約束の未来
『小さき者よ。魂だけでは飽き足らず、肉体までをも竜脈に染めるつもりか?』
「……久しぶりだなエヴァ・ルータ。話し掛けてくるってことは大分深く眠っているってことか」
意識体だけの世界。
真っ暗なのか明るすぎて何も見えないのか、どこを向いているのか、どんな体勢なのか、全てが曖昧で判断の付かない、そんな世界で何度か俺の体に宿る竜の魂魄――不死竜エヴァ・ルータと邂逅していた。
『我と汝の魂は同じ器にあるのだ、話なぞいつでも出来る。普段は答えぬが、汝が我がねぐらにて話し掛けてくるようでは眠ってもいられぬ』
「俺から話し掛けていたのか、それは寝ているところですまなかったな」
『その体を譲るというならいつでも歓迎するぞ』
「そこは頼むから寿命を全うさせてくれ」
ただ、それが叶わないときが来たなら――
「もし俺の寿命を縮めるようなことが起きた時は、残りの寿命と引き替えに俺の仲間を守ってくれないか。何度もとは言わない、その時だけで良いんだ」
『……よかろう。体慣らしにも成らぬが契約の履行をもってその願いを叶えよう』
「それを聞いて安心した。エヴァ・ルータの言葉は何にも増して心強い」
もし俺の力が及ばないことがあったとしても、エヴァ・ルータなら覆してくれるだろう。ルイーゼもマリオンも賢いから、その後は上手くピンチをくぐり抜けてくれるはずだ。
『その殊勝な心掛けに免じて一つだけ忠告を与えよう。
汝が肉体は竜脈に染まりつつある。そのまま力を解放し続ければ、いずれその身は砕かれ竜の子となるだろう』
「はっ!? 俺が竜になる? どんな冗談だ!」
人間が竜に生まれ変わるとか、物語じゃあるまいし……あるのか、俺にとってはここ異世界こそが物語の中だ、ないとは言い切れない。
『冗談などではない。汝が肉体ではあれほどの力を受け入れることは出来ぬ。だが、我が魂の影響を受けし器は、その力に適応しようとするであろう。
我にとっては好都合であるが、望まぬのなら大人しく過ごすがよい』
「せめてどれくらいの力を出したら不味いとか、危なくなったら教えてくれるとか出来ないか?」
『言ったであろう、我にとっては好都合だと。
それに、既に変異は始まっておる。一度始まった変異は止まぬ。
汝が望みは強くなることであろう。であれば受け入れるのも一つの道ではないか』
「強くは成りたいが、人であることは捨てたくない。逆に言えばあの力を受け入れるだけ俺が強くなれば問題ないんだな」
『小さき者には不可能であろう。されど足掻くのも一興』
「人として生きる道があるなら足掻いてみせるさ……」
◇
月明かりがカーテンの隙間から入り込み、天使の梯子ような光景を作り上げる。差し込む明かりに照らされて浮遊していた塵が白銀色に輝き、薄暗い部屋の中をゆっくりと漂う様は幻想的な雰囲気を醸し出していた。
薄暗い部屋で目を覚まして最初に見えたのはそんな光景だった。
久しぶりに魔力不足でぶっ倒れたな……。
俺は最上とも思えるような寝心地のベッドを背中に感じ、目を覚ました。
そして、突然現れて不穏な言葉を残して消えた男の顔を思い出す。
「ベルディナード……結局、逃げられた」
自分の不甲斐なさに怒りよりも呆れが湧いて出てくる。守りたい者を守り切るにはギリギリ勝てるようじゃ駄目だ。
だが、どうすれば強くなれるのか考えても答えが見付からない。思い付くことはしてきたが、それでもまだ足りないのか。
これまでの行いが無駄だったのかと思い掛けて、その考えを断ち切る。
強気に前向き……。
忘れかけていた昔の思いを今一度心に刻む。
ふと、両腕に伝わる鼓動を感じ、その安心感にさっきまでの弱気も霧散する。
この鼓動はルイーゼとマリオンに違いない。微妙に溢れ出る魔力の特色は、もう何年も一緒にいて慣れ親しんだものだ。足下の温みはモモなのも間違いない。
そう言えば、以前もこんなことがあったな。
俺は二人を起こさないように、そっと頭を上げて様子を窺う。
