報告・連絡・相談
電子レンジの音、ガス台の音、冷蔵庫の音、ポットのお湯が沸く音。電気的な音に囲まれたここは我が家だ。我が家と言ってもシャルルロアの領都にある家では無く、元の世界――俺の生まれた世界の家だ。
「アキト、まずは座りなさい。
真琴の手が空いたら本題を訊こう」
厳格な父ではあるが、決して押さえつけるようなことはせず俺たち兄弟をのびのびと育ててくれた。異世界で生きていくと決めた以上、そんな両親の側で親孝行出来ないのは気になるところだ。
色々とゴタゴタが落ち着き、異世界転移魔法でルイーゼやマリオンを連れてくることが出来る様になれば、しばらくこちらで過ごすのも良いかもしれない。
「元気そうだな。思ったより変わっていない。そろそろ成長期は終わりか」
「あと一年くらいは伸びる望みもあるんじゃないかな」
自分では気付かなかったが、どうやら俺は余り変わっていないらしい。せめてあと五センチほどは身長が欲しいところだが、残された時間は少ないのか。
「それでも雰囲気は随分変わっているわ。もう、男の子とは言えないわね」
母が懐かしい匂いのする日本料理を食卓に並べ、父の隣の席に着く。
生まれた時から一級の食材と成るべく育てられた肉と野菜をふんだんに使った料理は、庶民的でありながらもエリンハイム王国の貴族でさえ食べたことがないような味わいに違いない。
「食事をしながら話そう」
「わかった。いただきます」
久しぶりに食べる唐揚げは齧ると甘みのある油が染み出し、とろけるような味わいだ。思わず続けて摘まみ、次に餃子を頂く。これもうま味を濃密なまでに詰め込んだ肉汁が口の中に広がり、格別の味わいを醸し出す。
これはレシピを覚えて、リゼットに異世界の食材にあわせたアレンジを頼む必要があるな。そしてルイーゼに実際に作ってもらい、マリオンが給仕して俺とモモが美味しく頂く。うん、悪くない。
両親は食べながら話でもと言っていたが、美味しそうに食べる俺を見てか特にせかすこともなく、結局食べきってしまった。
食後に母が入れてくれたコーヒーは懐かしい味がした。料理もコーヒーもきっと俺が好きな物を意識して用意してくれたのだろう。当たり前のように用意される物に、愛情を感じた。
「アキト、何か話があるのでしょう?」
両親を前に、俺はどこから話すべきか悩んでいた。
まぁ、結論から言うか。
「二人に報告があるんだ。俺、結婚することになった」
両親は声こそ出さなかったけど、驚いた様子だ。まぁここじゃ一七歳で結婚って訳にはいかないから、気持ちはわかる。だいたい普通なら高校生だ。
「まぁ、なんだ。世界の理が違うのだから、アキトの向かった世界ではそれが普通なのだろう?」
「でも、早くありませんか?
アキト、きちんと生活は出来るの? 相手はどんな方?」
「リゼットさんではないのか?」
「リゼットさんならしっかりしていらっしゃるから安心ね」
「いや、リゼットじゃないんだ」
俺は慌てて否定する。
両親からすればリゼットしか知らないのだから無理もないか。
「二人の名前はルイーゼとマリオン。向こうでずっと俺を支えてくれた二人だ。もちろんリゼットもそうなんだが、リゼットとそういう話はしていない」
「二人って、アキト何を言っているの?」
「え? あ、そうか。向こうは一夫多妻制で、平民じゃ珍しいけれど法的には問題がないから」
「それは素晴らしいことなのかも知れないが、先方もわかってのことか?」
「二人の前で申し込んだから間違いようはないと思う」
「アキトが結婚……それも二人と……本当に生活は出来るの?」
危うく莫大な借金ができるところだったけれどセーフ。
「金銭的なことに関しては問題ないかな。どちらかと言えば不自由ない程度には稼いでいると思う。いざとなれば自給自足も出来るし、食べ物に困ることはないはず」
一七歳で結婚、それもお嫁さんは二人。この国の常識から考えたら両親の反応は普通だろう。
「えっと、それじゃ先方のご両親に挨拶しないと、その前に美容院に行って、服は、あれ、えっ……どうやって?」
「真琴、落ち着きなさい。君が慌ててどうする」
「あ、そ、そうですよね。私ったら」
俺がいなくても変わらずに、どこか子供らしいところを残している母に安心する。
「ルイーゼもマリオンも既に両親や親類はいないんだ。本人との挨拶は時が来たら出来るかもしれないけれど、今は言葉だけのお祝いが貰えると嬉しい」
