支配の王杯・中
本日は連投しております。
ご迷惑をお掛けいたしますが「第92話 シャルルロアの戦い・前」からお読みください。
隷属魔法を受け、それに抵抗するのに精一杯の俺は、ベルディナードを前に打つ手がなかった。
以前と違って、好戦的な様子がないのだけが救いか。
ベルディナードの目的はなにか、その行動の根本になるものが掴めない。
今だ止まらぬ悪寒と、止めてはならい心臓。
精神に作用する魔法なら精神で跳ね返せる。
意識することでその侵攻は食い止められたが、痛みは逆に強くなり、俺の抵抗を打ち砕こうと圧力を強めてくる。
「驚いたな、良く耐える。
お前はそれが隷属魔法だと思っているだろうが、それは違う」
なっ!?
「『支配の王杯』の所有権がお前に移行しようとしているのだ。
せいぜい抗うのだな。
出来なければ今度はお前が支配者となり、天恵を喰らう者となるだろう」
神々を喰らう猛毒、そして天恵を喰らう者。
その力を使う為に、天恵を持つ者を隷属下に置いたはずなのに使われない天恵。
『支配の王杯』などではないという教皇ゼギウスの言葉。
ばらばらのピースが組み合わさっていく。
「なぜ無関係のアキトが!?」
「知っているなら教えてください、どうすればアキト様を救えますか!?」
マリオンとルイーゼの焦りが感じられた。
「無関係だからだ。
破滅しか残らぬ未来に唯一の血縁を選びたくはなかった、というところか」
「無関係の人間なら他にもいっぱいいるじゃない、答えになっていないわ!」
「誰でもという訳にはいかない。
『支配の王杯』を手にしている者に権利があるからな」
!?
あの時点で奪取したのは間違いじゃなかった……はずだ。
教皇ゼギウスがその力を手放すことなど想定もしていなかったし、本人もさっきまで考えていなかったと思う。
「そして、魂の弱い者に扱うことは出来ぬ。
大方、お前の魂の強さを見抜かれたのだろう。
扱えなければその魂は『支配の王杯』に取り込まれる」
「アキト様!」
「アキト!」
俺の死を感じさせるベルディナードの言葉に、二人が強く反応し、焦りとどうしたらいいかわからないもどかしさに、涙を零した。
「二人、とも……な、くな、これくらい、なん、とかして、みせる」
「ですが……」
少し前に不死竜エヴァ・ルータの魂を抑えきれず、四ヶ月近く眠り続けた前例があるから、心配で堪らないのだろう。
二人の涙で濡れるその頬を拭く余裕もない。
「アキトといったか。
天恵を喰らうこの『支配の王杯』は、育てねば真の力を発揮しない。
それをここまで育て上げた記録は過去にもないほどだ。
教会に住まう人の欲がどれほど強欲か、よくわかると思わないか」
俺たちが知っているのは『支配の王杯』の力の一部ということか。
だから『支配の王杯』などではないという言葉に繋がる。
「アキト様をお救いする方法は他にないのですか!?」
「ドラゴンの血はどう?
あれなら隷属魔法をうち払えるんじゃない!?」
かつてマリオンが討ち倒したドラゴン。
その血を使って隷属魔法を解除する魔法薬を作り出していた。
あれならあるいは……
「隷属魔法ではないといっただろう。
それは世界に記された理に従っているだけだ。
神の力に縋るならあるいはといったところか」
「そんな……」
心配するなマリオン。
これくらい何とかしてやる。
「だが、一つだけ手はある」
ベルディナードの言葉にルイーゼの心が揺れるのを感じた。
「だ、だ、めだ。きく……な」
「アキト様!」
「アキト!」
駄目だ、訊けばルイーゼはその選択をする。
全てがベルディナードの思惑通りに進んでいく。
ベルディナードはかつて俺がルイーゼを殺すことになるといっていた。
俺がルイーゼを止めなければないらい可能性。
それが唯一あるとすれば、ルイーゼ自身が望まぬ行動をする時だろう。
ベルディナードが拘わり、その可能性が最も高いのは『支配の王杯』を行使することだ。
つまり、ベルディナードのいう手とは、何かしらの方法で『支配の王杯』の所有者をルイーゼにする可能性が高い。
そして、その方法をルイーゼが訊けば、俺を失わない為に実行すると言い切れる。
教皇ゼギウスの魂に宿る思いは確かに強い。
ルイーゼが弱いとはいわないが、背負った重みが、強さの質が違う。
過去に、転生という経験や霊脈を彷徨う中で自分を保ち続けてきた俺は、それがどんなに困難なことか知っていた。
色々な前提があって乗り越えられた試練を、なんの知識も経験もないルイーゼが乗り越えることを期待するのは、余りにも酷だ。
その結果――だが、俺がルイーゼを殺す、そんな未来はない!
