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9.#行動原理は「MOTTAINAI」(2)

「じょじょじょじょ、情欲……っ!?」


 色素の薄い唇から放たれるべきとも思えない単語だ。

 それ以上に、自分の凝視を遠回しに非難されているのではないかと思い、俺は盛大に舌を噛んだ。


 だが、エルヴィーラはその醜態にくすりと笑う。


 嘲笑ではない。

 どちらかといえば、苦笑に近いように見えた。


「随分と初心なことだ。こちらの男どもは、私を見るや、たいてい嫌らしい言葉を投げかけたり、時には物陰に連れ込もうとしたものだが、おまえは視線を合わせることすら少ない」


 視線を合わせないのは、人生でお目にかかったことのないレベルの美貌に、直視すると目が潰れそうだからだ。

 ちょくちょく見惚れてはしまっているし、これがスクリーンを挟んでのことなら、むしろ舐めるように見回している自信すらあるんだが――って、俺はなにを考えている。

 あまりに情けない、いや違う、エルヴィーラに失礼だぞ。

 っていうかすごい肉食系だな、レーヴラインの男ども!


「いやまあ……それは、その、価値観の違いというか、俺の世界じゃ、そんなことしないのが常識というか……」


 もごもごと反論しかけて、俺はふと思った。


 待て。

 たとえば召喚されたのがイタリア人だったらどうだろう。


 クラスメイトのイタリア人・マルコは、ネタではなくガチでりんごを齧りながら歩いてたし、初対面のクラスの女子を素で口説いてたぞ。

 言葉がわからない俺ですら、「うお口説いてるあいつ!」ってわかるほど、パーソナルスペース詰めて手を重ねてたぞ。


「……いやまあ、国民性の問題、かね……」


 結局俺は、そんな風にごまかした。そうとも、日本男児は総じて草食なんだ。

 だが、


「国民性? ターロの国の男はみなそうだというのか? だとしたら、なんとも礼節正しき国だ」

「いや、礼節というか、単にチキンなだけというか……いやどうだろう。俺の国にもそういう野郎はいるし、逆にこっちの男だって、全員が全員そういう感じじゃないだろ?」


 素直な感嘆の相槌を打たれ、さらに主張を曖昧にしてしまう。

 もごもごと呟いていると、エルヴィーラは自嘲の笑みを刻んだ。


「さてどうだろう。私のようなハーフエルフは、これまでに赴いたどの国の中でも、軽んじられ醜い欲望を注がれる対象だ」

「ハーフエルフ……?」


 予想外の単語に目を見開く。彼女は「気付いていなかったのか」と肩をすくめると、また視線を沢の方へと戻した。


「人間とエルフの間に生まれた存在のことだ。人間に馴染むには清廉すぎ、かといって森の民として暮らすには卑俗にすぎる、中途半端な生き物さ」


 淡々としたその口調は、すべてを諦めきったかのようだった。


 ハーフエルフ。

 人間とエルフの間人間と生まれた存在。


 人間よりもやや長い寿命と、わずかに強い魔力を持つ彼らは、人間として暮らすには少しばかり優秀すぎた。

 かといってエルフに馴染むには、寿命も魔力も美しさも足りない。


 結果、エルフからは出来損ないとみなされ、人間からは、エルフへの嫉妬や浅ましい欲の捌け口として扱われる。

 完璧すぎない美貌や能力は、人間が決して手の届かない超越種(エルフ)という存在を重ね、蹂躙するのにはうってつけの存在なのだと、彼女は言った。


「そんな……。いや、俺からすれば、エルヴィーラは完璧なエルフ以外の何者でもないように見えるんだけど」

「それはおまえが純粋なエルフを見たことがないからだ。本物を見ればわかる。私はしょせん『混ざりもの』さ。純エルフはいるだけで人の子を圧倒するが、私はいるだけで人の浅ましい欲望を刺激する――らしい」


 これまでエルヴィーラは、何度も何度もその手の危機に晒されてきたのだという。


 最初人は、エルヴィーラを見てエルフだと期待する。

 しかし少し行動を共にすると、思ったより魔力を使えないことや、ほんのちょっとした隙、欠点に気付くのだ。

 すると途端に、それまでの期待の反動のように、一気に彼女を軽んじるようになる。歪んだ優越感をぶつけ、支配しようとする。

 それが、エルヴィーラが長らくろくなパーティーを組めなかった原因であった。


「……純エルフであればな、スペルには及ばないものの、もう少し詠唱も短く、強大な魔力を使える。だが私は長々と呪文を唱えて、児戯のような術を発動するのがやっとだ。だから、パーティーの誘いはあっても、もっぱら魔術師としてではなく、娼婦として呼ばれる」


