現代人はファンタジーに何を求めるのか?
今何故ファンタジーなのか?これはなろうのファンタジーブームについてではない。なろうのファンタジーブームはネット小説全体のファンタジーブームが土台になっている。なろうはそこから発展していてもっと複雑。なろうのファンタジーブームはランキングのブームだと極論になってしまうぐらい複雑なものに成ってる。
じゃネットのファンタジーブームは?一番にはゲームを土台にしたものだと思う。なろうもこの影響が大きい。だがそのさらに奥にある、ゲームのファンタジーブームはどこから来たのか?これについてはゲーム自体の面白さが大半。
もっと根源的なファンタジーの魅力は無いのか?ある。それは現代社会=高度に発達したテクノロジー社会に対する反動である。これらを証明するためにまずそもそもハイファンタジーの流行にこういった要請があったと私は見てる。すでにハイファンタジー成立時に古き良き欧州と言うアメリカ人の西部劇観、日本人の時代劇観のような世界観が合ったと私は見てる。
さあそこで何故非現実的な要素が必要なのか?それは日本だと妖怪物がそれにあたる。時代劇と絡み合った時代性を伴った世界観を持ってる。ファンタジーはそっちを採用しただけでおそらく欧州も数多くの過去のリアル系時代劇も作られているだろう。ただ日本人が知る世界観がファンタジーが多いだけで。
これを紐解くのに、日本も欧州もオカルティズムの系譜がある。ファンタジーの土台は古いオカルティズムにある。それゆえにテクノロジー社会の反動として上手く機能しやすい。ファンタジーの勃興の付近、日本のサブカルにはオカルティズム旋風が吹き荒れていた。それにとどめをさしたのはわかると思う。ファンタジーが80年代の成長から90年代の成熟に入ったのもこの時期と重なるので、ほぼ間違いないと見てる。日本のオカルト成分の不足を補ったと見てる。
さてオカルトとファンタジーをフィクションの素材として使うとき、この2つは判別できない。オカルト=恐怖怪奇物として解釈する人が多いがオカルトにそんな意味は無い。この2つは素材としては全くの同質。オカルトは素材にあらず、その姿勢にある。不思議な超自然的存在があると思い込むその姿勢こそがオカルトで、ファンタジーはそれをフィクションと分かって接する態度にある。本来はファンタジーは違う意味でオカルトと似ていたが、フィクションのジャンルとして扱う場合にリアリズムが欠如したためオカルトとは分かれる事となった。本来は幻想と言う意味でオカルトと対比するものではない。幻想をどう思うか?がオカルトが絡む部分。
ファンタジーを現実世界の要素ではなく、異世界と捕らえた場合に虚構と言う認識が入り、ここでオカルトと別物になる。それゆえに、古き良き欧州にはオカルト的幻想が入り込む。これが異世界に幻想要素が必要になって、日本にも妖怪物が時代劇と密接に絡む形と関係している。その時代=オカルト的民族感覚ではリアルだったという事になる。
高度に発達したテクノロジー社会の裏側にある科学思想から排除されたものの復活。これが幻想要素である。それゆえ幻想要素は求める何か?の演出でしかなく本体ではない。
元々私が書いた「ライト向けとSF風ファンタジー」からこれらのアイデアが出る流れになった。SFとファンタジーの対比をしていて偶然発見した。ファンタジーの根幹には自然回帰=テクノロジー文明社会からの逃避があると気が付いた。SFは逆に、現代社会をさらに進めた世界にその魅力があるとも同様に気が付いた。要するにこれは現代=今の世界からの現実逃避で両者は、退化と進化を取った表現だと理解できた。
SFが衰退したのは、進化の魅力が消えたから。SF小説は小説としては進化した。しかし中身の進化発展した世界が好奇心をくすぐるものとしてライト向けでは発展していない。それゆえ消える。ファンタジーはそれに対して根幹が退化にあるから必要なかったという事になる。SFの方が日本のライト向けとしては微妙に発展が早い、ただその差は10年も無い。その割に大きな差が付いてしまっている。それは何故か?SFには現実逃避は満たしても、高度なテクノロジー文明社会からの逃避って刺激が無いから。
ファンタジーには常に発達した社会がもたらす不満って刺激の受け皿となるが、SFはその逆であるため世界観の発達が止まると現代社会からの逃避って部分で刺激の方向性を失ってしまう。ファンタジーが何を刺激するか?はSFの衰退が逆に教えてくれる。
幻想要素はおまけでしかないのを示す具体的な例として、けものフレンズというアニメをあげたい。まだ完結前にこの文を書いてるが、この作品本当の魅力はファンタジーに似てるが、ファンタジー特有の幻想要素(けもの人間が獣人に近い)がないどころかSFに近い。けも耳を見てすぐに獣人との関連性を考えると思う。だがこの作品がそれらの獣人と一線を画するのは、幻想要素ではないリアルな動物の生態を付属されてそれをアニメ的に表現されて、かつ直接飼育員の解説と言う方方で説明する点。普通アニメならコレはマイナス点となる。だがこの作品。アニメで具体的なけも耳娘が習性を発揮して行動する、それらのアニメ的ファンタジーをリアルな解説で無理矢理動物としてみろって変換する強引な手法が取られてる。