右手をルイーゼが左手をマリオンが抱え込み、椅子に掛けてベッドに上体を預けていた。
両腕にはしっかりと胸の柔らかみが伝わっているはずなのに、痺れていて感覚がないのが残念だ。
隙間風がカーテンを揺らし、月明かりが二人を照らし出す。戦いの場では戦乙女と見紛うばかりの二人だが、こうして見ていると月と太陽の女神だな。
ベルディナードは倒せなかったし、含みのある言葉の意味もわからなかったが、守れたものは確かにある。無駄なんかじゃない。
俺たちは生きている。生きているならやれることがある。俺はそれが素晴らしいことだと知っているだはずだ。
ルイーゼは泣き疲れて眠ったかのような酷い顔をしていたし、マリオンは寝顔でさえ怒った様子を見せている。
大丈夫だとか言っておいてこの様だ。言いたいことはいっぱいあるだろう。
二人は俺の命令を良く聞いてくれるが、感情がないわけじゃない。それでもここぞという時は自分の感情を押し殺して命令を聞いてくれる。今回も俺を心配しながら、しっかりとシルヴィアの相手をしてくれた。
それについて二人はきっと何も言わないだろう。だけど、きっと言いたいことは多いはずだ。確かな信頼関係は結べているが、なにかが足りていない気がする。
「喧嘩も出来ない様じゃ寂しいよな」
「……アキト様」
「ん……アキト?」
「アキト様!!」
ルイーゼが胸に飛び込んでくる。怪我の痛みはないのに、斬られたという違和感だけが残っていた。恐らく『神聖魔法』を使ってくれたのだろう。俺は女神アルテアへの感謝と共に、同じだけの感謝をルイーゼにも贈る。
嗚咽を殺すように肩を振るわせるルイーゼの背中に手をあて、軽く叩いて安心させる。
気持ちが伝わったのか、ルイーゼはゆっくりと顔を上げる。再び涙で濡れた頬に白銀色の花びらのような物が付いていた。
前にも見掛けたな。モモのおまじないか何かだろう。俺はそれを親指で涙と一緒に拭き取る。
「体調は悪くない、むしろ良いくらいだ」
「当然よ、ルイーゼが一生懸命に祈ったのだから。一生懸命すぎて、ちょっとした騒ぎになったわ」
マリオンも表情こそ怒っていたが、その瞳からは涙が溢れそうだった。それを堪えて口がへの字になっているが。
「それは見てみたかったな」
「マ、マリオン」
ルイーゼがちょっと焦った感じを見せる。もしかしたら本当に派手だったのかも知れない。
ガーゴイルに襲われた時に領主城で見せた奇跡が再びと思えば、注目は浴びただろう。
「アキト様、私……何もわからないのです。私も狙われていたのでしょうか?
あの男性は言っていました。私がアキト様と敵対すると」
「俺もわからないが、俺が知っているルイーゼは目の前にいる、それで十分さ。
もし何か秘密があったとしても、俺だけは味方だ」
「わたしも忘れないで欲しいわ」
「そうだな、すまない。
俺とマリオン、それにモモがいる。三人いれば寂しくないだろ」
ルイーゼはまだ不安そうだ。俺に依存する部分が強いだけ、言葉ではわかっていても怖いのだろう。
俺は上体を起こす。目を覚ましたモモのタックルを受け止め、膝の上に座らせる。ご機嫌な様子のモモに魔力のお裾分けをし、改めて二人を見る。
「本当は戦いの前に言おうと思っていたんだが、俺の故郷じゃ余り戦いの前に言う台詞じゃなかったから言いそびれた」
俺の言葉を待つ様に二人が姿勢を正す。
俺は逆に改まってしまって言いにくくなった。何とか自分の方にペースを取り戻すには――俺は二人の手を取る。
ポカンとした様子を見せる二人を確認し、俺も覚悟を決める。
「えっと、なんだ。二人には何時も世話になっているし、これからも一緒にいたいと思っている。
これは不誠実かも知れないけれど、本心から思っているから正直に言う。
ルイーゼとマリオンを愛している、俺と結婚して欲し――」
二人のタックルを受け、モモもろともベッドに押し倒された。
「アキト様、アキト様。
私もお慕いしています、愛しています……愛しています……」
「アキト! 先に言うなんってずるいわ!
