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31.#サブカルの深淵より現れたる属性(1)

 喉が渇いた。

 頭が痛い。


 なんだろうこの感じ、すごく……そう、二日酔いのときに似ている。いや、未成年だけども。

 でもまあ、大学に入ったら、そういうこともあるじゃん。


 なんでこんなに身体が重いんだろう。

 サークルで飲みすぎたんだっけ。


 いや……? サークルもなにも、俺は留学中のはずで……いや違う、異世界にワープ中だよおい。

 そう、レーヴラインにいるはずで、こっちの酒はやたら強いから、ここ最近じゃエールすらろくろく啜ってなんか――


 すうっと、見えない掌に持ち上げられるような感覚とともに、俺はぽっかりと目を開いた。


 薄暗い視界の中、辛うじて見えるのは、自分の手と、固い床。うつぶせになっているからだ。

 ぼんやりと前後の記憶を手繰り寄せ、俺はばっと身を起こした。


「……マリ……――!」


 そしていかにもお約束な感じで、すぐに撃沈した。

 あまりに頭痛がひどかったためだ。


 唸り、頭を押さえながら、目だけを動かして情報を集める。


 三つ並んだ寝台。簡素な窓から差し込む青白い光。

 先ほど倒れた場所そのままということだ。夕暮れだったはずが、すっかり夜――いや、もう朝が近いのだろうか。

 部屋全体が、夜明け前特有の、青っぽい色に染まっている。


「う…………」


 そのとき、すぐ隣から呻き声が聞こえて、俺は不自由な顔をぎぎ、と横に動かした。

 すると、同じくうつぶせになったままのエルヴィーラと目が合う。

 いや、彼女はいまだ完全に意識を取り戻していないのか、眉を寄せ、焦点の合わない瞳をしていた。


 エルヴィーラは、その美しい形の唇を弱々しく動かして、なにごとかを呟いた。


「――……シュ、を……」

「なに? なんて?」


 かすれ声で問い返す。意識が覚醒するのと同時に、わずかずつではあるが、声や身体の自由が戻りはじめていた。


「――……ンシュ……ポンシュ、を、はやく……」


 ――ってこの人、なんか酔いつぶれてなお酒を求めるおっちゃんみたいなことになってるんですけど!?


「ポンシュ!? エルヴィーラ、ポンシュが欲しいの!? この状況で!?」

「ポンシュ……ポーション、を……」


 ああ、ポーション。

 ポーションね!?


 そうだ。そうでした。

 以前魔菌から作ったポーションを、ポンシュと命名してたんでした。


 エルヴィーラが回復のためのポーションを求めているのだとようやく理解し、俺は視線をさまよわせる。

 すると運よく、寝台脇の背の低いテーブルの上に、見知った徳利と、三つのマグカップを見つけた。

 おそらく、彼女たちはこれを酒として楽しんでいたのだろう――いや、正真正銘、酒以外のなにものでもないんだけど。


 ずり、と這ったまま、なんとか手を伸ばし、マグのひとつを引き寄せる。

 これまた幸運なことに、並々と中身が入ったままであるのを確認すると、エルヴィーラに差し出した。


「はい」

「……おまえから、飲め……」


 苦しげに勧められたので、この状況下で譲り合い好きの国民性を発揮している場合ではないと判断し、ひとくち啜る。

 するとたちまち全身から、すうっと倦怠感が引いていった。

 すごいな、ポンシュ!


