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19.#アレを発明したやつ出てこい(2)

 セイレーン。

 俺たちの世界でもかなり知名度の高いと思われる、海の魔物。

 魅惑の歌声で男たちの理性を奪い、海に引きずり落とすという人魚だ。


 俺がぎょっとしている間に、ふわりと生温い風が吹き渡り、かと思えばたちまち霧が立ち込める。

 先ほどまではまぶしい昼下がりの海だったのが、一瞬で物々しい雰囲気と化し、俺は青褪めた。


 ――……ああ……あああ……。


 風に乗って聞こえてくる、美しい女性の歌声。

 先ほどよりも近く感じる。


 俺は霧に目を凝らし、いくつかの岩場を超えた先、ボートから数十メートル離れた波間に、人影を認めた。


「――あそこよ! あそこにいる!」


 やはり魅惑の海妖ということは、麗しい女性の姿をしていたりするのだろうか。

 ……いや待て、もしも日本の妖怪譚で伝わる「人魚」の系統だとしたら、人面魚の部類だ。


 西洋風か、和風か。

 運命の別れ道である。


 そんな場合ではないはずなのに、ついそんな思考を巡らせてしまい、俺はどきどきしながら人影を凝視した。


 向こうが近づいてきているのか、少しずつ輪郭がはっきりとしてくる。


 波を掻き分けるほっそりとした白い腕、波に攫われながら広がる艶やかな金髪。

 貝殻のようなもので隠された豊かな胸……顔立ちも……おおお……!


「金髪ロリ巨乳美少女キター――!」


 大当たりの方の人魚だ!

 俺は状況も忘れ、思わずボートの上で大きくガッツポーズを握った。


 とたんに向かいから叱責が飛ぶ。


「馬鹿! 喜んでる場合!? ってかあんた、金髪ロリ巨乳が一番タイプだったわけ!」

「へ?」

「セイレーンってのはね、見る人間にとって一番魅力的に見えるように、相手の目に錯覚を起こさせるのよ」

「そうなの!?」


 こちらの世界のセイレーンは、ずいぶんと対応が細やかだ。

 ふと思いついて、


「じゃあアメリアには、あのセイレーンってどんな美少女に見えるの?」


 と尋ねてみたら、意外な答えが返った。


「美少女っていうか、あたしには男に見えるんだけど」

「性差にまでミートしてくんのかよセイレーン!」

「今日日は女の冒険者も増えてきたから、セイレーンも男型を錯覚させられるように進化してきてるのよ」

「進む男女共同参画社会……!」


 異世界召喚のグローバル化といい、冒険者の女性進出といい、多様性(ダイバーシティ)の推進というのはどこの世界でも同じなんだな。

 ……って、今はそんなことに感心している場合ではなくて。


「セイレーンが近付いてきたら斬り殺すわ。ターロ、あんたはせいぜい耳を塞いでなさい」

「こ、殺すの!? 殺しちゃうの!?」


 ボートの向かいの席では、アメリアがぎらりと闘志を剥き出しにして、膝立ちのまま剣を構えたところだった。


「魔物とエンカウントしたら、殺す。当然でしょ?」

「で……っ、ででででも、相手は女の子だぞ……!?」


 そう、俺の目には、セイレーンはあくまで可憐な少女にしか見えないのだ。

 しかも、なんだか悪戯っぽい笑みなんか浮かべてて、「やっほー」みたいな感じで気さくに手を振ってきている。

 悪意なんて、害意なんて、かけらも抱いていない様子だった。


 もしかして、彼女は好奇心旺盛なイルカが海面に顔を出すみたいに、単に俺たちと友達になりたくてやってきたのではないか。

 魔物だからって、出会い頭に殺さなくたっていいんじゃないか。


 相手が人型、それも美少女姿だからと大いに惑わされていると、アメリアは吐き捨てるように言った。


「だから、それがやつらの手だって言ってんでしょ! あんた、ちょろすぎるわよ!」


 ちょろすぎですみません!

