11.girl's talk
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「それでは……」
簡素ながらしっかりとした宿屋の一室。
狭い部屋に三台並んだ寝台、その真ん中のひとつに靴を脱いで座り込み、三人は真剣な顔で片手を掲げた。
「かんぱーい!」
マリーの華やいだ音頭に合わせて、かちんと容器をぶつけ合う。
まずはひとくち、思い思いにその中身を啜り、三人はほうっと息を吐いた。
「んはぁ!」
「美味だ」
「んぅーっ!」
順に、アメリア、エルヴィーラ、マリーである。
三人はこのたびのクエストで手に入れた魔菌酒を、自分の思うベストの方法で楽しんでいた。
すなわち、アメリアは贅沢にも氷を浮かべ、きんきんに冷やしてエールのように。
エルヴィーラはじんわりと人肌くらいに燗につけて、手指を温めながら。
そしてマリーは炙った魚のひれを沈め、熱々の酒のうまみと香りを堪能しながら。
それぞれ、銅製のマグ、陶器の小ぶりなカップ、厚手のグラスと、容器もさまざまである。
特にマリーに至っては、小鍋で加熱した酒をグラスに移した後、わざわざエルヴィーラに炎を起こしてもらって酒に火をつけ、アルコールを飛ばしてひれの香りを味わうといった念の入れようだった。
部屋にふわんと充満する甘い香りに、三人の口元が緩む。
誰もの頬が、うっすらとピンク色に上気していた。
「はぁ……おいしい……」
「たまんないわね」
「これでエメラルド級のポーションにもなるというのだから、ギルドも欲しがるはずだ」
マリーが恍惚の表情で呟けば、アメリアも相槌を打つ。
エルヴィーラもしみじみと言い、カップの中身を流し見た。
エメラルド級ポーション。
それが、ターロが魔菌から作成した酒――「ポンシュ」に対する、ギルドの評価である。
健やかな者が飲めばたちまち心地よい香味と酔いが広がり、弱った者が口に含めばすなわち千毒を解き万病を癒す妙薬へと転じる。
しかも、人間だけでなくエルフにも、その他種族にももれなく作用する、奇跡のような超上級ポーションである。
「まさか、魔菌からこのようなポーションができようとはな……」
魔菌退治のクエストから戻り、ギルドに「ドロップ合成物」としてポンシュを提出したときのことを思い返すと、エルヴィーラですら、にやつかずにはいられなかった。
同族退治は済んだか、などと嫌味を寄越してきたギルドスタッフたち。
彼らは、ポンシュと名付けられたポーションを受け取ったその瞬間こそ怪訝な顔をしていたが、やがて鑑定を終えると目の色を変え、最後のほうには顔色まで変えてエルヴィーラたちに取りすがってきたのである。
「ど……どうやって! どうやってこんなポーションを手に入れたんだ!?」
「人間だけでなくエルフにも、全種族に効く……!? こんなの、でたらめだ!」
「魔菌の森に、奇跡でも起こったのか!?」
商人ギルドは商売の全方向に対して貪欲だが、冒険者ギルドもまた、上級の薬草やポーションには常に飢えている。
それらを握ることで、ギルドの質も、ひいては権力も向上させられると理解しているからだ。
自分たちの足跡を辿って森にまで押しかけそうな彼らに、エルヴィーラは思わせぶりに肩をすくめてみせた。
「奇跡が起こったというか……まあ、奇跡の存在を手に入れた、ようなものだな」
「なに!?」
「どういうことだ!?」
べつにターロは、パーティーの誰かの所有物ではないのだが。
エルヴィーラはじらすように視線を逸らし、「悪いが、秘密だ」と追及を躱した。
見下していたはずのハーフエルフが、とんでもない金脈を掴んでいることを確信し、ギルドスタッフたちは雪崩を打つがごとく態度を変えた。