 元気を取り戻した俺は、その場に胡坐をかき、エルヴィーラの上体を起こしてからポンシュを差し出した。彼女もまた慎重にそれを啜り、それと同時に、頬に赤みが戻りだす。

 彼女はふうっと息をつき、「助かった」と小さく呟くと、切れ長の瞳を寝台へと向けた。


「――……アメリアは?」


 静かに問われ、俺もまた寝台を振り向く。

 無意識に、拳を握っていた。


 あのときマリーは、殺したと言っていた。

 「生体反応なし」の文字が浮かぶのも見た。

 とするならば、この視線の先――寝台の上には、アメリアの死体が転がっているかもしれないわけで……俺は、それを見るのが怖かったのだ。


 だが、ごくりと唾とともに恐怖を飲み込むと、立ち上がる。


「アメリア……?」


 かすれ声で呼びかけながら、恐る恐る寝台へと近づき、そこに横たわる彼女に手を差し出して――俺は、心臓に冷や水を浴びせられたような心地を覚えた。


 彼女は、息をしていなかった。


「アメリア……――」


 嘘だ。

 信じられない。


 マリーはああは言っていたけれど、本当は殺したりしなかったのだと、心のどこかで思っていた。

 こんなにあっさり人が――それもアメリアが死ぬなんて、信じられなかった。


「アメリア……!」


 じわ、と涙がにじむ。


「どけ、ターロ」


 呆然と立ち尽くす俺を、エルヴィーラが押しのけた。


「アメリアはどうだ?」

「息……息を、してない……!」

「そうか」


 冷静に頷かれ、俺は愕然として彼女を見つめた。


「そうかって! アメリアは……アメリアは、息をしてないんだぞ!? わかってるのかよ、死んじゃったんだぞ!? アメリアは――」

「呼吸が止まったくらいなんだ」


 肩を揺さぶろうとしたところを、あっさりと振り払われ、あげく続いた言葉に、俺はさらに目をまん丸にしてしまった。


「ポンシュの威力をなんと心得る」

「――……へ……?」


 ぽかんとした俺をよそに、エルヴィーラは淡々と徳利を掴む。

 そして淡々とアメリアの胸倉を掴み、淡々と唇をこじ開け、そして淡々とそこにポンシュを注ぎ込んだ。


「ほら飲め。ほーら飲め飲め、起きろ、アメリア」

「ちょ……っ! ちょっと、エルヴィーラ、え、ちょ、そんな、えっ」


 その姿はさながら、すでに意識を失った拷問相手に、無理やり酒を飲ませるその筋のお方だ。

 ひっと青褪めていると、エルヴィーラに捕まれている体が、びくっと揺れた。


「お、おい、ちょ……っ、そんな非道な……エルヴィーラ……!」

「――……ぐ……ほっ、……ごほっ! げっほごほごほ! ごっぶぉ!」

「ほら! 噎せた! すんごい濁点まみれで噎せてるじゃんか! ほら! ……って……噎せてる(・・・・)――!?」


 愕然とする俺の前で、アメリアは体を折り曲げて噎せ続ける。

 ようやく呼吸が落ち着いてくると、涙をにじませた猫目でぎっとエルヴィーラを睨みあげた。


「ちょっと……! もう少し、起こしようってもんが、あるでしょ……!」


 いまだその口調は途切れがちだ。

 が、それでも――彼女は呼吸をし、感情を浮かべ、言葉を発していた……!