例えベルディナードの思惑通り、ルイーゼが『支配の王杯』に支配され、その力を振う欲求に耐えられないとしても、俺が必ず抑えてみせる。
「先に言っておくと、男に縋るだけの小娘に扱えるものではない。
それでも試すか?」
「教えてください」
「ル……イーゼ、だ、めだ」
「ですがそれでは……
叔父様の話では例え受け入れたとしても、いつかはその命が失われると。
例えお会いしたことがないとしても私の大叔父様が始めたことです。
その責任にアキト様を巻き込みたくはありません。
それに、アキト様を大切に思っているのは私だけじゃありませんから」
そういうルイーゼは、涙ながらもいつもの優しい笑顔だった。
俺を安心させる為に、作られた笑顔じゃない。
ただ心の底からそれを望み、それが本懐だとでもいうような笑顔だった。
だが、駄目だ。
「お兄様、教えてください」
「えっ!?」
!?
マリオンが驚き、俺も驚く。
俺はルイーゼに教皇ゼギウスが叔父であること、ベルディナードもその血縁である可能性が高いことは伝えていた。
だが、兄妹だとまでは確信が持てなかったので伝えていない。
それなのにルイーゼはベルディナードを兄と呼んだ。
前にルイーゼは血縁がいないといっていた。
だが、それは両親が死んだことで独り身となったからで、兄がいたという可能性を否定するものではない。
先に亡くなったとか、そもそも知らされていなかったという可能性は残る。
それでも、ルイーゼが気付いたのは何故だ?
「……」
「面影と、勘でしょうか。
母上にとてもよく似ております。
当たっていたようで、少し安心しました」
ベルディナードも意表を突かれたようだ。
「俺はお前を妹だと思ったことはない」
「それは私も同じです」
「フッ。約束だ教えてやる。
『支配の王杯』はアキトの抵抗を受け、まだその資格を認めていない。
血族であるお前がそれを手にし所有を望めば、アキトが望まぬ狂気に落ちることはないだろう。
だが、それはお前が受けることになる。
欲望のままに人を支配し力を振う未来を望むのか」
ルイーゼの視線が『支配の王杯』に移り、次いで俺をみる。
そんな様子に俺だけでなくマリオンも心配そうだ。
逡巡した様子を見せるルイーゼが、何を考えたのか直ぐにわかった。
だが、俺がそれを望まないこともわかったのだろう。
直ぐに行動に出るといったことはなかった。
俺が余裕を見せていれば、ルイーゼは決断を鈍る。
「力が欲しいなら貴方が手にすれば良いじゃない!
貴方も血縁だというならルイーゼの次は貴方になるんじゃないの!」
「あの力に打ち勝てると思うほど、俺は自分を信じてはいない。
だから対抗すべく策はすでに講じている。
残念ながらルイーゼにその時間はない。
もっとも、時間があったとしても耐えられるとは思わないがな」
マリオンの殺気を孕んだ声に臆することなく、ベルディナードは平然と答える。
自信家に見えて慎重派か。
実力のある慎重派とか厄介なことこの上ない。
「壊、せ……」
「無駄だ。それは人の手に余る」
まるで人が作り出した物じゃないような言いようだな。
ならばモモ、頼む!
だが『支配の王杯』は俺の手から消えることはなかった。
姿こそ現さないが、モモの困惑するような感情が伝わってくる。
いままでどんな物でもモモに頼めば精霊界に隔離してくれた。
そのモモの能力を以てしても隔離できないとか、人の手に余るどころじゃないだろ。
「他に方法はないのですね?」
「復讐という望みは果たした。今更騙す必要もない。
後はどうしようと好きにするがいい」
「後始末も出来ないなんって最低ね」
ベルディナードの目的は復讐……教会に追われエルドリア王国まで逃げ延びたルイーゼの両親が、どういった事情でベルディナードを手放したのかはわからない。
カイルの話では奴隷商で身を起こし、その財を持って迷宮を攻略したというが、そこでベルディナードの心境がどのように動いたのかなど、俺には知りようがなかった。
だが、ベルディナードが教会を潰す為に『支配の王杯』をもたらし、結果として望んだ通りになったことはわかる。
ゼギウス一族は殆どが生け贄となり、教会上層部は『支配の王杯』を使ったことに対して責任を問われる。
ベルディナードは、復讐は叶ったといっていた。
だから俺たちに敵意を持っていないのは、既に崩壊しつつある教会の命令に従う必要もなければ意味もないからか。
どんな思いで復讐を考えたのかはわからないし、仲間にもしものことがあれば俺も考える。
いや、実行するだろう。
だからそれが駄目だとはいえない。
だが、その矛先が仲間に向くというなら叩きつぶす。