「もちろん、喜ばしいことだ。二人を家族に歓迎しよう」
「私も歓迎するわ。姑と思われないように頑張らないと。買い物とか一緒に行けるのかな。料理とか一緒に作れたら楽しいかも」
両手を頬に妄想に入った母は取り敢えず置いておく。
「二人も喜んでくれると思う」
「アキト。お前は一年前の時点で既に自分の力で生きていた。それからの一年も楽ではなかっただろうが、これからは助け合う家族が出来たことを忘れるな。一人で抱え込んで潰れるようでは家族とは言えない」
ルイーゼとマリオン。二人との間にある全ての壁を無くすように努力していこう。戦いの中では別として、私生活では同じ視線でいたい。
「わかった」
「悠香がしばらく騒ぎそうね」
「いつかわかることなら、早めに伝えた方が良いだろう」
「伝えるタイミングは任せるよ。もう一カ所よるところがあるから悠人と悠香には二人から頼みたい」
「もう行くの?」
「色々と二人を迎え入れる準備をしないと行けないんだ。その為に相談も必要だからな」
「また顔を見せなさい。いずれはお嫁さんも一緒に」
「そう出来るように努力する。
料理、凄く美味しかったよ母さん。好きな物を用意してくれてありがとう」
「ルイーゼさんとマリオンさんにも、きちんとそう伝えるのよ」
俺は頷く。
もう少し顔を出す頻度を上げよう。そう誓い、俺は頷いて異世界に向かう。
◇
俺が次に来たのはリゼットの元だ。
本名はリーゼロット・エルヴィス・フォン・ウェンハイム。ここエルドリア王国南部を治めるウェンハイム辺境伯の長女にして紛うことなき貴族のご令嬢だ。そして、俺をこの世界に召喚したのその人でもある。
今は継承権を放棄しある意味自由に生きているリゼットだが、それまでの生活は平和な世界で育った俺には衝撃的なことばかりだった。あの頃の俺は自分にリゼットを救うだけの力があると思い、半ば強引にリゼットを説得してこの世界にやって来た。それがリゼットの負担になるとは思わずに。
結果は酷いものだった。高かった鼻は早々に砕かれ、命さえ何度も失い掛けたあの頃、たまたま出会った昔の仲間と共に国中を廻って辿り着いたのがここであり、落ち着いたのもここだ。
エルドリア王国、王都トリスティア。その東地区にある学生に人気のカフェテリアの二階。ここはかつて俺がルイーゼやマリオンと暮らしていた場所だ。
魔道ランプが照らす広々とした室内は、懐かしく、ここから通った学園での生活を思い起こさせる。
リゼットが管理を引き受けてくれたこの店は、俺がこの世界で生きていこうと決めた証のようなもので、出来れば失いたくない。貴族とのいざこざが原因でこの国を出ることになったが、いつかはまた戻ってきたいと思っている。ただ、まだ時間は必要だろう。
店は、社員として雇っていた子がいたから可能であれば続けたいと思い、委託先を探していたところでリゼットが申し出てくれた。だから今はリゼットがこの部屋を使っている。
店の管理とか貴族のご令嬢様に任せることじゃないが、元々幽閉されて育ったリゼットにとって、夜には一人になるここで暮らすというのは落ち着くらしい。それでも身の回りの世話くらいはと思ったが、それも心配ないようだ。
今はカフェテリアで働く少女の二人を行儀見習いとして教育することで、だいたい間に合っているらしい。
そして極めつけが――
「……」
扉を開けて入って来たのは猫だった。いや、正確には猫人族。更に正確には猫人族に似た精霊だ。仕立ての良いスーツ姿で、身だしなみが良く、振る舞いは紳士然とした精霊だ。
俺も貴族との付き合いが増えて、立ち振る舞いから粗野さが消えてきたと思うが、この精霊には負けるだろう。
テーブルに向かい合わせで座る俺とリゼットに、紅茶とコーヒーを入れるその慣れた手つきにしばし感心させられる。
「ケット・シーは初めてですか?」
「あぁ。自然の精霊じゃないよな」
「召喚魔法で来て頂きました。対価は魔力ですね」
「うちの店にも一人来てくれないだろうか」
「覚えていきますか?」
「いや、召喚魔法は複雑で難しすぎる。今は精霊魔法の方で手がいっぱいだ」
魅力的な話ではあるが、ケット・シーの代わりは人を雇うことでも可能だ。それよりは地力を付けることを優先したい。
「ではクリスを連れて行きますか?」
カイルを連れて領都シャルルロアへ向かう途中、ティティルと一緒に助け出した少女はここで暮らしていた。クリスの身元引受人は俺になる。
