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10.#行動原理は「MOTTAINAI」(3)

 太陽の光自体が弱まったのではない。

 葉がひと回り膨れ、黒ずんだ色になり、空からの光を遮っているのだ。


 まるで布の上に墨を垂らしたように、じわぁっと葉の黒ずみが広がっていく。

 よく目を凝らしてみると、それは葉そのものが変色したのではなく、恐ろしい勢いで「黒ずんだ緑色のなにか」に覆われていっているのだとわかった。


 葉を覆う、濁った藻のような色のなにか――魔菌。

 木々からこぼれ落ちたそれは、まるで粉雪のようにふわりふわりと舞いながら、地上に落ちてくる。


 その侵食の速さと禍々しさに、俺は思わず「ひっ……」と叫びかけた。


「息を吸うな!」


 とたんに、横からばっと口を押さえられる。


 白くて繊細な指先。

 冷たくて、ほんのりと花のような香りがする手の持ち主は、エルヴィーラだ。


 彼女は俺の口を片手で覆い、もう片方の手でローブの布を自らの口に押し当てながら、鋭く言い放った。


「今までに見たことがないくらいの規模だ。大量の魔胞子を発している。これだけの量を吸い込んだら、人間の肺とて腐るかもしれない」

「…………!」


 急に危険度の増した状況に、ぎょっと目を見開く。

 その間にもエルヴィーラは、俺から離した手を宙に突き出し、布で口を押さえたまま呪文を唱えはじめた。


「大いなる揺籃、汲めども尽きせぬ海に包まれた大陸レーヴラインの麓より、はるかなる高みに向けて詠ず。光よりもなお輝かしき威光、闇よりもなお深き慈愛、天地開闢より長く秘められた偉大なる名のもとに誓う――」


 俺の感覚からすれば「中二病!」としか表現できない、いかにも呪文っぽい呪文なのだが、ところどころ出てくる単語はさりげなく偏差値が高くて、実は意味はよく分からない。

 とにかく、エルヴィーラがなにか事態を打破しようとしてくれていることは理解した。


 が、


 ――じわ……っ


 ふと、視界の端に捉えたテントの骨組み――まだ布で覆われていなかった部分だ――が、くすんだ緑の繭のようなものに覆われ、次にじわりと溶け崩れていったのを見て、俺はざっと青褪めた。

 魔菌で腐り落ちたのだ。

 魔胞子なるものを大量に浴びた先には、こんな惨状が待ち受けているらしい。


 生きながらにして腐るなんて、絶対にごめんだ。

 俺は半分恐慌状態に陥りながら、ぶんぶんと片手を頭の上で振り回した。


「ウェ……ウェイト! ウェイ! ウェイッ! ウェーイ!」


 待て、とは叫んでみるものの、魔胞子が降り積もる速度は変わらない。

 発音の問題か、もしくは動物にしか効かないとか、重力に従っているだけのものは止めようがないとか、そういったこともあるのかもしれない。


「エル! ターロ! 無事!?」

「なるべく刺激を与えないで、静かにしてください!」


 とそのとき背後の森が揺れて、アメリアとマリーの声が響く。

 振り返ってみれば、ふたりとも口元を袖で覆い、空気をかき混ぜないよう忍び足でこちらに戻ってくるところだった。


「ごめんなさい……っ、すみません! やけに胞子量が多いとは思っていたんですが、まさかこんな大規模な群衆だなんて、私、気付かなくて……!」

「謝るのは私よ。仕留める核はひとつだと思い込んで攻撃してたら、そいつが刺激になって、一斉に眠ってた魔菌たちが活性化しちゃったみたいなの」


 マリーが涙目で、アメリアが苦虫を噛み潰した表情で訴える内容は、俺の想像通りのものだった。


「とにかく、このままここにいちゃ肺がやられるわ。依頼ランクも実態と大違いよ。いったん退却して、魔菌が静まるのを待ってから、援軍を連れて――、……っ!」


 極力冷静さを保って指示を飛ばすアメリアが、言葉を途切れさせて身をよじる。

 彼女たちの上に張り出した枝から、ぶわっと音がしそうな勢いで魔胞子が降り注いだからだった。


「危ない! ――息吹よ折り重なりて魔手より我が友を守りたまえ!」


 とっさに、はっと目を見開いたエルヴィーラが慌てて体の向きを変え、アメリアたちにむかって両手を突き出す。

 彼女が早口で呪文を完成させたとたん、アメリアたちの周囲の空気がふわりと球状に膨らみ、魔胞子を緩やかに弾き返した。

 エルヴィーラがふたりを守ってくれたのだ。


 だがそのせいで、彼女が次の魔術を展開するためには、最初から呪文を唱えはじめなくてはならず――さらには、とっさに両手を解放したことで、その口に大量の胞子を吸い込んでしまったようだった。