稚拙だが、このおかげで他のみかけの特徴しか持たないアニメとの差別化が出来てる。じゃ動物最高?それは違う。娘と言うビジュアルを壊さずに動物の習性を持ち込んだ苦肉の策として解説と言うとんでもなく強引な方法になった。アニメ監督としてコレは失格とも言える選択だが、結果は悪く無いと見てる。
さて、これが何を示すか?野生、自然である。幻想要素、それは古典的オカルティズム世界観の演出として必要だが本質的ではない。本質は高度なテクノロジー文明社会からの逃避である。これがけもの娘達が持つ習性から連想される野生と自然によって達成される。これがけものフレンズが持つ癒しの正体だと私は見ている。そして同時に幻想要素は演出上で本質的な刺激ではないって点を証明できる稀有な具体例となっている。
そこまでならジブリが実は誰でも分かる形で表現している。宮崎監督の自然好きはジブリ作品に溢れている。ただし宮崎監督はそこに単純な自然回帰を嫌って反エコロジーブームとして風の谷のナウシカ漫画版を完結させて、その延長でもののけ姫を創っている。ただ、多くの人がファンタジーに求めるのは、まさに宮崎監督が嫌う部分でありジブリはもののけ姫前にはそういった満足を満たす形をストレートに出している。
ここからさらに進まないとなろうにはいかない。異世界は他人事。これが大きなネックになる。現実逃避ってのは、現代から離れるから当然他人事感が強くなって当たり前。対岸の火事人の不幸は密の味がフィクションで成立するのもそこにある。どうしてあんな残酷なものを見れるんだって人はいる。それが人間的欠陥だと大騒ぎも出来る。だが普通の人は距離感のある人には無関心でかつ下手したら喜びになる。それは悪ではないし、欠陥でもない。そういった距離感に個人差があるから生じてしまうだけで、この距離感が世界で自分は一人だけみたいな孤独でエゴイステックな異常者ででもない限り誰でも持ってる特性。
異世界は他人事で興味が持てない。これを繋いだのが、転生転移となる。これでゴールか?まだこれでゴールではない。ゲームファンタジーが内包できてない。実はこの転生転移過去にもあったが、何故今になって復活したのか?ゲームのプレイヤー感、これこそがニュー異世界転生転移である。それゆえ、現地人でもプレイヤーとして動かすゲームが大量に作られているので、転生転移だけに特別な感覚ではない。(ただし、私はこの形が最高のゲームファンタジーだと思っている)これが今最新先端のファンタジーの形となっている。
ただこの間を繋ぐ作品として、SFとされるソードアートオンラインと言う仮想現実でのオンラインRPGを舞台とした作品が必要になるのだが、それは読んでいる人は皆知ってるという事で多くの説明は要らないだろう。
ちなみに、補足として、SFのすべてが発展進化ではない。ディストピアものの1つとして終末物と言う文明衰退のSF作品がある。これは不思議とファンタジーの様な世界観を取る事が多い。ただネタバレになるので紹介は出来ないからネタバレにならないけものフレンズを紹介しておく。その点逃避したい文明をぶち壊して入るため、終末物のファンタジー感は大人気のジャンルとなっていて、ディストピアものがこれだと勘違いしてる人も多い。終末物=ディトピアでないのは、下ネタうんぬんと言われるラノベアニメが典型的なそれなのでついでに書き残しておく。
証明の補強としてもう1つ追加で作品紹介を、赤髪の白雪姫と言う作品がある。女性向けは男性向けに対するファンタジー感が弱い。その代表例のような作品。これは男性的にはファンタジーとは見なせないと思う。幻想要素がない。でもこれは、おそらく女性的(女子中学生に人気)ファンタジー感の代表作だと思うし、アニメでは男性ファンも多い。タイトルから分かるが、童話をモチーフとしてるが全く似てない。だが御伽噺感覚?あの空気感が再現されて、かつやや大人向け。この絶妙な感覚がディズニー的空気を作り出してる。
散々否定的に書いたが、私は男性的(中学生男子?)幻想要素を重視してる。ただ根底に眠るものには演出上として切り捨てるためであって、刺激が無いわけじゃない。むしろ私はそれはSF的なのではないか?と見ている。なろうファンタジーのチートはローファンタジーにおける異能である。ローファタンジーの中の超能力に近い。ならそれはライト向けSF要素ではないのか?と言うとそうなる。チートという事で分からなくなってるが、誰がどうでもJOJOのパクリでしか無い、決してなろう独自の発明ではない。ゲームファンタジーにおけるインチキ=チートってだけ。
言い訳っぽく書きますが、けもフレのせいで普遍性落ちています。でも敢えて良い漫画アニメ評論家がいない嘆きから、私がそうなろうとして書いてみました。