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27.#お人よし(1)

「はあ……」


 夕空に響く鐘の音を聞きながら、俺は深い溜息を落とした。


 石畳で舗装された道に視線を落とし、とぼとぼと宿の周囲をそぞろ歩く。

 そこここから夕餉の煮炊きをする匂いが漂ってきて、腹の虫が鳴いたが、かといって腐女子トークで盛り上がっているに違いない三人のもとに加わるのは躊躇われて、俺は再びの溜息を漏らした。


 と、向かいからきゃっきゃと陽気な声を上げながら、楽しげに歩いてくる少女たちとぶつかりそうになり、慌てて道の脇によける。

 ふと視線を向ければ、彼女たちは腕にしっかりと本を抱え込んでいて、その表紙を見た俺は顔を引き攣らせた。


 あまりに目にしすぎて、字が読めずとも判別できるようになってしまったタイトル――「薔薇のギルド」。

 どうやら彼女たちもまた、この作品のファンであるらしい。


 よくよく耳を澄ませてみれば、その会話内には「カプが」とか「リバ地雷」みたいな単語が混ざっているのがわかって、俺は絶望の呻き声を漏らした。


 俺は……なんてことをしてしまったんだ。


「あの子たちも、姉貴みたいに『デュフフフ』とか笑うようになっちまったら、どうしよう……」


 もはや行き交う人々の顔を見ていられなくて、ちょうど橋に差し掛かったので、そのまま橋げたに寄り掛かって川を見下ろす。

 夕陽に赤黒く染まった水面には、俺の顔は黒い影としてしか映らなかったが、くっきり見えたところで、情けない表情をしているに違いないことは明らかだった。


「あああああ……」


 手すりに肘を突き、頭を抱える。


 やっちまった。

 この言葉だけが脳を占拠していた。


 いや、ギードのやつをBL小説の主人公に仕立てて嫌がらせ、もとい、意趣返ししてやろうというアイディア自体は、さほど悪くなかったと思うのだ。

 だって、エルヴィーラってあれですごく平和主義のような気がするし、ガチな復讐っていうのは、なんだか彼女の性に合わない気がしたんだよな。

 ……まあ、俺がそういう、シリアスな復讐劇に踏み込む勇気がなかっただけとも言うが。


 ただそのときは、まさかこんなことになるとは思わなかった。

 印刷業が盛んとは聞いていたから、ちょっと同人誌を作る感じで百部くらい刷らせてもらって、ギルド周辺にばら撒いてさ。

 エルヴィーラってすごく文章が得意そうな感じだったから、創作の力で鬱憤を晴らしてもらって、ついでにちょっとくらい、作品のことが噂になればいいな、くらいのことしか考えていなかったんだ。


 それが蓋を開けてみれば、「薔薇のギルド」は、地球感覚で言えばミリオンセラー、タイトルの流行語大賞ノミネート間違いなし、くらいの恐ろしい勢いで、人々に広まっている。