 でも、俺はアメリアの腕前を知っていて、その剣がなんのためらいもなく魔物の肉や臓腑を叩き斬る場面も見てきたりしていて……あの子が体をバラバラにされて死んでいくところなんて、見たくなかったんだ。

 生々しすぎて。


「アメリア……。その剣、下ろそうよ。やっぱ暴力からはなにも生まれないっつーか……まずは圧力より対話だよ、そうだろ?」

「あんた、今さっき、上級のクエストらしく華々しくいきたいっつってたじゃない! お望み通り華やかな魔物よ、なんで止めんのよ!」

「いやだって……殺人となると罪悪感が……!」

「魔物だってば! なに、あんた人の顔した魔物は殺せないわけ!?」

「さようでこざいます!」


 図星を刺されて、俺は情けなさ全面で頷いた。


 だって、ここは二次元の世界じゃない。

 リアルなんだ。


 魔物を倒すシーンだって、エフェクトやBGMでごまかされてはくれない。

 剣を揮えば血しぶきが飛ぶし、いつまでも耳に残る断末魔や生臭い匂い、死体の目がどんどん濁っていく様子……、とにかく、五感に訴えてくるインパクトが強烈なのだ。

 魔獣や牛ですらいっぱいいっぱいなのに、そのうえ人の顔をした生物を殺そうものなら、俺はどうにかなってしまいそうだった。


 が、その甘っちょろい葛藤に、アメリアは苛立ちの舌打ちを漏らした。


「……いいわ。あんたは目を塞いでなさい。ついでに耳もね。旋律だけならまだいいけど、歌詞を聞き取ったら、気の弱い奴は一気に心を絡めとられ……――」


 だが、そのとき。


 ――……いつ、む、なな、や  まのやは いらぬ……


 ふと、生温い風に乗って歌声が響き、アメリアは言葉を途切れさせた。


「――……く……っ」


 そうして、慌てたように耳に手をやり、ぎゅっとそれを塞いだ。


「……こいつ……っ」


 罵る声は、わずかに震えているようにも思える。

 急に怯えたように硬直してしまったアメリアに、俺は戸惑った。


「アメリア?」

「や……っ、やめなさいよ……」


 その間にも、歌詞はますますアメリアを苦しめているのか、彼女は両耳を塞いだままぐっと屈みこむと、いやいやをするように首を振った。


 ――ひ、ふ、み、よ、いつ、む、なな、や  まのやは いらぬ


 ふと見れば、セイレーンはずいぶんとボートに近付いてきている。

 俺には相変わらず金髪美少女にしか見えない彼女は、しかしターゲットをアメリアに定めたようで、波間から顔を出し、じっとアメリアのことを見つめていた。


 ――ひ、ふ、み、よ、いつ、む、なな、や  まのやは いらぬ

   いらぬ まのやは よるのやま


 なんと歌っているのだろう。

 普段J-POPくらいしか聞かない俺にはあまりなじみのないリズムで、耳が滑る。


 ――一、二、三、四、五、六、七、八  魔の八は要らぬ

   要らぬ 魔の八は 夜の山


 何度目かにようやく意味に当たりをつけ、思わず眉を寄せた。

 魔の八――?


 なんのことを歌っているのかわからない。

 だが、そうこうしているうちにアメリアは呻き声を上げ、剣すら投げ出し、ボートにうずくまりはじめた。


「やめなさい……っ」

「アメリア!?」


 慌てて傍に屈みこむ。

 だが、揺れるボートの上で、アメリアはめちゃくちゃに腕を振り回した。


「やめ……っ、やめて……! そんなもの、見せないで……っ」


 どうも、歌声を退けているというよりは、周囲に立ち込める霧を振り払おうとしているようである。

 たしかに、この霧は妙に生臭いし、肌の粟立つような禍々しさがある。

 おそらく、セイレーンが歌声でこの霧を操っているのだろう。


 俺は霧攻撃を止めるべく、慌ててスペルを唱えた。


「ス……stop!」


 ――パァァッ!