「――……ぅ、……っ」


 胸を掻きむしるような仕草をしながら、エルヴィーラがその場にうずくまる。

 必至に噎せるのをこらえているのは、咳き込んでかえって事態を悪化させることを恐れたからだろう。


「エルヴィーラ!」

「ターロ、叫ばないで。一度くらいの吸引なら、あとでポーションを注ぎ込めば治る。今は退却よ」


 アメリアは冷静な口調を維持したまま告げるが、その顔色は悪い。

 剣技で倒すには向かない、圧倒的多数の敵を前に、唯一戦力となりえたエルヴィーラが喉を封じられてしまったからだろう。

 このままではスムーズに退却できるかすら危うい。


 ピンチを感じ取って、俺は口元に当てたままの拳を握りしめた。


「――……ウェイト……」


 じわりと湿った土を踏みしめながら、小さく呟く。

 ほとんど無意識に、スペルを求めて唇を動かしていた。


「ウェイト……ストップ……」


 俺にできることはないか。


 待て。止まれ。

 それが効かないなら、なにを。


「シット……は植物には使えねえし……っ」


 超解釈されて、魔胞子を大量放出(シット)されたら一巻の終わりだ。


 ああもう、こんな下ネタに思いを馳せてる場合じゃねえんだよ。

 どうして俺ときたら、異世界無双する主人公みたいに、しゃらっと呪文が出てこないんだ。


「ほかになに試したっけ……っ、バス……バス……!?」


 いやいや、はたらくくるまの出番じゃねえよ!

 っていうか魔菌と川しかない森じゃ、どのみち鉄のバスなんて再現できねえよ!


「――……」


 ふと。


 自分に突っ込んだその言葉に、脳みそのどこかを弾かれた気がして、俺は目を見開いた。


 この世界にある素材で、俺の世界にあるものを再現する魔法。

 だとしたら……?


 ぐるりと周囲を見回す。


 今ここにあるもの。


 魔菌。

 取り付いたものを腐らせる性質を持つ生命体。


 きれいな川の水。

 木。

 それから――布鞄の中に詰まった、米。


 俺の世界にあるものを、それに近い素材で再現する魔法。

 ネイティブな発音でしか発動しないスペル。


 俺はぎゅっと拳を握りなおした。


 悩んでいる場合じゃない。

 とにかく試してみるべきだ。


 もしかしたらもしかすることだって、あるかもしれないのだから。


 袖で覆われた布の下で、ゆっくりと唇を開く。


 この世界のスペルを定めたのは、たぶん英語を母語として話す人間だ。


 さてここで皆さんに問題です。

 日本酒のことを、英語ではなんて言うでしょうか?


「日本酒はなあ……」


 袖の布をフィルター代わりにして、大きく息を吸い込むと、俺は腕を離し、全力で叫んだ。


「ジャパニーズ――SAKEぇぇぇぇぇぇぇぇ!」


 (SAKE)寿司(SUSHI)すきやき(SUKIYAKI)は、俺が自信をもってネイティブな発音ができる、数少ない英語(・・)だこのやろう!


 はたしてその超理論が通用したのか、


 ――ぱぁぁぁっ!


 眩しい光が炸裂し、森全体が白く染まった。


「きゃぁっ!」

「な……っ!」


 三人が閃光に顔を背け、悲鳴を上げる。

 勢いよく魔胞子が、川の水が、鞄の中の米が、ついでになぜか地面の土までが吹き飛び、宙の一点に向かって吸い上げられていった。


 そして、次の瞬間。


 ――ざばぁぁぁぁぁっ!


 上空から雨のように、大量の水が降り注いだ!


「ううおぉわああ……ごぼ!」


 実際には雨というか、投げたブーメランが持ち主のもとに返ってくるかのように、水は主に、俺の頭上に降り注ぐ。

 俺は滝行を受けるお坊さんのごとくずぶ濡れになり、水圧に負けてその場に座り込んだ。


 するとその足元に、ととと……という音が響き、なにものかが大量に鎮座していくではないか。

 ずぶ濡れになった顔を拭い、慌ててその正体を確かめて、俺は思わずぽかんとしてしまった。


 目の前にぴしりと整列していたのは――おびただしい量の、陶器のとっくり。

 とっくりの口から漂う芳香を吸い込み、いよいよ仮説は確信に変わった。


「日本酒……! しかも、とっくり入りかよ……!」


 ついでにどうやら二合サイズのようです。

 慌ててずぶ濡れの全身を嗅いでみて――いや、嗅がなくてもわかるほどなのだが――、ぷうんと甘い匂いがすることから、どうやら俺が浴びているのも酒のようだと理解する。


 おそらくだが、川の水と米と魔菌で日本酒が、土からはとっくりが魔再現されたらしい。

 ただし、とっくりよりも日本酒のほうが多くできてしまったのか、とっくりに収まる量だけが充填されて、残りは俺に降り注いだのだ。


 なるほどここの土は陶土だったのか、どうりでピックが刺さりにくかった――っていやそうじゃない、なんで酒量と器の容量を合わせない中途半端な仕事をしやがるんだ魔力よ、そこで余った分を俺に浴びせなくてもいいだろっつか米の量に対して日本酒出来すぎだろ!


