28.#お人よし(2)
「あなたはあのとき――エルヴィーラを見世物にするつもりだったんですか?」
はっきり言って、これまでの流れには全然関係のない問いだ。
けれど、俺の中では確認せずにはいられない内容だった。
だって、信用できる王を紹介してもらう前に、彼自身が信用できるかを確かめなくてはならない。
もし彼が、アメリアの言うように金のためにエルヴィーラを貶めるような人物なのだったとしたら……俺は、彼に身を託したくはない。
緊張しながら尋ねると、トビアスさんは意外な答えを返した。
「エルヴィーラ? ああ、金髪に碧眼の美少女だよね。それなら……あれ以上ことが進むようなら、もちろん止めるつもりだったよ」
さらりと言われ、かえって警戒心が募る。
内容だけを聞けばまっとうにも思えるが、口先だけこちらにおもねるような人物なら信用できない。
だが、その後に続いた理由というのが、俺の想定をはるかに超えていた。
「だって、肌の露出が50%を超えたら成人課金、ってのがマイルールだからね」
「……は?」
なんだろう。
今、ものすごく場の空気がぶっ飛んでいった気がする。
思わず聞き返した俺に、トビアスさんは真顔で説明した。
「だからさ。エッチなコンテンツってのは、誰もが財布のひもを緩める打ち出の小槌なんだ。闘技観戦料しか払ってない客に、裸に剥かれる美少女なんて見せちゃったら過剰サービスじゃないか。コンテンツにも失礼だし、経営方針にもとる。僕はけして、そんなことはしないよ」
「まじで見下げた金の亡者だなあおい!」
正直その理由は想定の範囲外だったよ!
びっくりした勢いのまま、つい目上の人間相手に暴言を吐いてしまったら、相手はなぜだか「照れるなあ」とはにかんだ。
もはや一周回って清々しささえ感じる態度だ。
なんだか逆に毒気を抜かれてしまって、
「金を出せばなんでもやるのかよ、あんた……」
とタメ語で呟けば、相手は特に気にした様子もなく、「そりゃあ適正な価格をいただけるんならねえ」とのんびりアイスティーを啜った。
見下げた金の亡者だ。いや、もう見上げた金の亡者なのか。
ちょっと混乱してきた。
が、
「もっとも、『適正な値付け』なんて一生できないんだろうけど」
なにげなく付け足された言葉に、え、と目を見開く。
思わず相手のことを見つめてしまうと、トビアスさんは単純な市場原理を説明するような淡々とした口調で答えた。
「そりゃそうでしょ。裸に剥かれるのはその子なんだから、彼女の納得のいく価格で折り合えないとビジネスは始まらないじゃないか」
つまりエルヴィーラが嫌がる限り、トビアスはその手の領域に手を出さないというわけだ。
「…………」
トビアスさんはアイスティーを味わいながら、「うん、もうちょい茶葉のグレードは落としてもイケるな」などとこすっからいことを呟いている。
けれど、彼のその言動には、単なる下種な拝金主義者として片付けられない、一貫した信念のようなものが感じられて、俺はまじまじとその姿を見つめた。
そういえば、ギードをはじめ、多くの人がエルヴィーラのことを「ハーフエルフの娘」としか呼ばないのに、この人は彼女のことを種族名では呼ばない。
コンテンツ――つまり金儲けの道具としてしか見ていないぶん、もっと扱いとしてはひどいのかもしれないけど、異文化を積極的に取り入れているあたり、その手の差別意識がないのは確かだ。
アメリアも、獣人やハーフエルフに対しても平等に試験の機会を与えている、数少ないギルドマスターだと言っていた。
ふと思いついたことがあり、尋ねてみる。
「……もしかして試験のときは、カラドリオスの介入をあなたが『見逃して』くれたんですか?」
いくらエルヴィーラ自身の魔力しか使われていないとはいえ、ギードも言っていた通り、外野の力を使ったのは間違いないのだ。
それをルール違反ではないと見なされたのは、もしかしたら彼の手心が加わっていたからかもしれないと、今さらながら思い至ったのだった。
