21.girl's talk
「それでは再会を祝し……」
簡素ながらしっかりとした宿屋の食堂。
わいわいと賑やかな声が飛び交うその場所で、三人は丸テーブルを囲み、真剣な顔でナイフとフォークを握りしめた。
「いっただきまーす!」
一斉に手を伸ばしたその先にあるのは、じゅうじゅうと煙を立てる鉄板だ。
木の厚板に載った無骨な鉄板、その上には、分厚い牛肉のステーキが鎮座していた。
近くの牧場で育てた牛を捌いて持ち込み、特別に食堂で調理してもらったものである。
器用なマリーが率先してナイフを操り、ビフテキはたちまちひと口大へとカットされる。
中心にだけわずかに赤みを残した肉の塊は、フォークを突き刺すと、たちまちじゅわりと透明な肉汁を溢れさせた。
岩塩と胡椒を振っただけのそれを、鉄板にもう一度だけ押し付ける。
じゅっ!
軽い音とともに、表面の脂を散らした牛肉を、三人はそうっと口へと運んだ。
「――……んっっま!」
「――………………!」
「――んぅうううう!」
一拍遅れて、三人は一斉に相好を崩した。
まるで口にしたステーキの熱が移ったとでもいうように、皆一様に頬を紅潮させ、目を潤ませている。
それほどに、彼女たちが食べた牛肉は柔らかく、脂は丸い甘みを帯び、噛むたびに心を震わせた。
「なにっこれ……! もう……噛まなくても……噛まなくても……溶けてくじゃないのぉ……!」
恍惚の表情で、アメリアが呻く。
その滑舌は、心なしかいつもより甘いようにも聞こえた。
その隣では、エルヴィーラとマリーが、顎を逸らし目を閉じながら、至上のステーキに舌鼓を打っていた。
「ひとくちごとに肉汁が広がるというのに、一向にくどさがないとは……どういうことだ……」
「ステーキって……神々の料理だったんですねえ……」
堪能しつつも、フォークを操る手の動きは素早い。
鉄板上でがちん! と互いのカトラリーがぶつかる音が響くと、三人はちらりと視線を交わし合った。
「……エルヴィーラ? あんた森の民の血を引いてるんでしょ。こんなに肉をバカバカ食べて大丈夫なわけ? あたしが代わってあげるわよ」
「心配は無用だ。しょせんはハーフエルフ。この肉食の食性こそが、純粋なエルフに忌み嫌われるゆえんのひとつだからな。ここでその本領を発揮しなくてどうする。……ところでマリー、獣人が獣の肉を食することに関してなにか感想は?」
「うふふエルヴィーラさん、狐ってもともと肉食なんですよ、お気遣いありがとうございます。……ねえアメリアさん、先週テントで寝ていた時、私のこと蹴っ飛ばしましたよね。痛かったなあ」
一瞬、テーブルの空気が張り詰める。
三人はすうっと目を細めて、互いのことを牽制していたが、
「――……ふっ」
一斉に肩の力を抜き、面白くて仕方がないというように笑い出した。
「あはははははは!」
なにがそんなに楽しいのか、フォークを握っていた手でテーブルを叩いたり、大きくのけぞったりしている。
ハイな美少女三人に、周囲が「盛り上がってんなあ!」とジョッキを傾け、アメリアたちも機嫌よくジョッキを掲げ返した。
「やー。なんか超気分上がるんですけど。もうこれ、争うのが馬鹿らしくなるくらいおいしい。ヤバいわ。いろいろ溶ける」
「同感だな。先ほどから多幸感が半端ない。牛肉がこれほど美味しいものだったとは」
「さすがはターロさん謹製の『もつぁると牛』ですよねえ」
マリーがしみじみ呟けば、ほかのふたりもすかさず頷く。
中でもアメリアは、感に堪えないといった様子だった。
「まさかセイレーンの歌声を聴かせると、牛がこんなにおいしくなるなんてねえ……」
そう。
ターロはあの場で、セイレーンを殺さない代わりに、労働させてみてはどうかと提案してきたのである。
なんでも、牛にある種の楽曲を聴かせると、ストレスが取り除かれ、ミルクの量が増えたり肉質が柔らかくなったりするというのだ。
そのメカニズムもそうだが、そもそもセイレーンを牛の飼育に活用するという発想がわけがわからない。
アメリアは最初「意味わかんない」と一蹴したが、ターロは必死だった。
「いや、でもさ! 俺の世界ではわりと一般的だし! やってみる価値あると思うな、うん! だってほら、歌の魔力それ自体は封じたわけだし、無害だし、やってみてダメだったら、そのときどうにでもできるじゃん。な!?」
どうも、目の前で人型の魔物を殺されるのがよほど嫌だったらしい。
拙い交渉でアメリアとセイレーンを承諾させ――なにしろ生殺与奪を握っている以上、セイレーンは従わざるをえなかったようだ――、歌う魔物を岸に連れ帰ったのである。
