ルイーゼとマリオン その1
少し不満そうな表情の少女――マリオンが、受付の女性に様子を窺う。
「ねぇ、まだ掛かりそう?」
ここは冒険者ギルドだ。
冒険者も毎日が仕事という訳ではない。
仕事を終えて戻ってきた者、たまたま時間が空き次の仕事を見付けにきた者、依頼を出しにきた者、と様々な用件で日中でもそれなりに賑わっている。
かく言うマリオンもそんな用件の一つで来たところだ。
日が当たると赤く輝く髪を持つマリオンは、冒険者ギルドに入ってきた瞬間から注目を浴びていた。
それは、一目でわかるほどの高級素材からできた武具を身に付けているからでも、女性にしては珍しい大剣使いということでも、腰の背面に佩いた見事な二刀の短剣のせいでもない。
では何故かというと、その者が持つ雰囲気に当てられてだ。
まだ少女と言ってもいい歳なのに、歴戦の勇者たりうる堂々とした身のこなしは自然なもので、それが逆に目を引いていた。
ちょっと腕に自信の付いてきた若者にありがちなそれではなく、この場の誰よりも経験を積んできた老齢の戦士が持つような雰囲気、それがマリオンにはあった。
細身で体のラインがわかるぴったりとした武具は、マリオンが女性であることをしっかりと強調しながらも、何処か男装の麗人といった雰囲気を醸し出している。
短めに切られた髪と実用一択で麗美さのない武具、そして動きの一つ一つに平民では持ち得ない品格が感じられる為だろう。
だが、その深紅のするどい瞳は野性的で品格とは全く別の物だ。
相反する二つを備えることが、マリオンから目を離せない理由になっていた。
この世界では女性が戦いの場に出ることが珍しくない。
潜在的に魔力量の多い女性は肉体的な不利を魔法でカバーする。
魔術師に女性が多いのは、単純にそう言う理由からだ。
しかしマリオンは明らかに戦士の装いであり、魔術師とは違う。
つまり前線で戦う術を持つ者を意味する。
女性で単純な力勝負となる事が多い前衛は珍しく、仮にいたとしても弓や槍を使う者が殆どで、マリオンの様にまともに振うことすら困難と思える大剣を扱う者はまずいない。
マリオンに視線を送る一人は、何処かの富豪か下級貴族の子女が金に任せて見栄えのする装備を調えたのだろうと思った。
別の一人はマリオンをただ者ではないと見抜く。
また別の一人は、マリオンの実力は別として、フリーであれば自分のパーティーに招くことができないかと思案する。主にゲスな理由で。
様々な思いを乗せた視線がマリオンに集中するが、本人にそれを気にした様子はない。
それよりも今は、誰も座っていない受付の席を見て小さく溜息を零すだけだ。
道中で見掛けたBランクの魔物を討伐したものの、解体も運ぶ手段も用意していなかったので絶賛放置中となる。
お金はあって困る物ではない。
町から遠いというなら適当な部位だけ持ち帰る手もあったが、幸いにして近くには大きめの町があった。
ならば人を雇ってでも回収しておくべきだろう。
そう思って冒険者ギルドに寄り、依頼の為に冒険者認証プレートを差し出したのだが、何を思ったのか受付の男性は奥に引っ込んでしまった。
しばらく待っても戻って来る様子がない為、マリオンは隣の受付の女性に声を掛けたところだ。
「もうし――あ、いま戻ったようです」
最初にマリオンから冒険者認証プレートを受け取った男性が、少し恰幅が良く髪の薄くなった男性を連れて戻って来る。
「失礼した。
私は当ギルドの副長を任されているジョルノだ。
預かった冒険者プレートに間違いがないと確認したのでお返しする。
ただ、幾つか聞かせて欲しい」
最初に口を開いたのは、その恰幅の良い男性だ。
「なに?」
「何故冒険者ランクを上げない?
