22.#肥沃なる精神的土壌(1)
「えーっと、この仮面がアメリアさん用で、こっちの置物がエルヴィーラさん。それとこのバンダナがターロさんですね。はい、どうぞっ」
四日ぶりに四人が集結した、宿屋の一室。
昨日の夕方ごろから寝こけていた俺は、朝になってからマリーとエルヴィーラのふたりに叩き起こされ、お土産のプレゼンを受けていた。
ちなみにワーカホリック・アメリアは、起きて早々ギルドに顔を出しに行ったらしい。
「うぁ……はい……どうもありがと……。えーっと、マリーたちは昨日帰ってきてたんだっけ?」
「そうですよう。もー、みんなで夕ご飯食べられるかなって、いそいそ帰ってきたのに、ターロさんったら爆睡してるんですもん」
「悪いが、『もつぁると牛』のステーキは、我々だけで平らげてしまったぞ」
「あ、うん……それはいいんだけど」
俺はすでに、試食段階でたらふく食っている。
まあ、再会の乾杯くらいしたかったところだけど――飲むと決めたときの三人って、俺より酒が強いんだよな。
俺がちびちびエールを一杯啜っている間に、三人はワインを二本くらい空けている感じで、それに付いていこうとすると必ず潰される羽目になる。
なので、もしかしたら俺は幸運だったのかもしれない。日本じゃまだ未成年だしな。
というかそんなことより、今この瞬間、俺の言語を封じてかかるブツがあった。
「……マリー。これ、なに……?」
「え? だから、お土産ですけど」
きょとんと返すマリーに、思わず絶句する。
窓から差し込む清々しい朝陽の中、ベッドの上に鎮座していたのは――あまりにその、趣味の悪……いや、感性の鋭すぎる、工芸品の数々だった。
アメリア用にと指さされていたのは、怪しげな舞踏会などで使われそうな、顔の上半分だけが象られた仮面。
いや、全体に散らされた金粉とか、横からわしゃわしゃ生えている動物の羽とかは豪華だと思うのだが、なぜか鼻と髭まで付いている。
どう見ても、髭ダンス用仮面のゴージャス版、という感じだった。
エルヴィーラにと差し出された置物は、たぶん猿……いや、豚? ……いや、もしかしたら兎かもしれないけど、とにかくそういう四つ足の動物が、なんとも言えない表情でこちらを見上げているもの。
ちなみに俺用のバンダナは、赤と紫という目がチカチカする組み合わせの背景色に、ででん! となにか文字が書いてある。
聞けば、「あんたがナンバーワン」みたいな意味であるらしい。
……間違いない。マリーって、浅草に行ったら、よく分からない漢字の書かれたペナントを買い込むタイプだ。
が、本人はと言えば、
「この仮面は、幸運を呼ぶんですって! 髭で悪い気を払って、よい気だけ取り込む、という意味があるらしいですよ。この、手のひらサイズのかわいいリスの置物は、一目ぼれで。きれいな瞳がエルヴィーラさんみたいでしょう? バンダナは、機能性重視です! 色々使えるし、気分の上がる色だから、日常使いにいいかなって。弟もよくしてるから、男の人ってこういうの好きかなと」
まるで邪気なく、にこにこと微笑んでいる。
「……私は、マリーにはこのような姿に映っているのか……」
「アメリアにも俺にも、これを日常使いせよと……?」
「えへへ。どうですか、気に入ってくれました?」
どうしよう。
感想も求めてくるタイプだ。
思わず黙り込んでしまっていると、エルヴィーラも話題を変えたほうがいいと思いついたのか、すちゃっと麻袋からあるものを取り出しはじめた。
「――実は私も、みんなに土産を買ってきていてな」
「えっ、本当ですか!? 嬉しい!」
「え、ありがとう」
ナイスだエルヴィーラ。
俺は極彩色のバンダナを視界から追い出し、エルヴィーラが手にした土産を凝視した。
