表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
35/37

34.#サブカルの深淵より現れたる属性(4)

「なに……!? これは、スペル……!? いったいなにが――」


 トビアスさんは驚いて周囲を見回しているが、


 ――ぐぎゅるるるるる……っ


 ……皆さんには、もう、なにが起こりつつあるか、おわかりですよね?


「なんだ!? この不気味な音……なにが起こっているんだ……!?」

「見ないほうがいいわ!」

「見ないでやってくれ!」


 手すりから身を乗り出そうとしたトビアスさんを、アメリアとエルヴィーラが即座に引き戻す。

 同時に、魔獣たちが蹲ったことによって浮力を得たマリーは、ふわりとバルコニーの上へと舞い上がりつつあった。


 ……彼女が、極力臭いを嗅がないようにといった感じで、階下の魔獣から顔を逸らしていることについては、この際気付かなかったふりをするとして。


「マリー!」


 関心を戻したアメリアは、トビアスさんにレイピアを借り、それを投げて綱を断ち切った。

 丸太から切り離されたマリーは、とうとう魔術に導かれるがまま、こちらにやってくる。


 やがて、すとん、と、彼女はバルコニーに降り立った。


「マリー……」

「…………」


 ぼろ切れと化した布一枚をまとったマリーは、近くで見てみれば、手首は擦りむけ、髪はほつれと、ひどい有様である。


 それでも、彼女は背筋も耳もぴんと伸ばして、口を引き結んだままだった。

 ……礼の言葉も、謝罪も、口にしようとはしなかった。


 それでも。


「――…………」


 あどけないだけだと思っていたチョコレート色の瞳には、苦悩や葛藤が見える。

 それは間違いなく、俺たちへの想いがあるからこそ、生じるもののはずだった。


「その……ロクサネロ草、だっけ。原液を飲まされて、よく、……自我を保ってたね」


 こんなとき、場の空気を解したり、女心を和ませたりする必殺フレーズを、俺は知らない。

 いざ本人を目の前にしてみると、「よかった」と再会を喜ぶのも、「これがマリーの本心ってことでいいんだよな」と確認するのも躊躇われて、結局、あたりさわりのないことを、無意識に探ってしまった。


「……ポンシュを、毎日飲んでましたから。多少の毒には、耐性がついているんです」

「えっ、あれって、予防効果もあるの!?」


 ぼそぼそとした返答に、つい全力でリアクションしてしまう。

 マリーは無言でうなずいてから、皮肉っぽく唇の端を持ち上げた。


「……きっと、心のどこかでは、備えてたんです。アメリアさんや、エルヴィーラさんのことも、ポンシュ漬けにして、耐性を付けて……いつか、私が毒を盛ることがあっても、……私では殺せないように、って」