君の実力なら確実にAランクだぞ」
他人のトラブルは飯の種とばかりに聞き耳を立てていた周りの冒険者が、副長の言葉に目を見開く。
Aランク――それは国中を探し回っても何人といない、英雄と言っても過言のない存在だ。
英雄とは常人では達し得ない領域に踏み込んだ者で、その力は一騎当千。
冒険者ギルドと国が金と権力を行使してでも取り込もうとする実力者を示す。
そんな副長の発言に、ある者は納得しある者は何かの間違いだと考える。
前者は今まで生き抜いてきた直感から、後者はマリオンが自分たちを凌ぐ実力者だと認められず。
「マリオン、何か問題ですか?」
マリオンと副長のやり取りに注目していた冒険者たちは、背後から凜とした声色が発せられたことに気付き、振り向く。
そして、再び目を見開いた。
冒険者ギルドの入り口に佇む少女は、差し込む日を受け、白銀色に輝いていた。
正確にいうと輝いていたのは背に靡くマントだが、少女本人からも輝きを感じとれるような幻想をいだく。
それは、思わず膝を突き頭を下げたくなる、まるで精神支配を受けたかのようでありながらも、心地の良い感覚だった。
小柄な少女が重板金鎧に身を包み、巨大な戦鎚と巨大な盾を持つことに違和感を持つ者はいない。
終末戦争の際、悪魔の攻撃から人類を守る為に降り立った女神アルテア、その姿が石版なり石像で残されている。
この世界に生きる人々が子供の頃に必ず聞かされる伝承だ。
大人となった今では子供に道徳心を植え付ける為の夢物語だと思っていたが、少女の姿を見てもまだそうだと言える者はいない。
いま目の前に立つ少女の装いは、それら伝承と同じであり自然なものだ。
何処までも優しく慈愛に満ちた深緑の瞳は、まるで女神に見通されているような深さでいて不安を全く感じない。
暖かみを感じさせる栗色の柔らかい髪は、日の光を受けて天使の輪が浮かび上がるように輝き、人外の美しさを醸し出していた。
ただ声さえなく、誰もが時間の止まったような感覚を覚えていた中で、最初に動き出したのはマリオンだ。
「ルイーゼ。
いま冒険者ランクを上げない理由を聞かれたんだけれど、どう答えるべきかと思って」
「必要性を感じないから、では如何ですか?」
マリオンが振り向いて副長にそれが答えだと、目で伝える。
動きを見せない副長に、マリオンが剣呑そうな表情をしたところで、ようやく停止した時間から戻ってきたかの様に動き出した。
「あ、いや、しかし。Aランクになれば、年に何回か依頼を受けてくれるだけで冒険者ギルドから高額な報奨金が出る。
今までのように毎日を仕事に追われる必要はなくなるんだぞ」
「代わりに自由を奪われるわ」
「それに私たちは他国の者ですから」
マリオンとルイーゼの言葉に副長は納得する。
二人がこの国の冒険者であれば、今まで噂に上がらなかったはずがない。
もっとも、国外から来たというのならば、なおさらこの国に留まってもらう為にAランクとして登録をすべきだ。
それがギルドとしての利益に繋がるし、何よりも国防にも繋がる。
Aランクの冒険者を相手に戦いたいと思う奴はいない。
ランクの低い冒険者ならば対人戦の経験も少なく特別脅威と言うこともないが、人間よりも強力な魔物を相手に命の削り合いをしてきた高ランク冒険者ともなれば話は違う。
危険の中で生き残ることに関して彼らはスペシャリストだ。
本来なら何とか仲間に引きずり込みたいところだが、二人は得られる報酬より拘束されることを拒んでいる様に見えた。
正直なところ、二人が不自由なく暮らしていくだけの稼ぎは今のままでも可能だ。
ルイーゼの実力はわからないが、マリオンと行動を共にする以上、それなりと考えて良い。
ならば欲しい物を手にする程度の稼ぎがあり、説得の材料にはならなかった。