 だいぶ精度の上がってきたスペルは、すぐに発動してあたりに光を迸らせる。


「よっしゃ……――あ?」


 俺はガッツポーズを決めかけたが、ついで間抜けな声を漏らした。


 なんと……霧は晴れるどころか、どんよりとその場に停滞(ストップ)して、むしろ濃さを増したのである。


「のおおおおお!」


 違う! 違えよ!

 そっちの意味にストップしてほしかったんじゃねえよ!

 攻撃をやめてほしかったの! セイレーンの方をストップしてほしかったの!

 文脈で理解してくれよ!


「ノー! ノー、ノー! 霧、ノー!」


 だが、ハイコンテクストな日本人的思考回路は世界に受け入れられなかったようで、セイレーンのほうはぴんぴんしている。

 彼女がにやりと唇を釣り上げ、ますます歌声に力を籠めだしたのを見て、俺は慌てて、霧を払うべく腕を振り回した。


「ノー! 霧、Stop、ノー! セイレーン、stop! セイレーン、stop! ……セイレーンだっつってんだろ!?」


 セイレーンのネイティブな発音ってなんだよ!

 が、叫びつづける俺をよそに、


「――……い、や……」


 とうとうアメリアが、そんなか細い悲鳴を上げはじめた。


 無力で、弱々しくて、幼い声。

 彼女のそんな声を聞くのは初めてだ。


「アメリア! しっかりしろ! ……くそっ、この霧、どうすりゃ晴れるんだ」


 晴らす。

 英語だとなんて言うんだ。


 サン?

 いやいや、うっかりもう一個太陽を「再現」しちまったらどうすんだよ。


 霧を飛ばせばいいんだ。

 ジャンプ……違う、……弾く……わからない、揺らす……揺らす……。シェイクか!


「シェ……――」


 だが、霧に向かって「揺れろ」と叫びかけたそのとき、にわかに感情を昂らせたアメリアが、思いきり体を揺らした。


「やめて……っ!」

「シェィ――ァア!?」


 彼女の振り回した腕が当たり、体勢を崩した俺は、無様にもスペルを悲鳴に変えてしまう。


 だがその瞬間。


 ――パァァァァァァァッ!

 先ほど以上に強い光が生じ、俺はとっさにアメリアと自分の目をかばった。


 やがて、光が収束する気配を感じ取り、恐る恐る顔を上げる。

 とたんに、世界の様子が一変していることに気付き、俺は顔を強張らせた。


 霧が周りをぐるりと取り囲んでいる……のはまだ理解できる。

 だが、ボートで海に浮かんでいたはずの俺たちは、虚空にぽっかりと浮かんでいたのだ。


 見えるのは、足元の闇、そして周囲の霧の白。

 それだけ。


 いや。


 ――要らぬ 魔の八は 夜の山


 男とも女ともつかない歌声が響くのと同時に、まるで霧がプロジェクターにでもなったかのように、なにかの映像を結びはじめた。


 黒い影……いや違う。暗い……森?


 それは、引っかき傷のような三日月の浮かぶ森の中で、誰かが立ち尽くしている様子のようだった。

 拳を握りしめて、仁王立ちしているその人物は、とても小柄だ。


 ぼろぼろの衣服からはみ出る細い手足。

 癖のある赤銅色の髪。

 ぐっと口を引き結び、木々の奥を睨みつけているのは――幼いアメリアだった。


「やめて……思い、出させないで……っ」


 すぐ傍らの、現実のアメリアがいやいやと首を振る。

 それで悟った。


 これは、アメリアの過去の記憶。

 セイレーンは霧と歌声を操ってそれを見せつけていて――俺は図らずもそれを共有しているのだ。


 共有。

つまり、Share(シェア)のスペルによって。

作者キャパオーバーのため、更新頻度を少し落とさせていただきます、すみません!

次話は10日(日) 20時更新予定です。

詳細は活動報告をご確認くださいませ。

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― 新着の感想 ―
[一言] 某緋色の鳥を思い出してゾッとした、数え唄って怖いよね
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