人との出会いを予言するなにかを秘めていたのかもしれない。

 この出会いは運命だったのかも。

 運命かあ。運命には逆らえないよなぁ。


「おい、君……!!」


 アメリアたちにばれたら瞬殺されそうな妄想を広げ、俺はぐふふと締まらぬ笑みを浮かべる。

 そのときとうとう、それは起こった。


 ――ぱぁあああああん!


「ああ……っ!」

「陣が――破綻した!」

「え」


 なんと、目の前に書かれていたはずの、複雑で壮麗で荘厳な感じの陣形が、まるで風に吹かれて砂上の落書きが消えていくみたいに、さぁっと掻き消えてしまったのだ。

 俺も、さぁっと血の気を引かせた。


「え……え……」

「あーあ」


 同時に、腕を組んで面白そうに一連の光景を見守っていたトビアスさんが、ひらりと腕を広げる。


「せっかくの、源晶石を大量に注ぎ込んでの、僕がわざわざ掛け合って成立した帰還陣も、こんなにあっさりご破算とはね」

「――ご……っ」


 ご破算。

 その言葉に、俺はダラダラと冷や汗を流した。


「あ、あの……まさか……もしや……これって、……俺が、雑念を、浮かべたせいで……その――」

「そう。帰還陣が、全部ぱあだね」


 あっさり言われて、絶句する。

 まさかこんなにあっけなく、帰還の儀がおじゃんになってしまうとは思わなかったのだ。


 俺は狼狽して、みっともなく周囲の神官たちに縋った。


「あの……っ、でも、陣を描き直したりすれば……! もちろん、俺も協力するんで……!」

「……陣形は描けども、十分な源晶石がないことには術は発動しません」


 準備と詠唱を水泡に帰せられてしまった神官たちは、しらけた表情で静かに返す。取り付く島もないとはこのことだ。


 ただ、言われた通り陣の外円を見てみれば、五方向に置かれていたはずの源晶石が、炭化してしまったように真っ黒になってしまっている。

 呆然とへたり込んでしまった俺の肩に、そっと手を置く者があった。


「――……ま、なんていうの。そんな落ち込まないでよ」


 アメリアたちである。

 彼女たちは寛大にも、次々と優しく声を掛けてくれた。


「いいじゃない、源晶石なんてまた集めれば」

「ああ。ターロの実力なら、きっとすぐ集まるもの。次の適性期には、きっと還れるさ」


 ただ、アメリアもエルヴィーラも、なぜだかちょっと視線を逸らしている。

 もしかしたら、パーティーメンバーとしては、俺の大失態が気まずいのかもしれない。


 マリーだけは、いつものように優しい笑みを浮かべて、真っすぐに俺を見つめて言った。


「大丈夫ですよ、ターロさん! 私たちが、いますから」


 彼女は、初めて会ったその日と同じ、慈愛深い微笑みで誘いかける。


「よければ……次の適性期までの二か月間。私たちと一緒に、いましょ?」


 俺は、三人がそれぞれ、ちょっと拗ねたように、真顔で、にこやかに手を差しだしてくれるのを、ただぼんやりと見上げた。

 それから、ぐっときて、口を引き結んだ。


 ここぞという場面でグダグダな俺に、彼女たちは、なんて優しいんだろうか。


 感動に打ち震えながら手を差し出す。

 四人が同時に伸ばした腕は、握手ではなく、試合前に組む円陣のような形を描く。


「――あともう少しだけ……よろしく……!」


 きゅっ、と、一斉に力のこもった掌は、とても温かかった。



  *



 その温かさに感極まっていた俺は、だから、


「やるねえ、マリーくん。情報開示のタイミング含めて、君の作戦?」

「え? なにを仰っているのか、蒙昧な獣人の身ではよくわからないですう」


 背後で、狐顔の男性と狐娘が、そんな会話を交わしていたことには――とうてい気付くはずもないのであった。

これにて完結となります。

最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。皆さまからの評価や感想が、本当に更新の糧でした。

近々(最速で明日)、「シャバの『普通』は難しい」という作品の第2部を始める予定なので、よければそちらの感想欄でまたお目にかかりましょう!

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とても面白かったです
良い!
[良い点] 主人公のキャラが大好き。もっと、もっとつづきを読みたい。
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