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35. girl's talk, again

「それではー……」


 アメリアの音頭が、宿屋の一室に響く。


「再会を祝し、かんぱーい!」


 高らかにアメリアが掲げたのは、愛用の使い古したマグではなく、部屋備え付けの高級なグラス。


「うむ。この寝台、尋常ならざるふかふか具合だな。これが五つ星宿の底力……」


 そして、エルヴィーラたちが腰かけるのは、簡素な寝台などではなく、上等なカバーの掛けられた、王侯貴族の寝床のようなそれであった。

 なぜならば、マリーに気兼ねして入らなかった「敷居の高い」宿屋に、今、彼女たちは堂々と乗り込んでいるからである。


 ドーレス国内――最も獣人差別が激しかった地域で、マリーを含むパーティーが五つ星の宿に泊まる。

 これこそが、彼女たちが今回もぎ取ったものの成果であり、証であった。


「獣人差別廃止条例の制定、施行に、あらゆる施設の獣人への門戸開放、か。ドーレス王を支配下においてからたった二日でこうしてしまえるって、……やっぱりトビアスっていうのはすごいのね」

「さすが、ターロが破格の報酬で協力を依頼した相手だけあるな」


 そう。

 今回、さすがに少女たちの手には余るこれらの事後処理を、トビアスが全面的に引き受けてくれたのだ。


 もっともそれは善意によるものなどではなく、彼に言わせれば、あくまで「適切な労働」ということらしいが。

 ドーレス王から取り返した大量の源晶石、そして、新たに増殖したエメラルド級の薬草に見合うくらいは働かなきゃねと、彼はマリーを見逃すだけでなく、これらの待遇改善をあっさりしてのけたのである。


「いくらドーレス王の命の恩人だからって……次々と言うことを聴かせるトビアスの手腕が心底怖いわ」

「ああ。あまりに王が素直にトビアスを従うものだから、気になって私も尋ねてみたのだが。『まあ、腐ったんだろうねえ、いろいろ』と朗らかに笑うばかりで、はぐらかされてしまったな。いったいどんな手段を講じたのだか……」

「私も具体的にはわからないけど、蘇生後の王って、やたら周囲の男というか、家臣や傭兵に対して素直な気がしない? トビアスが暗示でも掛けたんじゃないかしら。さすがギルマス……ほんとに金のためなら手段を選ばないやつよね」


 もっとも、それに救われている以上、彼女たちもそれについて口出しをするつもりなどないのだが。

 けれど同時に、彼はけして敵に回してはいけない人物だとの認識を深めていた。


「でもまあおかげで、ターロの帰還も目途がついて、なによりだわね」


 このたび、トビアスは王に働きかけて、帰還の手段ももぎ取っていたのだ。


 なんでも、こちらから異世界人を召喚するのには、膨大な魔力と緻密な周期計算が必要だが、元の世界に帰すだけなら、二か月に一度くらいの周期で「適性期」なるものが巡ってくるとのこと。

 幸い魔力という点では、源晶石という溢れる泉のごとき魔力を持ち合わせていたので、それを使い、ターロは元の世界に戻ることが決まったのだ。

 あっさりとした帰還の実現に、ターロは安堵したような、拍子抜けしたような顔をしていた。


 彼の帰還は、明後日。

 ちょうど適性期が近付いており、これを逃すと次は二か月後ということなので、かなり急ながら日程を決めたのだった。


「……明後日、か。ほんと急よね」

「元から決まっていた別れとはいえ――寂しいな」

「……べつに、私はそんな、寂しいとまでは――」


 アメリアは、もはや脊髄反射でそんな意地を張ろうとする。

 ちょっと尖らせてしまった唇をグラスに寄せたところで、ふと、傍らのマリーがずっと黙ったままであることに気付いた。


 彼女はグラスを置くと、軽く鼻を鳴らして告げた。


「どうしたのよマリー。言っとくけど、無口無表情キャラはエルで満枠よ」

「むむ失敬な。私の表情筋は今日も元気に活動中だとも」


 エルヴィーラはそんなふうに答えながら、自らの手元のグラスにワインのお代わりを注ぐ。

 ポンシュは残念ながらすべてトビアスに押収されてしまったため、「仕方なく」宿の高級なワインに手を付けることにしたのだった。


「うむ、美味」

「さすが高級品だけあるわよね」


 が、幼い顔でありながら、実は誰より酒に強いはずのマリーは、先ほどから一口もワインを飲もうとしない。

 並々と注がれたグラスに視線を落としていたが、やがてぽつんと呟いた。


「――やめにしませんか、こういうの」


 いつもと変わらぬ、丁寧な口調。

 けれどその声からは、今まで多分に含まれていた愛らしさやあどけなさのようなものが、すべて拭い去られてしまったかのようだった。


 マリーは伏せていた視線を上げ、まっすぐにアメリアたちを見つめた。


「何事もなかったかのように振舞うの、やめましょうよ。私たち、もう前のようなパーティーではないじゃないですか。私は裏切り者で、あなたたちは私に石を奪われて、毒を盛られて、殴り倒された側で。――私たちは、前みたいな仲良しこよしじゃいられない。そうでしょう?」

