支配の王杯・前
本日は連投しております。
ご迷惑をお掛けいたしますが「第92話 シャルルロアの戦い・前」からお読みください。
『支配の王杯』じゃないだと!?
そんな馬鹿な。
全ての特徴は『支配の王杯』を示して……いや、おかしい。
教会は権威を示す為に、天恵を授かった者たちを集めていたはずだ。
順調に事が運んでいるとはいえない状況で、ここだけでなくシャルルロアの戦いでも使われた形跡がないのはどういうことだ?
神々を喰らう猛毒?
それが指し示すものはなんだ?
「人の弱さは人が補うものです。
その為に家族がいて愛する者がいるのではないのですか?」
「……」
「一時の力を欲したところで、失えばまた同じことです。
そのようなことを神々が望まれると?」
「物言いまで良く姉上に似ておる」
教皇ゼギウスが一瞬だけ懐かしむような表情を見せる。
親族の殆どを生け贄として『支配の王杯』に捧げた前教皇。
残った親族がルイーゼだけということはないと思うが……
「ならば、家族も愛する者も全てを捧げた私の弱さは、誰が救ってくれる?」
「わたしです」
当然のように宣言するルイーゼに、教皇ゼギウスは目を見張る。
俺の知っているルイーゼは、なんというかもう少し自己主張の少ない女の子だ。
普段とは様子の異なる雰囲気に、俺も少し面食らう。
「父上が暴走する前であれば、あるいは……」
それでもルイーゼは教会に入らなかっただろう。
教皇ゼギウスもそれを感じ取ったのか、言葉を止める。
「神に仕える身ながら神に弓引く我らに、最初から未来などなかったのだ。
女神アルテアの愛し子よ、そなたがこの呪縛から逃れることを望む」
ルイーゼの説得に教皇ゼギウスが折れた。
これでひとまず戦争の方も収束を迎えることが出来るか。
「だが『支配の王杯』は力ある限り魂を求め続ける。
魂を得る度に強まるその欲求に抵抗は無駄だ。
いつしか夢の中でさえ血族の魂を狩り集めようとするだろう。
そして最後は自らの魂を蝕み、その命が潰えた時に効力を失う」
血族が断絶するまで続く支配の欲望。
その様な魔道具がなんの為に作られ、どんな意味があるのか。
「セルフィナの面影を残すルイーゼ、そなたが私の前に現れたことは最大の不幸だ。
それにより私が死ねば次の所有者は、ルイーゼそなたになるであろう」
「どういう事だ!?」
二人の会話に口を挟むつもりはなかったが、その内容に思わず声を上げた。
「『支配の王杯』の所有者は血族の魂を求め移りゆく。
血が薄ければそこで終わりだが、ルイーゼの血は濃い。
故に『支配の王杯』に見付かることは避けられぬ」
まるで意思があるかのように振る舞う魔道具。
魂を喰らう死神のようなそれこそが、悪魔じゃないかと考えてしまう。
「だが一つだけそなたを救う手がある」
「ルイーゼを救う為に、その方法を教えてくれ!」
教皇ゼギウスを救いたい訳じゃない。
だが、教皇ゼギウスの死がルイーゼに影響を与えるというのなら、まずはその懸念を払うことが最優先だ。
「よかろう。
私の命を持って我が血族に降りかかった不幸を終わりとしよう」
「まて!? それじゃルイーゼに所有権が移るだろ!」
言っていることと手段が違う!
「悪いが破邪の魔法を打ち破ったその男に続きを歩んでもらう。
使うがよい、我が命を。
リアナ、契約の実行を命ずる――ぐはっ!」
「なにっ!」
「叔父様!?」
「えっ、うそっ!」
教皇ゼギウスの言葉に不穏なものを感じた瞬間、その胸を突き破り赤く脈打つ何かを持つ、血に濡れた白い腕が見えた。
護衛騎士たちにも驚きの表情が浮かぶ辺り、全くの予想外の出来事なのだろう。
崩れ落ちる教皇ゼギウスから抜き取られた腕は、教皇の背後に立つ少女のものだった。
人の体は素手を易々と通すほど柔くはない。
だが少女は教皇ゼギウスの肋骨を折り、それを手にすると、躊躇なく握りつぶした。
唖然とするような光景に理解が追い付かない――瞬間。
「あ……あぁ……っ!」
「アキト様!!」
「アキト!!」
魂すら凍り付くような悪寒に堪らず膝から崩れ落ちる。
心臓の動きが鈍くなり鋭い痛みが体を巡るが、声も上げられない。
この痛みは精神的なものか!?
得体の知れない何かが内面に侵入し、俺という存在を書き換えるがごとく荒れ狂い、痛みとなって俺の意識に干渉する。
これは隷属魔法か!?
何故だ! 『支配の王杯』は確かに俺の手にある。
それは未だに魔力で満たされていな――満たされている?
いつの間に!
