不穏の影
バレンシア遺跡での初日の狩りを終えた俺たちが、町への帰り道で遭遇したのはコボルトの集団に襲われる冒険者たちだった。
「またコボルトか!?」
「あんなにいっぱい……無理だ、逃げないと!」
コボルトの数はぱっと見で五十人近く、対する冒険者は三パーティーで十五人ほどだ。
個々の強さは冒険者の方が上に見え、既に一〇に近いコボルトの死体が辺りには散らばっていた。
だが無作為に飛び掛かってくるコボルトに組み付かれ、何人かの冒険者が倒れているのも見えた。
「ルイーゼ! マリオン!」
「はいっ!」
「わかったわ!」
二人が飛び出す。
体力が尽きない限りコボルトに後れを取る二人じゃ無い。
そしてコボルトは二人の体力が尽きるほど手強い相手でもない。
二人が参戦すれば戦いも優位に進むだろう。
俺はフリッツを護衛しつつ突発的な問題に備える。
「フリッツ、俺の側を離れるな。
必ず守ってやるから安心しろ」
フリッツは震えながらも頷き、小さなナイフを手に持ち周囲の警戒だけは怠らなかった。
なかなかしっかりしている。
フリッツの様子に感心していると、群れから離れたコボルトが五人ほどこっちに向かってやって来た。
二人なので与し易いと思ったのかもしれない。
走り寄る時は四足でしっかりと大地を蹴り、間合いを詰めると立ち上がって、口に咥えていた短剣を手に取る。
全員が武器を持っているわけでは無いが、持っていたとしてもその扱いは稚拙で、恐らく脅威とはなり得ないだろう。
むしろそのまま牙や爪でもって攻撃される方が怖いくらいだ。
だが、武器はコボルトにとって戦利品、あるいはステータスなのかもしれない。
武器を持っているのは五人の内、リーダーっぽい奴だった。
「うわぁぁっ!」
「大丈夫だフリッツ。いくら多いと言っても、コボルト程度には負けはしない」
怯えるフリッツを落ち着かせる為に多少傲慢な言い方をする。
そして、それを証明する為に手近なコボルトを抜刀した勢いで左下から右上に斬り上げる。
今日初めて使うその剣は深みのある黒い刀身を持つ剣で、魔力を十分に含んだ剣は細身でありながら刃毀れの一つも無かった。
黒曜剣と名付けたこの剣を俺は二本持っているが、残念ながら今のところ二刀流として使いこなせてはいない。
と言うより、俺の戦い方と合わないといった方が良いだろう。
俺の場合、左手は魔法の起点や殴るあるいは掴むと言った汎用性の高い方が何かと戦いやすかった。
弓や槍と言った武器も使ったが、結局最初に馴染んだこのスタイルに落ち着く。
「はっ!」
俺は振り上げた剣をそのまま隣のコボルトに目掛けて振り下ろす。
黒い残像が走り抜け、抵抗らしい抵抗もなくコボルトを袈裟斬りにし、一呼吸の合間に二人が倒れる。
「す、すげぇ……」
「少しは安心したか?」
「でもマリオンさんの方が凄い……」
フリッツの視線の先では、コボルトの群れを蹴散らす勢いで剣を振るうマリオンがいた。
手に持つ短剣が振るわれる都度、あり得ないほど離れたところにいるコボルトの首が飛ぶ。
その動きは踊るように流麗で、見蕩れる程に華麗だった――コボルトの血飛沫が飛び交う中ではあったが。
俺もただ見蕩れていた訳ではない。
最初の二人が倒されてても怯まずに攻撃してくる残りの三人の内、手下らしいコボルトをさらに二人倒している。
元々Aランククラスの魔物を想定して用意した黒曜剣は、コボルトなど全く問題にせず、軽い抵抗を伴うだけでその体を両断した。
魔人族とは言え、いとも容易く命を奪うことに何かしら思うところもあるが、俺はかつて見逃した敵に反撃を受けルイーゼを死なせ掛けたことがある。
仲間を失う絶望に比べれば、冷酷や残忍と言われようと甘んじて受けるつもりだ。
手下が全員倒されたことでリーダーは逃げるかと思ったが、やはり魔人族や魔物は動物とは違って中々逃げないようだ。
魔人族は知能が高いのだから逆に不利を悟って逃げてもいいものだが、実際に逃げることは少ない。
俺は、魔人族はプライドが高いんじゃ無いかと思っている。
ただ、残されたリーダー格の動きは慎重だった。
十分に余裕を持った相手だが、一応俺も気を引き締める。
コボルトの攻撃は殆ど突進から始まる。
今回もそれは変わらない。
決して遅くは無い突進だが、毎日の鍛錬でマリオンの突進を捌いている身からすれば、ただ真っ直ぐ突き進んでくるだけの動きで俺を捉えることは出来ない。
俺は横に躱し、通り抜けるリーダーの首元に黒曜剣を振り下ろす。
リーダーは首を落としたまま五メートル程進んで倒れ、そのまま動くことはなかった。
「アキトさん、強かったんだ……」
「Cランクだといったろ」
実際のところ俺たちの年齢でCランクだと言っても信じて貰えないことが多いので、フリッツが信じていなかったのも不思議は無い。