「そんなそんな! 詳しく教えてくださいよエルヴィーラさん!」
「あなただって森の民の血を引く者だ。森の中のなにかを使って、上級ポーションを合成する秘策を見つけ出したんでしょう?」
「いや、魔菌退治なんてクエストしか用意できなくてすみませんね。今度はほら、もっと実入りのいいクエストも紹介するんで」
媚び、おもねり。
それは、彼らがこれまでエルヴィーラに向けてきたものとは正反対の感情だったが、彼女はそれを嬉しいとは思わなかった。
目をぎらつかせ、笑みだけを取り繕って必死に言い募る彼らの姿は、ただただ滑稽なだけだ。
ふん、と口の端を持ち上げてちびちびポンシュを舐めていると、それを見たアメリアが片眉を上げた。
「ご機嫌ね、エルヴィーラ。そういえば、昼にギルドに行ったときも、あんた珍しく笑ってたもんね」
「まあな」
短く答える。
そう、彼らからの称賛そのものは、別に嬉しくもなんともなかった。
ただ、彼らにこう言ってのけたときは、久々に、心を爽快な風が吹き抜けていったような感覚を覚えたものだ。
「『とんでもない。おまえたちが魔菌退治を手配してくれたおかげで、私はこのポーションに出会えた。感謝している』、か。エルが満面の笑みで言い切ったときのあいつらの顔、見物だったわ」
「満面というほどに笑っていたか?」
「無自覚だったんですか!? フロアの男性全員、いえ、女性だって、半分魂抜けてましたよ!」
マリーがびっくりしたように指摘すると、エルヴィーラは軽く肩をすくめた。
「そうか」
まさかハーフエルフの女の笑みくらいで、魅了のような作用が発動するとは思わなかったのだ。
ついでに言えば、そのときのエルヴィーラは、ある気付きに夢中になっていた。
(やり過ごすのが最善ではない、か……)
ただハーフエルフであるというだけで向けられる軽蔑、情欲。
それらに対しては、眉ひとつ動かさず、心を凍らせ、ひとかけらの反応すら返さないのが、自分を守るための最良の手段だと思っていた。
相手を無為に攻撃しないこと。そして自らも傷つかないこと。
そうすれば、彼らもやがて飽きてくる。
(だが……)
だが、それよりも素晴らしい、最高の意趣返しを、ターロのポーションは教えてくれた。
相手の悪意を糧に、こちらが幸せになればよい。
そしてそれを、思い切り見せつけてやればよいのだ。あなたのおかげだと感謝しながら。
「魔菌退治のクエストがまたあれば、ぜひ回してくれ」
そう告げたとき、ギルドスタッフたちが絶句したのを思い出して、エルヴィーラは思わず小さく笑みをこぼした。
「……ターロには、礼を言わねばな」
森を覆い、腐らせる魔菌。
「鼻つまみ者」の存在から、まさか人からもエルフからも求められるポーションを作り出してしまうとは思わなかった。
かの魔物に自分を重ね、救われた心持ちがしてしまうのは、少々感傷的だろうか。
「ターロさん、起きてきませんねえ……。あんなにお酒が弱いとは……」
「この酒盛りくらいには、招いてやろうと思ったのにね」
マリーがひれ酒をすすりながら言えば、アメリアもマグを揺すりながら答える。
三人はちらりと隣の部屋に続く壁を見やり、苦笑を漏らした。
魔菌をひとりで殲滅し、奇跡のようなポーションを一瞬で作り出したスペル使いは、森を抜けようと歩き出して十分もしないうちに、目を回して倒れてしまったのだ。
どうやら、全身に浴びた酒から、酔いが回ったようだった。
「まったく……大の男を担がされるわ、ギルドへの手続きも肩代わりさせられるわ、さんざんだったわ」
「源晶石も私が預かったままですけど……いいんでしょうか……」