 混乱のあまり、思考が斜めに駆け上がる。


 しゃがみこんだまま呆然ととっくりを見つめる俺を、アメリアたちの声が現実に引き戻した。


「魔胞子が……ううん、魔菌ごと、消滅してる……!?」

「ああ、木々が緑を取り戻しているし……それになんと、見事な源晶石だ」


 どうやら酒の素材として使われた結果、魔菌は消滅してしまったらしい。

 くすんだ菌や胞子で覆われていた葉は本来の色を取り戻し、上空から注ぐ陽光を誇らしげに弾き返している。

 最も大量の胞子が飛び交っていたあたりには、赤ちゃんの拳ほどの大きさの水晶が浮かんでいた。

 今回は、うっすらと緑がかった色合いだ。


 エルヴィーラとアメリアは慎重に石に近付き、そっと布に包んで確保した。


「あの……ターロさん、いったいこれは……?」


 マリーは困惑もあらわに、ずぶ濡れの俺と、突如出現した大量のとっくりを見比べている。

 俺があちこち脱線しながら、どうやら魔菌と水と米から「SAKE」を再現できたらしいことを説明すると、三人は目をまん丸にした。


「魔物を使って、異世界の物質を再現だと……?」

「しかも、酒……?」

「魔菌から、お酒……?」


 三人が三人とも、信じられないように首を振っているところを見るに、どうもこれは異常な事態であるらしい。


「いやあの……ほら、酒って麹菌が米を発酵させてできるもんだからさ、菌っていうなら、魔菌だろうが麹菌だろうが、似たようなもんかなー、と……」


 正直、きのこを使って米を醸そうとするくらい無謀な試みだ。

 偶然口に入ってしまった液体を舐めてみて、日本酒とほぼ同じ味であることを確認し、俺は魔力の法則のルーズさに感謝した。

 ついでに、未成年の俺に、正月だからと特別に酒を飲ませてくれた親父にも、心中で礼を述べる。


 ありがとう。

 酔っぱらったあなたが、くどくど酒の成り立ちをレクチャーしてくれたおかげで、息子は一命をとりとめました。


 しかもこの酒、口に含めばたちまち豊かな香りが広がり、飲み下せばほんのり甘い余韻が追いかけ、と、かなり良くできている。

 杜氏が何年もかけてようやく熟練の域に差し掛かろうという仕事を、たった二音のスペルを叫ぶだけで再現できてしまうというのは、いやはや魔法というのは、実にめちゃくちゃである。


「魔法って……すごいな」

「あんたが言わないで!」


 しみじみ頷いていると、アメリアからすかさず叫ばれた。


「こんな魔法、見たことないわよ!」

「ありえない……!」


 などと、エルヴィーラと仲良く、頭に手を突っ込んで混乱を表現している。

 唯一叫ばなかったマリーはといえば、神妙な顔でとっくりを見つめ、そっとそれに手を伸ばしていた。


「あの……エルヴィーラさん」


 そして小さな鼻で、くん、と匂いを嗅いだ後に、それを持ちおもむろに立ち上がる。

 彼女は背伸びしてエルヴィーラに抱き着くと、ぐいと顔にとっくりを押し付けた。


「ちょっとこれ、飲んでみてください!」

「え? ――わっ!」


 エルヴィーラがぎょっとする間もなく、意外に強引な手つきで中身を唇の中へと流し込む。

 反射的にごくりと飲み下してしまってから、エルヴィーラはマリーの手を振り払った。


「おい、なにをす……――、…………!?」


 だが、途中で怪訝な顔になって胸のあたりを押さえ、それから、びっくりしたように俺のほうを見た。


「呼吸が楽になった……!」

「へ?」


 俺は相変わらずしゃがみこんだまま、間抜けな声を上げるだけである。

 代わりに、ぴんと尻尾を立て、愛らしい獣耳をぴょこぴょこさせたマリーが、満面の笑みで解説してくれた。


「ターロさん、これ、お酒どころか、かなり上級のポーションですよ!」


 静かな森に、川のせせらぎと沈黙が響く。

 数秒後、アメリアとエルヴィーラ、そして俺は仲よく叫んだ。


「はぁっ!?」

本作にお付き合いいただきありがとうございます。

…が、すみません、作者の体調が戻り切っていないのと、年末に向けデスマーチ感が高まってきたため、

明日からちょっと更新ペースを落とさせていただきます…!

見捨てずお付き合いいただけますと幸いです。

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