カイルの覚悟
トラブルはあったものの、大盛況に終わったカフェテリアを閉めて一息つけたのは、ロンドル子爵家に戻ってからだった。
既に日は大きく傾き、イーストロアの町並みをオレンジ色に照らし始めている。ちょうど鐘楼が一五の鐘を鳴らし一日の終わりを告げていた。
街の南に見える大きな湖は琥珀湖と呼ばれているらしい。その名が示すように、水面に映った太陽が煌めき、まるで宝石のように輝いているのが見える。客間としても随分と良いところを与えられようだ。
「流石に客間だけあってロケーションが素晴らしいな」
涼しげな風景と、実際に涼しい風が部屋の中に入ってくる。ここは夏でももう少し暑くなるくらいだというので、避暑地になっているのも納得だ。
調理アシスタントとして活躍したモモは、刻んでいたタマネギのせいで目元が赤くなっていた。
今はモモを膝枕して、冷たい水で絞ったタオルを目に当てて冷やしている。うにうにと何とも締まりの無い口元だが、きっと心地よいのだろう。
カフェテリアで出した料理の反応は上々だった。これなら領都でも上手くやっていけるという手応えを十分に感じている。店員の数や必要そうなマニュアルなども見えてきたので、暇を見て準備すればいい。
「二人のおかげで思った以上に盛況だったな」
「アキト様に厨房をお任せしてしまって申し訳ありません」
「いや、好きでやっていることだから気にしなくて良いさ。二人の可愛らしい姿も見られたし満足だ」
二人は顔を見合わせて満足との言葉に微笑みあう。仲睦ましくて何よりだ。
個人的にはジャパニーズメイドスタイルをお勧めしたいところだったが、残念ながらこの世界の女性は余り肌を露出しない。一〇歳くらいまでは袖の短い服や膝丈のスカートだが、成人である一五歳になる頃には夏でも長袖になり、スカートは踝の長さとなる。
キャミソールにミニスカートなんか着ていたら、下着姿よりも露出が多いなんってこともあり得るのだから、実に残念である。おもに思春期の男子的に。
「アキト様、カイル様の使いの方から伝言を頂いております。時間が空いたら客室の方に来て欲しいとのことです」
「わかった。ルイーゼ、モモを頼む」
「はい。マリオン、アキト様をお願いします」
「わかったわ」
最近は一人になることを余り許して貰えなくなっていた。二人の心配はわかるし、助かることはあっても邪魔になることはないので二人の好きにさせている。
◇
カイルに与えられている客室はセシリアの隣だ。一度来ているので迷うことなく辿り着く。
扉の前ではマリオンが入出の許可を得てくれた。何事も礼儀と形が大事らしい。自分で許可を得てドアを開けた方が早いけれど、それも必要なことと理解は出来るので、面倒でも任せることにした。
部屋に入るとカイルが穏やかな表情で待っていた。俺は薦められるままソファに座り、マリオンが背後に控える。
使いの侍女がハーブティーのような香りの紅茶を二人分用意し、礼をして下がっていく。
マリオンの分がない……仕方が無いとは言え寂しいな。
「昨日は久しぶりに良く休めた。まずは礼を言おう。セシリアを救ってくれたことに感謝する」
「無事で何よりです。私もそれが一番嬉しいので礼は不要でしたが、お気持ちを頂戴しておきます」
「本来なら朝会った時にすべきだったが、意外なものを見せて貰ったので私も動揺していたらしい」
カイルの視線が背後のマリオンを追う。カイルであっても女性が髪を切るというのは結構なインパクトがあったようだ。流石に俺ほどの動揺があったとは思えないが、完璧な人間などいないと一安心だ。
「本人も直接礼を言いたいと言っていたが、今はまだ体を起こせぬ身なので休ませている」
「十分にお礼は頂いていますので。後はゆっくり体を休めて頂ければ幸いです」
「伝えておこう」
一通り挨拶代わりの会話が終わったところで、カイルの眉間に皺が寄った。どうやら難しい話のようだ。
「セシリアの件をこのままにしておくつもりは無い。私はセシリアにだけ隷属魔法を使ったと考えるほど教会を信用していない。恐らく似たような被害者が他にもいるだろう」
一人二人を従わせる為に、その存在を危険に貶めるような力を使うとは思えないし、使う必要が無いくらいの強権はあるはずだ。それでも敢えて危険を冒して使ったということは、その力を使わざる得ない状況になりつつあると考えられた。思ったより状況は切迫しているのかも知れない。
問題は何に対して切羽詰まっているのかがわからない……教会の権威を維持する為というのが最も濃厚な線か。同じ『神聖魔法』を使うルイーゼのことを考えれば、必ずしも無関係とは言いきれないな。
「セシリア様は命令を受けていない状態でした。同じ状態であればわかりやすいのですが、もし指示が出ていた場合は盲目的にそれを熟そうとするはずです。親しい者が見れば以前までの状態と比べてなにかがおかしいと気付くでしょう」
「わかった。今の教会は力と金が全てになりつつある。何処かで歪んでしまったのだろうが、正すには良い機会だ。私の持てる権限を持って探し出すと誓おう。その時は力を貸して欲しい」
「私も隷属魔法を許す気はありませんので、力の及ぶ限り協力させて頂きます」
カイルはやると言ったらやるだろう。それが苛烈だとしても。そして俺もこれが人の手による所行だというのなら、捨ててはおけない。
「今回の件に絡んでくる重要なことだと思いますので伝えておきます。隷属魔法の背後には上位魔人族のいる可能性があります」
「!?」
カイルの眉間の皺が更に深くなる。だが知っているのと知らないのとでは出来る対応も変わってくるだろう。その為に必要なことは伝えておくつもりだ。
「詳しく聞かせて貰えるか」
