イーストロアに向けて
生暖かい風が濃密な緑の匂いを携え、東から西へと抜けていく。
春は既に過ぎ去り、一足早い夏の暑さが感じられる陽気だ。
馬車は牧草地帯を一直線に東へと進んでいく。
この辺りは道が広くそして平らに整備されているからとても快適だ。
しかしこんなに快適なのは領都から二日ほどで終わるらしい。
だんだんと行き交う人が減るのに合わせて道は細く荒れ始める。
更に進むと陵丘を避けるように蛇行するため距離が稼げないようだ。
それでも旅行だと思えば、天気の良さも合わせて実に快適であることに変わりは無い。
左右に牛や羊と思われる家畜が放たれ、それを追う牛飼いの様子が何とも長閑な物だった。
ルイーゼとマリオンの二人はリゼットお手製の日焼け止めを使っているので、紫外線対策もばっちりだ。
本人達は何それ状態だが、俺の好みだと伝えたら素直に使ってくれた。
健康的に焼けた肌はそれはそれで魅力的だと思うが、夏でも過ごしやすい国で育った二人には少しきつい日差しだろう。
モモはニコラの背中で仰向けになって眠っていた。
道中はカイルと世間話だ。
テレサは護衛らしく会話には加わらず、三人掛けの御者台で周りに視線を送っている。
心中では馬車の中で休んでいたいだろうが、カイルが出ていたのではそうも行くまい。
「トリスタン様がエルドリアへ?」
「そうだ。もうじきエルドリアに渡る頃だろう。
出来れば内戦が始まる前に背後を固めておきたい。
可能であれば協力を得ることが出来ればとも考えている」
「それほど良くない状況なのですか?」
神聖エリンハイム王国は教会の腐敗が進んだことで王族派が勢力を増している。
しかし腐敗は何も教皇派だけにあるわけじゃない。
教会の勢力が弱まったことでその利益を取り合うように、王族派と言われる領主間のトラブルも増えていた。
「シャルルロア領も無関係ではいられないと?」
「シャルルロアは船で半日の位置にエルドリア王国があり、その先にはザインバッハ帝国がある」
「外に出て行く為には必ず通る必要があるわけですね」
「そう言うことだ」
内側での取り合いが行き詰まれば外に目を向ける必要が出てくる。
その時にシャルルロアが邪魔というのは地理的に仕方が無いのだろう。
そして邪魔だというなら手に入れれば良い。
「それにシャルルロアには審判の塔がある。
あそこは女神が降り立ったゆかりの地でもあり、一風変わった魔物の素材が入手出来るという点でも外から見れば魅力的だろう」
魔物の住処である魔巣や遺跡、ダンジョンと言った場所には必ず大きな町が出来る。
それはそこから得られる利益が大きいことを意味していた。
逆に戦略的な拠点と拠点間を繋ぐ衛星都市以外に大きな街があるとすれば、魔巣や遺跡の近くだけとも言える。
シャルルロアの領都は戦略的な拠点であり審判の塔をも持つことから、なかなか魅力的な場所らしく、昔から狙われることが多かったらしい。
ザインバッハ帝国の侵攻に対しては難攻不落とも言える領都シャルルロアだったが、それはあくまでも支援が受けられればの話だ。
支援がなければいずれ食糧は尽き、戦わずして負けることも十分にあり得た。
「それでエルドリアですか」
「エルドリアの現国王とは、神聖エリンハイム王国側の窓口としてトリスタンが立つことが多かった。
謁見の予定まではスムーズに話が進んでいる」
「エルドリアに利がなければ動かないのでは無いですか?」
「無くは無い。シャルルロアを手に入れようとしている者が、その先に興味を示さないはずが無いのだ」
まぁ、玄関口を手に入れたら外に出たくなるのは人の心情だろう。
「シャルルロアが防波堤になるから、もしもの時は援助をと言うことですね」
「そうだ。時流も良い」
「時流ですか?」
「ザインバッハ帝国南部が独立したことは知っているか?」
「ヴィルヘルムでは無く、南部がですか?」
魔物の住まう島と言われたヴィルヘルムは、マリオンが先陣を切って解放し、その際にザインバッハ帝国から独立を宣言していた。
その時は帝国内で第一王子派と第二王子派に別れて内紛状態だった事もあり、首都から遠く離れた南の島国など無視されていた。
だけど南部と言うからにはもっと大きな範囲でのことだろう。
「上が争っている間に漁夫の利を得る形で、第一王女が母方の地元を母体として南部をまとめ上げ、第三勢力として立った」
「何とも気の休まらない話ですね」
「竜殺しの称号を持つ王女自らが先頭を切って戦場を駆け抜けると聞く。
機会があれば一度手合わせを願いたいものだ」
竜殺しの称号……本来ならマリオンやルイーゼが授かっても不思議じゃなかったんだよな。
「アキト様は会ったことがあるわよ」
「ん?」
側で馬を走らせていたマリオンが気になることを言う。
あった事がある?