「拳大の源晶石がふたつも手に入る幸運など、来年にはそう起こるまいよ。どのみちマリーが管理するほかないのだから、よいのではないか」
エルヴィーラは冷静に言い切ってから、ちょっと悩んだように鼻を鳴らした。
「……やれやれ。あの男、強いのだか弱いのだか、さっぱり掴めんな」
「あ、エルもそう思う?」
すると、すぐに隣のアメリアが身を乗り出す。
彼女は早くも酔いが回ってきたのか、その豊満な胸元を少々寛げはじめたところだった。
女同士だと、そのあたりの慎みが欠けがちになって困る。
「まったくよねえ。野菜に虫がついてたくらいで悲鳴を上げてたのに、魔物の! 魔胞子を飛ばしまくってる! ねちょねちょ物を腐らせる生命体から! 飲み物を作り出そうって発想するあたり。あいつの思考回路が、あたしにはさっぱり理解できないわね」
「そうだな。私もマリーによる鑑定済みでなければ、口にするのはためらっただろう」
「穀物に湧く虫にも怯えるのに、魔菌は飲めるなんて、不思議ですよね……」
こちらの世界にだってもちろん酒はある。
あるが、三人はその工程を見たことがないし、「菌で果実や穀物を腐らせるのだ」と説明されれば、つい魔菌をイメージして、飲むのを躊躇ってしまうだろう。
にも拘わらず、ターロは「菌類だったらいけるかな、って思って」などと、困ったように笑うのだ。
「あの、菌類への無条件な信頼感はなんなのだろうか……」
「ニホン人はねばねばもハッコウ食品も大好きだから、って言っていましたよね……菌類大好き、って……」
「ニホンってのは、そんなに食に恵まれない国なのかしらね?」
見知らぬターロの母国・ニホンに、三人は酔いの回りはじめた頭で思いを巡らせる。
彼女たちの中で、かの国は、菌類に支配されたディストピアと化そうとしていた。
「食に恵まれない……というのは、そうかもしれませんね。虫が湧いた、って半泣きになりながらも、『コメを捨てたら農家の目が潰れる』とか言って、けっして捨てようとしませんでしたし」
「もったいない、という言葉はよく口にするな」
「あいつ、食べられると思ってる基準がおかしくない? この前なんて、ほかのパーティーが狩ってきたクラーケンを見て、足の一本も分けてもらえないかな、うまそう、とか呟いてたわよ」
アメリアの証言に、ほかふたりはぎょっと目を剥いた。
「クラーケンを!?」
「あの、吸盤がぶつぶつついた、おぞましい生き物をか?」
「そう……火を通すとむちむちして、また吸盤のあたりが独特な食感でおいしいんだって。……う、想像するだけで鳥肌が……」
「世間一般に見て、その食性、かなりアウトですよね……」
マリーなど、どれだけ詳細に想像したのか、耳をぺたんと伏せてぷるぷる震えている。
レーヴラインでクラーケンを食らおうとする人間がいたならば、それはよほどの飢えに耐えかねた末の所業か、さもなくば狂人の類だ。
ちなみに地球でも、刺身・姿焼き・たこ焼き・煮だこなど、ありとあらゆる方法で食べようとするほどたこを愛している国は、あまり多くないようである。
「ニホン人はきれい好きで食にうるさいって聞いてたけど……一概にそうとも言えないのかもしれないな……」
「菌類大好きで、クラーケン大好きですもんね……」
「よくわかんない国民性よね」
三人はちびりとポンシュをすすりながら、そんな言葉を交わす。
やがてエルヴィーラが、カップから口を離し、ほうと息をついた。
「だが、まあ……おもしろいやつだ」
そっと吐き出した吐息には酒精が混じり、純白の雪のようだった肌には、ひらりと淡い花びらが舞い降りたかのような色が差す。
このうえない美酒のおかげで、ほんのりと潤んだ碧眼を細め、エルヴィーラは静かに微笑んだ。