だって私の方がきっといっぱい愛しているから!」
やばい、滅茶苦茶嬉しい!
わかってはいたけれど、こうしてきちんと伝えると全然違うな!
目と口を大きく開けて驚いているモモがいなかったら、きっと理性が吹っ飛んでいただろう。
「な、なんだ。えっと、二人とも了承してくれたってことで良いんだよな?」
「はい、一生側にいさせてください」
ルイーゼが月明かりに涙を輝かせながら笑顔を見せる。
俺が知っているルイーゼの笑顔の中でも、まさしく極上のものだった。
鼓動が高まり、今なら何でも出来そうな気がしてくる。
「わ、わたし、本当に良いのかな? だって――」
「マリオンが良いんだ」
そう言うと、マリオンは目を見開き、次いで嗚咽を零すように泣き始めた。
俺はマリオンを抱き寄せ「こらからもよろしくな」と伝える。
「うん……うん……」
胸の中でコクコクと頷くマリオンが可愛くて、色々と不味いことになってきたので、俺はモモにお願いしてしばらく精霊界に隠れてもらうことにした。
二人はその意味に気が付いたのか、薄暗い部屋の中でなお顔を赤く染めていく。もちろん俺の顔もとっくに真っ赤だろう。
「む、無理をすることはないよな……」
続く沈黙に耐えきれず、思わず言葉を零す。
二人はその言葉で意を決したのか、視線を逸らして服を脱ぎ始めた。
白桃色の肌が月の明かりを反射して暗闇に浮かび上がる。
小柄な体に魅力的な大きさの胸をもつルイーゼに、細身ながらモデルさえ顔負けの腰のラインを持つマリオン。
その二人が恥ずかしそうに顔を背けて目の前にいる。余りの妖しさに現実が非現実のようで意識が溶けていきそうだ。
だが、二人が真剣な趣で俺を見つめてくると、そんな気持ちも吹っ飛ぶ。
「ルイーゼ・ラ・フォルジュは生ある限りアキトを伴侶とし、女神ドロテアに惑わされず、女神アルテアに生涯の愛を誓います」
「わたしマリオンは生ある限りアキトを伴侶とし、女神カルテアに惑わされず、女神アルシオンに生涯の愛を誓います」
しまった!?
どう考えても二人の言葉は結婚に関する誓いの言葉だよな。
か、考えてないぞ!
「お、俺アキトは、生ある限りルイーゼとマリオンを伴侶とし、女神アルテアに惑わされず、女神アルテアに生涯の愛を誓います」
何かが心の中でざわめく。悪意に反応してではなく、なんとなく文句を言いたくて怒っているような感じだ。
「ふふっ、アキト様。女神アルテア様は惑わしませんよ」
「それにアキトが誓うのは男神じゃないと駄目よ」
「なんだと……そう言うのは先に言ってくれないと駄目じゃないか?」
「それじゃアキト様、一緒に練習しましょう」
「そうね、練習しないと先に進めないわ」
いつにも増して青みを帯びた月は高く、風のない森からは動物の鳴く声すら聞こえない。ここは俺たち三人だけの世界と錯覚するような時間の中で、足りなかった何かが埋まっていくのを感じていた。
第三章最終話となります。
予定よりは大分長くなった気がします。
問題を抱えながらも三人の関係が大きく進み始めました。
「ハーレム」タグが必要なのか悩むところですが、しばらくこのまま進みたいと思います。
次回から最終章となります。
一周お休みを頂きまして、再開は12月4日(日曜)頃となります。
その他
カバーイラストが仕上がりました。
景様渾身の作品は大変素晴らしい出来となっております。
是非、活動報告をご確認ください。