こんな状況で、実力的にはAランクだと言ってもなおさらだろう。
マリオンとルイーゼの方もコボルトの討伐は終えていた。
倒れていた冒険者も体を起こし治療を受けているようで、俺が手を貸す必要も無さそうだ。
「この辺じゃコボルトの集団が現れるのは珍しいことじゃないのか?」
落ち着いたところで素朴な疑問を口にする。
「こんなこと最近まで無かったよ。
この間も南の方でコボルトの大群が出たって兵士の人が言ってた」
となると考えられることはそう多くない。
一時的な大量発生によって食糧難に陥り、人の活動領域まで出て来た。
あるいは強力な魔物がコボルトの住処辺りに現れて逃げ出してきた。
最悪のパターンは強い個体が現れて、その個体を中心に魔人族の国が出来上がると言ったところか。
コボルトは尖兵になることが殆どだ。
だから組織的な意図があって行動しているなら、その背後にいるのはホブゴブリンやオークと言った下位の魔人族でも知能の高い種族になるだろう。
本格的な動きが見られるようなら冒険者ギルドに召集が掛かるかもしれないが、この国での俺たちは商業ギルドにしか登録していない。
事を知って行動を起こさないのかと思われるかもしれないが、俺にとって守るべき最優先は仲間だ。
だから乗りかかった船あるいは助けを求められたわけでも無ければ、進んで関わるつもりは無かった。
「二人ともお疲れ様。怪我は無いか?」
「はい」
「私も平気だわ」
二人を労っていると、冒険者集団の中から一人が歩いて来る。
その男は二〇代後半で身長が二メートル近く、がっちりと鍛え上げられた肉体は重装備と思われる防具を軽く着こなし、俺が持てば両手剣かと思うような片手剣を携えていた。
この世界の成人男性は一・八メートルくらいが平均身長らしいが、その分布は元の世界より遙かに幅があり、彼くらいの背丈は普通に見掛けた。
俺も成長期と言うこともあり背は伸びていたが、このまま成長したとしても縦にも横にも全く敵う気がしない。
当然その体を支える筋肉も立派なもので、『身体強化』でも使わない限り力で勝てることはないだろう。
もっとも『身体強化』は筋力強化だけで無く肉体強化の効果もあるから比べるものではないが。
それにしても逞しい体付きはちょっと羨ましくもある。
いざ戦いとなれば俺の体格では不利になりやすい。
それを補う為に俺は幾つかの魔力を使った『技術』を産み出している。
当初は無属性魔法と呼んでいたが、具体的に内容を掴むにつれて魔法と言うよりはスキルに近いものと考えるようになった。
スキルはまだ一般的に認識されていない為、人に説明する時は無属性魔法と言っているが。
「加勢に感謝する。
おかげでたいした被害も出さずに済んだ」
「被害が少ないなら良かった」
「二人は大したものだな。若いのに一流の戦いぶりだ。
赤毛の子が使っていたのは魔法なのか?」
冒険者は助け合いもするが、基本的にはライバルだ。
出来るだけ簡単で稼ぎの良い獲物や仕事、そして手の内を明かすことは少ない。
当然、その戦い方や持っている武器なども秘匿することが多い。
だから今の質問も世間話程度のつもりなのだろう。
どちらにしてもスキルは見られているので、それを秘匿する必要は無かった。
「無属性魔法だ」
「随分と器用らしいな」
一般的に使われる攻撃魔法は精霊魔法一色だった。
理由は同威力の古代魔法に比べて発動が容易で、同じ難易度なら威力が上だからだ。
無属性魔法は古代魔法に分類される魔法だが、精霊魔法が六大精霊に基づく光・闇・火・水・風・土の属性を持つことから、精霊魔法では無いという意味で無属性魔法と言われることもある。
魔法の質としては古代魔法や精霊魔法とは全く関係がなく、一言で言えば魔力制御という魔法とはまた違った技術だ。
だから無属性魔法は魔力を制御して何かをしているだけであって、魔力を源として具現化された力――魔法では無い。
と言うのは俺が知識から得た分類で、世の中的には使いこなすのに難しく、使いこなしたとしても精霊魔法に及ばないと言われている。
その為か今となっては研究すらされなくなっている分野だった。
そんな魔法を知り、使っているから器用と言ったのだろう。
「才能があったらしい」
「俺にもそんな才能が欲しかったものだ。
さて、半分はそちらの取り分だ。
さっさと焼いて旨いもんでも食いに行こうや」
「あぁ、それも良いな」
二人の働きに対して正当な対価は必要だ。
遠慮する理由も無いためコボルトから魔魂の回収をする。
その作業はフリッツも手伝い、今日の稼ぎに上乗せをしていた。
ちゃっかりとは言うまい。
それくらいの逞しさが必要な世界だった。