 同時に、こちらの世界の女性陣も着実に腐蝕を始めているのがまざまざとわかって、俺は自身が手を出してしまったものの恐ろしさに、身震いする思いだった。


 せっかくの現実離れした(ファンタジー)世界。

 現実(リアル)ではありえないような清純派美少女だって、ここでは現実たりえたかもしれないのに、俺が現実の闇に染めてしまってどうする。


「俺……なにやってんだろ……」


 ぽつんと、呟く。

 ゆく川の流れに、なんとなくこれまでの日々を重ねてしまい、つい遠い目になってしまった。


 この世界に召喚されてから、もう二か月近く。

 勇者として呼び出されたはずなのに、役立たず扱いで、放り捨てられて。

 実際パーティーに加わってみたら、「役立たず扱い」というよりか、リアルに「役立たず」なのだということを痛感する日々だ。


 差別に抗い、敵意を跳ね退け、剣や魔法を駆使して戦う三人の背後で、ちみちみとカタコトの英語を呟くだけの俺。

 三人は、俺よりも年下の女の子だというのに、そんな彼女たちが苦しんでいるのを、かっこよく助けたり、ばしっと励ましたりすることもできない。


 いや、俺なりに、彼女たちの力になりたいと、努力はしているつもりなのだ。

 彼女たちもまた――特に天使のマリーは――、折に触れて俺に感謝をしてくれたりもするのだが、


「俺がやってきたことって……なあ……」


 現状、俺がしてきたことといえば、フェンリルの腹を下し、酒を醸し、風呂に入り、肉を食らい、あげく女性陣の心を腐らせただけだ。

 なんか、……主には下したり腐らせたりしかしてない。


 副産物として、ときたま薬草やポーションには当たっているらしいものの、「勇者」と聞いて思い描く活躍とのひどい乖離っぷりに、落胆しかなかった。

 魔王とか倒さなくていいのかよ。


「うーむ……」


 頭を抱え込んだまま、再び唸り声が漏れる。


 あの三人にとって、俺の価値ってどのくらいなんだろう。

 いつまでも役立たずのまま、アメリアたちに帰還のお膳立てをしてもらうのを待つだけで、本当によいのだろうか。


 今回無事に、アメリアがサファイア級に昇格したことで、俺たちのパーティーはギルドの上役に面会することが可能となった。

 が、アメリアたちがトビアスとの面会時間をもぎ取ってくれるのをただ待っているというのは、あまりに情けなく思えた。


 俺にもっと、異世界無双するなんらかのスキルがあれば、それを切り札にお偉方に交渉できるかもしれないのに。

 ……いや、それが本来スペルのはずだったんだ。

 くそう、俺に英語の能力さえあれば。


 ぐぬぬ、と手すりにもたれかかって唸っていると、腹痛でも起こしたと思われたのか、道行く人から声を掛けられた。


「君、大丈夫かい?」

「へっ……? あ、はい――」


 慌てて顔を上げながら振り向き、俺はいっそう驚きに目を見開くはめになる。

 なぜならば、そこに立っていたのは。


「いやあ、探したよ。ちょうど一人でいるところに会えるなんて、運命だね」


 狐顔をした男性。

 昇級試験の試験官を務めていたギルドマスターにして、俺の帰還を融通してくれるかもしれない人物――トビアス・キストラー氏だったのだから。


「え、あ……え? 探した……?」


 唐突の出現に動揺する。

 しかもなぜだか、相手は俺のことを探していたらしい。


 なぜ俺のことを知っているのか。

 もしや知らない間に、アメリアから話が行ったのか。


 わたわたと言葉を噛む俺に、トビアスさんは細い目をさらに細めて、にっと笑った。


「そう、探したよ。ギルドに登録するや、たちまちブロンズ級パーティーに伝説級の薬草やらポーションをもたらした、歩く金づる――もとい、歩く金運。ジャルパ人ということになっているらしい……ターロ・ヤマーダくん?」


 口調は軽やかだが、声や表情には、こちらを竦ませるような凄みがある。


「ちょっと、お茶でもしないかい? 特別にごちそうするからさ――経費で」


 細めた目の奥、なにもかもを見透かすような、鋭い鳶色の瞳に見据えられて、俺は思わず硬直してしまった。





***





 トビアスさんに連れられたのは、食堂でも酒場でもなく、地球で言うところのコーヒーショップのようなところだった。

 移動式の台車のような店に飲み物や軽食が並び、その前に簡素な椅子とテーブル、そしてそれらを覆う布製の屋根がある。

 客は目的に応じ、テイクアウトしたり、椅子に腰かけて雑談を楽しんだりしているようだ。

 視線を配れば、商談のようなことをしている客もちらほらいたりして、立ち位置としても、俺たちにとってのファミレスや喫茶店と変わらないのだなという感想を抱いた。


 こんな店がこちらの世界にもあるんだな、とぼんやり考えていると、


「どう? トビアス・キストラープロデュースの『ティーショップ』は?」


 ふたりぶんの飲み物を持ったトビアスが、銅製のマグカップをくるくると揺らしながら尋ねてくる。


「ティーショップ? トビアス……さんがプロデュースしたんですか?」


 気になって聞き返すと、彼は冷えたマグを差し出しながら「そ」と軽く笑みを浮かべる。

 色と香りから察するに、中身はアイスティーのようだった。


「以前に召喚された勇者に関する文献の中に、『カフィー』とか『カフィーショップ』なるものの記述があってさ。勇者が大好きだった異世界の飲み物らしくて、残念ながらこちらの世界ではカフィー自体はなかったんだけど、そのビジネスモデルは頂き! と思って。こっちの住人に好まれる仕様にアレンジしつつ、展開してみたわけ。そうしたら大当たり」


 にこにこと蜂蜜や牛乳の入った小瓶を差し出しながら、解説してくれる。

 トビアス印のティーショップは、今ではこの辺りを中心に、どんどん店舗を拡大中とのことだった。

 ……どうもこの御仁、ギルドマスターというよりは、やり手の青年実業家としか見えない。


 俺が「すごいですね」と曖昧に頷くと、彼は誇らしげに胸を張った。


「まあね。異種族の文化だろうが異世界のビジネスモデルだろうが、金の匂いがするものは基本的に採用することにしてるんだ。おかげで、僕がこの地域のギルドマスターに着任してからというもの、副業収入とはいえギルドの業績は右肩上がりだよ。街に収める税金も高値安定で、治安も識字率も向上。あ、これ僕の自慢だから、大いに褒めてくれていいからね」