やられた。
あの時、教皇ゼギウスは『支配の王杯』に目もくれず、少女の元へと向かった。
それが意味することは、『支配の王杯』が手元になくても力を行使することが出来るということだった。
教皇ゼギウスのとった行動に胸騒ぎはした。
だが、何処かで『支配の王杯』を奪取すれば一安心という思いがあった。
前教皇ゼギウスの、強烈な意思を持つ魔力の奔流が俺の中を荒れ狂う。
以前、他人と魂が融合していた時のような感覚に近いが、これは魂に直接呪いを刻むようなものだ。
俺は自分の存在を明確に意識し、混ざり合うことに抵抗する。
リゼットは言っていた。魂の強さが支配力の強さだと。
耐えがたき飢えのように、生け贄を渇望し続ける『支配の王杯』。
魂を喰うというその力を使い続ける訳は、その欲望に屈したからだと、今ならわかる。
教皇ゼギウスはそれに良く耐え、前教皇のようにその力を振ってはいない。
信徒としての誇りと血縁の断絶に対する抵抗が、欲望を押さえ込んでいたのだろう。
だが、教皇ゼギウスはルイーゼに希望を見てしまった。
そして、教皇ゼギウスの意図を感じ取ったかのような少女の行動。
いつの間にか濃密な魔力が少女を満たし、『身体強化』とは異なる、純粋たる魔力の力として使われていた。
そんな使い方もあるのかと、余裕のない中でも感心してしまう。
何ら行動を示さなかった少女は、教皇ゼギウスの命を奪った後、続く行動は何も示さなかった。
たった一つのことが与えられた命令なのだろう。
ただ、その行動は不自然すぎる。
答えは教皇ゼギウスの魂が教えてくれた。
多大な犠牲と共に引き継がれた『支配の王杯』の存在に、教皇ゼギウスは警戒し、その使用を控えていた。
だが、高まる欲求にいつしか飲まれ、際限なく力を行使する自分を恐れてもいた。
その姿は決して神の使いとしての姿にはあらず、対となる魔の存在を感じさせるものだからだ。
ルイーゼの指摘に、拒んでいた事実を突き付けられた教皇ゼギウスの動揺は、見た目以上に大きかったようだ。
リミッター。そんな言葉が過ぎる。
教皇ゼギウスなりの責任の取り方だったのだろう。
厄介なおまけ付きだが。
魂にのった記憶は最後の思い、それだけだった。
どうせならこの状況を打開する策も残して欲しかったが……
今更、俺を隷属下においてなんになる。
そして、これがルイーゼを所有者にしない為に必要なことだというのか?
だとすれば俺がこれを受け入れなければどうなる?
どうにも俺は昔から、魂に直接働き掛ける系の力を振われることが多い。
おかげで抵抗は出来るが、今はそれ以上の余裕がない。
心配そうに寄り添うルイーゼとマリオンに、大丈夫だと声を掛ける余裕すらないとか、情けないじゃないか。
「うっ……」
一段と強まる圧力にさらなる体温の低下を感じた。
余りの寒さと猛烈な眠気に、全てを受け入れてしまいたくなる。
魂が凍り付くような中で抵抗できるのは、特殊な経験の蓄積によるものか。
いつまでも時間は掛けられない。
体力が尽きればそこまでだ。
隷属魔法を力業で解除したことが、その力に対する大きな誤算となる。
魂の強さで変わるというリゼットの言葉を、俺はまるで理解していなかった。
!?
打開策を模索する中、視界の端で壁を突き破り何かが転がり出てくる。
「なに!?」
マリオンが声を上げると同時に武器を構え、ルイーゼも俺の前で盾を構え『多重障壁』を展開する。
飛び込んできたのはリゼットの召喚したケット・シーだ。
ケット・シーはそのまま砕け散るようにして精霊界へと帰っていく。
次いで煙る部屋の中に現れたのは赤い鎧を纏うベルディナードだった。
こんな時に!?
見ているんじゃなかったのかよ!
そのベルディナードが、小脇に抱えていた何かを落ろす。
大きめのそれは人――リゼット!?
リゼットはぐったりとしたままで動く様子がなかった。
まさか!?
ケット・シーは今し方まで存在した。
だから既にリゼットが死んでいると言うことはないはずだ。
だが、無事だという保証もない。
気が焦るとその隙を突くように、俺という存在を作り出す魂に何かが侵入しようとしてくる。
それはまるで食い込む楔のようで、俺は魂の改変をさせまいと、正しい自分を意識し抗う。
「安心するがいい。
思ったより抵抗が激しかったので眠ってもらっているが、命に別状はない」
俺の無言の質問にベルディナードが答えた。
こんな時ばかりはポーカーフェイスを取り繕う余裕がないことを感謝した。
もっとも、その言葉を鵜呑みにする訳にはいかない。
リゼットにもしもの事があるなど考えたくもなかったが、状況は正しく把握しなければ身動きが取れなかった。
だが、下手にも動けない。
ベルディナードの実戦を重視した強さは、僅かな時間の戦いでも感じ取れるほどだ。
困難といわれた永久凍土の迷宮を踏破しただけのことはあるのだろう。
今の状態で戦いになるのは避けたかった。
幸いにしてベルディナードに殺気のようなものは感じられない。
むしろ晴れ晴れとした様子が見て取れる。
その理由は不明だが、今はその気分が続くことを祈るばかりだ。
リゼットの様子だけでも確かめたいが、『魔力感知』に気を回す余裕がなく、今は隷属魔法に抗うのがやっとだ。
ルイーゼとマリオンも俺がリゼットを大切にしていることは知っている。
だが、取れる行動は限られた。
ベルディナードを前に、盾となるルイーゼが動けない俺の傍を離れることはないし、マリオンが動く様子を見せることでベルディナードの気が変わるかも知れない。
俺のことを優先する二人にとって、難しい状況だった。