 ただでさえ血の気の多い冒険者連中だ。

 その手の誘いならば事欠かなかった。


 それを拒みつづけたエルヴィーラだったが、すると彼らからは「お高く止まりやがって」とますます難癖を付けられる。

 血気盛んな男たちは、腕に覚えのある者、つまりギルド内の有力者であることも多いので、彼らはその発言力を使ってあること無いことを吹聴し、ときにそれは実害となってエルヴィーラを追い詰めるのだ。


「ドロップを買い叩かれたり、クエストを求めてもいい条件のものを回してくれなかったり。あとは、嫌がらせのようなクエストを押し付けられたり、な」


 前回薬草を提出したとき、マリーやアメリアが交渉役となって、エルヴィーラはひっそりと控えていたことを思い出す。

 単にものぐさなのかと思っていたが、それにはそういった事情があったのだ。


 ふと、エルヴィーラが「嫌がらせのようなクエスト」のあたりでちらりと森を一瞥したのが気になり、俺はぼそぼそと尋ねた。


「……もしかして、今回のクエストって……」

「嫌がらせさ」


 彼女はうっそりと笑う。

 そうして、開いていた書物を閉じ、その綴じ紐を弄んだ。


「エルフは『森の民』の異名で呼ばれる。魔菌は、森の植物が瘴気を帯びてできた魔物だ。葉に擬態するような色を持ち、木々を覆って腐らせる魔物――だから、エルフと似ていながらあらゆる面で劣り、森の民の尊厳を汚す我々ハーフエルフは、魔菌に例えられ、蔑まれるんだ」


 人からも、エルフからも、な。

 自嘲するような物言いに、俺は思わず眉を寄せた。


 魔菌に例えられるハーフエルフ。

 それを突きつけられ、あまつその退治を求めるこのクエストは、なんと嫌らしく、残酷なものだろう。


「……そんなクエスト、どうして受けちゃったんだよ」

「はて。アメリアやマリーにも叱られたが、どうも私は交渉ごとに向かないようでな」


 エルヴィーラは視線を伏せたまま、綴じ紐の先をくるりと指に絡ませていたが、俺はふと思い至ることがあり、はっと息を呑んだ。


 そういえば今回、ギルドの受付には珍しくマリーやアメリアではなくエルヴィーラが向かった。

 マリーが宿屋との弁償交渉で忙しく、そのぶんアメリアが荷造りのフォローに回って身動きが取れず、ギルドに登録したての俺では、ろくなクエストがもらえなかったからだ。


 そして、エルヴィーラが取ってきたクエストに対して、アメリアは血相を変えて拒否しようとしたが、一瞬だけ俺のほうを見てから、やがてなにかを飲み込むようにして頷いていたと思う。


 たぶん――至急で弁償金を払うことのできるクエストが、それくらいしかなかったのだ。


 俺は無意識に拳を握りしめていた。


 そんなこと、エルヴィーラたちは一言も言わなかった。

 アメリアが不機嫌そうに声を荒げるのも、エルヴィーラがしれっとそれを躱すのも日常茶飯事だったし、マリーが困ったように笑うのもいつものことだと思っていた。


 まさかその原因が俺だったなんて、考えもしなかったんだ。


「…………」


 庇ってもらって嬉しい、とは思えない。

 それよりも、迷惑を掛けてしまったことの申し訳なさだとか、事情を説明してもらえなかった――それほど頼りなく思われていたことへの悲しさが先に立った。


 俺が事情を察してしまったことを理解したらしいエルヴィーラは、小さく肩をすくめた。


「ニホン人の察する力というのは、すさまじいな。……まあ、そういうことだ。隠し通すのと正直に伝えるのと、どちらが誠実かわからなかった。結果、嫌らしい伝え方になってすまない。おまえを責めるつもりはないんだ。このパーティーの誰にもな」


 最後に付け足された言葉に、俺はいよいよ唇を引き結んだ。


 彼女たちと知り合って、まだ一週間。

 アメリアにはしょっちゅう馬鹿にされるし、エルヴィーラとは会話が噛み合わないし、マリーにはときどき斜め上の方向から精神攻撃を受けるが、それでも俺は、彼女たちの本質を理解しはじめている。