「なんのことやら。エルヴィーラくん本人も言ってたように、自身の魔力しか帯びていない以上、使い魔を召喚したも同然じゃないか。第一、魔術紙に込められた彼女の魔力自体が豊富でなければ、外野がカラドリオスを折ろうと龍を折ろうと、術は発動しない。あれは彼女の実力だよ」
答えるその口調は淀みなく、本心を窺わせない。
ただ、彼はエルヴィーラの能力の高さを確信しているようだった。
そういえばこの人は、まるで受験者の実力を見抜いているかのように、拮抗した相手と対戦を組んでいたのだった。
「……あなたは、なぜあんな対戦表を組んだんですか?」
「あんなって?」
「あんな……因縁の相手と、っていうことです。アメリアの相手は、かつて彼女を襲った男だった。エルヴィーラの相手は、ハーフエルフを敵視している男だった。マリーも、対戦相手ではないけど、試験官は獣人差別主義の男だった。ほかにも受験者がいた以上、違う組み方はあったはずです。……どういう意図で、この対戦を組んだんですか?」
最初は、なんて嫌らしい組み方をするんだ、としか思っていなかった。
けれどもしかして、彼のこの性格ならば。
トビアスさんは、なにやら捨て猫に餌を上げている現場を見つかったヤンキーのような態度で鼻を鳴らすと、つっけんどんに答えた。
「そんなのあくまで、卑劣な男どもを美少女たちが叩きのめす図が、観客的に受けるからだよ。儲けのためね、儲け。……ちょっとさ、僕のことを正義感溢れる人間みたいな目で見るのやめてくれる?」
俺は、思わず自分の目じりに触れて確かめてしまいながら、それでも顔が緩むのを抑えきれなかった。
たぶん、信用できる。この人のことは。
「――……ご想像のとおり、俺、日本人なんです」
俺はひとくちアイスティーを飲み込んでから、覚悟を決めて切り出した。
召喚され、投げ出された経緯。
アメリアたち三人に拾われ、信用できる国のお偉方と会う機会を窺っていたこと。
その過程で、ときに魔物を倒し、結果として薬草やポーション、温泉といった「ドロップ」を得てきたことなど。
トビアスさんは熱心にそれに耳を傾けていたが、次第に胡乱げな顔になり、最後まで聞き終えると、思い切り呆れ顔になって額を押さえた。
「……おいおいおいおいおいちょっと待って、フェンリルで薬草? 魔菌でポーション? マンティコアで温泉、セイレーンで牛肉、はては『薔薇ギル』の原案も君だって? やだ君、どれだけ金儲けの芳香を撒き散らせば気が済むわけ? 地上に舞い降りた金の使徒なの?」
「え、いや、そんなふうに言ってもらえるようなことでは……」
むしろこれらは、異世界人なのにスペルを満足に使えないことや、毎回ラッキーとしか言いようのない方法で事態をやりすごしてきたことを示す、残念エピソードでしかないのだが。
「勇者ってもっと、魔王的な存在をかっこよく倒したり、異世界の知識を使って世界を救ったりするわけじゃないですか。引き換え、俺のしたことって、なんか総じて、ネタ的というか、下ネタ的というか、腐ってるっていうか……」
「……君さ、図抜けて謙虚なのか、夢見がちすぎるのかな。あるいは、主張が少ないというか……技術は持ち合わせてるくせに、それを活かしたり周囲に見せつけたりするのがド下手とか、言われたことない?」
……そういえば、技術大国のくせに、それをイマイチ周囲にアピールするのが下手なのは、国民性というか、日本の残念な性質だ。
僕が君なら、エメラルド級の薬草を得た時点で巨万の富を得てるね、とトビアスさんに真顔で告げられて、俺は顔を引き攣らせた。
どうもつくづく、日本人というのは異世界無双に向かない国民性であるらしい。
ショックを隠せないでいる俺に向かって、彼は「それと」と声を低めて顔を寄せた。
「その話が本当なら――もうひとつ、君には聞きたいことがある。いや、こちらの方が本題と言ってもいいくらいかな」
「本題ですか……?」
