17.幕間
「ほう……」
堅牢な石造りの、王宮の一室。
華美な政務室とはまた異なり、王の極めて私的な用事を済ませるための、寝室にほど近い小部屋で、ドーレス王ヘンドリックは、満足そうな声を上げた。
「これは、なんと見事な」
たるみはじめた頬を笑みの形に緩めて、差し出された麻袋の中身を検分する。
あまりの見事さに驚嘆の色が浮かびかけるが、彼はそれをすぐに厚い瞼の下に覆い隠すと、上機嫌な笑みだけを残して、跪く人物に向かって告げた。
「いい仕事をしたな、十三番」
「――……は」
十三番、と呼ばれた相手は、全身をローブに包んだまま頭を下げる。
「よい。顔を上げよ。無粋なフードも外さぬか」
ヘンドリックが鷹揚に告げると、その人物は無言でフードを外した。
それを見て、王の傍らに控えていた神官はわずかに瞠目する。
現れた相貌が、年若い女性のものだったからだ。
きつく結い上げた髪に、あどけなく整った顔。
瞳が大きく、幼く見える顔立ちだが、差した紅に色香が、眇めた目つきに知性が滲む。
白いうなじにくっきりと刻まれた奴隷紋がなければ、どこかの令嬢と信じてしまいそうな姿であった。
「さすがよなあ。まさかこれほど早く、約定に迫ろうとは」
「――……違えませんね?」
「はっは、疑り深いやつめ。だまし討ちのような形で、魔術紙に血まで垂らして契約をさせたのは、おまえではないか。約定は、果たす。おまえが違えぬ限りはな」
ヘンドリックはおどけた表情で、麻袋を掲げてみせた。
「これは確かに受け取った。このペースならば、そなたはあと数年で願いを叶えてしまいそうよなあ。さあ、行け行け。早く行くほど、願いの叶う日も近付こう」
「…………」
十三番と呼ばれた娘は、じっとヘンドリックを見つめると、やがて頭を下げ、静かに退出していった。
その場には、王と神官のみが残された。
「――やれやれ、可愛げのない娘だ」
扉の向こうで衛兵が人払いをしたのを確認すると、ヘンドリックはどさりと椅子に腰を下ろす。
そうして彼は、傍らに佇む神官に向かって肩をすくめた。
「女は愛嬌が大事というのに。なあ、エグモント?」
「は……」
話しかけられた神官は、軽く目礼を返す。
白いローブに身を包んだ彼こそ、先日ヤマダタロウなる人物を呼び寄せた大神官・エグモントであり、玉座にてほくほくと麻袋を握りしめる人物は、彼にそれを命じた主であった。
ヘンドリックは一見鷹揚な王にも見えるが、その本性は狡猾で、傲慢だ。
それでもエグモントは、こうしてプライベートな部屋に招かれるその栄誉を逃さぬよう、王のことを持ち上げてみせた。
「ですが、さすがは王直属の奴隷です。まさか、女の奴隷がたった一人で、これほど着々と源晶石を稼いでくるとは思いませんでした。これでは、私が異世界人の召喚などせずともよいですなあ」
視線の先には、王が手にしている麻袋がある。
その中身は、長年神官を務めているエグモントですら見たことのない、大ぶりな源晶石だった。
「なにを言う。アレはたしかによく働く駒だし、今回はまた随分大きな石を狩ってきたものだが、奴隷などというのは、やはり擦れてていかん。服従する態でありながら、したたかに媒介契約など結ばせおって」
だがヘンドリックは吐き捨てるように言う。
軽んじ蔑んでいた女奴隷が、酒の席で巧みに賭けを持ち出し、不遜にも王と対等の契約を結ばせたからであった。
彼女が、王の望むだけの源晶石を集めるのと引き換えに、彼は彼女の望みを叶えてやらねばならない。
酒ですぐ正体を失ってしまう己の手落ちであるのだが、ヘンドリックはそれを恨みにすり替えていた。
「まったく……かわいい顔をしていると油断したわ。無理やり手籠めにしてもよいが……ふん、あやつの場合、こちらが欲しがる素振りを見せたら、それすらも交渉材料にしてくるに違いない」
自分より二回りも年下の少女に対して、堂々と情欲を表現してしまえる王に、神官はなんともいえぬ表情を浮かべたが、ヘンドリックはそれに気付かなかった。
「その点、異世界からの勇者はいいぞ。若い女でも宛がっておけば、英雄気取りでほいほい源晶石を稼いできてくれるからなあ」
「……たいてい彼らは、魔物の討伐は正義の行い、と信じて疑いませんからな」
「いやいや、まさしく正義ぞ。王として、魔物が跋扈する現状は見過ごせぬからなあ」
ヘンドリックはぬけぬけと言うが、実際のところ、彼が魔物の跋扈を見過ごせないのは、それが領地を荒らすからではなく、源晶石をもたらす財源であるからだ。
