潜入
本日二話投稿、一話目
俺たちは聖エリンハイム大教会を見渡せる通りの枝道に身を潜め、時を待っていた。この場にいるのは俺とリゼット、そしてルイーゼとマリオンだ。
夜空に浮かぶ月には薄らと雲が掛かり、弱々しい明かりが作り出す影が静まる王都を包み込みこんでいた。
そんな中で、警備の為の僅かな外灯が照らす聖エリンハイム大教会は、ほのかにその姿を闇夜に浮かび上がらせ、人通りの絶えた王都において静かに威厳を放ち続ける。
大教会は俺の記憶でいうところの、ミラノ大聖堂に似た作りになっていた。
一〇近い尖塔を持ち、中央部が一番高くなる山なりのゴシックな様式は、周りの建物と比べても群を抜いて高い。
中央大扉の上には主神エリンハイムを模倣した石像が飾られ、隣には少し下がって母神エルテア、更に隣には三人の女神となるカルテア、ドロテア、そしてアルテアが続く。
逆側に並んでいるのは親戚筋にあたる神々だろう。そのトップには武神エウリウスがいた。
それら数多の石像の中において、もっとも威厳を放っているのは、当然だが一二対の翼を持ち豪奢なローブに身を包んでいる主神エリンハイムだ。
主神エリンハイムは、人間で言えば五〇代と見て取れる年齢で表現されている。三人の女神が一〇代に見えることから、随分と年の差があるように思えるが、若くては威厳を保てないと言う人間側の都合により、五〇代になっているのかも知れない。実際のところ顔と蓄えた髭以外は若々しい体付きにも見える。
三人の女神が若々しく作られているという可能性もあるのか?
!?
不意に襲ってきた寒気に、身を震わせる。
女神様方は思ったよりも俺たちを良く見ていらっしゃるようだ。
昔、不死竜エヴァ・ルータの魂に肉体を奪われ、魂魄となって竜脈を彷徨っていた時に助けてくれた女神アルテアは、英知に満ちた、まさに女神様としか表現の出来ない神秘的な美しさを持っていた。
うん、若々しく作られているわけじゃない。本当に若いんだ。例えそれが俺のイメージが作り上げた姿だったとしても。
俺は今一度、教会の様子を窺う。
主神エリンハイムの石像が右手に持つ巨大な錫杖の先端には、恐らく直系一〇センチはありそうな魔力の結晶体が収まっている。だが、魔力反応は殆どないことから、既に魔力は空に近い状態と思えた。
古代文明の遺物として見付かる魔道具の中には、都市全体を囲うほどの大きな結界を作り出す魔道具が存在する。ただ、実際にそれを稼働できるかどうかは魔力の結晶である魔石などが必要だ。
この主神エリンハイムの像も、そういった物の一つなのかも知れないが、今のところ魔力反応はないので、物理的に潜入することは出来るだろう。
教皇ゼギウスは、その殆どの時間を教会で過ごしているが、夜は自宅と思われる館に帰る。なんとなく聖職者にはあるまじき豪邸にでも住んでいるのだろうと思っていたが、規模こそ大きいけれど質素な造りの館だった。
その際、一人になってくれれば仕事は楽なのだが、かなり手練れと思われる騎士に護衛されていた。なんでも神殿騎士団らしい。教皇ゼギウスの周りには常に二〇人ほどの神殿騎士が見受けられた。
軍隊を持つことは禁じられている教会だったが、護衛の人間を雇うことが禁止されているわけじゃない。
だからって、雇いすぎだろ!
