アルテアの奇跡
翌日、町はちょっとした騒ぎになっていた。
俺たち以外にもあちこちでコボルトや、それを率いるゴブリンを見掛けた、あるいは襲われたという話が出て、いよいよ本格的な討伐隊が組まれるんじゃ無いかという噂で持ちきりだ。
そして何時もの鍛錬が終わる頃には噂が現実となりつつあった。
冒険者ギルドには纏まった収入を得ようとする冒険者が詰めかけ、その数は外にまで人垣が出来る程だ。
狩りに慣れた冒険者にとってコボルトや、多少は強いと言ってもゴブリン程度なら大きなリスクという程の敵では無い。
怖いのは数に押されて攻め込まれることであって、今回のように討伐を目的として多人数で向かうならばそのリスクも大幅に減る。
冒険者の中には昨日の帰り道、コボルトの集団を退治する時に一緒に戦った人たちもチラホラと見受けられた。
「お前らは参加しないのか?」
昨日声を掛けてきた大男――マッシュが、通り過ぎようとしていた俺たちを見掛けて声を掛けてきた。
「あぁ。俺たちは約束があるから遺跡に向かうよ」
「稼ぎ時だってのにもったいねぇなぁ。
お前らがいてくれれば俺たちも一層楽なんだが」
「しっかり働いて稼いでくれ」
マッシュの苦笑いに手を上げて応え、その場を後にする。
俺たちの目的は稼ぐのと同時に食糧や商品になりそうな素材の確保だ。
残念ながらコボルトでは肉も素材も得られなかった。
それにコボルトは初心者向きの魔人族だ。
昨日のように助けで入るならともかく、そうで無ければ出来るだけ新人に回した方が良いだろう。
新人の手頃な依頼を取ってしまっては、俺がそうであったように最初に苦労をさせることになる。
どちらにせよ俺たちはこの国で冒険者ギルドに登録していない。
依頼その物を受けることが出来ないのだから考えるだけ無意味だろう。
この混雑の中で新人登録とか逆に迷惑を掛けるだけだろうし、今日は先約もあった。
フリッツとの待ち合わせ場所は東門だ。
その近くにある兵舎の前にも兵が整列しこちらに背を向けていた。
その正面ではあの時の騎士――カイルが、部隊の配置に関する指示を出していた。
配給された装備で統一された装いは、それだけでも威圧感がある。
それを狙ってルイーゼとマリオンの装備も合わせたかったが、戦い方に合わないので諦めた。
それでも昔のように侮られることは減っているから多少はマシなのだろう。
「来るとは思わなかった」
約束通り東門のところにいたフリッツが、出会うそうそう失礼なことを言う。
「約束していただろ」
「そうだけど、てっきり討伐依頼の方に参加すると思ったから」
「まぁ、稼ぐだけが目的なら他に手もあるしな。
今は素材を集めつつ遺跡でも見て回るさ。
良いところ案内してくれるんだろ?」
「もちろんだよ、任してくれ!」
コボルトの大量発生で今日の稼ぎが無くなるかもしれないと心配をしていたフリッツだが、既に元気になっていた。
気の変わりの早さは逞しさ故と言ったところか。
今日は昨日よりも少し奥に入り、魔物の中にもDランクが混ざってくる辺りで狩りを始める。
歴史を感じさせる遺跡を見て回り、都合良くも見逃された古代文明の遺物は無いかと探して歩く。
途中、植物のような魔物――いや、魔石が出なかったから本当に植物だったのかもしれない。
その蔓を武器にした植物にマリオンが捉えられ、少し色っぽい事件も起きたがそこは触れないでおこう。
それなりに狩りを楽しんだ俺たちが街に戻った時、東門を中心とした辺りは傷付き倒れた冒険者や兵士と、その治療に当たる人々で溢れかえっていた。
怪我人の数が多いことも問題だったが、深い傷は回復魔法をもってしても治すことは難しく、延命的な処理に留まっている人もいた。
泣き崩れる女性、服を血で染めて走り回る治療師らしき男性、泣き止まない少女、仲間を背負い回復魔法の使える人を捜し回る男性。
その凄惨な状況を前に、慣れている俺でも思わず目を背けたくなる。
「アキト様」
「……」
ルイーゼの言いたいことはわかった。
だけれど俺は心の何処かで躊躇っていた。
「アキト様、私がそれを望みます」
「……わかった。ルイーゼ、頼む」
「はい」
俺はルイーゼに神聖魔法を頼む。
天恵と呼ばれるルイーゼの生まれ持った能力であり、祈りの言葉に応えて神が奇跡を行使する魔法だ。
その能力はまさに奇跡と言われるだけの効果を持ち、この世界において天恵持ちと言うことは即ち神の御使いとも言われていた。