「そう。――源晶石は、どこにあるんだい?」
源晶石。
久々にその単語を聞き、俺は目を瞬かせてしまう。
が、そんな俺とは裏腹に、トビアスさんは恐ろしいほどに真剣な色を、その瞳に浮かべていた。
「スペルを使ってそれらのドロップを得た――つまりそれほどの魔力をぶつけたなら、きっと大きな源晶石が還元されていたはずだ。見なかったかい? 赤や青、黄色に淡く光る、宝石のような石の塊を」
「ああ、それはもう、こぶし大のものがしょっちゅう――」
しょっちゅう出てきてましたとも。
そんなことをぺろっと言いかけ、それから俺ははっと口を覆った。
いかん、上納金。
下手に源晶石を入手していることがばれたら、来年以降の三人が苦労するのだった。
あまりにありがたみなく手に入るため、俺の中では「上納金の納付を迫ってくる厄介なドロップ」として処理されている源晶石だが、トビアスさんには違ったらしい。
自白したも同然の俺のセリフを聞き取り、さっと顔色を変えた。
「こぶし大……それも、しょっちゅうだって?」
「いえ、あ、いや、ええと……ネ、ネズミのこぶし大、とかですかね……はは、しょっちゅうっていうのも、……その、ちょっと盛ったかも……」
今こそ発動せよ、日本人の妙技・能面ポーカーフェイス!
内心で念じつつ、下手な言い訳をしてみたものの、トビアスさんは騙されてはくれなかった。
結局、言葉巧みに、かつ、全面的に圧を掛けられながら質問され、五分もしないうちに、俺はこれまで手にしてきた源晶石の全容と、それをギルドに秘匿してきたことをゲロってしまったのである。
「あの……あの……っ、上納金の一括取り立ては、どうか無しの方向で……! 現物支払いか、または分割で――」
「なにを言ってるんだ!」
「やっぱだめっすか……!?」
「ちがう! そんなレベルの話をしてるんじゃない!」
必至に言い募ると、ものすごい剣幕で一蹴される。
思わずびくっと肩をすくめると、トビアスさんははっとしたように身を引き、それから声を低めた。
「多くの冒険者たちは、小指の先ほどの源晶石しか知らない。まして君は異世界人。こぶし大の源晶石なんてものが、どれだけ重大性を帯びた存在か、知らなくてもおかしなことではない。……けどね。ターロくん。これは深刻で重大な事態だ――下手をすれば、世界が危うくなるほどの」
「え……?」
急にそんな恐ろしいことを告げられて、脳の処理が追い付かない。
戸惑いに瞳を揺らした俺に、彼は真剣な表情で問うた。
「どこに保管しているんだい?」
「え?」
「いや……誰が、と聞いた方がいいか。いったい誰が、上納金だなんて話で君を煙に巻いて、石を取り上げた? 源晶石は今、誰が、どこに保管している?」
誰が、どこに。
問いの不穏さに、半ばパニックに陥りながら、必死に考える。
誰がもなにも、源晶石の保管はパーティーの総意で、ギルドからは隠して保管しようという話になっていたはずだ。
そう、実務能力に長けたマリーが、いつもその保管役を買って出てくれていて――。
マリー。
どくん、と心臓が騒ぐ。
一瞬遅れて、そんな胸騒ぎを覚えた自分を張り飛ばしてやりたくなった。
今、俺はなにを考えた。
どうしてここで彼女を疑う流れになるんだ。
べつにマリーは、俺たちから源晶石を取り上げたりなんかしてない。
よかれと思って上納金のことを指摘して、うまく立ち回ってくれただけじゃないか。
だが、そういえば俺たちは石の管理はマリー任せで、彼女がどこにどうやってそれを保管しているのかも把握していない。
彼女に悪気はなかったとしても、十分なレベルで管理されていないとかいうことで、トラブルが発生する可能性はあった。
「お……俺――」
なんだろう、体が落ち着かない。
こんな風に、禍々しいくらいに赤い夕暮れの中を、ひとりで過ごすのが初めてだからかもしれない。
「ちょっと、宿に戻ります……!」
いても立ってもいられなくなった俺は、トビアスさんの制止を振り切り、席を立って走り出した。