黄ばんだような色合いの紙を分厚く重ねて綴じた――本。
そういえば、きちんと製本された本は、こちらの世界では初めて見た。
「この地域では印刷技術の発展が目覚ましくてな。本が格安で手に入る。古本屋などというぜいたくな商売も生まれていて、思わず手当たり次第に買い漁ってしまったんだ。いろいろあるから、好きなものを取るといい」
そう言って寝台にずらりと本を並べてみてはくれるが――残念ながら、俺にはこちらの文字が読めない。
一応それぞれの内容を尋ねてみると、エルヴィーラは表情に乏しい美貌に、ちょっとだけ浮き浮きしたような色を乗せて、丁寧に説明してくれた。
「これはな、初級魔術本のシリーズ完全版に、『猿でもわかるゼッフェルトの最終定理』、『愛はそよ風に揺れて』、それからこちらは『スクープ! 霧立ち込める湖に謎の生命体出現か?』と、『長生きしたいならまず鼻の穴を鍛えなさい』だ。あとはな、これと、これと――」
「…………」
魔術本があるのは理解するとして、高等数学とかロマンス小説とか胡散臭い週刊誌っぽいのとか、健康系啓発本みたいなのが、並列に扱われているのはどうなんだ。
雑食にもほどがあるだろう。
ついでに言えば、エルヴィーラはまるで、「ほーら、マンガだよ」とゲス顔を浮かべながら、子どもに「マンガで学ぶ高校物理」を差し出す親のような顔をしている。
勉強好きな彼女のことだ。
下手なものを選んだらスパルタ教育に巻き込まれるだろう。
ひとまず、一番難易度の低そうなものをと思い、可愛らしいタッチの絵本、のようなものを手に取ると、エルヴィーラは「ほう」と喜色を浮かべて頷いた。
「さすが、目が高いな。それは、魔術学の権威と名高いリンツァー教授による、なぞり書きスタイルの呪文集だ」
「まじで!?」
「ああ。私の専門分野をともに学ぼうとしてくれて、嬉しいぞ。これからは日々、寝る間を惜しんででも魔術学の研鑽に励もうな」
よりによって、俺は大外れを引いてしまったらしい。
エルヴィーラはマリーをも巻き込んで、
「そうだ、せっかくだから最初の数ページをやってみようか。ほら、マリーもここに座れ」
と、いそいそ教本を開きはじめてしまった。
「いえ、私はほら、魔術は専門外なので……」
「お、俺もほら、スペルがあるし、そもそも、もうすぐ元の世界に帰る予定だしさ」
「なにを言う。鑑定や、スペルの発動に、これらの知識が役立つこともあるかもしれないぞ。いや、役立つだろうな。うん、絶対役立つ」
戦闘モードになったエルヴィーラは聞きもしない。
彼女はペンを取り出し、さっそく俺たちに握らせると、美麗な顔に押さえようもない喜びをにじませて告げた。
「本は……知識というのはな、よいぞ。読み手が誰であろうと、本や知識は差別しない。純エルフや人間の魔術師が万全の教育体制で魔術を学ぶ中、私はこれらの本だけを頼りに、魔術を身に着けた。絶対に裏切らない師匠であり、友だ。友人に友人を紹介できるのは――とても嬉しい」
「…………」
とたんに、抵抗したいという気力がなくなってしまう。
そんなことを言われたら……一緒に勉強しないわけにはいかないじゃないか。
基本的に、真面目で一生懸命なんだよな。
エルヴィーラも、アメリアやマリーたちも。
なのに、ハーフエルフというだけで、あるいは、女、獣人というだけで、侮られたり、差別されたりする。
そんなことって、あっていいのだろうか。
エルヴィーラいわく、ハーフエルフというのは、人間からも純エルフからも「外れ者」のような存在であり、魔術学校のような教育機関や、エルフの相伝対象からも弾かれてしまうのだという。