ルイーゼは苦しむ人々の中心に移動すると、両膝を突き、胸の前で両手の指を軽く組み合わせて祈りの言葉を紡ぎ始める。
ローブでも着ていれば何処かの聖女と見紛う雰囲気だが、今は軽板金鎧に身を包み、どちらかと言えば戦乙女に近い。
些かギャップはあるが、奇跡その物に影響があるわけでは無いので大丈夫だ。
紡がれる言葉はまるで歌のようで、小さく囁くような声でありながら阿鼻叫喚とも言える騒然としたこの場でさえ通るものだった。
その祈りの言葉に応えるかのように、ルイーゼの体が薄く青い光で包まれていく。
その光は天に向けて伸び上がると徐々に加速し、肉眼では確認出来ないほど先を示す。
自然と誰もが空を仰ぎ、その光の先を目で追い始めた。
天に伸びた光に応えるかのように、今度は天より降り注ぎ始めた光に飲み込まれ、ルイーゼを中心に光の柱が広がっていく。
それは直径五〇メートルほどに達し、暖かく心地の良い光に包まれた人々の怪我を癒やしていく。
その回復の力は驚異的で、失われた腕さえも再生する魔法はまさに神の奇跡と言って良かった。
奇跡の対価は、その奇跡を行使した者が死んだ時、癒やした痛みをその身に受けるというものだった。
もし苦痛に耐えられなければ魂は砕け散り、新しい生を得ることが出来ず、天恵を継ぐ者を失うと言われている。
俺が躊躇ったのもそれを聞いていたからだ。
その教えを広めているのは、神に授かりし力は教会が管理すべきだというエリンハイム教会であり、この国でもっとも勢力を誇る教会でもあった。
だが一方で、教会の権威を高める為に作られた根拠もない教えだとも言われている。
よって法的な制限は無く、教徒でもなければ天恵の行使に制約が無いのはどの国でも一緒だった。
国としても不確かなことを理由に教会の権威を高めるなど出来なかったのだろう。
「奇跡だ……」
誰とも無く言葉にする。
先程まで痛みに耐えて呻き声を上げていた者がゆっくりと体を起こし、自分の体に起きた変化に驚きを表した。
「生きている……俺は生きているぞ」
「奇跡が起きた!?」
「うぉぉぉぉっ!! 助かったぞぉ!!」
「おぉぉぉっ!」
歓声が沸き起こる。
仲間が助かったことに、奇跡が起きたことに、苦痛から解放されたことに。
それぞれが思いを爆発させ、抱き合い、肩をたたき合って喜ぶ。
「女神アルテア様に感謝を」
ルイーゼの言葉に、心からの感謝の言葉があちらこちらから囁かれ始めた。
俺も感謝し、ルイーゼの身にその痛みが訪れないように、それが無理なら俺がその痛みを代われるようにお願いする。
「聖女様にも感謝を!」
「そうだ、聖女様にも感謝をっ!」
再び騒然とした空気となるが、今度は先程までの絶望たるものではなかった。
ルイーゼが少し困ったような笑顔で人混みを抜けてくる。
「すごい……ルイーゼさん凄い!
聖女様だったなんってどうして黙ってたんだよ!」
フリッツも奇跡を目の辺りにして大興奮だった。
「私は聖女ではありませんから」
「えっ? だってあんなに凄い奇跡を起こしたじゃんか」
「それでも私は教会に属していませんので」
「なんで!? 貴族様になれるんだぞ!」
「私はそれを望んでいません」
ルイーゼの答えがフリッツには理解出来ないのか、思考が止まっていた。
ここ神聖エリンハイム王国では、天恵を授かった者が教会に入ることで男爵位を得ることが出来た。
相続権の無い名誉爵だが、それでも平民が得られる最高位とも言える爵位だ。
それを望む者にとってルイーゼの考えは理解が出来ないのだろう。
だがルイーゼの望みはそこには無い。
奇跡を行使する天恵持ち、その力を欲することが間違いない教会と関わることを避けるという意味でも、俺はルイーゼが奇跡を行使するのを躊躇った。
でも、仲間や愛する者が助かって喜ぶ姿を見たら、ルイーゼの考えが正しかったとしか思えない。
ならばルイーゼのことは俺が全力で守れば良いじゃ無いか。
少なくても俺が躊躇うのは辞めよう。
奇跡に湧く人々の傍らでは、今も伏せて泣き止まない人々もいた。
どんなに素晴らしい力であっても、失われた魂までは呼び戻せない。
だからと言って、もし一緒に討伐隊に参加していればとは考えない。
俺たちが参加していればなんて言うのは傲慢だろう。
手の届く範囲で助けられる人を助ける。
それが今の俺たちに出来ることだ。