俺は内心愚痴る。
それだけの護衛が必要なのは何故かとも思うが、国王派がそうであるように教会派も決して一枚岩というわけではないのかも知れない。
『支配の王杯』はその性質上、一人の人間に力が集中する。ならば、それを良しとしない者がいることは想像に容易い。
味方には出来ないまでも、カイルのつけいる隙があるとすればその辺なのだろう。
教皇ゼギウスは今夜、大教会で何かしらの儀式を行うことがわかっていた。
何をするのかは不明だが、一週間ほど前に偵察を行った時、何かの封印が解かれたかのように、大教会の奥から強い魔力反応が発生した。
俺はその反応こそが『支配の王杯』だと考えているし、恐らく間違えはない。だとすれば、今日もその力を使う為と考えるのが自然だ。
気になるのは、前回教皇ゼギウスが『支配の王杯』を使ったと思われる場所に、弱いながらも魔力反応があることだ。
「弱いけど人と思われる魔力反応が三つ。それが何か調べられるか?」
「やってみましょう」
魔力反応が弱いから必ずしも弱い存在とは限らない。肉体能力だけで十分に戦える戦士もいる。到底無視出来るものではなかった。
リゼットの詠唱に応えるように、淡い魔法陣の輝きが路地裏に出現する。
召喚魔法。リゼットの類い希なる才能が生み出す奇跡の魔法だ。知識としては存在するのに、その使い手となると殆どいないと言われている。
そのリゼットによって召喚されたのは、人の手のひらに載るほどの小さな精霊で、半透明の人の体と同じく半透明の翼を持つピクシーだ。
それが一〇人ほど召喚され、各々が教会へと向かうと、人々の言葉を集めてはリゼットに伝えに戻って来る。
精霊を目視できる人は少ない上に、精霊自体が隠れようと思えば人間には察知できない為、諜報活動にはもってこいと言えた。
惜しむらくは物理的な接触が出来ないので『支配の王杯』そのものを持ち出すとかは無理だったが、それでも十分に助かった。ここまでの情報が集まったのもリゼットの使う召喚魔法のおかげだ。
それにしても、リゼットは順調に友達を増やしているようで何よりだ。召喚獣を側に置くリゼットの表情は柔らかい。召喚獣の仕草に笑みを零す瞬間は、かなりレアではないだろうか。
「アキト、三つの反応は戦闘力のない少女と思われます。魔力反応も小さいことから魔術師でもないでしょう。
気になるのはまったく動きが見られないところですが、眠っている訳ではないようです」
ピクシーは言葉を伝えることは出来ても、言葉を話せる訳ではない。ただ人の発する言葉を真似ているだけだ。だから、伝えるべき音が得られなければ、後は思念を感じ取るしかない。精霊と過ごすことの多いリゼットであってもそれは難しく、なんとなくいいたいことがわかるという程度だった。
「不確定要素になるな」
今夜は止めるべきか?
だが、先に延ばせばそれだけ戦争が長引く。カイルは領都に侵入を許すようであればその身を明け渡すといっていた。助けられるなら助けたい。そう感じる程度にはカイルと長くいすぎた。
目的は『支配の王杯』の奪取だ。その為に危険を冒す以上、その存在が確実となる瞬間、つまり魔力反応が現れた時がいい。
その時に、三人の少女がどういった形で拘わってくるのかが読めなかった。
「アキト、私たちが知っているのは『支配の王杯』の力の一部です。支配する時と同様に、命令を下すのにも何かしらの対価が必要だとしたら、それも人の魂という可能性は高いと思います」
「対価が必要ならそうかも知れないが、対価が必要と決まった訳じゃない」
だが、この焦燥の様な気持ちはなんだ。
俺はなにか間違えていないか。
『支配の王杯』を奪うのが簡単とはいえないし、次の機会があるとは限らない。むしろその力が使われようとしているならば、それを阻止する方が肝心じゃないだろうか。
そう考えた時、教皇ゼギウスが小さな魔力反応を示す少女の元へと移動を始めた。
「俺はまた間違えるかも知れない」
「アキト、私たちには出来ることしか出来ません。
それが間違えたとして、自分を責めてはいけません」
「……そうだな」
俺はリゼットの言葉に応える。
そして振り返り、命令を待つ二人にいう。
「二人とも俺の我が儘に付き合わせて悪いな」
「いいえ、アキト様。私にとっても他人事ではありませんのでやらせてください」
「問題ないわ。もしアキトが間違っていたら、いくらでも叱ってあげる」
ルイーゼもマリオンも、本来の計画では連れて行く予定がなかった。だが、教皇ゼギウスの周りには力ある者が多すぎた。こっそりと事を運べれば良いが、常に付き添う護衛がいる為にそれは難しく、どうしても力業が必要になる。戦いになることを考えたら二人の力は必要だ。