 裏切りながら、守ろうだなんて、馬鹿みたい。


 小さく付け足された言葉が――マリーの真意の、すべてだった。


 マリー、と声を掛けようとする。だがそれよりも早く、彼女はぱっと顔を上げ、トビアスさんに向き直った。


「――ギルドマスター。このパーティーが集めた源晶石は、私の命に懸けてすべてお渡しします。だからどうか……あなたの力を貸してくださいませんか」


 彼女は、ぼろ布一枚をまとっただけとは思えない堂々とした様子で、交渉に臨んでいた。


「僕の力だって?」

「あなたには、各国の王と交渉する権力すらあるとお聞きしています。だからどうか、信頼のおける国の王に、……獣人の保護を」


 マリーが、まっすぐにトビアスさんを見つめる。

 物怖じしない姿。

 しかし、無意識にだろう握り合わせた両手だけが、ごくわずかに震えていた。


「ロクサネロ草で自我を失った、あそこにいる仲間たちを、殺すことなく、脅かすことなく――私の代わりに、看取ってほしいんです」


 彼女が言うのは、広場にいる仲間たちのことだった。

 魔獣をけしかけられ、逃げ惑っていた彼ら。


 脅威がいなくなった今となっても、失われた自我は戻らず、焦点を失った目でふらふらと――


「――……ん?」


 ふらふらと彷徨っているのだろうと思われた獣人たちの姿が、てんで見えないことに、俺は首を傾げた。


 手すりから身を乗り出して目を凝らし、彼らのいる場所をようやく発見して、ちょっと息を呑む。

 彼らは総じて、周囲からは見えにくい物陰や、茂みの奥で、しゃがみこんでいた。


「…………も、もしや」


 ややあってから、ひとり、ふたりと、茂みからおずおず姿を現す。

 彼らの顔にあるのは、恥じらいの表情と、どことなくすっきりしたような気配。


 羞恥心と自我を持ち合わせた――そして、腹の中をすっきりさせてきた人特有の、晴れ晴れとした雰囲気が、そこにはあった。


 ……以前、アメリアブレンドを食したときの自分の姿、そして、「shit down」を食らったフェンリルの姿が重なる。


 さっき俺、シットダウンってどこに向けて叫んだっけ。

 ……広場の魔獣たちに向けてだよな。

 …………広場には、獣人の皆さまもいらっしゃったわけ、だよ、……な。


「……たぶんだけどさ、マリー」


 俺は、ちょっと視線を逸らしながら、小さく挙手した。


「あそこの獣人の皆さんたち……ロクサネロ草を『排出』して、……戻ってるんじゃないかな、自我」

「――……は?」


 マリーがぽかんと振り向く。

 それから彼女は勢いよくバルコニーの手すりにかじりつき、その視力のいい目でくまなく広場を見回して、


「……あっ、姉さーん!?」


 マリーより一つ二つ年下と見える少年が、無邪気に手と尻尾を振ってくるのを認めると、ぺたんと床に座り込んだ。


「――……なに、それ……」


 呆然として、それだけを呟く。


「だからマリー。大丈夫なんじゃないかな、責任をしょい込まなくても」

「…………いえ」


 ぼんやりとした動きで階下の弟に手を振り返してから、彼女は緩く首を振った。


「そんなわけには。だって、私は一国の王を弑した罪人なわけですから――」

「あ、それなんだけどさあ」


 今度は彼女の主張を、のんびりとしたトビアスさんの声が遮った。

 振り向けば彼は、誰もが存在を忘れていたドーレス王のそばに跪き、ちょんちょんとその胸のあたりを突っついている。


「君たちからせしめた薬草、効果はどんなもんなのかなって、ヘンドリック氏の口に今どばっと突っ込んでみたんだけど――なんか、ぴくぴく動きだしたよ?」

「はっ!?」


 一同でぎょっと声を上げると、トビアスさんは「ほれ」と、横たわるドーレス王のご尊顔をくいっとこちらに向かせた。


「――……ぅ……うう……わ、わらひは……?」


 閉じていたはずの目が、ぶるぶる震えながら開いていく。

 文字通り口から草を生やした王様は、ちょっと喋りにくそうだった。


「いやー。さすがはエメラルド級。っていうかこれ、もうダイヤモンド級に差し掛かってない? うちのギルドで鑑定してもらったほうがいいかもよ」


 あ、この薬草も魔獣の糞に放り込んでおいたら増えるかなー。

 トビアスさんは目を輝かせ、いそいそと立ち上がる。


 きっと、階下に下りて、「堆肥」に薬草を突っ込んでくる気なのだろう。

 まったく、金のためなら日の中水の中クソの中な御仁だ。


「――……もう……」


 トビアスさんが陽気な声を上げ、王様が目覚め、倒れていた兵たちも徐々に起き上がりと、にわかに活気を帯びてきた空間で、マリーの小さな声が漏れる。


 彼女は、バルコニーの手すりの前で座り込んだまま、へにゃりと耳を下げ、俺のことを見上げた。


「……ターロさんたら、……めちゃくちゃですよ……」


 なんだか、泣き笑いのような顔だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
うんこに始まりうんこに終わる。
[一言] 何気に終始脱糞ネタ、という(笑)
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