ちなみに、岩場に貼りつかされていたセイレーンは、ターロが「go」のスペルを唱えると、たちまち直進し、奇しくもふたりが乗るボートを引っ張る動力となってくれた。
その後、わざわざ自由区から一番近くの牧場まで赴いて、適当な牛を何頭か見繕い、海岸まで帰還。
半信半疑のアメリアの前で、セイレーンに歌わせてみると、みるみる牛の体重が増え、鳴き声が穏やかになっていったのだ。
「ターロの、あの食に関する熱意はなんなのかしらね……」
ここ数日のことを思い出し、ついアメリアは遠い目になる。
そう、どうも歌を聞かせるのは効果的だと理解すると、むしろターロは目を輝かせて牛の肉質改善に乗り出しはじめたのである。
最初はひいひい言っていた屠殺風景にもだいぶ慣れたらしく、
「もっとね、サシが入るはずなんですよ。細かく! それはもう、きめ細やかな、脂による美しい流線が! わかります!?」
途中からは牧場の人間に熱っぽくプレゼンを重ね、その様子はどこか、マッドなサイエンティストすら想起させた。
「ああ……美食にこだわるのは国民性だと、以前言っていたような気がするな……」
「基本的には非戦闘的なんですけど、ときどきよくわからないところで、人間性をかなぐり捨ててこだわりますよね、ターロさんって……」
ちなみに、牛の肉質改善にあたり、当初意外にもやりがいを感じていたらしいセイレーンは、途中からあまりの長時間労働に疲弊しきっていたが、ターロは「大丈夫! 俺の国では、残業百時間くらいまではセーフだから!」といい笑顔で親指を立てていた。
日没とともに仕事を終えるレーヴラインの民からすれば、想像すら及ばぬ世界だ。
「そうよね……セイレーンを殺すなと言う割には、やつが死んだ魚のような目をして待遇の改善を願い出ても、『サービス残業で!』とか言うし、最初の一頭を捌いたときにでっかい源晶石が出て来たのに、それもそっちのけで牛のサシばかり見ているし……」
今回もまた、ターロのスペルがセイレーンとぶつかったことで、歌声を聞いた牛から源晶石が出現したのだ。
しかしターロは、せっかくの大ぶりな源晶石にはさほど関心を向けることもなく、ただ肉を念入りにチェックしながら、「A5ランク……A5ランクまで狙いたい……」とぶつぶつ呟いていた。
ちなみに彼は、この数日の徹夜作業が祟って、今は寝台でいびきをかいている。
「……ニホン人というのは、人道的なのか、非人道的なのか……」
「無欲なのか、貪欲なのかも、悩みますね……」
じゅわっと肉を噛み締めつつ、一瞬その場に沈黙が下りる。
が、マリーはふるふるっと首を振ると、「でも」とほかのふたりに笑いかけた。
「ターロさんと一緒にいると、楽しいし、生活に張り合いが出るのはたしかですよね」
切り分けたステーキを口に運び、頬を膨らませながら微笑む。
「ターロさんと出会ってから、なんだか私たち、楽しいことばかりしてる気がします。おいしいものを食べて、おいしいお酒を飲んで、オンセンに浸かって。……私、隣国まで行ってきたりもしましたけど、ちっとも、楽しくなかったです。アメリアさんたち、なにしてるんだろうなって、そればっかり思ってました」
「マリー……」
ストレートな言葉に、不意を突かれてアメリアが黙り込むと、エルヴィーラもまた頷いた。
「私も同じだ。書店巡りをしてみたが、楽しくもなんともなかった。途中で、引き返してしまおうかと思ったほどだ。クエストに出るのだったら、私も同行したかった」
「エル……」
アメリアは目を見開く。
そして、すぐにほのかな苦笑を浮かべた。
「悪かったわね。べつに、結果としてこうなっただけで、ターロを独占するつもりはなかったのよ。今度『解散』するときは、ターロをふたりのほうに――」
「そうではない、アメリア」
「違います、アメリアさん」
が、彼女の言葉は即座にふたりに遮られる。
きょとんとしたアメリアに、エルヴィーラとマリーは真剣な表情で告げた。
「我々は、ターロといたかったと主張しているのではない」
「『四人で』いたかった、って言ってるんです」
「え…………?」
アメリアが怪訝な表情を浮かべると、ふたりは視線を交わす。
苦笑い、というには優しい、「仕方がないなあ」とでもいうような顔だった。
やがて、フォークを置いたエルヴィーラが切り出した。
「なあ、アメリア。たしかに最近のクエストの成果で、我々に声を掛けてくるパーティーは多い。だが……私は、このパーティーを抜けるつもりはないぞ。おまえが、それを強く望まない限りはな」