作戦は単純だ。と言うか、俺たちは個々の力こそ強いが、複雑な作戦を熟せるほどの経験はなかった。だから作戦はできるだけシンプルに行く。
教皇ゼギウスが『支配の王杯』を使うこの日は、護衛も大幅に減ることがわかっている。内容が内容だけに教皇への忠誠が厚い者、その中でも戦える者だけとなれば、数も減り五人。
戦える多くの者が、シャルルロア領との戦いの場に出ている可能性もある。
それでも最低限の護衛は教会に隣接する宿舎にいるようで、大きな騒ぎとなれば直ぐに取り囲まれることになる。
「リゼット、作戦開始だ」
「わかりました」
そこで再びリゼットの出番だった。
リゼットが召喚魔法を唱え始める。今度は俺もリゼットの背中に手を当て『魔力付与』を使用する。
精霊獣ナイトメア。その能力は特定範囲内に耐えがたき睡眠と静寂を与えるもので、対象を宿舎と決めていた。
夜にしか召喚できず、規模が大きいだけにリゼットだけでは召喚の報酬となる魔力も足りないが、俺が協力することで実行が可能となっていた。
当面の敵は教皇ゼギウスとその護衛となる神殿騎士が五人と見ていい。
だが、その五人は恐らく天恵持ちだと思われる。もしくは熟練の魔術師だ。それくらい一般人とは保有する魔力量に差があるので、俺からすればわかりやすかった。
天恵持ちの騎士で思い出すのは、カイルの暗殺に来たデナードだ。武神エウリウスの天恵を受け、『裁きの雷』と『絶対障壁』という二つの固有の能力を使う強敵だった。
そんなレベルの護衛が五人とか考えたくもないが、『魔力感知』が捉える限りデナードやベルディナードほど強い魔力反応はない。どちらかといえばシルヴィアにも劣るくらいだ……というか、あの三人が異常だったのか。
よく考えれば天恵を二つも授かるデナードや、『闇の血』に似た力を使い不死身じみたシルヴィア、最高の武具を使いまだ底の知れないベルディナード。そんな三人を上回る者が、そう簡単に集まるわけがなかった。
だから『神聖魔法』と『自動再生』を授かったルイーゼも大概だよな……
リゼットの召喚魔法に応え、まるで翼の生えた黒猫としかいいようのない精霊が姿を現す。その数は八匹。ナイトメアはしばらくリゼットの周りを回ったと思うと、宿舎に向かって飛び去っていく。
リゼットがナイトメアを使い、神殿騎士団の宿舎を一時的に隔離。その効果を確認してから全員で東側の食堂に転移し、状況を見て教皇ゼギウスの元へ突入する。
三人に残った護衛の神殿騎士を牽制してもらい、その隙に『支配の王杯』を俺が奪う。
その後、正面からの離脱が無理ならばルイーゼの『多重障壁』に守られながらリゼットの魔法で転移する。
俺が全力でサポートした『多重障壁』を簡単に貫ける者はいないと思いたいが、神殿騎士の中にデナードの使った『裁きの雷』クラスの天恵持ちがいたら、絶対とも言えない。
その時は神殿騎士を討つ……のか?
教皇ゼギウスはともかくその護衛となる神殿騎士に罪がある訳じゃない。それをもし討つというのなら、俺はただの人殺しだ。それは避けたい。
この作戦は法的な手段に則っていない。教会を強襲し、納められた法具を奪う行為は、間違いなく犯罪だ。それを正当化する理由はカイルが作る。その為には『支配の王杯』を持って帰るのがもっとも説得力があった。
あれ以来姿を見せないベルディナードも無視は出来なかった。俺たちには関与しないといった台詞を残して去って行ったが、それを信用するのも浅はかだ。
速攻……しかないよな。
突然の侵入者に少なからず動揺はするだろう。その隙を突き『支配の王杯』を奪う。そして転移魔法で離脱だ。考える隙も体勢を立て直す隙も与えるな。
転移魔法の存在を知られることになるが、その使い手がリゼットだとわからなければ良い。
エルドリア王国でも極一部の者しか知らないその能力に、遠く離れたこの地で繋がりを考えるものはいないだろう。
とは言え、用心に越したことはない。リゼットには俺がデザインしたベネチアンマスクを付けてもらった。目元を覆うだけの物だが、リゼットは黒いローブにフードを被った姿なのでとても地味だ。そのおかげで目立つことはないが、もう少しお洒落を覚えても良いと思うのだ。事を終えたら一緒にショッピングでもするか。
そして、俺たちの方といえば完全装備だ。初めは素性を隠すつもりだったが、ルイーゼが表に立つ以上は隠れている意味がない。意味がないのなら、逆に全力で当たるのが一番リスクが少ないと考えた。
「それじゃ行くか」
三人が頷くのを見て俺は、闇夜にそびえ立つ大教会を今一度睨む。
隷属魔法の存在を暴き、ルイーゼに繋がる鎖はここで断ち切る!