「マリー……」


 エルヴィーラが静かに酒杯を下ろす。アメリアもまた、無言でマリーを見つめた。

 黙り込んでしまったふたりをよそに、マリーは淡々と続けた。


「私、ふたりが思っていたような、善良で優しい性格じゃありません。簡単に嘘をつくし、笑顔の下で相手のことを馬鹿にするような、そういう性根の持ち主です。たとえば――」


 アメリアを見る。


「アメリアさん。私、あなたのこと、悪ぶってるけど甘っちょろい人だな、って思ってました」

「…………」

「自分しか信じない、慣れ合いなんてごめんだって言いながら、そのくせすごく寂しがり屋で。一目会った時から、ああ、この人なら騙しやすそうだなって思いました」


 顔を強張らせたアメリアの前で、マリーはわずかに唇の端を持ち上げる。

 彼女は次いでエルヴィーラを見やった。


「エルヴィーラさんも、一見泰然としてる風ですけど、ちょっと打たれ弱すぎですよね。誇り高いけど、そのぶんなんでも抱え込んで、あげく限界を迎えるタイプ。あなたのことも、ちょっと気を許させたら、すぐに依存させられそうだなって思いました」

「…………」


 硬直している二人をよそに、マリーはひとくちだけワインを啜り、皮肉気に笑った。


「これが、私です。こんなのと、あなたたちはまだ仲良く友情ごっこを続けるつもりですか? あのときは、ターロさんに圧されて『戻りたい』なんて言いましたけど、こんなおままごとみたいなことが続くようなら、正直――」