いつも無心にページをめくっている彼女の姿は、もしや世の中に対する足掻きのようなものだったのかな、と思うと、やりきれなさを覚えた。
「ターロ、こちらの文字は読めないんだったな。呪文よりもまず先に、覚えておくといい。これがおまえの名前だ」
エルヴィーラは、本とは別に取り出した紙に、ほっそりとした手で字を書きつける。
複雑に絡み合った円と直線、その塊が三つ。
どうやらそれが、「ターロ」という文字らしい。
「わ。エルヴィーラさん、やっぱりきれいな字ですねえ」
覗き込んでいたマリーが感嘆の溜息を漏らしたところを見るに、彼女の字はそれだけ美しいのだろう。
エルヴィーラは心なしか頬を赤くすると、「そうか?」と首を傾げ、さらにいくつかの文字を書き出していった。
「これが、エルヴィーラ。マリー。アメリア……」
全員分の名前を書いてくれたらしい。
さっぱり読めないし、規則もわからないけれど、俺は四つ並んだその名前を見て、なんだか胸が温かくなるのを感じた。
横ではマリーが両手を叩きつつ、エルヴィーラにもう一度書いてくれと頼みこんでいる。
自分の文字の拙さが気になっていたので、手本にしたいとのことだった。
エルヴィーラは喜んでそれに応じている。――やっぱりみんな、すごくひたむきな子たちなんだ。
ほっこりしている俺に向き直ると、エルヴィーラはおもむろにページの一枚目を指し示した。
「――で、だ。ここからが魔術の話だ。呪文を書き取る前に、まずは構造を理解しておいたほうがいいな」
「…………はーい」
だんだん話が本格的になってきた。
エルヴィーラの説明によると、呪文というのは「讃頌・請願」または「讃頌・定義」に分かれる。
まずは奇跡の力をもたらしてくれるレーヴラインの魔力の源に感謝を捧げ、しかるのちに自分の願いや、叶ってほしい状況を述べるというものだ。
めちゃくちゃ平易にすると、「あざーっす! いつもお世話になってまーす! もうそのお力にすっげえ感謝してますよ、ところで目の前の氷を溶かしたいんで火ぃください!」みたいな感じだろうか。
定義の場合だと、最後の部分が「ところで氷よ、おまえはすでに水だった!」になるみたいな。
言葉には力がこもり、その力に見合ったぶんだけ、願いは叶えられる。
ただし、その力がこもるためには、言い方――つまり、節回しが重要なのだという。
文章というのはあくまで文字の連なりでしかないので、それにどれだけ感情を込められるかが、魔術の質を左右するのだ。
なので、呪文は書くよりも読んだほうが当然強く発動するし、教本で学ぶよりは、教師から実践的に教わったほうが当然実を結びやすい。
エルヴィーラはその教師に恵まれなかったので、その節回しにはあまり自信がないという。
しかしだからこそ、ほかの誰より呪文量を多く身に着けておこうと、絶えず呪文の書き取りを繰り返しているとのことだった。
……なんだか、スピーキングは苦手だけど、ライティングはばっちこい! みたいな、ジャパングリッシュに通ずる悲哀を感じる。
「エルヴィーラ……! 頑張ろうな……!」
「うん? ああ。で、この請願や定義の代表的な呪文がこれでな」
俺は感極まってエルヴィーラとがっちり握手を交わそうとしたが、彼女にとっては特に感動ポイントではなかったらしく、すいとその手を避けられ、あげく次に進まれてしまった。
女の子が手を組み合わせて、何ごとかを祈っているイラストが載ったページだ。
「古い言葉で、『願いが形を得ますように』といった意味だ。詠唱のときには使わないが、書き言葉だとよく文尾に付け足される。声で感情を込められないぶん、その補助ということだろうな」