現に今回持ち込んできた依頼は、Bランクの魔物を討伐したので解体と運搬の人員募集だ。
その売り上げだけでも平民の家族が1年は遊んで暮らせる額になる。
間違いなくお金には困っていない。
かと言って冒険者ランクにも惹かれないようだ。
冒険者ランクは自尊心や虚栄心の高い者にとっては是が非でも上げたいものだが、いままでCランクで留まっていたことを考えれば、そんなことに魅力を感じないと考えられた。
結局、副長は留める為の案を出せず、依頼にギルド付きの解体職人を付けることで様子見とした。
◇
トラブルは合ったものの、それ以降は実力を認められたおかげか事がスムーズに運んだ。
結果、マリオンの手には金貨15枚の収まった小袋が握られている。
「ランクを上げておいた方が、この先面倒がなかったかな?」
「そうかもしれませんが、Bランクへの昇級試験は月に一度と聞きます。
それまでここに留まるには、時間が惜しいですから」
「逆にAランクは推薦だけでいけるのよね?」
「Aランクの冒険者を試験できる様な方を集めるのは無理ということで、実績評価のようですね」
「どうせならBランクからそうしてくれれば面倒もなかったのに」
マリオンは興味をなくしたのか、左耳に下げられたイヤリングを愛おしそうにさわり始めた。
その目はただひたすら優しく、少しだけ寂しさを感じさせた。
2人が目指しているのは、ザインバッハ帝国の東を治める第1王子の元だ。
現在の帝国は大きく分けて3つに分割統治されている。
東は第1王子のフレイバッハが納め、西は第2王子のレインデルが納め、ここ南を治めるのが、マリオンの旧友でもありルイーゼの知人でもあるラシェールだ。
最初にラシェールの元を訪れた2人は、そこで得た情報と紹介状を持って、第1王子がいるというベローナ王国の首都を目指していた。
目的はもちろん人化したという竜王の話を聞く為だ。
その手段が知的な物であれば習い、魔道具であれば借り受け、魔法であればリゼットの出番である。
ラシェールの紹介状があるとは言え、それがただで手に入るとも限らないが、どうなるかわからない以上、考えていても仕方のないことだ。
まずは会い、必要なら条件を聞き出す。
後は行動するだけだ。
7日ほど東に向かい港町レスタに着いた2人は、冒険者風の旅装を改める。
ルイーゼは上級なローブで動きやすい服へ、マリオンは護衛として軽装備に2刀1対の魔剣ヴェスパだけを佩く。
ルイーゼの聖装備とマリオンの魔剣フロンタイトは、旅立つ時に譲り受けた魔法鞄に移した。
これより海を渡った先は第1王子の納める国に入る。
紹介状があれば即第1王子に面会ができると言うほど簡単なものではない。
行く先々で面通しをしつつ、謁見のタイミングを合わせる必要があった。
その為に、無理に豪奢な装いは無理でも多少はらしい見栄えが必要だ。
宝石をちりばめた立派なドレスを旅の合間に着回すのは無理だが、できるだけ上級な物を纏い、相手を不愉快にしない程度には接していく必要がある。
少し上質な宿の1室で、着替えを終えた2人はお茶を片手に一息ついていた。
「貴族って面倒ね」
「あら、マリオンも今は私の臣下なのですから、立派な貴族ですよ?」
「うわぁぁ」
本当に嫌そうな表情には、かつて女王として、多くの民と共に国をとりもどさんと戦った面影もない。
「ルイーゼはともかく、わたしは無理かも」
「護衛役ということで妥協したのですから、我慢してくださいね」
「はーい」
「ふふふっ」
「ふふっ」
他愛もないやり取りが可笑しくて、2人は小さく笑う。
ここにいないアキトを想いながら。
今度はルイーゼとマリオンサイド。
しばらくはこんな感じで、実験的に進みます。