「ふ。健やかな者には妙味ある酒となり、弱った者が口に含めばすなわち千毒を解き万病を癒す妙薬へと転じる。これぞ、エメラルド級ポーション・ポンシュの底力」


 エルヴィーラが、真顔なのにドヤ顔に見えるという摩訶不思議な表情で言い切っている。

 それを聞いて、俺はへたりとその場に座り込んだ。


 自分で合成しておいてなんだけど、心肺停止状態から蘇生するとか、めちゃくちゃすぎだろう。

 めちゃくちゃすぎだけど――


「よかった……!」


 俺は涙をこらえながら呟いた。


「よかった……! アメリア、よかった……!」

「よくないわよ」


 だが、助かったはずのアメリアは、剣呑な表情で答える。

 彼女はエルヴィーラに軽く礼を述べてから、寝台の上に座りなおすと、ぐるりと部屋を見回した。


 マリーのいない、女子二人分の荷物しか残されていない部屋を。


「この状況の、なにが喜ばしいっていうのよ」

「……それは……」


 アメリアの蘇生に舞い上がっていた心が、しゅんと冷めていく。

 一瞬逃避しかけた現実に、改めて直面させられていた。


 マリーが、裏切った。

 彼女は源晶石を狙っていた。

 俺たちは容赦なく騙され、石を巻き上げられ、殺されかけた――。


 しん、と薄暗い部屋に沈黙が落ちる。

 脳裏には、これまでにマリーと交わした会話や、過ごした日々が、目まぐるしい勢いで再生されていた。


 出会った当初から優しかったマリー。異世界人の俺をパーティーに加えてくれた彼女。

 でもそれはたぶん、俺のスペル能力――魔物から効率よく源晶石を取り出す力に、目を付けたからだった。


 石の管理を請け負っていた彼女。

 クエストの報告処理も彼女任せで、行く方向を決めるときも、彼女の意見を採用することが多かった。

 魔菌のときには、マリーのミスで菌が活性化していたけど……もしかしたらそれも、彼女の狙いであったのかもしれない。


 そう考えだすと、まるでオセロの駒がひっくり返るようにぱたぱたと、彼女との思い出が後ろ暗いものに変わっていく。

 あの笑顔も、あの優しさも、もしかして――。


 でもそうやって眉を寄せたとき、ふと心の内側から蘇る言葉があった。


 ――たろぅ、さんは、偉いです。


 こちらの世界で、初めて俺の名前を呼んでくれた彼女。

 まるで俺の弱さや苦悩を見透かすように、労わってくれた。

 不慣れな発音でそっと心に寄り添ってくれた、彼女のその言葉までもが、本当に偽りなのだろうか。


「…………」


 口を引き結び、考える。

 もしかしたら、そうなのかもしれない。

 励ませば、俺がもっとスペルの習得に励むからと計算してのことだったのかもしれない。


 それでもあのとき、あの言葉に救われたこと自体は、事実だ。

 マンティコアに襲われたとき、マリーは身を挺して俺をかばおうとしてくれた。あのとき、たしかに彼女は命の危機にあった。

 そんな状況下でも、演技ができるものだろうか。


 仮に九十九までもが嘘だったとしても、ほんのひとかけら。

 彼女が握りしめていたタンジェの実一つ分くらいは、真実が――俺たちへの友情が、混ざったりはしていないだろうか。


「――なにか……」


 やがて、唇を湿らせてから切り出した。


「なにか、事情が……あるんじゃないのかな」


 甘ったれているのかもしれない。

 こんなだから、平和ボケしたニホン人はだとか、罵られるのかもしれない。

 それでも、俺は切り出さずにはいられなかった。


「マリーが、源晶石を狙わざるをえなかった……俺たちを裏切らざるをえなかった、そういう、事情があるんじゃないかな。あの男との会話も、なんか……そんな感じだったし」


 寝台に胡坐をかいたアメリアと、その横に腰を下ろしたエルヴィーラ。

 ほんの少しずつ薄らいでいく闇の中、ふたりの表情を確かめるのが怖くて、俯いたまま俺は告げた。


 だってあのとき、マリーが俺をパーティーに誘ってくれなかったら、きっと俺は本当にどこかで野垂れ死んでしまってた。

 彼女が労わってくれなかったら、きっとどこかで、ぽきっと心を折ってしまってた。

 そのぶんくらいは、彼女を信じてみてもいいと思うのだ。


「やっぱり俺は、マリーを――」

「あたしだったら、殺すわね」


 かぶせるように放たれた言葉に、はっとする。

 息を呑んだまま視線を上げると、アメリアは険しい顔でこちらを見ていた。


「アメリ――」

「あたしもね、あのとき聞こえてたのよ。マリーとあの男の会話。目の前で翻意がないことを示さなきゃいけない状況……あたしがマリーだったら、裏切ると決めている相手(あたし)のことなんて、さっさと殺すわね。わざわざ仮死状態になんかせずに」


 皮肉気に紡がれた内容が一瞬理解できず、まじまじとアメリアを見つめる。

 ゆっくりと彼女の言わんとしていることを理解しはじめた俺の体が、どくんと鼓動を速めた。


「仮死状態……?」

「そ。さすがに『普通の方法で』心臓と呼吸を止められてたら、いくらエメラルド級のポーションでも死ぬわよ。あの子は、鑑定士としてのスキルを最大利用して、ぎりぎりのところであたしの命を保ってみせたんだわ。そんなの、殺意なんていわない。つまり――」


 アメリアは、その強気そうな顔に、ふんと笑みを浮かべた。


「そんなの裏切りなんて、言わないってことよ」


 遠回しでわかりにくい、彼女の言葉。

 けれど、それがアメリアの本心のようだった。


 つい感極まった表情を浮かべてしまった俺に、彼女は軽く鼻を鳴らし、それから言い訳をするように肩を竦めた。


「思い返せばあの子はね、あたしが前に試しの一皿を振舞ったとき、平然とそれを口にしてたのよ――まあ、途中で止めたけど。そのときから、単にかわいいだけの子じゃないって、どこかで思ってたわ。あの子の真意や事情はまだよくわからないけど……こんな中途半端な真似、させるもんですか。会って、あらいざらい、吐かせるわよ。対応を決めるのはそれから」


