シャルルロアの戦い・後
本日、何話投稿するか決めておりません。
ご迷惑をお掛けいたしますが「第92話 シャルルロアの戦い・前」からお読みください。
領都シャルルロアは、小高い丘に建てられ、北を自然の絶壁が、東と西には馬が渡れないほどの川が流れていた。
過去、幾度となく帝国の進攻を食い止めてきたここ領都は、まさに自然の要塞だ。
それが今はトリスタンの前に門を固く閉ざし立ち塞がっている。
門の横にある物見台にはバラモン枢機卿の姿があり、トリスタンたちを睥睨するかのようなかたちで迎えていた。
本人はその立ち位置が気に入っているようで、そこに椅子まで用意させ深刻な表情を見せるトリスタンの姿に、誰にもばかることなく笑みを零していた。
「バラモン枢機卿、これはどういう事か!?」
「私は圧政に苦しむ教徒に心を痛め、その声を訊き解放することを誓ったのだ」
まさに茶番だった。
シャルルロア領では信仰の自由を認めている。
よって教徒であろうとなかろうとそこに差違は生じていない。
だが、常々教会からは差違がないことに不平を申し立てられていた。
国教であり、国をまとめ上げることに貢献した教会の、その教徒に特権がないことは酷く侮辱であると。
政教分離を目指す国王派にとって、それは到底受け入れられない話であり、いくら教会派の王妃を愛でている国王であっても、それだけは引けない一線だった。
「まずは門を開けよ。話はそれからだ」
「それは出来ぬ相談でございます。
トリスタン閣下におかれましては国家背任罪の疑いが問われており、その声を聞くことは私までも罪を犯すことになりませんからな」
トリスタンに城を攻める余力はない。
そもそも兵站の心配がないからこその此度の戦だった。
それが断たれたとなれば、一時の勝利など意味はない。
「この国では隣国からの大使を、門を閉めて迎えるのが通常の習わしなのでしょうか?」
「ぬっ!?」
声を張り上げている訳ではないが良く通る声を聞き、バラモン枢機卿が辺りを見回して息を飲む。
立場ある者であれば、国政に拘わらずとも隣国エルドリアの国旗を知らぬはずがない。
椅子に座っている為に死角となっていただろう方角から、近衛騎士に護衛されたメルティーナ王女の馬車が到着し、開かれた扉から姿を現していた。
先程の声の主がその女性だと気付いたバラモン枢機卿は、しばし刮目し、だいぶ間を置いてからその美しさに気が奪われていたことに気付く。
そして言葉の意味を理解し、気を払うようにして声を上げた。
「隣国からの大使だと、そんな話は聞いておらぬ!」
「政治の話だ、そなたが知らなくとも不思議はあるまい」
実際には伏せていた訳だが、それをこの場で正直に話す必要はなかった。
「さて。私はどのようにこの事態を国へ報告すれば宜しいのでしょうか?」
「そ、それは……」
国同士の政治だった。
一介の枢機卿にその判断が出来るはずもなく、その姿は保身の為にあらゆる可能性を探っているのが見て取れるほどの狼狽っぷりだった。
「この様な扱いを受けることは初めてですので、些か動揺しており、間違えて魔法を唱えてしまいそうです」
どんな間違いだと思わず突っ込みたくなったトリスタンだが、そこは政治に付く者としてなんとか平静を装った。
だが、バラモン枢機卿は冷静ではいられなかったようだ。
「ぎ、偽装だ!