 だが、その声が突如途切れた。


「――ふがががが……っ!?」


 アメリアとエルヴィーラ、その両名が、「うりゃ」とマリーに襲いかかったからである。


「ふーん? そういう生意気なことを言うのはこの口? この口なの? おおっと、ちょっと私には聞こえないわねえ」


 アメリアがそう言ってマリーにヘッドロックをかませば、その傍らでは、


「甘いなアメリア。獣人の弱点は尻尾だ。生意気なのはこの尻尾か? ん? この尻尾なのか?」


 エルヴィーラがそう言って、狐の尻尾の根本あたりをふさふさとくすぐる。


「ひゃ……っ、きゃ、ぅひゃあああああ!」


 マリーがそれまでの冷酷さをかなぐり捨てて悲鳴を上げると、アメリアたちは「ぷっ」と噴き出した。

 ひとしきりマリーを悶えさせ、やがて満足すると、ぱっと手を離す。


 哀れマリーは息も絶え絶えになりながら、寝台のうえで「はう……!」と倒れ伏した。


「それで」


 尻尾と耳をふるふる震わせて縮こまっているマリーに向かい、アメリアは切り出す。


「あんたさ、あたしたちになにを言わせたかったわけ? 殴らせでもしたかったの?」


 その翡翠色の瞳は、はっとするほど真剣な色を帯びてた。

 マリーが一瞬息を呑む。

 その僅かな隙に畳みかけるように、アメリアは言いきった。


「あたしたちを試すようなことなら、しなくていいわ」


 ――私たちを試すためのものなら……そんなことはしないでいいんですよ。


 かつてマリー自身がアメリアに告げたセリフ。

 弾かれたように顔を上げたマリーに、赤銅色の髪をしたパーティーリーダーは、正面から向き合い、静かに告げてみせた。


「ちょっとあたしたちに突っかかってみせたら、それでパーティーを追い出されるとでも思った? それなら大間違いよ」

「それくらいなら、最初からおまえのことを追いかけに来たりなどしないとも」


 エルヴィーラにまで言われ、マリーが黙り込む。

 彼女はきゅっと小さな拳を握ると、わずかに視線を逸らしながら口を開いた。


「……ずいぶんお人好しなことで。でも言っておきますけど、私はそういう生温い――」

「ねえ」


 つんけんした声音を保とうとするマリーを遮り、アメリアはくすくす笑う。

 彼女は、マリーの背後で落ち着かなく動いていた狐の尻尾をつんとつつくと、顔を近づけて囁いた。


「あんたさ、怯えるときに、尻尾がゆさゆさ揺れる癖があるって、知ってた?」

「――……っ」

「はてさて。一国の王に命賭けの契約まで取り付ける剛の者が、なぜまあ、私たちに啖呵を切るのを怖がるのだろうなあ」


 すっかり反論の言葉を失ってしまったマリーに、アメリアたちはぎし、と寝台を揺らして近寄っていった。


「私たちに嫌われるのを怖がって、ふるふる震えてる狐さん、よく聞きなさい」

「……こ、来ない、で……」

「ああほら、耳を塞ぐな、ぴっと立ててみろ」

「や……っ、ちょっ、耳……っ、触らないでくださ……っ」


 ぺたんと膝を突いたマリーに、ふたりは圧し掛かるようにして顔を寄せる。

 耳まで摘ままれ、なすすべもなく身を震わせる妹分に、ふたりはにやりと笑った。


「あんたの性格の悪さもさ。隠してた狙いも、事情も。わかったときは、そりゃショックだったわよ。ショックだったけど、――それはなんでか、わかる?」

「…………それ、は」

「私たちは、こう思ったからだ」


 固まっているマリーを、アメリアとエルヴィーラはぱっといきなり解放する。

 きゃっ、とベッドに倒れ込んだマリーに、ふたりは両側から覆いかぶさり、その小柄な身体を強く抱きしめた。


「――気付けなくて、ごめん」

「――…………っ」


 ふたりの肩口に顔をうずめる形になったマリーは、大きく目を見開いた。

 それから、じわっと瞳を潤ませた。


「――…………ば」


 服に押し付けられ、くぐもった声が震える。


「馬鹿じゃ、ないですか……っ? ほんとに、わかってます……?」

「うん。そうよね。でも仕方ないじゃない、ターロのがうつっちゃったんだもん」

「ああ。仕方ないな。ほら、マリー、おまえも馬鹿になって、欲求に素直になってみろ」

「――…………っ」


 アメリアとエルヴィーラの肩に、じわりと温かな涙が滲んだ。


「…………わた、し」


 やがて紡がれたのは、まるで布で覆い隠そうとしているかのような、小さな小さな囁き声。


「うん」


 けれどそれを、アメリアもエルヴィーラも聞き逃さなかった。


「……わたし……、こ……『ここ』が、いいです……」

「うん」

「む、虫のいい話です、けど……っ、アメリアさんが、いて、エルヴィーラさんが、いて、……ターロさんが……いる、……『ここ』に――」


 とうとう、マリーは顔を上げ、ぼろぼろと涙をこぼして叫んだ。


「『ここ』にいたい――!」


 奴隷として徹底されてきた丁寧な言葉遣いもかなぐり捨てて、感情のままに泣き声を上げるマリー。

 それはおそらく、彼女が初めて二人に見せた、年相応の姿だった。


 アメリアとエルヴィーラは、ちらっと互いを見やる。

 マリーより幾分か年を重ねた彼女たちは、苦笑というには優しい笑みを浮かべていた。


 二人は再度マリーに抱き着く。

 そして、


「いなさいよ」

「いろと言っている」


 いかにも彼女たちらしい言い回しで、マリーの主張を受け入れた。

 まるで、なんていうことのない口喧嘩を終えただけというような、それはささやかな幕引きだった。


「――とはいうものの」


 やがて、マリーの涙が引いた頃合いで、ぽつりとエルヴィーラが切り出す。


「ターロは明後日には、還ってしまうんだよなあ……」

「……そうね」


 三人の想いが一致していることを確認した今だからこそ、その事実が重い。

 源晶石をもたらし、マリーを解放し、三人を分かり合わせてくれたターロ。

 あのへらへらとした言動とは裏腹に、彼の存在は三人の中でかけがえのないものとなりつつあった。


 彼には彼の世界が、生活がある。

 わかっているが――それでも、還ってほしくない。


 とうとうアメリアまでもが素直に、


「……明後日なんか、来なきゃいいのに」


 と呟いたのを聞き取り、マリーはおもむろに顔を上げた。


「――…………」


 そのあどけない瞳には、未だ涙の名残があったが、悲壮の色はない。

 代わりに、チョコレート色の瞳には、徐々にくるくると渦巻く思考の色が――よく言えば知的な、悪く言えばずる賢そうな光が――浮かび上がりつつあった。


「――……皆さん。なに言ってるんですか?」

「え?」

「……マ、マリー?」


 ふいに凛と声を放った妹分に、なぜかゾクッとするものを感じ取って二人が聞き返す。

 もはや完全に涙の余韻を吹き飛ばしたマリーは、二人の視線を受け止めて、にこっと笑ってみせた。


「私たち、馬鹿なんでしょう? 馬鹿は馬鹿らしく、人の迷惑なんて考えず、自分の欲求に素直にならなきゃ」

「え……?」


 なにか清々しいほどに吹っ切れてしまった彼女には、底知れぬ迫力すらあった。

 マリーはぴんと両耳を立て、楽しげにしっぽを揺らす。

 それから、肉食の獣を思わせるしぐさで、ぺろりと桃色の舌で唇を舐めた。


 犬は従順、猫は高貴、狐は狡猾。

 ――欲しいものがあるときは、なおさら。


「逃がしはしませんよ……たろぅ、さん?」

次話、エピローグとなります。

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