ティティルの故郷・後
本日三話投稿しています
七つの鐘が鳴る頃、ティティルを獣人領まで送る護衛団が出ていくのを見送る。
元の世界で言えば朝の七時頃だが、流石に真夜中に鐘が鳴ったりはしない。
比較的良く発掘される古代文明の遺物には時計があって、日が出てから切りの良い時間になると音を鳴らすのだ。
鐘の音とは言っているが、実際に鐘を鳴らしているのではなくそれらしい音の出る魔法具だった……。
馬車が出た後の貴族門にはカイルとテレサがいた。
「さぁ、行くわよアキト」
シャルルロア領を示す女神の紋章が施された軽装鎧は何時もの装備だ。
どうやら今回は平民としてではなく貴族として動くらしい。
それはカイルも一緒で、同じく紋章入りの軽板金鎧とあの切れ味鋭い剣を装備していた。
カイルが出るのだから、護衛騎士であるテレサも当然付いてくると考えるべきだった。
であれば他に御側付きがいてもおかしくないのだが、それらは見当たらない。
貴族にしては身軽すぎじゃないだろうか。
当のカイルもテレサの随従に口を出すつもりは無いらしい。
まぁ、テレサがいればカイルの身の回りはやってくれるので、こちらとしても気を使うところが減るので悪いことばかりでは無い。
それに裏表の少ないテレサは付き合いやすかった。
カイルは領主であるトリスタンの側に立つ者であり、間違いなく上級貴族だろう。
その護衛にあたるテレサもまた上級貴族と思われる。
最初こそつっけんどんな態度だったテレサとも、短い旅の中で多少は砕けた会話が出来る様になっていた。
「ほら、ぼーっとしてないで馬車を出しなさい。
代わりに馬とテントを用意しておいたから」
「……ありがとうございます」
「お前は何を言っている」
「あわっ!」
カイルが馬車に乗り込もうとしたテレサの首根っこを捕まえ、引きずり出す。
上体を引き起こされたテレサは転びそうになるが、しなやかな動きでバランスを取っていた。
騎士として鍛えているだけあって、流石に動きは良い。
「カイル様も早く乗りましょう」
「もう一度言う、何を言っている」
「え?」
何を言っているの? と聞き返さなかっただけマシだろうか。
それでもテレサは何度か呼吸するくらいの時間をおいてから、あからさまにガッカリとした表情を見せる。
「もしかして騎乗で移動するのですか?」
「当然だろう」
どうやら馬車を占領されずにすみそうだ。
とは言え、貴族様を野宿させて俺たちが馬車を使うというのは、精神衛生上とても良くない。
ここは気遣いだけ頂いて素直に馬車を利用して貰った方が気が楽というものだ。
「出来れば馬車を使って頂けると助かります」
「ほら、アキトもそう言っていることだし。
私たちが遠慮していたら却って気疲れしちゃいますよ」
まさにその通りである。
カイルは納得する部分もあったのか「言葉に甘えよう」と言って馬車に乗り込む。
テレサは俺たちの馬車とは思えない快適さが大層お気に入りだ。
一度は売ってくれと言われたが、自分ですらほとんど使っていない馬車を売るのは嫌だったので、旅に必要だと言って断っている。
ごり押しはしてこなかったが、されたらカイルに貸しを返して貰うことになっただろう。
「アキト様。馬の方は私とマリオンで使いますので、馬車をお願いします」
「わかった」
馬車の方が楽なので二人を御者にして俺が馬でも良かったが、二人はそれはそれで楽しんでいるようなので甘えることにする。
「アキト、度々すまんな」
「いえ。ただ今回の仕事に護衛は含まれていませんよね?」
「あぁ。前回のようなことは無いだろう。
今回の目的は、ティティルの護衛で間違いない」
「先に言っておきますが、私は結構運が悪いんです。
いざとなったら自分たちの身を優先しますが?」
「それで構わない。
私も自分の身くらいは守れるつもりだ」
まぁカイルやテレサの実力を考えれば、簡単に追い詰められるような状況は起きないだろう。
「さぁ、ニコラ。またしばらく頼むぜ」
俺は短足馬のニコラの首筋を撫で、『身体強化』の要領で少ない魔力を活性化させる。
ニコラはその心地よさに一度嘶き、嬉しそうに俺の顔を舐めて来る。
「ルイーゼ、マリオン。先行してくれ」
「はい」
「わかったわ」
ルイーゼがモモを前に乗せ、マリオンと共に馬を進める。
ニコラは短足馬なので馬力はあるが足は遅い――と言うのが一般的な見解だ。
普通に考えれば、ティティルを連れた馬車と一緒に出たのでは置いていかれる形になる。
だが、揺れを吸収するサスペンションによる抵抗の少ない車体と、俺の『自己治癒』による疲労回復で一般的な馬車と同じか、むしろ早いくらいの速度が出るとわかっていた。
俺はニコラに優しく手綱で合図を送り、領都を東に向かう。
ここ首都シャルルロアから獣人の住まうヘリオン領へ向かう馬車はそれなりに多いが、荷馬車としては大きめになる『カフェテリア二号店(仮)』は近づき過ぎると目立つので、ほどよい距離を保つ必要があった。