そんな手に乗る私ではない!」
それは悪手だろう。
背後に二〇〇人の騎士がいることは、ここからではわからない。
この場さえ凌げばもみ消すことが出来ると考えたのか、バラモン枢機卿は自分の出した答えに安心した様子を見せた。
だが、国を象徴する国旗を掲げた訪問者を確認もなく偽装だと断ずることは、その行為自体が既に国家背任罪に等しい。
国旗とは国の象徴であり、故に戦場ではそれに砂を付けることなく守り通すべき対象だ。
それを偽装に使うなどあってはならぬ。
ましてや隣国の物ともなれば、恥ずべき宣戦布告と捉えられても不思議はなかった。
「トリスタン閣下。
門を破壊する許可をいただけますか」
「……許可いたしましょう」
トリスタンは引きつりそうになる頬を辛うじて抑え、メルティーナ王女の采配に感謝することで平静を装った。
バラモン枢機卿の侮辱行為を門の一つで許すといっているのだ、ここで断る理由はなかった。
「レティシア様、邪魔な門の排除をお願いしますね」
「ふえっ!?」
馬車からもう一人の、まだ幼さを残す声が聞こえてきた。
その声の主からは、思わぬ役割を与えられ声に動揺が見られる。
「ほ、本当に宜しいのでしょうか?」
「許可は得ていますから、心配はいりませんわ」
おずおずとした様子を見せながら馬車から姿を現したのは、歳の頃一五歳ほどの少女だった。
顔つきにはまだ幼さが残っているが、将来はさぞ美しい女性になるだろうと思える容姿で、何より特徴的な髪の瞳の色が目を引く。
黒い髪で黒い瞳、それぞれを持つ者はこの国にもいるが、両方を備えた者は見たことがない。
例外といえば、先に上がったアキトだけであろう。
そしてもっとも違うのは、その瑞々しさに溢れた艶のある髪だ。
光り輝く黒い髪など、言葉に聞いただけでは想像も付かない。
水晶球をはめ込んだワンドを片手に、レティシアは覚悟を決めて門を睨む。
「無駄だ。
この門は魔法防壁になっている、生半可な魔法で破壊できるような物ではない」
「だそうです、メルティーナ王女様」
「要は王都学園の鍛錬棟にある壁が、ちょっと丈夫になったくらいですね」
「なるほど」
トリスタンには何がなるほどなのかわからなかったが、残念ながらバラモン枢機卿のいうことは正しい。
かつて戦乱の度にこの門は数多くの魔法を受けてきたが、一度として打ち破られたことはない。
自然の要塞であり難攻不落と呼ばれるここシャルルロア。
その最後の要となるのがこの門だった。
この門が破られなかった為に、今の神聖エリンハイム王国があると言っても過言ではない。
それほどの物だった。
「不安になってきました」
「彼が帰ってくる場所が戦場では嫌でしょう?」
「……そうですよね。
わかりました。私頑張ります!」
なんと乗せやすい子なのか。
その様子を見ていた者たちは同様に感じただろう。
だが現実は変わらない。
この門を打ち砕くことなど不可能なのだ。
「では、参ります。
眩しいので目を瞑っていてくださいね」
そう言って少女の唱えた魔法は『火球』だった。
魔法を使えなくても、それなりの教育を受けていれば知らぬ者がいないほどメジャーな魔法であり、中級魔法の基礎だ。
残念ながら熟練した魔術師による上級魔法すら受けきったこの門を、中級魔法程度で破壊することは出来ないだろう。
ただ、その大きさには目を見張るものがある。
普通は大きくて五〇センチほどの火球がせいぜいだが、レティシアの作り出したそれは一〇〇センチを軽く超えている。
威力だけなら上級魔法に匹敵するといえた。
「それでも、門は破れない」
「目を瞑られていた方がいいですよ」
トリスタンの呟きに気にした様子も見せず、メルティーナ王女は顔を伏せて目を閉じた。
その言葉に何の意味があるのかとトリスタンが考えた時、それは始まった。
火球が見る見る間に小さくなっていく。
その様子から何かしらの失敗かと感じたトリスタンだったが、それにしては様子がおかしかった。
火球は縮むにつれて、初めは赤かった炎が徐々に白くなり、次いで青くなっていく。
その火球の大きさは子供のこぶし大ほどで、その頃には余りの眩しさに何も見えなくなっていた。
今更ながら目を瞑っていた方がいいという忠告の意味を理解し、続く轟音と地を揺らす振動、そして襲ってくる風圧に蹈鞴を踏んで耐える。
それらが落ち着き、目がようやく慣れてきたトリスタンが見たものは、歴史を覆す状況だった。
「まさか……あり得ない……」
トリスタンの眼前には溶けたとも爆破されたとも形容のし難い門の跡が残り、所々では炎が燻っていた。
岩さえも燃え上がるような超高温に、この世とは思えぬ様子を見せるそこは、しばらく近寄ることも出来ないだろう。
そしてその強大な魔法を使用した本人は、両手で目を押さえ地面に伏して悶えていた。
狙いを付ける以上、本人だけは目が離せなかったのだろう。
メルティーナ王女の侍女と思われる女性が、レティシアの介抱にあたると時を同じく、王国騎士団の二〇〇騎が姿を現した。
先頭は聖騎士の称号を抱くヴァルディス子爵。
思った以上に若いその姿に、トリスタンは衝撃を覚える。
「さぁ、始めましょう」
メルティーナ王女の言葉にトリスタンは頷いて答えることしか出来なかった。
エルドリア王国を敵に回すことがなかったことに、深く感謝しながら。