俺がドラゴンと戦ったのは二度で、倒したのは一度だ。
その一度にしても、結局俺は一撃も加えることが無かったので、流石に俺は竜殺しを名乗れない。
そしてその時にいた女性と言えば身内以外には一人しかいなかった。
「雷槍のラシェール……か」
「元気そうで何よりだわ」
物凄い槍の使い手だった。
一度戦ったことがあるけど、余裕で遊ばれた感があった。
それにしてもマリオンが王女様と知り合いだったとは……というか、マリオンも王女だったんだから、王女の友達は王女って不思議でもないのか。
「アキトたちは知り合いだったのか」
「当時の私は彼女が王女だとは知りませんでしたが……」
俺の中で王女と言えばエルドリア王国の王女の方がイメージしやすい。
如何にも王女という感じで戦いには無縁そうだが、王族の責任という意味ではその覚悟を持つ女性だった。
戦うお姫様とかマリオンくらいかと思っていたが、魔法のあるこの世界では女性が戦いに出ることも珍しくは無いか……いやいやいや、流石にお姫様がドラゴンとの戦いに出るとかあり得ないだろ。
……二人も知っているが。
「少し自分の中の常識が崩れました」
「さもありなん」
「それで、ザインバッハ帝国の南部が独立したことでシャルルロアに影響が?」
「エルドリアは間違いなく南部と手を組んでいるだろう。
それは西の憂いが無くなったことを示す。
ならば次は東の憂いを無くしたくならないか?」
「……そうですね」
エルドリア王国の現国王ヴァンスラード一四世は俺みたいな平民にさえ借りを作るような公平さだし、第一王子のマリウス殿下は平民にすら心を砕くお方だ。
二代に渡って賢王が続く時代に左右が同盟国となれば、当面の平和が約束されたようなもので、それはきっと大きな繁栄に繋がるだろう。
多くの旧友が住むエルドリア王国が平和で満たされるのは喜ばしいことだと思う。
だが、それもこれもシャルルロアが現状を維持出来ればの話だ。
そこは何とかトリスタンとカイルに頑張ってもらうしかない。
もし内戦に陥った時、俺は政治の戦いに利用されるのはごめんだと、知り合いが死んでいく中で言い切れるだろうか。
無理だな……。
そんなことをするくらいなら、例えそこに正義がなくても問題の根本を断ち切る為に動く。
生きていく為に必要だというなら、綺麗である必要は無い。
大切な仲間の命が失われていく絶望に染まるのはもう嫌だ。
◇
ヘリオンとの領境まではおよそ一〇日。
カイルが言っていたように往路は平穏に消化され、明後日にはヘリオン領に着くというところまで来ていた。
天候に恵まれて予定より一日早く到着していた為、明日は護衛も休みとなる。
護衛対象であるティティルも引き渡しを前に厳重な監視下に置かれ、俺の出番も無いとのことだ。
正式な依頼としての護衛業務もティティルを引き渡すことで終了する。
個人的にはそのままヘリオン領に入り、紹介状を持って鍛冶屋を訪ねる。
上手く話が進めばそこで新しい武器を作ることが出来るだろう。
カイルたちとはここで一旦お別れだ。
流石に正式な使者として向かうのに、俺の馬車に同伴というわけにも行かない。
ここで準備をして俺たちより遅れて出発することになっている。
タイミングさえ合えば獣人都市ヘリオンで会うこともあるだろう。
見えてきた大きな町を前に、久しぶりに羽を伸ばせそうだとマリオンが喜ぶ。
馬車の速度で移動する馬より走った方が快適とばかりに、時たま馬を降りては共に走っているマリオンは、ここ最近特に体力を有り余らせているようだ。
領都シャルルロアを出る前は審判の塔に籠もっていたので、平穏に過ぎる日々は少し退屈なのだろう。
町に着いたら気晴らしが出来ると良いのだが、なんとなく一日中鍛錬に付き合うことになりそうだ。