補助呪文まできちんと加えておけば、べつに呪文は唱えずとも、書いただけで効力を発揮するわけだ。
「じゃあさ、もうあらかじめ、讃頌・請願・補助をセットで何パターンか書き込んでおいてさ、それを持ち歩けば、超スピーディーに魔術を展開できるんじゃねえの? なんならスペルを唱えるよりも速くさ」
「いや……残念ながら、それではスピーディーすぎる」
「へ?」
きょとんとすると、エルヴィーラは「私も小さい頃、そう考えたものだった」と肩をすくめた。
「三つを組み合わせて書いた途端、魔術は発動してしまうからな。ストックできないんだ」
「ああそっか……」
「まあ、請願の部分だけ空白にしておいて、その場で書き込むということもできなくはないが……それだと、詠唱よりも時間が掛かる。そもそも記述式の魔術は、詠唱より効果も弱いしな」
魔術の世界でも、ライティングよりスピーキングが求められる時代だということか。
俺はなんだかしょんぼりとしながら、「そっか……」と頷いた。
落ち込んだ俺に、エルヴィーラは苦笑して、「だが、そういった発想は素晴らしい。ターロも讃頌と補助呪文を書いてみるか?」と紙に手本を書きつけてくれる。
が、
「まずは基本の補助呪文からいくか。古語だからかなり難解でな。私もうまくは発音できないんだが、この文字のところから『ヴァーク・アー・モーレス・トーレ……』――」
「う……うん! ごめん! もういいや!」
英語の発音でさえいっぱいいっぱいいの俺だ。
ここにさらに、他言語、しかも古語の発音まで詰め込んだら、頭がパーンしてしまうと思い、耳を押さえてぶんぶんと首を振った。
だがそうした態度は、エルヴィーラのお気に召さなかったらしい。
彼女は珍しく長い耳を「むむっ」といった感じでぴこんと動かすと、寝台の上でぐっと距離を詰めてきた。
「なぜだ。魔術はつまらないか?」
「いえ! 滅相も! 滅相もございません!」
エエエエエエルヴィーラさん。
距離! 距離がね! 近うございますよ!
なにちょっと拗ねたようなその上目遣い。
ふわんと漂う清々しい花の香り。
狙ってんの!?
いや狙ってないよね君のキャラ的にうんまあそれは理解してるけど――狙ってんの!?
彼女いない歴十八年の、妄想瞬発力を舐めないでいただきたい。
ちょっと距離を詰めて会話するだけで、それまでの一切の思考をかなぐり捨てて、「この子俺のこと好きなのかな」とか失笑モノの妄想の翼を広げはじめるんだからな!?
請願だとか呪文だとかのすべてを勢いよく脳内から締め出し、あうあうと硬直していると、さらにそこに、マリーまでもが無邪気に顔を寄せてくる。
「なんだかターロさん、顔、赤くありません?」
この子!
俺のことが!!
好きなのかな!!!
……だめだもう、理性じゃこの羽ばたきを押しとどめることができない。
もう俺の力だけでは追い付かない。
冷や水要員急募! と思ったその瞬間、
「ただいま」
まるで召喚されたかのようなタイミングで、アメリアが部屋にやってきた。
朝早いというのにいつもの胸当てや剣を装備し、どうやら外出を済ませた後であるらしい。
彼女は、ふたりに迫られて石化している俺をちらりと見やると、「ターロ、あんたやっと起きたの。涎の跡くらい拭けば?」と、クリティカルな冷や水を浴びせて妄想の翼を蹂躙した。
「ね、今ギルドに行ってきたんだけどさ――」
あげく、早々に次の話題を切り出す。
これが長の貫禄というものか。
傷ついたような、安堵したような、複雑な気持ちで顔を擦っていた俺だったが、あとに続いた言葉を聞き、せっかく涎を拭き取った顔に、再び唾を飛ばす羽目になった。
「かくかくしかじかで、みんなで昇級試験を受けることになったから。今日」
「はっ!?」