その距離が護衛という意味ではマイナス要因になり得るが、いざとなれば『空間転移』を使ってでも助けに向かうつもりだ。
リゼットほどではないが、俺も大分早く詠唱出来るようになっていた。
ただし、自分一人の場合だが。
仲間も一緒にとなると『空間転移』の対象として認識するのに時間が取られるので、まだまだスムーズとは言い切れなかった。
「何かあるとしてもシャルルロア領を出てからだろう」
カイルが御者台に移動してくる。
「今回も護衛以外に何かあるのでしょう」
「あぁ、同盟を求めにいく」
世間話程度に疑問をぶつけてみたら爆弾が返ってきた。
神聖エリンハイム王国は統一国家だ。
それ故に国内において同盟を結ぶと言うことは無い。
あるとすればそれが必要な状態にあると言うことだろう。
「良かったのですか、簡単に話しをされて」
「聞いてくれたので巻き込むことが出来た」
「出掛けに私は運が悪いと言いましたよね。
やはり間違っていないようです」
「誰にでも話すわけではない。
人は選んでいるつもりだが、私の慧眼に間違いは無いだろう?」
「買いかぶり過ぎですよ」
それなりに信頼は得ているのだろうけれど、政治の話となれば全くの素人だ。
「それとは別に、少し話しておくべきことがある」
「時間はたっぷりとありそうですね」
「その為にここのところ仕事を詰め過ぎた。
出来れば良い話を持って帰りたいと思っている」
「同盟のことでは力になれませんよ」
力ずくでというなら多少は役に立てると思うが、政治に利用されるだけの戦いに出るつもりは無い。
「それは私の仕事だ。
もっとも、同盟については先だって文官が出ている。
私も最終確認と上手く事が運ぶならば調印するくらいだろう」
流石に平民の子供に頼ることは無かったか。
「話しておくべきことというのは、アキトを貴族に押す声が上がっている。
それを望むかどうかを聞きたい」
「権威を振りかざす相手に対応する為に力と立場は欲しいと思っていますが、貴族の責務までは負えません」
「直ぐに出る答えではないと思っていたが、普段から考えている訳か。
もう少し野心的ならいい話だと思うが」
何故か俺は欲が無く野心的でも無いと勘違いされることが多い。
もちろんそんな事は無い。
思春期らしい欲はあるし、いざとなれば身内以外を見捨ててでも生き延びるくらいは非道なことも考えている。
それに――
「信頼出来る仲間を増やして精一杯楽しく生きていくという、なかかな難しい野心がありますよ。
それを妨げる者に対抗する絶対的な力が欲しいですね」
力が全てを解決するとは思わないが、力が無ければ出来ないことは多い。
自分にとっての正義を押し通すには力が必要だ。
フランスの哲学者も「力なき正義は無力であり、正義なき力は圧制である」と言っていたし、その言葉に納得もしている。
問題は俺の正義が他の人にとってもそうであるとは限らないことだが、それを今考えても仕方が無い。
「力が欲しいか。確かに最も明瞭な野心だな。
ならば目指す道は二つある。
一つは金だ。世の中の大半の問題は金で片が付く。
もう一つは全てを退けるほどの武力を示し、民衆を味方に付けることだ」
神のごとき力を手に入れろとかでは無く、とても常識的な道を示された。
一つ目はわかる。
命はお金で買えないし、信念も曲げられないだろう。
それでも大概の問題に方が付くというのは納得のいく話だ。
貴族にしても自分に利があるとわかれば勝手に守ってくれるとも言えた。
与えた利はお金ではなかったが、現にカイルがそうしてくれている。
二つ目はわかるようでわからないが、力を示すだけでは駄目だと言うことだろう。
民衆を味方に……つまり、貴族が駄目なら民衆を巻き込めと言うことか。
基本的に平民の人権など貴族にとってはないに等しいが、それは個である場合の話だ。
領民や国民を全員殺してしまっては国も立ち行かない。
そのせいもあってか英雄と呼ばれるほどになれば貴族同等の権利が付くという。
貴族側としても、特出した個人は取り込んでしまった方が利があると考えているのだろう。
「保護を得るだけが目的なら教会に入るという手もあるが、勧めはしない。
それなりの信仰心を示さない限り役には立たないだろう」
神々の存在は信じているし女神アルテアには会ったこともある。
信仰心とまでは言わないまでも親しみはあった。
ただ、ここでカイルの言う信仰心とはぶっちゃけお金である。
今のところ大した資産も無い俺はどちらにしても選べない選択肢だな。
「良い話を土産には出来なそうですね」
「まぁ構わぬ。嫌われぬ程度に働いて貰うさ」
「後で高い買い物をしたと言われても困りますからね」
「金で済むのなら安い物だ」
本当にそう思っていそうなところが怖い。
背伸びして交渉を頑張ってみようと思ったが、どうやら俺には向かないようだ。
これ以上は墓穴を掘りそうなので控えておこう。