 アメリアがそう告げれば、エルヴィーラは「私はすでに、彼女が裏切ったという説はほとんど信じていないがな」と、静かに横から口をはさんだ。


「彼女は、我々の誰よりも聡い。この、マグカップに注がれたポンシュが、まさかエメラルド級ポーションには見えない――つまり、あの男に見逃されることまで見越して、この方法を取ったんだろう。それに――ほら」


 そう言って、ぴらりとシーツの隙間から紙を取り出す。

 それは、「やっこ」の形に折られた魔術紙だった。やっこの折り方は、以前俺がマリーに教えたのだ。


 エルヴィーラがそれを開いてみせると、見覚えのある字で、短く文字が書かれている。

 俺の記憶が正しければ、それは「アメリア」という文字で、以前エルヴィーラが、文字が苦手なマリーのために、手本として書いてやったものだった。


「マリーが鑑定したのは、この『紙』だ。魔術師である私がアメリアの名を書き、人型(やっこ)に折ることで定義とした――それを鑑定したのなら、生体反応なんて、あるわけないな」


 つまり――やはりマリーには、俺たちを殺す気なんてなかったのだ。

 なんらかの事情を抱えてて、源晶石を奪わざるをえない状況だったけど、それでもなお、俺たちを傷つけないよう、きっと配慮してくれたのだ。


 裏切り疑惑にすっかり萎れていた心が、徐々に元気を取り戻すのがわかる。

 俺たち三人は視線を交わし、目が合ったと同時に頷いた。


 ――マリーに、会いに行こう。


 声に出さずとも分かりあえるくらいの、強い決意だった。


「で、具体的な手掛かりだけど――あの男、ドーレス王がなんとか言ってたわね」

「ああ。獣人差別が強いことで有名な国だ。すぐ隣の国だな」


 アメリアが切り出せば、即座にエルヴィーラが応じる。

 俺も頷きながら、意識を失う直前の会話を、必死に手繰り寄せていた。


 ドーレス。

 王直属の奴隷。

 狩り。


 マリーは、獣人差別の激しい国の奴隷だった。

 そのあたりに、彼女の動機があるのかもしれない。


「ひとまず、ドーレスの王城に乗り込むわよ。それで、連れ帰る」


 アメリアの鶴の一声で、行き先はすぐに決まった。

 それだけの戦闘力や魔力が、彼女たちにはあるのだ。


 ふたりは不敵に唇の端を吊り上げると、力強く言い切った。


「あたしたちのパーティーから、仲間を連れ去ったこと、後悔させてやる。サファイア級剣士の能力を、なめんじゃないわよ」

「ルビー級魔術師もな」


 俺も、と訴えかけて、考える。

 俺にはなにができるだろう。


 たぶんここは、スペル使いの俺もな、みたいなことを決められたら格好いいんだろうけど、残念ながら、その辺りに関してはがっかりするほど自信がない。

 GoとStop、Waitに、成功率のいまだ低いFire ball。

 これで打破できる事態ってなんなんだ。


 でもでも、俺だってなにか――!

 と前のめりに拳を握ったその瞬間、ふと、トビアスさんの顔が脳裏に浮かんだ。


 源晶石の動向を気にしていた彼。

 間違いなく今回のことを知れば、一枚噛みたがるであろう、ギルドの権力者。


 彼なら、金の匂いをちらつかせれば、きっと力を貸してくれるだろう。

 そして俺は、そんな彼にとって歩く金づるだ。つまり――交渉権はこちらにある。

 マリーの扱いも、現状では「ギルドに納めるべき石をちょろまかした犯罪人」だが、それもまた交渉次第ではなんとかなるはずだ。


「に、……日本人の、俺もな……!」


 いまいち決まらないセリフを吐きながら、頭では忙しく、トビアスさんとの交渉の仕方を考える。

 日本人らしく、俺は、金の力(マネーパワー)で無双するのだ。


 拳を握る俺たちの顔を、ちょうど昇りはじめた朝陽が照らしていた。

いつも感想や評価、レビューを本当にありがとうございます。

それらを燃料に、ここからシリアス先輩ご退場まで、がしがし連日投稿させていただきます…!

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