静かに目を見開くと、マリーもまた頷いた。
「私もです。アメリアさんがいて、エルヴィーラさんがいて、あと、ターロさんがいて。そんな、『ここ』が、いいんですもん。……だから、『解散』がもし、私たちを試すためのものなら――そんなことはしないでいいんですよと、私は言いたいです」
試す。
その単語の強さに、アメリアははっと息を呑む。
そうして、自分の内側にその言葉をぶつけてみて、――まったくその通りであることに、彼女は視線を逸らして俯いた。
機会を与える。
自分で自分のことを決めることは何より重要だから。
その動機に嘘はない。
けれど同時に、月に一度パーティーを「解散」するのは、己の臆病さからくるものだということを、アメリアは理解した。
――要らぬ 要らぬ 魔の八の娘。
要らぬ 魔の八は 夜の山
セイレーンの歌声が蘇る。
あれは、間違いなくかつての自分を歌ったものだ。
口減らしのために実の両親に捨てられ、暗い山道に立ち尽くしていた、自分を。
握りしめた拳。
足元から這い上がる寒さ。
気を抜くと顔は勝手に泣き顔を作るから、ただじっと、目は夜の闇を睨みつけ、口は強く引き結んでいた。
幼い彼女は思った。
捨てられるというのは、なんとみじめなことだろう。
親の都合でぽいと糸くずのように放り出される、そんな人生には、誇りも尊厳もない。
ただただ、みじめで、憤ろしくて――心が凍えそうなほどの、悲しさだけが溢れている。
もう二度と、捨てられるものかとアメリアは思った。
捨てられるのではない、捨てるのだ。
選ばれるのを待つのではない、自分が選び取るのだ。
貸し借りは作らない。
常に自分の足で立つ。
どんな理想的なパーティーを組んだって月に一度解散する。
だってそれなら――仲間と別れることになったとしても、それは自分が「捨てられた」ことにはならない。
(でも……本当は違う)
そう。
本当は、求められたかった。
おまえがいないとだめなんだと言われたかった。
こちらが突き放しても、また自分の手を取ってほしかった。
それくらいに求められたかった。
ターロが途方に暮れた顔でギルドの受付に立ち尽くしていたとき、そして宿屋で縋るように「抜けなくてもいい、ってことだよな?」と問うてきたとき、――だからアメリアは、自分でも呆れるくらい、嬉しかった。
(それに……)
――アメリアがいないと話がはじまらないんだからな!
ターロがセイレーンに向かって叫んでいた、言葉。
本人は単に挑発のつもりで叫んだのだろう、特にアメリアを励まそうという意図すら籠っていないその言葉に、どれだけ救われたことか。
「…………じゃあ、例えばだけど」
肉の刺さったままのフォークを、無意識に握りしめる。
まったく、全部、ターロがいけないのだ。
平和ボケしていて、臆病で、頼りがいのないニホン人。
美食に目がなくて、オンセンが大好きで。そんな彼につられてうまいものを食べたり、ぬるま湯に浸かったりするものだから、こちらも、ふわふわとした人間になってしまう。
「もう『解散』はしないで、……代わりに、月に一回、とびっきりおいしいもの、食べに行くってのは……どう? ――みんなで」
長年の方針を、すとん、と変えられてしまったのは、きっととろけるように美味な肉や、温かな湯に、意地や見栄が溶け出してしまったから。
口をついた声の素直すぎる響きに、我ながら驚き赤面していると、向かいからは即座に「もちろん」と声が上がった。
「月に一度でいいのか? 週に一度でもいいぞ?」
「あっでも、月に一度の肉の日っていうのも、ものすごくプレミアム感が……!」
エルヴィーラとマリーは、ステーキを頬張りながら、楽しそうに話し合う。
アメリアが彼女たちを試してきたことへの謝罪も、そうするに至った事情の説明も求めず、ただにこにことフォークを操るふたり。
その姿を見て、柄にもなく、アメリアは小さく呟きたくなった。
(……ありがと)
伝える相手は、目の前のふたりと――寝台でいびきを掻いているのだろう呑気な男に。
ターロ。
臆病で、生活能力に乏しくて、明後日なことばかりする男。
なのにときどき、ふっと人の心に入り込んでくる、不思議な男。
ボートの上で抱きしめられたときに感じた、意外にも強い腕の感触のことは、このふたりには内緒にしておこうとアメリアは思った。
それから、
――あのときの自分には、セイレーンが黒髪で、平たい顔の男に見えていたことも。