 三人は、たぶん――優しい。


 なにも言わずに魔菌退治に向かったアメリアやマリー、そして嫌らしいクエストでも何食わぬ顔で引き受けてみせたエルヴィーラのことを思い、俺は口をへの字にした。


 ファンタジー世界のギルドといえば、粋な野郎どもが自由闊達に冒険に飛び出していく場所で、エルフといえば清廉潔白な存在で、迷い込んだ地球人はチート能力を発揮して大活躍をするもんじゃなかったのか。

 どうしてギルドは陰湿で、エルフは選民意識に凝り固まってて、……俺はこんなにもお荷物なんだ。


 唇をぐっと引き結んでいると、エルヴィーラはやれやれというように綴じ紐の端を手放した。


「私が言うのも筋違いだが、あまり気負わないでくれ。もともとあのふたりも、気を使いすぎるというか、気負いすぎているところがある。べつに魔菌退治など、どうということもないのに」


 彼女の性格なら、本当に気にしていないのかもしれない。

 が、そうじゃないかもしれない。

 そのあたりの判別は、俺にはまだ付かなかった。


 だがエルヴィーラは、まっすぐに俺の目を覗き込み、「気負うな。それが礼儀だ」と言う。


「こっそり向けられた優しさに気付いたら、何食わぬ顔でいるのが礼儀だ。盛大に感謝するのも、申し訳なさそうにするのも、相手の意図するところではないだろう」


 だからふたりが俺たちを残して魔菌退治に向かっても、ただ「そうか」と返すのが正しいはずだと、エルヴィーラは静かな声で続けた。


 淡々と告げられたその内容には、たしかに真実が含まれているように思える。

 エルヴィーラがいつも飄々としているのにも、もしかしたらそういった意図が込められているのかもしれない。

 それでもすとんと腑に落ちる感じのしなかった俺は、結局沈黙を守った。


 とそのとき、


 ――ばさばさばさばさっ!


 森の奥から一斉に鳥が飛び立つ音がして、俺たちははっと顔を上げた。


「今のは……?」

「アメリアたちが向かった方角だな。鳥だけじゃない、森自体がざわめいている……」


 不穏な気配に、思わずピックを握りしめたまま立ち上がる。

 エルヴィーラはその美しい目を細めて、じっと森の奥を見つめていた。


「あの……、流れでアメリアたちに退治を任せちゃった格好だけど、もしかして魔菌って手ごわい魔物だったりする……?」

「いや。よほど大規模に広がっているなら話は別だが、ふつうは核を見つけ出して焼き払えばすぐに倒れる。動きに関して、ルビー級だったアメリアが後れを取るような魔物ではないし、場所だってマリーの力ですぐに特定できるはずだ」


 つまりなんの問題もないはずだ。

 だが――


「……マリー、この森に入ってすぐくらいから、結構よくくしゃみをしてたよね」


 人生には上り坂と下り坂と「まさか」がある。


 エルヴィーラの発言にフラグ臭を嗅ぎ取った俺の頭の中では、理科の知識がフルスピードで再生されていた。


 きのこだとかカビだとかの菌類は、菌糸と呼ばれる組織を地中に這わせている。

 俺たちがきのこと呼んだり、カビと呼んでいるのは、地上に、あるいは壁の表面に出てきたほんの一部分のことで、本体はその奥深くに潜んでいるのだ。


 海外には、嘘か本当か知らないが、島まるごとに菌糸を張り巡らせているきのこもあるらしい。

 そしてそれは、種の危機に瀕するような刺激を受けると、一斉に活性化し、ぽこぽこと地上にきのこを出現させるのだ。


 小さなくしゃみを繰り返しながら、きょろきょろと周囲を見回していたマリー。

 胞子の飛来を察知して反応するという鼻。

 刺激を受けたら活性化。

 長剣をぶら下げて退治に赴いたアメリア。


 まさか。


「まさかとは思うけど、魔菌はこっそりと、かなり大規模に発生済、だったり……?」


 冷や汗が一筋。


 恐ろしい仮説を震え声で言い切るよりも早く、


 ――ざわ……っ!


 木々が低い葉擦れの音を立てて、あたりが急に暗くなった。

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