「はあ……」


 にこにこと語られるが、この手のタイプと遭遇するのは初めてで、ついまごついてしまう。

 返す言葉に悩んで、短く相槌を打っていると、トビアスさんはその狐顔をぐっと近づけて、「で」と切り出した。


「時は金なりだから、もうずばっと本題に入っちゃうんだけど。君、ジャルパ人じゃないよね? というかアレだ。端的に言うと――ニホン人だよね?」


 本当に一気に間合いを詰められた。

 本能的に顎を引いている間にも、トビアスさんはぺらぺらと軽快にまくし立てた。


「だってさ、あのとき闘技場で、僕見てたんだよ、君が素早くカラドリオスを折るところ。あの器用さ、ちょっと尋常じゃないよね? で、気になって君のことを調べてみたら、なんと最近噂のパーティーの一員じゃないか。しかも、さらに調べてみれば、君が加わったとたん、かのパーティーはエメラルド級の薬草やポーションを手に入れ、しかも全員が登録情報よりも急激に、かつ大幅に強くなっている。世間で噂になっているのは、美少女三人組のほうだけど、僕は思ったわけだ――もしかして、君のほうがキーパーソンなんじゃないかって」


 気になったら徹底追及しちゃうのが僕の性でね、と彼は続ける。


「聞いた話では、薬草は随分丁寧に梱包されていて、それが薬草の効能を維持する要因になっていたっていうじゃない。さらには、君が加わったあたりから、パーティーのメンバーはやたらと身ぎれいになったって噂。ついでに、ときどき独特な穀物を買い求めているとか」


 トビアスさんは、マグの中身を啜ってから、重々しく断じた。


「その器用さ、きれい好き、コメ……だっけ? 特殊な穀物への異様なこだわり。これらを総合して、過去に召喚された勇者の情報と考え合わせると、必然答えは出るわけだ。君はジャルパ人なんかじゃない。なぜだか素性を隠そうとしている、ニホン人だよねって」


 当たり? とにこやかに首を傾げられて、俺はとっさに顔を強張らせてしまう。

 トビアスさんはそんな俺の顔をまじまじと見つめて、それから不思議そうに首を傾げた。


「うーん。噂通り、ニホン人ってなにを考えてるのかわからない仮面のような顔だけど、だからといって嘘や演技が上手ってわけでもなさそうだね。むしろ下手? ものすごく動揺してるっぽいけど、沈黙は肯定とみなしちゃっていいのかな」


 ずばずばとこちらに踏み込んでいくその様子に、俺は先ほどから完全に硬直してしまっていた。


 ギルドの上役を通じて、帰還の足掛かりを確保する。

 そのためには、その「上役」に召喚の経緯や素性を伝えるのは必須なわけで、むしろトビアスさんの質問内容は、こちらから説明しなくてはならないようなことだ。


 会いたいと思っていた相手から接触してきたこと自体、願ったりな状況のはずなのだが――全面的に相手のペースで踏み込まれると、本能的に距離を取りたくなってしまう。

 向こうからやってこられると警戒してしまう、これも日本人の性なのだろうか。


「……俺が日本人だと思ったから探してたんですか?」


 少し考えて、肯定も否定もせずに、相手の目的を問うてみる。

 それが、俺にできる最大限の腹芸だったわけだが、トビアスさんはちょっと面白そうに片方の眉を上げると、滑らかな口調でそれに答えてくれた。


「そう。繰り返すけど、僕は、異世界からの客人というのは、新しいアイディアやビジネスチャンスをもたらしてくれる歩く金運のようなものだと思っていてね。どういった経緯で君がここにいるのかは知らないけれど、叶うならお近づきになりたいんだ。具体的には……そう、例えば、エメラルド級ポーションや薬草を手に入れた経緯について、詳しく教えてもらいたいかな」


 彼は細い目でにっと笑うと、「君にとっても悪い話じゃないはずだよ」と付け足した。


「これでも僕はギルマスだ。各国の王、商会にだって顔が利く。異世界人がこちらの世界で暮らすのには、なにかと不自由があるだろうけど、その多くを僕は解決できると思うよ」


 俺は肯定も否定もしなかったはずだが、すっかり日本人だと断定されている。

 運命だ、だなんて行き当たりばったりな風を装っているが、おそらく、彼の中で確信にまで高まったからこそ、こうして俺に話しかけているのだろう。

 それでも、決定権はこちらにゆだねてくれているということか。


 俺は無意識に唇を舐めながら、ちょっと考えた。


 確かに悪くない。

 というか、これこそ望んでいた展開だ。

 ギルドの上役を通じて、信用のおける国の王に訴えて、元の国に帰してもらう――


 信用。


 その言葉がふいに心臓のどこかをかすめて、気が付けば俺は「……聞きたいんですけど」と彼に声を掛けていた。


「ん? なに? なんでもどうぞ」

「あなたはあのとき――エルヴィーラを見世物にするつもりだったんですか?」

アクロバティックだった誤字を修正しました!

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