今はシャルルロアの領都で開く予定の『カフェテリア二号店(仮)』の社員として仕事を覚えてもらう為に、ここで働いてもらっている。元々荷物置き場だった個室で寝起きしているようだ。
「クリスの様子はどうだ?」
「初めは私も含めて警戒していたようですが、最近ではメルやリルと歳が同じこともあって打ち解けているようですよ。仕事は半分と言ったところでしょうか」
「そうか。助かるよ。
クリスには期待しているけれど、ここで馴染んでいるならこのままここで暮らしていくのも良いと思っている」
「アキトのそう言うところは鈍感なままですね」
「クリスは戻りたがっているのか?」
「ご自分で訊きなさい」
俺はケット・シーが入れてくれたコーヒーを飲み、女の子は難しいな、と考えていた。
魔道ランプが瞬き、まるで焚き火のような音を立てる。ここを借りた時から付いているこの魔道ランプは動力線に問題があるのか、時たま火を使ったランプのように明るさに斑があった。俺は味があって良いなと思いそのままにしていたが、リゼットもそのまま使っているようだ。
「それで話とは?」
「あぁ、そうだな。率直に言うとルイーゼとマリオン、二人と結婚することにした」
人に伝えるのがなんとなく恥ずかしいと思うのは何是だろうか。
リゼットは一瞬だけ眉を上げるように反応したが、それ以上は何かを押し殺すように表情が消える。
「そうでしたか、やっとですね。これで二人も少しは安心でしょう。
アキト、おめでとうございます。三人に心から祝福を」
リゼットの祝福は心からのものだ。でも、そう言うリゼット自身には影が差した気がする。それは本人の発する微妙な魔力が心の揺れに反応した為だろう。だが、原因まではわからない。
「ありがとう。
リゼット、俺はもう十分に幸せだ。あの時、俺がこの世界に来る為に力を使ってくれたことに感謝している」
「アキトに感謝するのは私の方です。
閉ざされた世界に住んでいた私に、世界の広さを教えてくれたのはアキトです」
それでも、今も閉ざされたままの気がするのは自分が許せないからじゃないのか。
「この二年間、リゼットが俺への償いの為に動いていたことは知っている。でも、そんなことは本当に必要なかったんだ。俺はこの世界が気に入っている。そして召喚してくれたリゼットには感謝している。だから今度は俺がリゼットの力になる番だ」
「私にも結婚を申し込んでくれるのですか?」
「それがリゼットにとっての幸せなら」
リゼットはきっと、本当に望んでいるわけではないだろう。でも俺はリゼットの問いに本心で答える。
「二人に相談もなくその様なことを言っては叱られますよ」
「そうだな、叱られるのは困るな。黙っていてくれるか」
「どうしましょう?」
「駄目な時は素直に叱られるさ。反省もしよう」
「アキトは優しいですね。そんなところが好きです」
「俺の元に念波転送石が現れ、世界線を越えてリゼットと言葉を重ねていた時。会ったこともないリゼットが好きだったと今ならわかる」
リゼットは顔を隠すように俯く。だが零れる涙は隠しきれない。
俺の言葉は過去形だ。好きな気持ちは変わり、大切な人となった。
俺は立ち上がるとリゼットの隣に立ち、その小さな肩に手を乗せる。
「もう謝罪は十分だよリゼット。これからは自分の為に生きて欲しい。
そして必要なら俺を頼ってくれ。共に生きよう」
長いことリゼットを蔑ろにしすぎたかも知れない。そういうつもりは無かったが、結果だけを見ればそう取られても不思議はないだろう。
リゼットの手が俺の手に重なり、温もりを伝えてくる。小さな手、女の子の手だな。リゼットを守りたくてこの世界に来たのに、俺はまだ彼女を救えてはいなかった。
もう少しリゼットとの時間を増やそう。全てのことが落ち着いたら、昔のようにみんなで一緒に暮らしたい。それを夢物語なんかじゃ終わらせたくない。
年末進行という名のリアルが襲ってくるー。
どんなに抵抗してもまるでそれをあざ笑うかのように力を付けてやってくるー。
私、最近思うんですよ。明るい話よりしんみりとした方が楽に書けるなぁと。
書けると言うだけで面白いかどうかは別問題ですが……。
あ、感想は全て目を通させて頂いています。
返信できる時と出来ない時がありますけど。
出来るだけ質問には回答させて頂きたいと思いますが、ご意見の方はありがたく頂きまして返信の時間を執筆に回させて頂きたいと思います。