黒魔力に白魔力をぶつければ、源晶石となる。
純粋な魔力の塊である石を集めれば、どのような魔術の展開も容易となる――たとえば、他国を吹き飛ばしたり、いや、界すら渡って世を統べることさえ。
だとすれば魔物とは、権力と富を約束してくれる、夢のような存在だ。
「レーヴラインの住人の力では、ドラゴンを倒して小指の先ほどの石を得るのがやっと。小粒の石にしか触れたことがないからこそ、大量に石を集めたらどんな奇跡が起こるのか想像すらできないというのは――やれやれ、その想像力のなさに呆れるが、同時に我らにとっては幸運なことよな」
「源晶石の真価を理解しているのは、過去に勇者を召喚しえた国、その中でも知恵の働く王くらいのものですからな。あとは、石の流通を管理しているギルドが、買い占めを規制しているゆえ、多くの民は、その真価を想像することも難しいのでしょう」
「ふん。忌々しいギルドの連中め。あれの上席どもは、さすがに石の秘めた力に気付いていような」
「おそらく」
ギルドには、高ランクの剣士や魔術師が数多く存在する。そしてレーヴラインに勇者が召喚されたとき、そのサポート役として彼らが駆り出される事例もままあった。
彼らを経由して、ギルドが源晶石の使い道に気付いたのだろうことは、想像に難くなかった。
そしておそらくは、「大陸の安寧の番人」などというくだらぬ大義名分を盾に、ギルドが源晶石を管理し、一国への偏在を避けているのだろうことも。
「ふん、お高くとまりおって」
ヘンドリックは鼻白む。
勇者という飛び道具のない限り、源晶石を集めるにはギルドが卸すものをちまちまと買い求めるしかない。
業突く張りのギルド連中にはさんざん足元を見られ、王は冒険者ギルド、ならびに商人ギルドを毛嫌いしていたのである。
だが――いや、だからこそ、勇者だ。
勇者を召喚さえしてしまえば、勢力図は一気に塗り替わる。
「のう、エグモントよ。次の召喚の儀はいつになろうなあ」
「は……。恐れながら、月が満ち、二つの太陽の軌跡が交わる日となりますと、あと三カ月は見ていただいたほうがよいかと……」
「そうよなあ」
髭を撫でながら、エグモントは溜息を落とした。
「……先に召喚しかけた男。いっそニホン人でも、リリースせずにおればよかったかの……。というか、あれは無事元の世界に追い返した、ということでよいのだな?」
「もちろんにございます。勇者とは奇跡の存在。レーヴラインに降り立てばすなわち、不毛の大地を豊穣の畑に変え、病の源すら健康の祝福へと転じ、人の可能性を引き出してまわる者。召喚されたとなれば、すぐに噂が立ちましょう。それがないということは、召喚はならなかったという証にございます」
「伝承を聞くたびに思うが、勇者というのは大したものよな。……まあたしかに、あの貧相な黒髪の男には、そのような存在感などなかったものなあ。ギルドでの最近の話題もせいぜい、銅級パーティーがエメラルド級の薬草やポーションを入手してきたとか、その程度。異常なし、ということか」
存在感はなくとも、フェンリルの堆肥で森を薬草畑に変え、魔菌をポンシュに転じ、温泉で銅級だったはずのパーティーのレベルを爆上げしている存在がいること。
そしてそれが、上納金を避けたいなどという理由から、ギルドに伏せられていることなど、王たちには想像もつかなかったのである。
「だがまあ」
ヘンドリックは軽く頭を振って、意識を切り替えた。
「今回十三番の持ってきた源晶石はかなりの大きさだった。勇者に頼らずとも、レーヴラインの冒険者連中でも、寄生しがいのあるやつはおるということだ」
「…………? あの娘は、自ら魔物を狩ってきたというわけではないのですか」
「当たり前よ。たかが奴隷の腕でそうやすやすと魔物を狩れるものか。あやつはな、パーティーを渡り歩いて、冒険者をたぶらかし、稼ぎの源晶石をちょろまかしているのだ。そうだ、もしかしたら次の標的は、話題だとかいう銅級のパーティーかもしれんな」
これまでなら、奴隷の使う手段など詮索はしなかったが。
小さく呟いた老獪な王は、髭を撫でながら目を細める。
「……少し、見張っておくとするかな。『所有者』としては、あやつが卑劣な手段を行使するのを、見過ごしてはおけぬしの」
そう言ってヘンドリックは、仰々しく肩をすくめた。
「まったく、奴隷とは、いやらしいものよな」
いかにも、自分は清廉とでも言いたげな口ぶりだった。