「私がセシリア様の症状に思い当たったのは、同じ症状の者を知っていたからです。その時に使われたのが隷属魔法でした。古代文明の遺物という可能性もありますが、注意はしておいた方が宜しいかと思います」
エルドリアでの俺の立場を考えれば、ここでカイルに話すことは問題があるかも知れない。だから詳細は省いて必要なことだけを伝える。
「一人、思い当たる男がいる。アレは確かに人間だったはずだが、そうとは思えぬ力を感じた」
「私の知っている限り上位魔人族は一見して人とは異なる容姿をしていましたが、人と全く同じ姿と言うこともあるのでしょうか?」
「わからぬ。少なくとも聞いたことは無い」
わからないけれど、ただならぬ何かを感じたということか。
「カイル様の武器でしたら魔人族を相手に不足は無いと思いますが、魔人族の中でも上位魔人族に至っては人のように四肢があると言うだけで、中身は似て異なります。確実に止めを指したと確認するまでは気を緩めないでください」
「まるで戦ったことがあるようだな」
「全力で当たって負けましたけどね」
「アキトたちでも無理か。しかし生き残れただけでも僥倖と言うべきか」
「わたしもそう思います」
上位魔人族の強さは、最低でも固有名詞のないドラゴンと同等かそれを上回るものだった。
あの頃に比べれば俺も、魔封印の呪いを解呪したことで自由に魔力を扱えるようになった。簡単に後れを取るつもりはない。
それでも力は使いこなせなければ無意味だ。持て余しているうちは、逆に足を引っ張られるくらいのつもりでいるべきだろう。
「貴重な情報だな」
「出来れば間違っている方が良いと思っていますが」
「経験なのだろう? ならば十分にあり得る話だ」
上位魔人族との戦いを想定して鍛錬は続けている。俺にとって、仮想敵国じゃないが仮想の敵として考えられる最も強大な敵だ。原始の三種族と呼ばれる竜族・巨人族・精霊族を相手にすることに比べれば魔人族の存在は余りにも身近だった。
本来なら強力な敵との戦いなんか避けるべきだが、避けられないこともある。それは身をもって知ったことだ。だからその為に備える必要がある。
「アキト。これを持って獣人都市ヘリオンの鍛冶ギルドを訪ねると良い。理由を問わず仕事を受けてくれるだろう」
「それは助かります。正直どう口説くべきかと思っていました。女の子を助けたのだから頼むとはなかなか言いにくかったので」
「不要な気遣いだとは思うが、アキトらしいと言うべきか」
どちらかというと生まれ育った世界の影響だな。女の子を助けて、その見返りを求めるというのは格好が付かない気がした。審判の塔の守護獣をやるというなら、格好を付けている場合じゃないんだが。
「私は二日遅れて出ることになるが、機会があれば向こうで会うこともあるだろう」
「商業ギルドに伝言を残したいと思いますが、恐らく森に出ていますので難しいかもしれません」
「ヘリオンの東に広がる魔巣には巨大な魔物が多いと聞く。アキトたちの力量は掴み切れていないが、三人というのはパーティーとして少ない。仲間を増やすことは考えないのか?」
「考えていない訳ではないのですが……」
「仲間ともなれば力量も近く信頼出来る者であることが必要だ。この国ではなかなか難しいか」
「その辺は時間が必要そうですね」
確かにここでは昔の仲間に頼ることは難しい。でも腰を据えて暮らしていけば気のあう仲間も見付かるだろうし、いざとなれば力量が合わなくても育てれば良い。
どうしても見付からないのなら戦闘奴隷という手もあった。シャルルロア領では奴隷制度を余り良く思っていないようなのでおいそれと口には出せないが、システムその物は合理的だと思う。
奴隷というと、この世界に来た当初は抵抗があった。だが、雇用という意味でとればきちんとシステム化されている。もちろん中にはブラック企業ならぬブラック商人もいると思うが、俺もまたそのシステムを利用した一人である以上綺麗事ばかりは言えない。
それに社会基盤の一つとなっている奴隷制度その物を、変えていく力を俺が持っているとも思っていない。カイルはそれを実現に向けて行動しているようだが。
最もただ無くすというわけにはいかない。奴隷はそのまま労働力になっているし、仮に解放されたからと言って着の身着のままでは何も出来ない。そんな元奴隷が生きていく為の基盤を作るのは簡単なことじゃない。それを無視すれば、結局スラムのようなものが出来るだけだ。
カイルがもし貴族の視点からだけを見て奴隷制度を無くすというなら、俺は逆に止める為に動く可能性だってある。
「仕事は明後日。ティティルを獣人族の戦士団に引き渡して終了だ。戻ったら報酬を楽しみにしていると良い」
「遠慮無く」
報酬は共に戦ってくれる仲間への正当なる対価でもある。出せる人からは素直に貰っておこう。
「獣人領ヘリオンは北のトルキア領とのいざこざが絶えない土地だ。西から入るアキトたちに直接関わってくることは無いと思うが、何かあれば直ぐに戻ってこい。領を超えてシャルルロアまで来ることは無いだろう」
トルキア領と言えば、カイルの暗殺に来た英雄デナードを送り出してきたところだ。あの時に取り逃した兵がいることを考えれば、既に俺は敵対していると言える。その情報が何処まで出回っているかわからないが、出くわした時はただで済むことはないか……。
「肝に銘じておきます」
翌日。ティティルを乗せた護衛の馬車の後を追うように、俺たちもイーストロアの街を出た。
今週はここまでとなります。
月末には恐怖の校正が待っているので、今から赤ペンの量にドキドキしています。
見た瞬間にアウトだと思ったら、申し訳ないのですが1・2週お休みを頂く予定です。